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「よーしっ、じゃあ荷物出しちゃおっかっ!」
お風呂場から戻って来た詩乃ちゃんが、元気いっぱいに声をかけてきた。
「そうだねっ」
私も思わず微笑んで頷く。菊理を首にかけて、ベッドの上に置かれていた自分のトランクに手を伸ばして、パチン、と留め具を外した。
中には、家で利玖と一緒に詰めた荷物たちが綺麗に収まっている。制服の替えや私服、ポーチに入れたバスグッズと歯ブラシセット。筆箱とルーズリーフ、少し分厚めのファイルもちゃんと入っていた。
私は、出窓に沿って並べられた勉強机の前に座って、文房具やノートを順番に並べていく。
机の上に置かれていた学生鞄を膝の上に乗せて、筆箱とルーズリーフ、それからお気に入りのバインダーを入れていく。筆箱に入りきらなかったペンたちは、持ってきたペン立てにまとめて差し込んだ。
家で使っていたものが、こうして新しい部屋に馴染んでいくのが少し不思議な気分だった。
次に、ベッド横の部屋付けのクローゼットを開けてみる。思ったよりも広くて、上のバーには制服やシワになりそうなワンピースをハンガーで丁寧に吊るす。
下には四段の箪笥が備え付けられていて、それぞれの引き出しに、私服や下着、ニーソックスを畳んでしまっていった。
ひとつひとつ、順番に整えていく度に、部屋がどんどん“私の場所”になっていく気がした。
ほんの些細な片付けのはずなのに、全部を自分でやるということが、どこか背筋を伸ばしてくれる。
これからの生活をちゃんと頑張らなきゃって思うと同時に、その責任感が胸の奥をふんわりと温めてくれた。
「莉愛ちゃん、夜はどんなの着て行く〜?」
詩乃ちゃんが、持ってきた服を箪笥に仕舞いながら、ふと顔をこちらに向けてそう聞いてきた。
どうやら、夜の集まりに着ていく服を考えているみたい。
(集まるのは大広間だったよね。じゃあ、あんまり暖かい格好じゃなくても平気かな……?)
私は箪笥の中を見ながら、一枚のニットに手を伸ばす。お気に入りの、クリーム色のオフショルダー。肩を出すデザインだけど、ニット素材だから、寒くなさそう。
「う〜ん。これにしようかな。室内だし、そんなに暖かい格好じゃなくてもいいかなって」
「いいね! 私もニットにしよ〜っ!」
詩乃ちゃんはそう言って、自分の大きなトランクの中からコーラル色のニットを選び出して着替え出した。
合わせるのは、デニム生地のショートパンツ。私のオフショルダーに合わせて、右肩だけをふわりと落として、オシャレに着こなしていた。
右足には、左の義足に合わせるように、ハイソックスを履いた。ほんの少し丈を調整するだけで、見た目のバランスがぐっと整って、鏡に映る自分の姿が自然に見える。
(……私も着替えちゃお)
私は片付けを一旦止めて、クリーム色のニットにネイビーの膝丈プリーツスカートに黒いストッキングを履いて、ドア横にある全身鏡の前に立ってみた。
(うん、いい感じ)
ふたりして笑いながら、また片付けを進める。新しい場所、新しい制服。どれも少しずつ、自分のものになっていく気がして、心がときめいた。
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制服をハンガーに、羽織を衣紋掛けにかけてクローゼットに仕舞ったら、荷物の整理も一通り終わったら、大体の片付けはもう終わり。ふと時計を見ると、昼食に丁度いい時間だった。
「……ねえ、莉愛ちゃん。ちょっとお腹、空かない?」
詩乃ちゃんがベッドに腰を下ろしながら、自分のお腹を軽くさすって、こちらを見てきた。
そのタイミングで、私のお腹も「ぐぅ」と正直に鳴ってしまって、思わずふたりで顔を見合わせて笑ってしまう。
「そうだね、お昼、どうするんだろうね」
「だよね? 楓先輩、特に何も言ってなかったような……」
新入生がみんな集まったら集合するのは聞いたけど、昼食のことは何も聞いていない。
かといって、部屋でずっと待っているのも違う気がする。
私たちは顔を見合わせて、「うーん……」と同時に小さく唸った。
——その時だった。
胸元で、キラキラと澄んだ音が鳴った。同時に、菊理の魔法石が柔らかい光を灯す。
「あっ、鳴った……!」
隣で詩乃ちゃんも、自分の菊理を見て目を丸くしている。詩乃ちゃんの菊理の魔法石も同じように輝いていた。
「……誰からだろう?」
私はそっとペンダントを見つめる。すると、ふわりと頭の中に楓先輩の姿が浮かんできた。
「楓先輩、かな……?」
「そうだねっ!」
顔を見合わせて、タイミングを合わせるように魔法石をタップすると、すぐに明るい声が耳元に届いた。
[あ、もしもしっ、楓だよーっ! ごめーんっ! 今聞こえてる子たちに言い忘れてたんだけど、お昼は食堂使ってねっ! 食堂は一階だよ〜! エレベーターホールに案内係の子がいるから、分かんなかったら気軽に聞いてねっ! じゃ、いってらっしゃーい!]
