07
ステージ下に着くと、銀のペンダントを手渡している利玖がいた。
「おっ、来たな。はい、これ首にかけて」
軽やかに声をかけてきた利玖は、私に小さな銀のペンダントを差し出す。手の平に乗せられたそれは、冷んやりとして、どこか不思議な存在感を放っていた。
「これは『響鏡・菊理』。学園内専用の通信機だよ。音声だけだけどね」
私の疑問を察したのか、利玖がにこやかに説明してくれる。その首元にも、同じようなペンダントがかかっている。でも、よく見ると少しだけ違った。
「利玖の、色が付いてるんだね」
「そ。羽織と同じで、これも寮によって色が違うんだよ。莉愛は何色になるかな」
言いながら、利玖は楽しげに微笑んだ。その笑顔と、ワクワクした気持ちで胸の奥がくすぐったくなる。
「真ん中の石、綺麗だねぇ」
すぐ隣から、詩乃ちゃんの弾むような声が聞こえた。見ると、詩乃ちゃんの手にも私のと同じペンダント。確かに、真ん中に埋め込まれた小さな魔法石が、淡いオーロラのようにキラキラ光っている。
「本当だっ、綺麗……」
私も思わず目を細めて言うと、詩乃ちゃんが嬉しそうに笑ってくれる。
その笑顔に釣られて、私も笑った。ほんのひと時だけ、儀式の緊張が解けていくのが分かった。
私たちは、胸の奥でそっと跳ねる期待を抱えながら、静かに自分たちの番を待っていた。
目の前で次々と、月鏡へ吸い込まれていく新入生たちを見つめながら、鼓動の音が少しずつ早くなっていく。
貰ったペンダントを首にかけて、両手で握りながら壇上での儀式を、ジッと見守る。私たちの番が、もうそこまで迫っている。
「ドキドキしてきた…っ!」
「ねっ…!」
私たちはワクワクした気持ちを胸に、私たちの番を待っていた。
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「じゃあ、そろそろ行こうか」
利玖の声に振り向くと、そのまま私たちは、利玖に導かれてゆっくりと壇上へと上がる。そして壇上にいた六人の生徒会の人たちが、それぞれの鏡の前へと私たちを迷いなく案内してくれた。動きに一切の無駄がなくて、まるでこの場の空気そのものまで整えているようだった。
六柱の月鏡が、静かに私たちを待っている。
近付く度に、胸の奥で小さく鼓動が跳ねた。
トクン、トクンと、確かに速くなっていく。
「莉愛ちゃん、同じ寮だといいねっ!」
私の後ろから聞こえた声に振り返ると、詩乃ちゃんが希望に満ちた目で笑っていた。
「うんっ!」
そうして、私たちは案内された鏡の前に到着した。家にあったものよりも大きな鏡。柱の上には、魔械歯車が沢山付いている。
月鏡を眺めていると、柱に寄り添うようにして立っていた先生が、優しく微笑んで頷いた。
「では、生身の手で鏡に触れてください」
私はそっと、右手を鏡に伸ばす。鏡面に指先が触れた瞬間、ヒヤリとした冷たさと同時に、胸の奥にスッと風が通ったような感覚が走った。
しばらくその感覚を味わっていると、鏡の表面が波打つように揺らぎ、手が、手首が、スゥッと鏡の向こうへと吸い込まれていく。
驚いて息を飲んだ。だけど不思議と怖くはなかった。温かくも冷たくもない、魔力の膜のようなものが、優しく全身を包んでいく。
波打つ鏡の中へと一歩、足を踏み出した。そして、何の抵抗もなく吸い込まれていった。
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鏡の中に入ると、思わず目を閉じてしまう程の眩しさだった。光の粒が頬を撫でるように降り注ぎ、少しずつその眩しさに慣れてくると、私はそっと瞼を開けた。
視界の先に広がっていたのは、どこまでも優しく、そして鮮やかな光景だった。
紅を帯びた花が、満開の枝に咲き誇っている。桜や桃のようにも見えるけど、もっと深くて凛とした色合い。カナタと一緒に読んだ植物図鑑を思い出す。
