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そんなふうに話しているうちに、列の前方がゆっくりと動き出した。私たちもそれに合わせて歩みを進める。
廊下には、等間隔で先生たちが立っていた。
「止まらないように」
「なるべく前に詰めてねー。喋らないよー」
淡々とした声が飛び、私たち生徒を急かすようにも導くようにも感じた。
前の人の背中を追いながら進んで行くと、廊下の突き当たりに巨大な鏡が現れた。高さも幅も大人をすっぽりと飲み込めるほど大きくて、その横で日向先生が鏡を操作しているみたいだった。
次々と生徒たちが鏡の表面に足を踏み入れ、そのまま水面に溶けるように姿を消していった。誰ひとり立ち止まらない。まるで自然な流れのように、全員が“向こう側”へ吸い込まれて行く。
(っ!)
胸の奥で鼓動が強く跳ねた。まだ慣れない光景に、無意識に両手をギュッと結び握りしめる。
「このまま鏡へ入ってください。大丈夫ですよ」
日向先生の明るい声が、張りつめた空気を和らげるように響いた。
私は小さく息を吸い込み、目をギュッと瞑る。そしてホームルーム塔の時と同じように、覚悟を込めて鏡へ飛び込んだ。
・
・
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温かな感覚に包まれたのはほんの一瞬。すぐにその温もりは消え去り、次に押し寄せてきたのは眩い光だった。
私はゆっくりと瞼を開ける。そこには、広々とした屋外訓練場を見下ろす長い廊下が広がっていた。風が吹き抜け地面を覆う白砂と、規則正しく並ぶ演武台が視界いっぱいに広がる。思わず、足を止めて見惚れてしまうほどの迫力だった。
「ここは“練磨演武場”」
耳に届いたのは先生の声。
「赤の賢者が管轄する場で、武術や魔法を用いた模擬戦を行う実践訓練の場です。選択授業『赤』を選んだ場合、ここで学ぶことになります」
その説明に、生徒たちが小さくざわめく。
ここで教わるのは、『戦う技術』と『心技体を鍛えて成長するための武』の修練。そして魔法を絡めた模擬戦は、魔械義肢を自在に操るための練習も兼ねているらしい。
言葉を聞くだけで背筋に自然と緊張が走る。目の前の広大な演武場は、まるで私たちを試すかのように静かにそこに存在していた。
(私にできるかなぁ)
体育は得意だったけど、きっとここで求められるのはそういうものじゃない。戦うなんて、私にはまだ想像もつかなかった。
演武場を見下ろす廊下を歩きながら、胸の奥に小さな不安が膨らんでいく。そんな気持ちを抱えたまま進むと、突き当たりにはまた大きな鏡が現れた。すぐそばで先生が器具を操作しながら、生徒たちを先導している。
「はい、そのまま進んでー」
声に従って列は乱れず進む。ついさっきも潜ったばかりだから、さすがに緊張は薄れていた。私は深呼吸をひとつして、その鏡の中へ足を踏み入れる。
抜けた先で広がったのは、金属が並ぶ廊下だった。壁沿いには大小様々な魔械歯車が埋め込まれ、低い唸りをあげて回転している。どこか油の匂いが漂っていて、空気が僅かに熱を帯びているようにも感じられた。
「ここは“魔械工学棟”。橙の賢者が管轄する場で、魔械の基本構造とエネルギー理論、義肢工学、そして機械と魔法の融合研究などを行います。選択授業『橙』を選んだ場合、ここで学ぶことになります」
先生の説明を聞きながら、私はすぐに詩乃ちゃんの顔を思い浮かべた。きっと今頃、目を輝かせてこの景色を見てるんだろうな。詩乃ちゃんが楽しそうにしている姿を想像するだけで、胸の奥がポカポカと温かくなる。
廊下を進むと、透明なガラスの向こうに鍛造室や義肢調整ラボが見えた。どこからか金槌の打ち下ろす音や、魔力が火花を散らす音が響いてくる。階段を登れば、さらに広い歯車工房や飛行開発のための研究室もあるらしい。
