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『……だよね』


 カナタのチョーカーから機械混じりの小さな声が呟いた。その声は机の木目に吸い込まれるように淡く響き、私の耳には薄らとしか届かない。聞き返そうと顔を上げた瞬間、カナタのチョーカーからもう一度声が響いた。


『莉愛は、指導してるんだよ』


「えっ……うん。だって操導者は指導する人だから……」


 私の答えに、カナタはすぐさま反論するわけでもなく、吊り目の端をふっと下げて穏やかな目で見つめ返してくる。その視線が不思議と胸の奥をくすぐって、居心地が悪いのにどこか安心もする。


『そうだね。でもそのせいでうまく行ってないのなら、きっと違うやり方があるんだよ』


 諭すような声。だけど責められている感じは全然しない。寧ろ、私の背中をそっと押してくれるみたいだった。


『……莉愛、こういう時は指導じゃなくて「指示」をするんだ』


 カナタはきっぱりと言い切った。その言葉が、胸にストンと落ちてくる。


「えっ! でも……指示ってその……命令だよね?」


 思わず声が裏返った。命令なんてしたくない。操縦者も操導者も対等であるべきなのに。上下関係を作ってしまうんじゃないか。


 詩乃ちゃんとの間に見えない壁を作ってしまうんじゃないか。そんな不安が、心の中でじわじわと広がっていく。


 カナタはそんな私の迷いを見抜いたように、少し考えてから静かに言葉を続ける。


『莉愛の言う指導って、教育的な意味だと思うんだ。「教え導くこと」ってやつ。でも操導者の立場で必要なのは、それとはちょっと違う』


「へっ?」


『例えばさ、先生が生徒に勉強を教えるのは「指導」だよね。相手が理解して、できるようになるのを待つやり方。でも、レースや戦いの中ではそんな時間はない。操導者が求められてるのは、瞬間的に最適な行動を示すこと。つまり「指示」なんだ』


 カナタは頬杖をしていた手の指先を、迷路の紙へ置いた。


『「右に行け」「今は左」「次は真っ直ぐ」。そういう短くて迷わない合図。命令って言葉に聞こえるかもしれないけど、二人が同じゴールに向かうための合図なんだよ』


 カナタは迷路の道をなぞりながら説明してくれる。その言葉が真っ直ぐに胸を突いてくる。


「……でも、指示したらさ……上下関係が生まれない?」


 問いかけながら、自分の声が弱々しく震えているのに気付く。怖いんだ。詩乃ちゃんとギクシャクしてしまう未来が、頭の片隅にチラついて。


 それでもカナタは私の揺れる心を否定せず、ただ優しく受け止めてくれるような眼差しを向けてくれていた。


『……詩乃ちゃんが創駆を作ってる時に、莉愛は何回か手伝ってたでしょ?』


「うん」


 カナタの問いかけに頷きながら、記憶がすぐに引き出される。作業台の上に散らばったパーツ、油の匂い、詩乃ちゃんの真剣な横顔。


『その時詩乃ちゃんは、莉愛にできるようになるために指導してた? それとも莉愛ができることで、今必要なことを指示してた?』


 瞬間、胸の奥で何かがカチリと音を立てた気がした。私は息を呑み、ハッと目を瞬く。


 ——そうだ。詩乃ちゃんは一度だって、私にやり方を細かく教え込もうとしたことはなかった。


 詩乃ちゃんが「学ぶ」必要はないと、自然に分かっていたし、私も必要ないと思ったからだ。


 代わりに言われていたのは、「そのパーツを持ってきて」とか「ちょっと押さえてて」みたいな、私にもできる具体的なことばかり。そういうお願いを思い出した瞬間、胸の奥に温かいものが広がる。


 これだって、立派な「指示」だったんだ。


「……多分、指示だと思う」


 そう口にすると、カナタは目元をふわりと和らげて、静かに頷いた。


『その時、上下関係は生まれた?』


「ううん」


 私はすぐに首を振った。あの時の詩乃ちゃんが偉そうに見えたことなんて、一度もない。寧ろ頼られていることが嬉しくて、夢中で動いていた。


『でしょ?』


 短い問い返しに、私は小さく笑みを浮かべながら頷いた。


 分かってはきた。頭では理解できる。だけど——


「うん……でもやっぱり指示するのは難しいな……」


 声に出すと、胸の奥に絡みついていたモヤが、改めて形を持って重くなる。理解したからといって、すぐに切り替えられるわけじゃない。


 詩乃ちゃんに向かって「次はこうして」なんて言う自分の姿を想像すると、心臓が縮むように痛んでしまう。


 上下関係ができないのはもう分かった。だけどそれとは別に、私の中の「何か」が、足枷のように残っている。


『そうだね。莉愛は優しいからね……』


 カナタのその一言は、責める響きなんてちっとも含んでいなかった。ただ私の弱さも優しさも、丸ごと認めるような声色だった。


 その眼差しに触れた途端、胸がほんの少しだけ軽くなった気がした。


 カナタは右手を握り、その拳をマスクにそっと当てる。深く考え込む時、必ずそうする——カナタの癖。無機質な鉄の仮面に押し当てられたその仕草は、カナタ自身を落ち着けるためのスイッチのようにも見える。


