今、届く——双輪試走
スクリーンの中のカナタは、
円盤状の創駆に片膝を立ててしゃがみ込み、
縁にある持ち手をしっかりと掴んでいた。
異様だった。
バイクでも、ボードでもない。
見たことのない形のそれは、
どう見ても“乗り物”には見えない。
(……どうやって動くの?)
そんな疑問が胸の奥に浮かぶ。
きっと、
教室にいるみんなも
同じことを思っている。
だって、その創駆には――
タイヤがひとつもないのだから。
〈――ピッ、ピッ、ピッ、ピー!〉
次の瞬間。
カナタの創駆が、
弾かれたように前へ飛び出した。
「えっ!?」
思わず声が漏れる。
地面すれすれを滑るその姿は、
まるで風そのものが形を持ったみたいだった。
教室が一気にざわめく。
驚きと興奮が、
波のように広がっていく。
「カナタくんっ、あれ、どうやって進んでるのっ!?」
詩乃ちゃんが、
抑えきれない好奇心のまま声を上げる。
私はスクリーンの中のカナタから、
隣に座る本人へと視線を移した。
カナタは腕を組んだまま、
落ち着いた声で答える。
『底面で空気を圧縮して、一気に押し出してるんだ。反発で少し浮かせて、そのまま空気の膜の上を滑らせて――』
「「「…………」」」
難しい。
説明を聞いたはずなのに、
逆にわからなくなった気がする。
私はぽかんとしたまま、
カナタを見つめた。
ふと詩乃ちゃんを見ると、
同じように目を丸くして固まっている。
そんな私たちを前にしても、
カナタ本人はいたって真面目な顔だ。
『空気流のベクトルを循環させれば、推進と浮遊を同時に維持できる。制御が難しいけど、安定すれば摩擦がほとんどないから、普通のバイクより速いよ』
(……なんて言った?)
もう駄目だった。
私の頭は完全に処理を放棄している。
向かいの詩乃ちゃんと自然に目が合う。
それから拓斗を見ると――
案の定、目を逸らして小さく首を振った。
たぶん、拓斗もわかってない。
「えぇっと……つまり、どういうこと?」
結局、正直に聞くしかなかった。
その瞬間、
カナタが一瞬だけはっとした顔をする。
でもすぐに、ふっと肩の力を抜く。
『……要するに、下から空気を押して浮いてるんだ。ちょっと飛ぶスケートボードみたいな感じ』
「「「へぇ〜」」」
今度こそわかった。
クラスのあちこちでも
同じタイミングで頷く気配がして、
妙な一体感が生まれる。
さっきまで難解な理屈を
すらすら並べていたカナタは、
今は少しだけ目を伏せて視線を逸らしていた。
……ちょっと照れてる。
その仕草が、胸の奥をくすぐる。
あんなに自信ありげに説明していたのに、
通じなかったとわかった途端に
ほんの少しだけ恥ずかしそうにするなんて。
おかしくて、
でもなんだか温かくて、
唇の端がゆるんだ。
「じゃあ、私たちみんなスケートボード型でクリアしたんだねっ!」
詩乃ちゃんの明るい一言に、
カナタのチョーカーから
ふっと笑う息が漏れた。
『そうなるね』
その返事が、少し嬉しい。
三ペアそれぞれ全然違うのに、
どこか共通点がある。
それだけで胸の奥が、
ふんわり温かくなった。
そんな空気のまま、
スクリーンの中では薬苑コースに入っていく。
カナタは問題を聞いた瞬間に、
迷いなく正解のルートを選んでいった。
あまりにも速い。
「……拓斗、何もしてないじゃん」
さっきの仕返しみたいに揶揄ってみる。
「ち、ちげーよ。俺が答える前に、カナタが勝手に行っちまうんだよ……」
拓斗はスクリーンを睨みながら、
少し悔しそうに言った。
私はつい笑ってしまう。
「じゃあ結局、何もしてないじゃんっ。私のこと笑えないねっ」
「うるせー……」
拓斗が小さく返す。
その頬がほんのり赤いのを見て、
ますます笑った。
だけど、その空気は次のコースで一変した。
魔障コース。
音が鳴った瞬間、
拓斗がほとんど間を置かずに答えを告げる。
その正確さに、思わず目を見張った。
「拓斗くんすごーいっ! 絶対音感ってやつ?」
「まぁな」
短い返事。
でもその横顔は、
少しだけ誇らしそうだった。
その間にも、
スクリーンの中のカナタは
迷いなく先へ進んでいく。
息が合っている、というより――
お互いの役割が、
ぴたりと噛み合っている。
それが見ているだけで伝わってきて、
胸の奥がじんわり温かくなった。
霧幻コースでも、
二人は止まらなかった。
カナタは最初から低い姿勢のまま霧の中へ入り、
創駆の周囲の霧を風で押し退けながら進んでいく。
時折、ふっと進路を変える。
拓斗の聴覚魔法が、
壁の位置を拾っているのだとすぐにわかった。
「そっか……元々姿勢が低いから、あそこも突破できたのか」
玲央くんが感心したように呟く。
「「あ〜……」」
私と詩乃ちゃんの感心の声が重なった。
あのコースの怖さを知っているからこそ、
二人の攻略の仕方が余計に鮮やかに見えた。
そして最後の――枯渇コース。
案の定、
コースに入った瞬間、
お鍋のような創駆は地面についた。
(カナタが言ってた“楽しみにしてて”って……何のことだろう?)
