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 バス乗り場に着くと、朝は気付かなかった光景が広がっていた。大きなロータリーが二つ並び、それぞれのバスが違う行き先へと分かれて並んでいる。


 そして拓斗は、迷うことなく私たちとは別のロータリーへ足を向けた。


「えっ! 拓斗くん、そっちなのっ!?」


「うん」


 詩乃ちゃんが思わず声を上げると、拓斗は肩越しに振り返り、あっさりと答える。


「えー……」


 詩乃ちゃんが子どもみたいに残念そうな声を上げた。その表情に、拓斗の口元が微かに緩んだ気がした。普段の拓斗からは想像できないほど、ほんの一瞬の笑みだった。


「……じゃーな」


 短く言い残すと、背を向ける。


「っ! また明日っ!」


 詩乃ちゃんは明るく声をかけて、大きく手を振った。私も釣られるように手を振る。


 拓斗は振り返りざまに、ほんの一瞬だけカナタと視線を交わすと、そのまま歩き出して行った。


 残された私たちも、それぞれの帰り道を思い出すように足を向ける。夕陽に染まる空の下、私たちの乗るバス停へと向かって歩き出した。


 複数並んだバス停には、それぞれ次に来るバスを待つ学生たちが集まっていた。制服の列が途切れ途切れに伸びて、ざわざわとした声が夕風に混じっている。


 私たちは人のいないバス停を選び、並んだベンチに腰を下ろした。


「ついに明日から普通の授業か〜。選択授業って、どうやって決めるんだろうね」


 詩乃ちゃんは鞄を足元に置いて、ベンチに背を預けながら遠くを眺める。どこか楽しみと不安が入り混じった声色だった。


『選択授業って言うけど、あくまで“選んだ授業を重点的にやる”ってだけで、選ばなかったやつも少しは受けるらしいよ。しばらくは満遍なく選択授業を受けてから、授業を決めるらしいよ』


 私の隣に座るカナタが、当然のように答える。


「へぇ、そうなんだっ。カナタ、よく知ってるね。誰に聞いたの?」


 首を傾げる私に、カナタは短く答えた。


『先生』


 その簡単な返事に、私たちは思わず「へぇ〜」と声を揃える。


「えーっ! じゃあ、私『黄』も勉強しないといけないのー!?」


 詩乃ちゃんが大げさに顔をしかめた。


「術理言語学? 確かに難しそうだけど、面白そうじゃない?」


 私が口を挟むと、詩乃ちゃんはさらに眉を下げて、首を振りながら声を出す。


「あんな分厚いの無理無理っ! 絶対、頭痛くなるやつだもんっ!」


 その必死さが何だかおかしくて、私は思わず小さく吹き出してしまった。


「莉愛ちゃんは、嫌だなって思う授業ある?」


「んー……嫌っていうか『赤』はちょっと怖いかなぁ」


「あー、分かる……」


 詩乃ちゃんと私は、顔を見合わせて同じように肩を落とした。


(戦術演習って、要するに戦うってことだよね……?)


 今まで、そんなことちっとも考えてこなかった私にとっては、ただただ怖いとしか思えない。


 金色の夕陽が、少し沈んだ気分を包み込むみたいに差し込んでくる。


「……カナタは? 気になる選択授業、ある?」


 私の問いかけに、カナタはふっと視線を空へ移す。


『……天文時相学と、霊魂論入門が未知過ぎるかなぁ。……でも、天候が分かるのはちょっと面白そうだと思うよ』


 カナタの落ち着いた声に耳を傾けていると、隣のバス停に車体が滑り込んできた。停車したバスに、待っていた学生たちが次々と乗り込んでいく。


 その様子を横目で眺めていると、詩乃ちゃんが明るい声を弾ませる。


「天文時相学って『藍』だよね? 京香先輩が言ってた授業だねっ。莉愛ちゃん、きっと得意だと思うよっ!」


 その一言に、先輩にそんなことを言われた記憶が甦る。確かに、夜空を眺めるのは好きだし、占いもちょっと不思議で面白そうだと思う。


「……そうだね、占いはやってみたいなぁ」


「そしたら、いつか私のこと占ってっ! 莉愛ちゃんの占いは絶対に当たるよっ。だって、いつも勘が当たるしねっ!」


「あはは……」


 目をキラキラさせて褒めてくれる詩乃ちゃんに、私は苦笑いを浮かべる。人の過去の断片や、これから先の行末が何となく映像で見える——この感覚は、今のところ「勘」で通しておくことにする。