『……莉愛は、視覚魔法が得意なんだよね?』


 しばらく黙った後、低く落ち着いた声で問いかけてくる。


「ん〜、そうだね。視覚魔法が一番好きかな」


 口にしてみると、自分でも不思議なくらい納得できた。人を見た時にふと見えてしまう映像。


 迷路の時もそうだった。選んだ道が正解に繋がっていたのは、視覚から広がる魔法の直感が背中を押してくれていたから。


 それらが自然と浮かび上がって見えるのは、私にとっては「得意」というより「当たり前」に近い感覚だった。

 

 そんなことを思い出していると、カナタは椅子から立ち上がった。玲央くんの席へ椅子を戻す仕草は妙に丁寧で、次の行動をもう決めていると伝えてくるようだった。


『それじゃあ、行こうか』


「へっ!?」


 唐突すぎて、思わず変な声が出る。私が心の中で整理するより早く、カナタは次の行き先を見据えて歩き出していた。


 慌てて迷路の紙を揃えて抱え、椅子を引き、席を立つ。カナタに置いていかれないように、小走りで後を追った。

 ——そして辿り着いたのは、双輪試走の練習場。


 広い施設の廊下には緊張感が漂っていて、ドアがずらりと並んでいる。


 カナタは迷うことなく、その中から迷路のコースが組まれている部屋を選んだ。さっきまで詩乃ちゃんと一緒に練習していた場所だ。


 ギイ、と重い音を立てて扉を開けたカナタは、私に視線を移す。まるで「入って」と伝えているようだった。


 私は胸の奥にふっと熱を覚え「ありがとう」と小さく呟いて足を踏み入れた。


 カナタはそのまま操導者の部屋へ続く階段を迷いなく登っていく。私は抱えた紙を胸に押し当てながら、その背中を追いかけた。


 高みにある部屋に入った途端、視界いっぱいに広がるのは下のコース全体を俯瞰できる光景。


『へぇ、こんな感じなんだ』


 操導者の視点に立ったカナタは感嘆を隠せない様子で窓際に歩み寄り、あちこちへ視線を巡らせる。口元を覆う鉄の曲線に部屋の明かりが反射し、目元には純粋な興味が浮かんでいた。


 私はそんなカナタを横目に見ながら、胸の奥に残るモヤモヤを抑えきれなくなって思わず口を開いた。


「あの、カナタ……そろそろ説明をして欲しいんだけど……」


 不安と期待がない交ぜになった声は、自分でも少し震えているのが分かった。


 カナタは、キョトンと目を丸くして私に言った。


『……あれ、言ってなかったっけ?』


 キョトンとした声音に、思わず言葉を詰まらせる。


「う、うん……」


 するとカナタはハッとしたように瞬きをして、慌てた様子で両手を振った。


『ごめんっ! 言ったつもりで、頭の中だけで考えてたみたい』


 その謝り方が妙に誠実で、つい「カナタらしいな」と小さく笑ってしまった。


 カナタはすぐさま気持ちを切り替えるように目を閉じ、そして目を開くと窓の向こうに広がる巨大な迷路を指さした。


『莉愛、この迷路を視線だけでやってみてごらん』


「さっきみたいに?」


 恐る恐る尋ねると、カナタは小さく頷いた。その表情を見て私も自然と背筋が伸びる。


 窓際に立ちコース全体を見下ろす。思ったよりシンプルな構図——入り口から出口までの道筋が、頭の中で一本の線になって浮かび上がる。


 視線を辿る度、その線は揺らぐことなく迷路の道を指し示し、迷いなく出口へ到達した。


「……できたよっ」


 思わず吐き出した声には、自分でも分かるくらいの驚きと確信が混じっていた。


 カナタはジトっとした目を見開き、表情を柔らかく緩ませる。


『……早いね』


 その声音に混じる素直な驚きが、私の胸を少し温める。


「そう? 紙の迷路より簡単だからかな」


 言いながらも、心の奥では「できた」という小さな達成感がじんわり広がっていた。


『それじゃあ———』


ここまで読んでくださりありがとうございます。もし少しでも面白いと思っていただけたら、感想や評価で応援していただけると嬉しいです。

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