声が終わると、光もふわっと消えていった。
詩乃ちゃんは一瞬キョトンとした後、ふっと表情を緩めて笑った。
「やっぱり忘れてたんだっ、楓先輩……でもよかった〜。このままだったら、どうしようかと思っちゃった」
詩乃ちゃんは安心したように、コテンとベッドに寝転がるようにして言った。
「うん。お昼抜きは流石に辛いよね」
私も笑いながら返す。さっきまでの小さな不安が、するすると溶けていくのを感じた。
「じゃあ、行こっか?」
「うんっ!」
私たちは立ち上がって、部屋の扉を開けた。
廊下には、私たちと同じように楓先輩からの連絡を受けた新入生たちが、タイミングを合わせたように次々と出てきていた。
どの子も少し緊張していて、でもどこか楽しげな雰囲気を帯びている。
「ねえねえ、何が食べられるんだろう?」
「おいしいといいなぁ!」
自分の部屋の鍵を閉めながら、あちこちから聞こえてくるそんな会話に、思わず私と詩乃ちゃんも顔を見合わせて笑った。
お腹は空いているけど、何だか心は少し満たされたような、そんな午後の始まり。
エレベーターが来るのを待ちながら、私はふと周りの子たちに目を向けてみた。
みんな、それぞれのペアで楽しそうに話している。
同じ部屋になるってことは、やっぱり相性がいい子たちなんだろうなぁ。
隣同士で笑い合ったり、もう肩を寄せてひそひそと話し込んでいる子たちがいて、本当に仲が良さそうだった。
まるで、ずっと前から友達だったみたいに、自然で、温かくて。
見ているだけで、こっちまで頬が緩んでしまう。
その子たちは、仲良し同士でいるだけじゃなくて、自然と周りの子にも声をかけていた。
「こんにちはっ!」
「部屋、凄かったよねぇ!」
私たちのことも見つけると、ふわっと笑って手を振ってくれたり、気さくに話しかけてくれたりする。
そんなふうに、言葉を交わす度に、肩の力がふっと抜けていく。
緊張しているのは、きっと自分だけじゃない。みんなだって、同じようにここに来て、今日を迎えたばかりなんだ。
だからこそ、誰かの声が優しく響いて、誰かの笑顔がそばにあるだけで、心の奥の硬くなっていた部分が、少しずつ、解けていく。
——ここは、きっとそういう場所なんだと思う。
この寮の、温かい空気そのものが、初めて出会う誰かとの距離を、そっと近付けてくれる。
知らない世界の中で、ほんの少し勇気を出すことが、怖くなくなるような。
そんな不思議な安心感が、この場所には確かにあった。
——弥生寮は、自由で対話を大切にする寮です。
説明会の時、翔寮長がそんなふうに言っていたことを思い出す。
今、その言葉の意味が少しだけ分かった気がした。
“自由”って、ひとりになることじゃなくて、誰かと自分のペースで繋がっていけることなのかもしれない。
そう思いながら、私は隣で他の部屋の子とお喋りしている詩乃ちゃんの顔を見て、そっと笑った。
しばらく待つと、エレベーターが軽やかな音を鳴らして到着した。
ドアが開いて、私たちは中に乗り込んで一階のボタンを押す。エレベーターの中は、来た時と同じく、壁に影絵のような猫たちが描かれていた。
「あれっ……この猫、さっきの子と同じ?」
詩乃ちゃんが、ふわっと指先を伸ばすと、壁の中の猫がくるりと身を翻して、へそ天しながら戯れついてきた。
「ふふっ、可愛いっ!」
他の子たちも、影絵の猫たちと戯れて眺めて、クスクス笑いながら小さな声で話している。
エレベーターの中は、まるでちょっとした美術館みたいで、少しの移動時間がとても楽しく感じられた。
