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雨上がりの帰り道——残る温もり

 午後の授業が終わるチャイムが鳴った。


 クラスメイトたちの声が弾んでいる。


 肩の力が抜けたような笑顔が、

 あちこちに広がっていた。


 胸の奥にあった重たい空気が、

 少しずつ溶けていくのを感じる。


 それでも、

 窓の外にはまだ薄い雲が残っていた。


 雨は止んでいる。


 だけど空気はしっとりと湿っていて、

 廊下を歩くたび、

 靴底が小さく鳴った。


 その音が、

 今日一日の名残みたいに思えた。


 向こうの席では、

 詩乃ちゃんが楽しそうに鞄をまとめている。


 軽やかに動く指先に合わせて、

 ペンの音まで弾んで聞こえた。


 その様子を見ているだけで、

 自然と頬がゆるむ。


 ――今日は、この後一緒に帰る。


 そう思うだけで、

 胸の奥に溜まっていた緊張がほどけていく。


 家族に会える。


 今はそれが、とても温かかった。



◇ ◇ ◇



「「「さようならー」」」


 全員の声が重なり、

 日向先生が柔らかく笑って教室を出ていく。


 椅子を動かす音。


 鞄を持つ音。


 誰かの笑い声。


 それらが一斉に混ざり合い、

 教室の空気は一気に解放感に包まれる。


 長い一週間の終わりに相応しい、

 どこか浮ついた喧騒が広がっていく。


 私は後ろの席の玲央くんに挨拶をして、

 詩乃ちゃんとカナタの元へ歩み寄る。


「行こっか」


「うんっ」


 カナタも静かに立ち上がり、頷く。


 すると優ちゃんが首を傾げた。


「拓斗も、常盤町に帰るの?」


「おう」


「えっ、そうなのっ?」


 詩乃ちゃんが目を丸くして振り返る。


 拓斗は少しだけ眉を動かして、

 軽く頷いた。


「せっかくの休みなのに、彼女さんとデートとかしないの?」


 詩乃ちゃんの無邪気な一言に、

 空気が一瞬止まる。


「あー……」


 拓斗は間延びした声を出した。


「別れた」


「え゛っ!?」


 詩乃ちゃんの驚きの声が、

 教室中に響いた。


 あまりに即答過ぎて、

 私もカナタも優ちゃんも同時に目を見開く。


「まぁ、一ヶ月も続かなかったからな」


 淡々と返すその横顔には、

 ほんの一瞬だけ疲れのような影が見えた。


「……じゃあ、一緒に帰ろうよっ! 私たち三人も、常盤町に帰るんだ〜」


 詩乃ちゃんが明るく言うと、

 拓斗はほんの少し口角を上げた。


 私たちはみんな

 同じタイミングで笑った。


「それじゃあ、優ちゃん。また来週ね」


「えぇ。さよなら」


 優ちゃんは微笑みながら、

 軽く手を振り返す。


「ばいばーい」


 詩乃ちゃんも手を振り返すと、

 四人で教室を後にした。


 雲の隙間から見えていた青空が

 少しずつ広がってきて、

 金色の光が廊下に差し込んでいた。




 天律学園からバスに乗り、

 天律学園前駅で環の花軌車に乗り換える。


 夕方の風はまだ少し湿っていて、

 梅雨の残り香の中に

 どこか夏の匂いが混ざり始めている。


 カナタは魔械(マギア)軌車に乗るのが初めてらしく、

 改札口の前で立ち止まっていた。


「マスクを鳴らして、行き先を思い浮かべて通ってね」


 カナタは私と目を合わせる。


 そして、

 魔械面(マギアマスク)を鳴らした。


 すると――


 改札が、すっと開く。


『……!』


 カナタの肩が、

 びくっと跳ねた。


 恐る恐る改札を通り抜けると、

 カナタは目を丸くして、

 辺りを見回した。


 駅構内に設置された

 魔械(マギア)掲示板をひとつひとつ眺めていく。


 そのたびに、

 カナタの目が少しだけ大きくなる。


 まるで、

 初めて見るものばかりの子どもみたい。


 その姿があまりに可愛くて、

 私はそっと口元を押さえた。


 私たちは四人並んで腰を下ろす。


 カナタは私の右隣で、

 控えめに辺りを見回していた。


 魔械(マギア)軌車が揺れるたび、

 カナタの肩が小さく上下する。


 瞳を輝かせている横顔は、

 夕方の金色の光を受けて、

 少し眩しかった。


 しばらく車内を見回していたカナタが、

 ふと、私に視線を戻した。


 さっきまで輝いていた瞳が、

 いつもの穏やかな目に戻っている。


『……どうしたの?』


 小さく首を傾げた。


「いつも車移動だもんね。初めての軌車は、どう?」


 カナタはもう一度、

 車内をゆっくりと見回した。


 まるで、ひとつひとつを記憶に刻むように。


『うん……本でしか知らなかったからすごく興味深いよ。中の仕組みも見てみたいな』


 どこか楽しそうな抑揚の声。


 いつもの落ち着いたカナタじゃなかった。


 つい口元がゆるんでしまう。


「ふふっ……」


 思わず漏れた笑い声に気づいたカナタは、

 はっとして私に向いた。


 そして、すぐに目を逸らす。


 だけど、

 髪の隙間から見えた耳の先が、

 ほんのり赤く染まっていた。


 私はますます笑いを堪えるのに必死だった。


 魔械(マギア)軌車はゆるやかに進んで行く。


 常盤駅に着くと、

 軌車のドアが開く音が小さく響いた。


 私たちは順に軌車を降り、

 次に“緑の教会”行きの魔械(マギア)軌車へと