そう思ったときだった。
拓斗が急に立ち上がる。
「拓斗くん、どうしたの?」
「便所」
ぶっきらぼうにそう言って、
さっさと教室を出ようとする。
『え〜』
カナタが不満げな声を漏らす。
でもそれは怒っているというより、
どこか拗ねているような響きだった。
拓斗はキッとカナタを睨みつけて
教室を出ていく。
その顔がどう見ても、
怒っているというより照れている顔で、
私は思わず瞬きをした。
「タイヤも何もないのに、魔力が切れたらどうするのかしら」
優ちゃんが、
みんなの疑問をそのまま口にする。
教室の空気が再びざわつく。
〈くそっ、わーったよっ! やりゃーいーんだろ!!〉
スクリーンから拓斗の怒鳴り声が響いた。
でも、その声音には本気の怒りはない。
むしろ照れ隠しの方が強い。
(……何が起こるの?)
思わず隣を見る。
すると、カナタと目が合った。
その目元には、
楽しそうな光が差していた。
胸が小さく跳ねる。
私は慌ててスクリーンへ視線を戻した。
スクリーンの中で、
拓斗がプレートに右手の義手を置く。
目を閉じ、深く息を吸う。
肩の力が抜けていく。
その表情には、緊張と覚悟と、
ほんの少しの諦めみたいなものが混ざっていた。
そして――
〈♫♩〜♫♬〜♬♪〜〉
(……っ!?)
教室が、一瞬で静まり返る。
聞こえてきたのは、歌だった。
だけどそれは、
私たちの知っているどの言葉でもない。
聴覚魔法があるこの世界では、
どんな外国語でも自国語として耳に届く。
なのに。
スクリーンの拓斗の歌は、
翻訳されなかった。
言葉の意味はわからない。
でも、不思議と耳を離せない。
柔らかくて、真っ直ぐで、
どこか懐かしいような響き。
気づけば、
教室中の視線が
スクリーンに釘付けになっていた。
(……違う聴覚魔法を使ってる?)
そう考えた瞬間。
カナタの創駆が、
ふわりと浮き上がった。
「っ……!」
誰かが息を呑む。
そしてそのまま
拓斗の歌に押されるように、
再び滑り出していく。
歓声が起こる。
拍手が広がる。
教室の空気が、
一気に弾けた。
スクリーンの中で、
カナタは風を操りながら
コースを駆け抜けていく。
その背を支えるように響く、拓斗の歌。
さっきは照れ隠しみたいに怒鳴っていたのに――
スクリーンの中ではただ、
真っ直ぐにカナタを前へ送っている。
その光景が、胸に深く沁みた。
視界が涙で霞む。
胸の奥が熱い。
指先まで、温かい。
それが歓声のせいなのか、
歌のせいなのか、
自分でもわからない。
――初等部の頃の二人を、私は知っている。
拓斗の周りには、
いつも何人か取り巻きがいた。
その輪の中で、
拓斗は笑いながら
カナタに言葉を投げていた。
あれは冗談なんかじゃなかった。
ちゃんと人を傷つける言葉だった。
カナタはいつも、
何も言わなかった。
ただ目を逸らして、
やり過ごしていた。
一度だけ。
カナタがはっきりと言い返したことがある。
そして、卒業式の日。
カナタは拓斗に言ったらしい。
「中等部でもよろしく」と。
あのときの拓斗の顔も、
忘れられない。
驚いたような、悔しそうな、
でもどこか救われたみたいな――
そんな、複雑な顔だった。
正直よくわからなかった。
どうしてカナタが、
そんなことを言えるのか。
でも今なら、少しわかる気がする。
カナタは、ずっと見ていたんだ。
拓斗が本当に悪い人間じゃないことを。
周りに流されて、
うまく立てなくなっていただけだってことを。
そして拓斗もきっと――
ずっと、その言葉を忘れられなかったんだ。
スクリーンの中で、
カナタの創駆がゴールを抜ける。
その瞬間、
教室の拍手が大きくなった。
でも私の胸の奥に広がっていたのは、
派手な興奮じゃなかった。
もっと静かで、もっと深い温もりだった。
あのとき、言葉にならなかったものが。
あのとき、届かなかった気持ちが。
今、ようやく――形になった気がした。
読んでいただきありがとうございます。
カナタと拓斗。
この二人の関係は、
ここまでずっと少し歪なままでした。
でも今回、
ようやく一つの形になった気がしています。
ここからどう変わっていくのか、
見守っていただけたら嬉しいです。