《キンッ、——一階です》
到着したアナウンスが聞こえると、エレベーターのドアが開く。一階に到着したみたい。
扉の先には、弥生寮の色の模様が入った羽織と制服を着た女の先輩が立っていて、私たちを見るとニコッと笑顔で手を振った。
「はーい、お昼ご飯の子たちね? こっちだよ〜。案内するから、着いて来て!」
私たちは、先輩の後ろを着いて歩くと、仄かにいい匂いが漂ってくる。そして遠くから賑やかな声が聞こえてきた。
「「ようこそ弥生寮へー!」」
また一人、新入生の仲間が来たみたい。
「この階は、食堂と談話室があってね、食堂は使う時間が変わるから注意してね。新入生は、今週は自由な時間に来て大丈夫だけど、来週からは部屋毎に割り振られるから、掲示板とかで確認してね〜」
先輩は丁寧に説明しながら歩いていると、食堂の前に着いた。
大きな扉を潜った瞬間、ふわっと漂ってきたのは、焼きたてのパンの匂いだった。
大広間みたいに一面窓ガラスの広々とした空間の中に、まるでレストランのような華やかさと、どこか懐かしい落ち着きが同居している。
壁は白を基調に、所々に木目の装飾が施されていて、高い天井には柔らかな光を落とすランタン型の照明。
洋風のシャンデリアのように見えるそれは、よく見ると和紙と金属が組み合わされた、和洋折衷のデザインだった。
(……ここって学園の寮だよね?ホテルじゃ無いよね?)
ずらりと並ぶ長方形や円形のテーブルは、猫脚のクラシックなつくりで、脚や縁には繊細な蔓模様が彫られている。
椅子も同じように蔓模様があしらわれていて、座面のクッションは優しい生成り色。まるで物語の中の食堂に迷い込んだみたいだった。
奥には広々とした配膳エリアがあって、そこではいくつもの料理が湯気を立てながら並んでいた。
ビュッフェ形式で、和食も洋食も揃っていて、サラダバーの向こうにはデザートのコーナーまである。
ちらし寿司や、お出汁のいい香りのするお味噌汁の隣に、オムレツやパスタが自然と並んでいて、そこに違和感は全くなかった。
優雅で上品なのに、どこか温かくて親しみやすい。
そんな空気が、この食堂に染み込んでいるようだった。
食堂の中では、先に来ていた新入生たちが、楽しそうにトレーを手に料理を選んでいた。
友達と笑い合いながらテーブルに向かっていくその様子は、見ているだけでちょっとワクワクしてくる。
「わぁ〜っ! すご〜いっ!」
隣から、弾んだ声が聞こえてきて振り向くと、詩乃ちゃんが目をまん丸にして、両手を胸の前でぎゅっとしていた。
まるで夢みたいな景色を見た時の顔で、ちょっと笑ってしまう。
「美味しそう〜っ!」
「行こっか!」
「うんっ!」
私たちは顔を見合わせて、自然に足が前へ出た。トレーとお皿とカトラリーにお箸、あと紙ナプキンも取って食事が並んでいるところへ向かう。
「これ美味しそう!」
「あ、それもいいね!」
そんな会話が、あちこちから楽しそうに聞こえてくる。
その輪の中に、私たちも自然と混ざっていくような感じがして、ちょっとだけ胸が温かくなった。
お皿に好きなものを盛りつけて、飲み物も貰って、詩乃ちゃんと一緒に二人掛けのテーブルに座った。
この後はどうするのかな?
詩乃ちゃんと少し、寮を探検してみようかな。
(でもその前に、腹ごしらえしないとね)
私たちは、声を揃えて手を合わせた。
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