一一話、大滝の中の陽炎
04:55・横須賀海軍基地第三埠頭
「じゃあエレナ。これ、頼んだぞ。」
武は16GBのUSBメモリーをエレナに渡す。
「確かに…。でも、情報を手に入れることの出来る保証は何処にもないわよ。」
「良いんだ。〝銀髪の魔女〟に保険をたっぷり掛けているからな…そのメモリーにな。」
「そう言われては血が漲るわね…良いわよ。やってあげる。」
「すまないな。それに艦内戦闘訓練の指導、改めてありがとう。」
「命令で来たんだ。」
「じゃあ、よろしく!」
「ウラー!」
エレナは、青葉を背にして走り出して右拳を挙げる。
「頼んだぞ…エレナ。」
武は、青葉へと向かう。
「で、何やってたのよ?」
舷梯を上がり艦内へと戻った直後、待ち伏せしていたかのように千早から尋問された。
「な、何って、渡すものがあったからだけど…。」
見られていた、それも千早にとは思わなかった。たじろく武。
「何渡したのよ?」
千早の顔が少し怒っているのがわかった。
「USBメモリーだ。中身は…、いや、これは関係ない。」
「ちょっと。私に言えないものなの!?」
少し口調を強める千早。
「仕事上のものだぞ?別に後ろめたいことなど…」
「ふ~ん…、ロシアからきた美女軍曹さんね~?」
今度は意地悪そうな言い方で詰め寄る千早。
「だから、ただの…」
『総員、出港準備。繰り返す、出港準備にかかれ。』
武の声をさえぎり、突然の艦内放送。
「な、何ごとだ?」
「まだ出港時間には…。」
「とにかく準備だ。」
武は露天甲板へと走った。千早が続く。
05:10・青葉艦橋
「何ごとだ?」
上がってくるなり、大滝が和田に尋ねた。
「司令部からの緊急電です。」
和田が一枚の紙を見せる。
「“04:50頃、呉港より第11戦隊所属の駆逐艦 陽炎が命令を無視し出港。05:00頃、テロリストによる艦艇の奪取と判断。”…どういうことだ、艦を奪われたのか?」
「そのようです。追加電で、今動ける全艦艇に追尾命令が出ました。横須賀で動けるのは、第1戦隊だけ。…つまり本戦隊のみです。」
「艦長!さらに追加電です。」
通信長が声を上げた。
「陽炎は豊後水道を南下し太平洋に出る可能性あり。第1戦隊は、足摺岬沖に展開せよとのこと。」
「足摺岬?他の艦はいないのか?やれやれ…。」
「出港準備完了まで、あとどれぐらいだ!?」
「あと15分で完了します!」
早朝の横須賀港がざわめき始める。
「急がせろ!」
和田が叫ぶ。大滝は眠いのか、艦長椅子ですでに寝息をたてていた。
「艦長!こんなところで寝ないで下さい!」
「まだ戦闘じゃないんだからいいだろう。少しは寝かせろよ。…ふぁ~。」
あくびをする艦長に呆れる和田。
翌日の08:00・日本南岸から約900kmの太平洋上
「CIC、艦橋。この辺のはずだ。見逃すなよ。」
『艦橋、CIC。了解です。』
展開命令が出たのは足摺岬沖だ。だが大滝はそんなところに行っても奪取された陽炎はいないとわかっていた。駆逐艦を奪取できるような連中だ。少ない艦艇で敷いた非常線など、簡単に突破するであろう。
「蒼龍より入電。“索敵機は陽炎を発見できず。”以上です。」
「ということは、近くにいる可能性が高いな。…CIC、艦橋。索敵を厳となせ。近くにいるぞ。」
『艦橋、CIC。了解。水上索敵を厳とします。』
遥か彼方に大きな積乱雲が見える。そのせいなのか、海上は少々うねりがあるようだ。四隻は縦に並んで航行していく。
「艦長、ミサイルチェックは全て終了しました。」
武が艦橋に上がってきた。慌しく出港したので、ミサイルチェックでエラーが出てしまったのだ。
「ご苦労。直ったか?」
「ええ。プログラムエラーでしたが、先ほど元に戻しました。」