新しい世界の匂いと音に包まれながら歩いていると、また突き当たりに巨大な鏡が待っていた。先生の手振りに従い、再び私たちは列を乱さず鏡の中へ。
そして次に目の前に広がったのは、昔絵本で見たお城の中みたいだった。白い天井はとても高くて、高い天井を支えるのは、白い大理石の円柱。柱の上の方には繊細な装飾が施され、均整の取れたアーチが静かに連なっている。
足元の床は歩くと靴音が小さく反射する。窓から入る光も柔らかく、廊下全体を薄ら金色に染めていた。その場にいるだけで、まるで自分たちが芸術作品の一部になったかのような感覚になる。
「わあ……」
列の色んなところから、生徒が小さく息を呑む音がする。
ただの廊下なのに、まるで西洋の神殿に迷い込んだみたいで思わず息を潜めてしまう。ここを通る時は声を出したらいけない気がして、ひとりでドキドキしてしまった。
「ここは“呪術理論棟”。黄の賢者が管轄する場で、魔法理論や術式の構造を解明・解析する知識を身につけます。選択授業『黄』を選んだ場合、ここで学ぶことになります」
先生は続けて、『魔法の解析・構築技術』『古代呪術言語の読解』『高位魔法の座学研究』と、初めて聞いた言葉ばかり並べられた。
(聞いてるだけで目が回りそう)
ここ教室は中の様子は見られなかったから、みんな足早に廊下を歩いて行き、また巨大な鏡へ入って行く。
次の場所は、見覚えのあるような洋館の廊下だった。自然と融合した建物で、柱には蔓が巻き付いている。天井は魔法のガラスで、陽の光がたくさん入ってくる。
「ここは“治癒薬学棟”。緑の賢者が管轄する場で、医療系魔法と自然療法の両面から命を守る知識と技能を育みます。選択授業『緑』を選んだ場合、ここで学ぶことになります」
(リョク様らしいな)
そんなことを思いながら、先生の説明を聞く。『魔法薬の調合と使用』『薬草・希少植物・天然魔法石の知識』『義肢・魔械の生体適応ケア』『身体のバイタルや魔力の状態観察法』。これらを主にやって行くみたいだ。
見覚えも聞き覚えもある言葉ばかりで、ここの授業は楽しくできそうだなと思った。
実験温室、回復訓練室、癒しの魔法と薬の併用研究所。窓の外には大きな薬草園が見えて、それに繋がった魔法薬醸造室・毒性検査室・調香室があった。
ここの授業を楽しみにしながら、また廊下の突き当たりの巨大な鏡に入り込む。
次に辿り着いたのは、どこか異国の空気を感じさせる廊下だった。治癒薬学棟のように清らかで白い雰囲気とは違って、もっと柔らかく、人を抱きしめるような温かさに満ちている。
天然素材で作られた間接照明が空間全体を照らしていた。廊下から見える教室の中には、机や椅子の代わりに広々としたソファや色取りどりのクッションが置かれている。暖色の明かりに照らされて、そこにいるだけで心が解けていくような安らぎを感じた。
「ここは“精神共鳴棟”。芸術や感性表現を通じて、精神の安定や魔力共鳴の力を育てます。選択授業『青』を選んだ場合、ここで学ぶことになります」
列のあちこちから、「わぁ!」「ここ好き」と好印象な声が広がってきた。小さな呟きが重なり、空気全体がふわっと華やいだ。
確かに、机に向かって勉強するというよりは、まるで心を休ませに訪れる場所のようだった。
先生は続けて、『音楽魔法・絵画魔法の実技』『精神リンク』『瞑想・精神集中法』『心の揺らぎと魔力量の変動の関係』『セラピー魔法』と授業の説明をした。
その言葉を聞くだけで、まるで心の奥が少し明るくなるような気がして、私は自然と深く息を吸い込んだ。
リラックスした心地のまま、私たちは廊下の突き当たりに辿り着き、巨大な鏡の中へと踏み入れた。
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