——これは、梅の花だ。
冷んやりとした風が肌を撫でて、枝を揺らす度に、香り立つ花の匂いがふわりと舞ってきた。紅梅色の花びらが空を舞い、私の足元へ静かに降り積もる。
その静寂を破るように、木の根元で何かが動いた。
目を凝らすと、白い影が一つ、しゃなりと姿を現す。
細くしなやかな肢体。ピンと立った耳と、揺らめくような長い尾。四つ足で静かに歩くその姿に、授業で見た生き物の絵を思い出す。
——これは、猫……。
ふわふわとした真っ白な毛並みの猫が、まるで私の存在を初めから知っていたかのように、青い瞳でこちらを見つめている。そして、真っ直ぐこっちへ歩いてくる。
白猫の足取りが徐々に速まり、やがて地を蹴るように駆け出すと、そのまま私の胸元めがけて跳び込んできた。
驚いて腕を広げ、抱きとめようとしたその瞬間——
私の体を、すり抜けた。
……違う。よく見ると、胸元の銀のペンダントが、ほのかに光を放っていた。その輝きに呼応するように、羽織の衿、裾、そして袖口までもが、光の線で蔓模様を淡く浮かび上がらせている。
すると、空気が変わった。突風が吹き抜き、枝を揺らすと、梅の花びらが一斉に宙へ舞い上がる。
それらはまるで導かれるように、紅梅色の光を宿したまま私へと吸い込まれていった。
次の瞬間、あれほど見上げる程大きな梅の木が、気付けばそこにない。
代わりに、揺らめく光の入り口が目の前に現れていた。柔らかく脈打つようなその光は、不思議と懐かしく、怖さよりも安心を与えてくれる。
私は、まるで呼ばれるように一歩踏み出し、光の中へと歩いて行った。
また眩しい光に包まれ、私は思わず目を閉じる。それでも、足は止まらなかった。
“このまま歩いて行っても大丈夫”
そんな確信のような感覚が、胸の奥にあったから。
光の中を真っ直ぐ進んでいると——
「「「「「「ようこそ、弥生寮へー!!」」」」」」
突然の歓声に、私はハッとして目を開いた。
そこはもう、さっきまでの幻想的な風景じゃなかった。
代わりに広がっていたのは、どこか懐かしく、だけど夢の中のような雰囲気の、優雅な建物の中。
和の格式と洋の優美が見事に調和した空間。
天井は高く、その中心には梅の花を模した魔械灯がふわりと浮かび、春の陽だまりのような柔らかな光を落としている。
黒漆を塗った梁には、金の蔓模様が魔力の脈動と共に緩やかに輝き、まるで生きているようだった。
足元を見れば、繊細に組まれた寄木細工の床が、優しい温もりを伝えてくれる。見知らぬ場所のはずなのに、不思議と心が安らぐ。
——ここが、私の寮なんだ。
胸の奥で、小さくその実感が灯った。
弥生寮の先輩たちが、にこやかに手を差し伸べてくれる。温かなその手に導かれながら、私は寮を進んでいく。
その時——
カシャン、ガラガラ——
微かに金属の音が響いた。振り向くと、魔械歯車の音と共に、明るい声が響いてくる。
「「「「「「ようこそ、弥生寮へ!」」」」」」
そこにいたのは、羽織の衿と裾と袖に蔓模様が描かれている、見覚えのある子。
誰よりも輝くような目で、迎え入れてくれた先輩たちを見ていた。
「詩乃ちゃんっ!」
声が自然に漏れた。
喜びが胸に弾けて、私は迷わず駆け寄っていた。
「わぁっ! 莉愛ちゃんだっ! やったーっ!」
私と目が合った詩乃ちゃんは、私に気付くと嬉しそうに飛び込んできてくれて、私たちはお互いをギュッと抱きしめる。
その様子を見ていた先輩たちが、ワッと沸いた。
「えっ、友達と一緒だったの? 最高じゃーんっ!」
「イェーイ! 弥生寮へようこそー!」
まるで自分のことのように喜んでくれるその声に、思わず笑ってしまう。
不安なんて、もうどこにもなかった。ここでなら、きっとたくさん笑える。そんな気がした。
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