03
「お帰りなさい、莉愛ちゃん。あら、カナタ君も来たのね。」
ちょうど玄関にいたのは、家に来て働いてくれている仁奈さんだった。優しくて大好きな、うちの家政婦さん。
共働きの両親の代わりに、昼過ぎから家のことを任されている。私が1年生の頃からずっとお世話になっていて、カナタのこともよく知っている。
「ただいま、仁奈さん!」
元気よく挨拶すると、カナタもそっと頭を下げる。
『お邪魔します。』
「はい、いらっしゃい。養護施設の方には、私から連絡しておくわね。」
仁奈さんとカナタは手紙を書く準備のため、書斎へと向かった。
私は玄関で靴を脱ぎ、エンジ色のコートと白いマフラーをコート掛けにかける。並べて置いたスリッパに履き替えて、仁奈さんの後に続いた。
本来、養護施設の初等部の子どもたちは、学校が終わればまっすぐ施設に戻らなければならない。
だけど、誰かの家にお邪魔する場合は、その家の成人からの連絡と、本人のサインがあれば特別に許されるらしい。
私は書斎の窓をひとつだけ開けた。冷たい風が少しだけ入り込んで、カーテンをふわりと揺らす。
ソファに座った仁奈さんは、慣れた手付きで手紙を書き進める。黒いコートを脱いだカナタが、仁奈さんの隣に座り静かにサインを書く。書き終わった手紙を仁奈さんが受け取り、紙を丁寧に折りはじめた。
その形は、きっと折り鶴だ。仁奈さんはいつも、そうやって手紙を託してくれる。
「今日、その魔法を学校で見たよ!友達がやってたの。」
「まあ、もうできる子がいるのね。莉愛ちゃんもできるかな?」
「中等部から頑張りまーすっ!」
右手をピシッと上げて宣誓すると、仁奈さんが「あらあら」と楽しそうに笑った。
その間に、折り鶴はすっかり形を整え、仁奈さんの手のひらの上にちょこんと乗っていた。
次の瞬間、仁奈さんは右手の義手を素早く握るように、人差し指から小指までの4本を手のひらに勢いよく2度打ちつけた。金属がぶつかり合う澄んだ音が響き、義腕に彫られた蔓模様が淡く光りはじめる。
そのまま、光を帯びた義手を折り鶴にかざすと、折り鶴がほんのり光り出した。
折り鶴に魔力が込められていき、羽根が小さく、けれど確かに動き出す。
仁奈さんの手のひらの上で、折り鶴はふわりと浮かび、軽やかに羽根を動かす。夕陽に照らされた白い羽が、ほんのりと光を返し、柔らかな輝きをまとっていた。
仁奈さんがそっと息を吹きかけると、折り鶴は一度空中で旋回し、ふわりと書斎の窓から夕空に向かって飛び立った。少しずつ赤く染まる空へ向かって、ひらひらと舞うその姿は、どこか幻想的で美しかった。
「さて——」
仁奈さんの声が響いた瞬間、夢のようだった時間にふわりと幕が下りた。オレンジ色の空へ舞う折り鶴を見つめていた私は、そっと現実に引き戻される。
「養護施設への手紙も送れたことだし、おやつにしましょうか。カナタ君は、ホットミルクでいいかしら?」
カナタの黒いコートを受け取りながら、仁奈さんが提案する。
『いつもありがとうございます。いただきます。』
カナタが丁寧に頭を下げると、仁奈さんは感心したように目を細めた。
「本当にしっかりした子ねぇ。うちの子も少しは見習ってほしいわ。」
そう言いながら、仁奈さんは軽やかな足取りでキッチンへと向かっていく。
私たちは洗面所へ向かい、それぞれ蛇口の前に立った。手にハンドソープをとって泡立てながら、私は左の義手にも同じように馴染ませる。金属の手はひんやりとしていて、普通の手よりも少しだけ念入りに洗う。魔械義肢は防水加工が施されているから、水濡れにはまったく問題ない。
水を切った義手は、洗面台の横に据え付けられた専用の義手乾燥機へ。静かな風が送り出され、義手の細かいところまで乾かしてくれる。日常の中にある、ちょっと不思議な風景。
「じゃあ、私は部屋に鞄を置いてくるね。カナタは先にリビングに行ってて。」
「うん。」
カナタが小さく頷くのを確して、私は軽やかに階段を駆け上がる。
2階の廊下に並ぶのは、全部で4つのドア。お父さんとお母さんの寝室、私の部屋、利玖の部屋と、それからトイレ。突き当たりには、造り付けの小さな洗面所がひっそりと設けられている。