 乗り換えた。


 ボックスタイプの座席に座ると、

 隣には詩乃ちゃんの温もりがあった。


 向かいの座席には、

 カナタと拓斗が並んで座っている。


 二人の間には、

 どこか居心地のいい静けさが流れていた。


 詩乃ちゃんはそんな二人の様子を

 嬉しそうに見つめる。


「久しぶりの常盤町だね〜っ!」


 詩乃ちゃんが嬉しそうに身を乗り出す。


「たっくん、元気かなぁ?」


「だといいねっ」


 私たちは顔を見合わせて笑った。


『……たっくん?』


 カナタが控えめに首を傾げる。


「あっ、カナタは会ったことがないっけ?」


「詩乃ちゃんの弟くんだよ。今はまだ二歳だっけ?」


「うんっ、今年三歳なのっ。可愛いでしょっ!」


 詩乃ちゃんは頬に手を当てて、

 たっくんの顔を思い浮かべているようだった。


「まだ歩き方もヨチヨチしてて、頑張ってお喋りしてくれるんだよ〜!」


 たっくんが詩乃ちゃんを見つけて

 笑顔で駆け寄ってくる姿――


 その記憶が胸の奥で温かく蘇る。


 あの小さな足音。


 あの舌足らずの声。


 思い出すだけで頬がゆるむ。


「早く会いたーい!」


 詩乃ちゃんの控えめな叫びが、

 車内の空気を柔らかく震わせる。


 窓の向こうには、

 少しずつ見慣れた街並みが流れ始めている。


 あと少しで、

 あの懐かしい空気に触れられる。


 少しだけ開かれた窓から入ってきた。


 湿り気を帯びた夕風の匂いが、

 ほんの少しだけ夏の訪れを連れていた。



◇ ◇ ◇



「それじゃあ、カナタくんっ。また日曜日に一緒に帰ろうねっ!」


 詩乃ちゃんが傘を持ちながら手を振ると、

 カナタは短く頷いた。


『うん』


 軌車が減速し、

 ホームの景色がゆっくりと流れていく。


 私たち三人が降りる駅に着く。


 詩乃ちゃんと拓斗が先に席を立ち、

 通路へ出て行く。


 私はその背中を見送りながら、

 カナタに声をかけた。


「また後で連絡するね」


『……分かった』


 短い返事。


 カナタが小さく手を上げる。


 私も笑って、

 同じように手を振り返す。


 詩乃ちゃんたちの背中を追って、

 一歩、外へ踏み出す。


 ホームに降り立つと、

 雨上がりの甘さを含む風が頬を撫でた。


 淡く匂い立つ風の向こうで、

 軌車の扉が音を立てて閉まる。


 車輪がゆっくりと動き出し、

 列車が遠ざかって行く。


 私たちはしばらく無言で見送った。


「……行こっかっ」


 詩乃ちゃんの声に私と拓斗は頷き、

 三人並んで改札口へ向かう。


 ブーツと革靴の足音が

 タイルの上で軽やかに響き、

 機械音と共にゲートが開く。


 外に出ると、

 駅前ロータリーの空気はどこか開放的で、

 少しひんやりとしていた。


 ロータリーの先で、

 私たちに向かって手を振る親子の姿が見えた。


 小さな子どもが、

 お母さんの腕の中から

 一生懸命に手を振っている。


 右腕だけで、懸命に――


 詩乃ちゃんがその姿を見た瞬間、

 息を呑んだ。


「っ……たっくんっ!!」


 名前を呼ぶと同時に、

 詩乃ちゃんは駆け出していた。


 濡れた石畳を踏む靴音が弾む。


 詩乃ちゃんのお母さんが

 たっくんをそっと下ろす。


 たっくんはバランスを取りながら

 小さな足でヨチヨチと詩乃ちゃんへ向かってくる。


 その顔には、純粋な喜びしかなかった。


 大好きなお姉ちゃんに会えた――


 その嬉しさが全身から溢れている。


「しーちゃ! しーちゃ!」


 たっくんの声が風に乗って跳ねる。


 詩乃ちゃんはたっくんに辿り着くと、

 その小さな体を抱きしめた。


「たっくんっ……会いたかったよー!!」


 抱き上げた勢いのまま、くるりと一回転。


「きゃーっ」


 たっくんは嬉しそうに声をあげて笑った。


「……すげーな」


 隣で見ていた拓斗が、小さく呟いた。


 その声は呆れでも皮肉でもなく、

 ただ純粋に目の前の光景に

 心を打たれたような響きをしていた。


 雨上がりの光の中で、

 詩乃ちゃんはたっくんを

 抱きしめたまま笑っている。


「ふふっ、可愛いね」


 拓斗はほんの僅かに目を細めた。


 詩乃ちゃんの笑い声が風に混ざって届いた。


 たっくんの小さな手が、

 詩乃ちゃんの髪を引っ張っている。


 私は自然と足を前に出した。


 拓斗も無言のまま並んで歩き出す。


 湿った風が、

 二人の間をすり抜けていく。


 雨の名残を含んだ匂いが、

 胸いっぱいに広がった。

お読みくださり、ありがとうございます。


軌車に目を輝かせるカナタ。

久し振りの常盤町にはしゃぐ詩乃ちゃん。

そして、少しずつ肩の力が抜けていく莉愛たち。


事件の後だからこそ、

こういう穏やかな移動時間が

とても大切なものに感じます。


そしてラストの、たっくんとの再会。


詩乃ちゃんは普段、

明るくて騒がしくて、

周りを笑わせる側の子ですが——


“大好きでいる力”が、

たぶん人一倍強い子なんだと思います。


その光景を見ている拓斗の空気も含めて、

少しずつ関係が動き始めている回でした。


引き続き、見守っていただけたら嬉しいです。

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