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食堂を後にした私たちは、教室へ戻るために鏡に向かって廊下を歩いていた。すると、背後から元気な声が飛んできた。
「莉愛ーっ、カナターっ!」
私とカナタは、お互いが呼ばれたことに小さく驚いて、顔を見合わせてから振り向く。
「あっ!」
そこには利玖と瑛梨香先輩、そして隣に初めて見る、多分上級生の男子生徒が立っていた。玲央くんよりもずっと髪が長くて、ひとつに結んでいる。何だか寡黙な人で、どことなくカナタに雰囲気が似ている。
私は利玖に手を振り、瑛梨香先輩と隣の先輩に軽くお辞儀する。カナタも同じように頭を下げた。
「こんにちはっ」
「こんにちは。ご飯、美味しかった?」
瑛梨香先輩の柔らかい笑顔に、私は自然と顔が綻ぶ。
「はいっ、美味しかったです!」
瑛梨香先輩は、ふふっと微笑んだ。
すると利玖が、ふと玲央くんの顔を見つめて目を瞬かせた。何か思い出したように少し目を見開くと、少し間を置いて口を開いた。
「…あれっ、確か玲央くん、だっけ?」
「えっ、すご。もう名前覚えてくれたんですかっ!?」
玲央くんの目が一瞬、キラリと輝いた。先輩に名前を覚えてもらえたことが、玲央くんにはちょっとした自慢になったんだと思う。
「昨日の歓迎会で喋ったしねっ、さすがに印象は残ってるよ。昨日は楽しかった?」
「はいっ! 楽しかったっス!」
「それはよかった。てか、莉愛と同じクラスになったの? カナタも?」
『そうみたい』
「すげーな。全クラス二百組あるんだぞっ?」
利玖は信じられない、という顔で目を丸くして笑った。
その表情に、思わず私もクスッと笑ってしまう。二百組もの中で偶然同じクラスになるなんて、確かに運命みたいだな、と心の中で呟いた。
利玖が瑛梨香先輩たちに私たちを紹介して、その後、私たちにも先輩たちを紹介してくれた。
「莉愛は知ってるよな。生徒会副会長の瑛梨香と、こっちも生徒会副会長の学」
瑛梨香先輩と学先輩は、揃ってペコリと頭を下げる。私たちも自然にお辞儀を返した。
「生徒会副会長って、三人もいるんすね」
玲央くんは目を丸くして驚いた様子で呟く。それを聞いた瑛梨香先輩と利玖は、ふふっと微笑んだ。
「いいえ、七人よ」
「し、七人っ!?」
玲央くんの声が少し高く弾んで、思わず私もクスッと笑う。副会長の人数の多さに、廊下の空気が少しざわついた。
「まぁ、詳しくは後で話すからさ。楽しみにしといてよ」
そうだった。五時間目からは、委員会と部活動の説明会だって日向先生が言っていた。「はーい」と軽く返事をすると、食堂の方から元気な声が聞こえた。
「莉愛ちゃーんっ!」
声だけで分かる。詩乃ちゃんだ。胸の奥がふわりと温かくなる。
思わず私はふふっと笑い、振り向く。そこには詩乃ちゃんがニコニコと手を振りながらこっちに駆けつけていて、その後ろに優ちゃんが、ゆっくり歩いて来ていた。
「莉愛ちゃんたちも食べ終わったのー? ……あっ、こんにちはっ!」
詩乃ちゃんは利玖や先輩たちに気付き、元気よく挨拶する。その明るさに、周りの空気まで少し軽くなるようだった。
先輩たちは微笑みながら、優しく挨拶を返してくれた。ふと横を見ると、優ちゃんが小さく目を見開き、じっと先輩たちを見つめているのに気付いた。
私は慌てて、簡単に紹介することにした。
「優ちゃん。この人が私のお兄ちゃんの利玖で、こちらが瑛梨香先輩と学先輩。三人共、生徒会副会長なんだよ」
言いながら、私は三人の方へ軽く手を添えるように差し出した。優ちゃんは私の紹介を聞くと、少し緊張しながらも一歩前に出て、瑛梨香先輩に向き直った。
「……瑛梨香先輩、『エス』になっていただけませんか?」
張り詰めたような沈黙。瑛梨香先輩が目を丸くして、驚いた声を漏らした。
「あらっ」
「「「……えす?」」」
私と詩乃ちゃんと玲央くんが、思わずハモるように復唱する。初めて聞く言葉に、戸惑いが隠せなかった。