自分の部屋に入る。部屋には、ベッドに姿見、勉強机と洋服箪笥とクローゼット。窓の外には、通りを行き交う人々の姿が見える。
机の上に鞄を置き、今日の宿題のノートと提出用のプリントを中から取り出して、鞄をいつもの位置に戻した。
よく知った友達の家とはいえ、1人でいるのはやっぱり落ち着かないはず。早く戻ってあげないと。
階段を降りてリビングへ向かうと、カナタが2人掛けのソファにちょこんと座っていた。私はそっと部屋から持ってきたものをライティングテーブルの上に置き、その隣へ腰を下ろす。
「お待たせっ!……1人で寂しかった?」
『大丈夫だよ。』
少しくらい、寂しがってくれてもいいのに。なんて、ちょっと思ってしまう。
そんな思いを胸の奥にしまいかけたその時——ふわりと甘いホットミルクの匂いが部屋に漂ってきた。
「お待たせしましたっ。おやつですよ〜。」
トレーにおやつとホットミルクを乗せて、仁奈さんが笑顔でやってきた。
今日のおやつは、クッキーとマシュマロだ。テーブルの上に並べられた甘い香りに、思わず顔がほころぶ。2人で声をそろえて「いただきます」と手を合わせ、さっそくクッキーに手を伸ばす。
カナタは静かに鞄の中から、筆箱くらいのケースを出し、その中から少し太めの金属製ストローを取り出した。喉元のチョーカー型の多機能魔械機器の喉元の一部を開き、そこへストローを差し込む。
カチリと確かな音がして接続が完了すると、わずかに「キィン」と小さな起動音が鳴る。そのままカップの中のホットミルクへとストローの先を沈めると、多機能魔械機器が吸引を始めた。
「……コクッ、コクッ。」
喉の奥から、飲み込む音が静かに響く。いつもと変わらないその光景に、私はどこかほっとした。
私は、テーブルに並べられた中から市松模様のクッキーをひとつ手に取った。プレーンとココア、2色の生地が綺麗に交互に並び、その境目のラインもぴしりと揃っている。これが私のお気に入りのクッキー。
一口かじると、サクッと軽やかな音が口の中に広がった。
「市松模様のクッキーってね、自分で作ると、こんなに綺麗にできないんだよ。」
『そうなんだ?』
カナタが首を傾げる。
「うん。黒と黒がくっついちゃったり、黄色と黄色が寄っちゃったりして……市松模様にならないの。」
『確かに、それじゃただのツートンだね。』
「でしょ〜。」
そう言って、もう一口かじる。クッキーの甘さがじんわりと舌に広がり、またあの心地よい音が響いた。
『美味しい?』
「うんっ、甘くてすっごく美味しいよ。」
カナタは、よく「美味しい?」と聞いてくる。人が食べる様子を見るのが、どうやら好きみたい。私が食べる度に、その瞳がどこか楽しげに揺れていた。
次に手を伸ばしたのは、ふわふわのマシュマロだった。指先に吸い付くような柔らかさ。口に含めば、もっちりとした弾力が広がって、自然と笑みがこぼれる。
「ん〜、おいしっ!」
そう呟くと、隣に座るカナタの目が、どこか優しげに細められたように見えた。
ふと思いついて、私はテーブルの小皿からマシュマロをひと粒つまみ、カナタのホットミルクのカップへそっと落とす。白いマシュマロが、ゆっくりとミルクの表面に沈んで、じんわりと溶けはじめた。
「味は分からなくても、同じものが食べたいなって思って。」
カナタがカップを覗き込み、浮かぶマシュマロをじっと見つめる。
『ありがとう。……嬉しいよ。』
顔は無表情だけど、機械音混じりの声が優しく感じた。
そう言って、首の魔械機器に繋がっている金属のストローを一旦外し、カップの中を静かにかき混ぜはじめる。小さく響く音とともに、ミルクの中に甘さが溶けていった。
カップの中でマシュマロが少しずつ姿を変えていくのを眺めながら、私たちは他愛もない話を交わした。笑ったり、頷いたり。甘い香りに包まれたリビングで、時間がゆっくりと溶けていくようだった。
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