 そんな会話の中で、隣のバス停のバスが音を立てて発車して行った。すると私たちの後ろに、次のバスを待つ生徒たちの列がどんどんと伸びていく。


 並ぶ時に、チラチラとカナタの魔械面(マギアマスク)へ視線を向ける人も少なくなかった。


 だけどカナタ本人は、そんな周囲の反応など全く気にしていないように、ただ静かにベンチに腰掛けていた。


 本当に気にしていないのか、それとも——もう、諦めているのか。


 その姿を見つめるうちに、ふとお父さんの言葉が胸の奥でよみがえる。


 “中等部に上がったら、今までの世界が変わる”


 初等部の頃は、好奇心と無神経さが混ざった足音で、カナタの見た目に近寄ってくる子がいた。目を丸くして覗き込む子、揶揄うように笑う子。——その度に穂花先生が間に入ってくれたり、私が冗談にして受け流したり、それで何とかやり過ごすことができた。


 でも、中等部はもう違う。お父さんが言ってた通り“世界が変わる”。


 “無邪気”が“無神経”に変わった視線には、言葉にできない重さと痛みが宿って、笑い飛ばすだけでは誤魔化せない現実が、少しずつ私たちの前に姿を現そうとしている。


 頭の中で、いくつもの選択肢が並んでいく。


 刃物のように突き立てられる視線を、見えないふりでやり過ごす?


 蔓のように少しずつ伸び広がり、いつか身動きすら奪ってしまうような言葉を、聞こえないふりでやり過ごす?


 それとも、先生に相談する? 利玖に助けを求める?


 ——きっとどれも、正しさの一部だと思う。だけど、それだけじゃ足りない気がした。


 だってカナタは“守られるだけの人”じゃない。自分で立って、自分で選べる人だ。


(私が先に怒って、勝手に決めてしまうのも違う。けど、黙って見過ごすのはもっと違う。)


 あの静かな横顔を思い浮かべる。気にしていないように見せる強さと、傷つく瞬間の微かな呼吸。




 ——その両方を、私は知っている。




 ——だから決めた。




 誰かが冷たい視線を向けるなら、私は温かい声で呼んで、その視線を遮る。誰かが雑な言葉を投げるなら、私はそっと寄り添って「カナタは1人じゃない」と安心させたい。


 でも一番は、カナタの隣に立って、カナタの選ぶやり方を尊重すること。


 周りが何と言おうと、私は絶対にカナタの味方でいる。否定しない。手を離さない。


 ——それが、私にできる一番真っ直ぐな支え方だ。




 私の胸にひとつの決意が降りた瞬間、ちょうど私たちの乗るバスが到着した。


 詩乃ちゃんはぴょんとベンチから立ち上がる。バスの扉が開き三人で乗り込み、自然と朝と同じ一番後ろの席へ向かう。私たちの後ろに並んでいた人たちもぞろぞろと乗り込み、バスはあっという間に人で溢れた。


 カナタは窓際に座り、静かに外の景色を眺めていた。私はその隣に座り、詩乃ちゃんが私の隣にポスンッと座る。


 詩乃ちゃんは、他愛もない話を身振り手振りで口にすると、その髪が淡い夕陽の光に反射して、髪がキラキラと小さく煌めいた。


 橙色に染まる夕陽が窓から差し込み、三人の肩や頬を柔らかく照らす。影はゆっくりと伸び、静かな時間をそっと包み込む。


 カナタはいつも通り穏やかに座っているけど、目の端で私たちをチラリと確認する仕草に、胸の奥がふわりと温かくなる。


 その横顔には、光と影が穏やかに交わり、言葉にしなくても伝わる安心感が漂っていた。


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