湯気の向こう
部屋に戻ると、すぐに入浴の準備を始めた。
今夜は、みんなで大浴場へ行くことになっている。
シャンプーにコンディショナー。
ボディソープにヘアオイル。
私は自分の洗面道具を
ステンレスのカゴにきちんと収めていく。
「よし、準備できた」
「私もっ。行こっか!」
タオルと着替えを持って部屋を出る。
エレベーターホールには、
芽依ちゃんたちが先に集まっていた。
「お待たせ〜!」
「ん〜ん、私たちも今来たとこっ!」
みんなで一緒にエレベーターに乗り込む。
大浴場のあるフロアに着くと、
フリースペースでは先輩たちが
くつろぎながら話していた。
私たちは軽く会釈をしながら通り過ぎる。
暖簾の奥からは、
温かいお湯の匂いと
賑やかな話し声が流れてきた。
中に入ると、脱衣所は広くて明るかった。
木製のロッカーと長椅子が並び、
すでに何人かの子が着替えていたり、
髪を乾かしていたりする。
空いているロッカーに荷物を入れながら、
芽依ちゃんが振り返った。
「ねえねえ、今日って薬湯の日だよねっ?」
「薬湯?」
詩乃ちゃんが首を傾げる。
「そうそう! 魔械義肢の中まで綺麗になるお湯!」
「中まで……?」
私も思わず聞き返す。
「魔力の流れも整えてくれるんだって。それにね——」
芽依ちゃんが、もったいぶるようにニヤッと笑う。
「除毛もしてくれるらしいよっ」
「えっ!?」
「しかもお肌つるつる!」
「なにそれすごい……!」
詩乃ちゃんの目が、一気に輝いた。
(そういえば、そんなお風呂があるって利玖が言ってたかも)
「早く入りたーい!」
「私もっ!」
「あっ、待って〜!」
慌ててロッカーを閉めて、
私もみんなの後を追いかけた。
◇ ◇ ◇
体を洗い終えた私たちは、
広い湯船の前に集まった。
みんなヘアキャップを被って、
髪が薬湯につかないようにしている。
「よぉ〜っし」
詩乃ちゃんが、そっと湯船に足を入れる。
私もその後に続いた。
白く濁ったお湯が、
じんわりと足先から体を包んでいく。
肩まで浸かると、
ふわっと力が抜けた。
「ん〜〜っ……」
思わず、息が漏れる。
「気持ちいい〜!」
芽依ちゃんが嬉しそうに声を上げた。
「入った感じは、普通のお風呂とそんなに変わらないね?」
「そうだね」
詩乃ちゃんと顔を見合わせて笑う。
白い湯気がふわふわと立ち上って、
湯面がゆらゆら揺れるたび、
視界が少しだけぼやける。
今日一日の疲れが、
少しずつほどけていくみたいだった。
「そういえば、莉愛ちゃん」
「ん?」
隣でとろけていた詩乃ちゃんが、
ふとこちらを向く。
「さっき中庭で誰と話してたの? カナタくん?」
「あっ、うん。そうだよ」
答えた、その瞬間だった。
湯気の向こうで、
ぴくりと空気が動いた。
“男の子”と分かった途端、
みんなの視線が一斉にこっちへ向く。
「えっ、それって彼氏!?」
「へっ!?」
思わず変な声が出た。
「ち、違うよっ! 友達だよ、本当だよっ!」
否定したのに、
みんなの目はまったく引いてくれない。
むしろ、さっきよりきらきらしている。
「え〜っ、でも中庭まで行って話してたんでしょ!?」
「それはもう怪しいよ〜!」
「どんな人なのっ!?」
お湯がぱしゃぱしゃと揺れて、
小さな波が広がる。
「ど、どんな人って……」
いきなりそう聞かれても困る。
少し考えてから、私は口を開いた。
「……優しい人、かな」
そう言った瞬間、
みんなの反応がさらに大きくなった。