そうか。と、大滝が頷く。
「陽炎…か。」
「?」
積乱雲を見ながら、懐かしそうな顔をする大滝。こんな大滝の姿を見たのは初めてだった。
「いや失礼。昔乗っていた艦でな。もう5年も前の話だ。」
ふっと笑いを浮かべる大滝。
「…そういえば、艦長は一度前線から退かれていたと聞きましたが。」
「真田一曹、任務中だぞ。下がりたまえ。」
和田が横槍を入れる。
「副長、話の一つや二つくらいいいではないか。まだ陽炎は見つかっていないしな。」
そう言い大滝は静かに、ゆっくり話し始めた。
2005年の1月15日、大滝は当時最新鋭の駆逐艦であった陽炎の副長兼航海長の任についていた。
その頃の大滝は、日本海軍内での指折りの操艦技術を持つ者として有名だった。大滝自身も、ようやく自分の技術に自信を持てるようになってきた時期でもあったのだ。
そんな時起こった。潜水艦である潮50が、急速浮上で陽炎を避けきれず艦首から衝突するという事故。潮50は艦首を大破、陽炎も艦底に穴が空く被害を被った。
死者も出た。潮50の魚雷室で押しつぶされた3人、陽炎でも艦底にいた機関員が巻き込まれ行方不明。死亡したと断定された。この一件は、日本海軍最大の惨事となった。
事故後、両艦の操艦責任者が責任を問われた。結果、陽炎が回避行動を行ったことと、潮50がソナーによる確認を行わずに急速浮上を試みたこと、パッシブソナーの記録から潮50が陽炎を浮上前から捉えていたことが判明したことから、責任は潮50側にあるということになった。
だが大滝は、この一件で自責の念に駆られてしまった。
「あれは俺なら避けれた。艦が傷ついたのは自分の責任。俺は人を殺したんだ…。」
大滝は艦を自ら降りた。自分の操艦技術を過信していたと思い込み、除隊を願い出た。うつ病にもなりかけ、精神治療も受けた。
しかし除隊は認められなかった。大滝は、横須賀で補給関連の隊へと転属を命じられた…。
「その後、いろんなところから復帰の要請がきてな。今はこうしてこの艦の艦長をやっているというわけだ。つまり、陽炎は思い入れというか…記憶に残る駆逐艦なんだ。」
いつの間にか、艦橋にいる全員が大滝の話に耳を傾けていた。いつ来たのか、千早も武の横で聞いている。
「…じゃあ、陽炎は艦長にとって特別な艦、というわけですか。」
重い沈黙を破り、武が言った。
「特別というほどではないが、気になる艦だな。それが奪われたとなれば、やはり落ち着いてはいられないな。」
「でも、何で一度降りたのにもかかわらず、もう一回戻ろうと決めたんですか?」
千早が訊く。真剣な目だ。
「ああ、有名というか…本来は私などが会えないような人物が直接尋ねてきたりしてね。」
「ど、どんな人ですか?総理大臣とか…?」
「そんな人はさすがに来ないよ。…記憶にあるのは藤宮 邦夫さんかな。」
「えええ…!?」
艦橋にいた全員が驚く。無理もない、同人物は前任の連合艦隊司令長官だからだ。ここにいるクルーたちにとっては、まさに雲の上の存在である。
「すげぇ…。」
「元とはいえ、長官が直々にかよ…。」
驚きの声で艦橋がざわつく。和田もあっけにとられ、注意もできない。
『艦橋、CIC。方位1-6-0に陽炎を発見。距離は90キロ、16ノットで東進中。』
「了解。見つけたようだな。」
振り返る大滝。
「まいったな。こんな人数に聞かれてしまったのか。これは恥ずかしい…。」
「いい話でしたよ。やっぱり艦長って凄いんですね。」
武が返す。お世辞はなかった。
「いいこと言ってくれるじゃないか。…さて、始めるぞ。」
帽子を被りなおす大滝。
「総員、戦闘配置につけ。」
「ハッ!総員、戦闘配置!」
全員がパッと散った。