「へぇ、『エス』を知ってるんだ? 初対面で言われるなんて、すごいな瑛梨香っ」
利玖は感心したように、瑛梨香先輩の肩をポンッと叩いた。瑛梨香先輩は小さく肩を揺らし、ふっと微笑む。
「ふふっ……なかなか積極的ね。嫌いじゃないわよ」
その声音に、場の空気が少しだけ華やかに揺れた。
「でも、まだお互いのことを知らないわけだし……今日の放課後は空いてるかしら? カフェでお茶でもどう?」
瑛梨香先輩が柔らかく問いかけると、優ちゃんは目を輝かせて即座に返事をした。
「ぜひ、お願いしますっ!」
その笑顔に、瑛梨香先輩もふっと肩の力を抜いたように微笑む。
「優ちゃん、いいな〜! カフェでお茶〜!」
「ねっ!いいなぁ……」
羨ましさを隠しきれず、詩乃ちゃんと私は思わず同じ声を漏らした。
「えっ、二人も使えばいいじゃん。あそこ、誰でも自由に入れるんだから」
玲央くんが気軽に言うけど、私と詩乃ちゃんは顔を見合わせて同じタイミングで「ん〜」と苦笑いする。
なぜなら、さっき食堂からチラッと中庭を見た時、テーブルを使っていたのは上級生ばかり。多分、高等部の人たち。新入生の私たちが気軽に座っていいような空気には、とても思えなかった。
「……ふむ」
私たちの躊躇を察したのか、学先輩が顎に手を添えて、何か思案するように小さく唸った。
「……今度の議題に挙げるか?」
「そうだな」
利玖と学先輩が、ヒソヒソと相談している。何だろう?
「んじゃ、俺たちもメシ食ってくるよ」
「うんっ、バイバイ」
私は利玖に手を振りながら、食堂へ向かう先輩たちを見送った。
「あっ!」
ふと思い出した。そうだ、詩乃ちゃんと優ちゃんに玲央くんを紹介していなかった。私は慌てて二人を呼び寄せる。
「えっと、私の後ろの席の玲央くん。……玲央くん、さっき話した詩乃ちゃんと優ちゃんだよ」
玲央くんはパッと目を見開き、思い出したように小さく叫んだ。
「詩乃ちゃんと優ちゃんっ! ……え、優ちゃん?あれっ、『すぐる』じゃなかったっけ?」
「あら、よく覚えてるわね。あたしの本名は『すぐる』で、男よ」
優ちゃんは、ごく自然に自分の性自認を織り交ぜて自己紹介した。玲央くんは一瞬だけ目を丸くしたけど、すぐにパッと表情を緩め、感心したように声を上げた。
「へぇ、すげぇな。喋んなかったら、全然分かんなかったよ」
「でしょっ」
優ちゃんは誇らしげに笑って、胸を張る。その仕草に迷いはなく、自分の振る舞いへの自信がそのまま表れていた。
そしてやっぱり、不思議と玲央くんの言葉には引っかかりがない。軽く言っているようでいて、そこには嫌味とかはなくて、ちゃんと素直な感想が込められている。だから私たちの胸にも、自然とスッと届いているんだと思う。
そのままお喋りしながら、みんなで鏡を使って教室近くの階段の踊り場へ戻った。私とカナタの前を歩く玲央くんは、詩乃ちゃんや優ちゃんに芽依ちゃんのことを楽しそうに聞いている。
私はふと思い出して、昼食の時に話題になったことをカナタにもう一度話してみた。
「ねぇねぇ、カナタっ。私と利玖のさ、見た目で似てるところってある?」
『見た目かぁ……』
そう呟いたカナタは、立ち止まりそうなほど真剣に私の顔をジッと見つめてくる。
『ん〜……』
その視線があまりに真っ直ぐで、気付けば私の方が落ち着かなくなってしまう。胸の奥がくすぐったくて、自然と口数が増えてしまった。
「れ、玲央くんはねっ、笑った時の目が似てるって言ってたんだ! 目が細くなるんだって!」
両手で自分の目を指しながら言うと、カナタは僅かに首を傾げて呟いた。
『え〜、利玖はこんなに……』
「……ん? こんなに?」
問い返すと、カナタはスッと視線を外し、前を向いた。
『…………何でもない』
「……??」
ますます分からなくて、私の頭の上にはきっと大きな「?」がいくつも浮かんでいる。カナタはそのまま黙り込んでしまった。
「……ねぇねぇ、カナタっ! 似てるかどうかだけ教えてよっ!」
しびれを切らしてもう一度問うと、カナタは短く答えた。
『似てない』
「え〜!」