「優しいって一番ずるいやつじゃん!」
「それだけじゃ全然足りない〜!」
「背は高い? かっこいい系? 可愛い系?」
「えぇっ……」
質問が一気に飛んできて、
頭が追いつかない。
「背は……うーん、同じくらいだと思う」
「顔はっ!?」
その質問に、
私は少しだけ目を伏せた。
義手でそっとお湯を揺らす。
「顔は……マスクしてるから、目元しか分からないんだ」
一瞬、みんなの動きが止まった。
「えっ? ずっとマスクしてるの?」
「外さないの?」
そう思うのも無理はない。
でも、カナタは——
「えっと……そのマスクが、魔械義肢代わりなの」
今度こそ、空気がぴたりと止まった。
みんなの表情が、きょとんと固まる。
そのとき——
「……あっ!」
一人の子が、小さく声を上げた。
「私、その子と同じタイミングで月縁の儀やったかも」
「えーっ!? どんな子!?」
みんなの視線がその子へ向く。
ちょっとだけ、ほっとした。
「んーっとね……物静かな子だったと思う」
その子は記憶を辿るように視線を上げる。
「三人で来てたんだけど、そのうち二人が結構喋ってて。でも、その子もちゃんと輪の中にいて……」
(あ、それ、カナタたちだ)
「なんていうか……そっとそばにいてくれる子、って感じだったよ」
その言葉を聞いた瞬間、
その場にいるカナタの姿が
なんとなく思い浮かんで、
少しだけ笑ってしまう。
「あ〜、それカナタくんだぁ」
お湯にとろけた声で、
詩乃ちゃんが言った。
「やっぱりっ! へぇ〜、なるほどね〜……」
芽依ちゃんたちが、
にやにやしながらこっちを見る。
「えっ、なに……?」
「いやぁ〜?」
「莉愛ちゃん、なんか嬉しそうだなって思って〜?」
「えっ、そんなこと……!」
慌てて否定しかけたところで、
今度は別の質問が飛んできた。
「で、結局かっこいいの!?」
するとカナタたちを見たという子が
自信満々に言い放った。
「あー、うん。あれはきっと、かっこいい部類の顔だと思う!」
「「「きゃー!!!」」」
「み、みんな、しーっ!」
思わず人差し指を口元に立てる。
みんなも慌てて口を押さえたけど、
肩が揺れていて全然静かじゃない。
私は思わず苦笑してしまう。
お風呂の熱のせいなのか、
それとも話題のせいなのか、
頬が少しだけ熱かった。
「私、髪も乾かしたいから、先に上がるね」
「あっ、じゃあ私も上がろっかなっ!」
詩乃ちゃんも一緒に立ち上がる。
ざばっとお湯が揺れて、
白い波が広がった。
◇ ◇ ◇
脱衣所へ戻って、
体を拭いて部屋着に着替える。
「ふは〜、気持ちよかったねぇ!」
「うん、すっきりしたぁ」
私たちは並んで座り、
ドライヤーで髪を乾かし始めた。
温かい風が髪を揺らす。
その隣で詩乃ちゃんは、
ドライヤーを止めて
ブラシで丁寧に髪を梳かしていた。
「莉愛ちゃん、髪長いから乾かすの大変そうだね」
「うん、ちょっと時間かかるかも。でも、長いの好きだから切らないんだ」
私はドライヤーを止めて、
手櫛で髪の乾き具合を確かめる。
それからお気に入りのヘアオイルを取り出して、
毛先に丁寧になじませた。
「……あっ!」
詩乃ちゃんがぱっと目を見開く。
「莉愛ちゃんの匂いだっ!」
「んっ?」
「うんっ、莉愛ちゃんからする匂い! これだったんだ!」
嬉しそうにオイルボトルを覗き込む。
「えっと……ジャスミンだね」
「お花の匂いだぁ。……使ってみてもいい?」
「うん、いいよ」
「やったっ!」
詩乃ちゃんはオイルを手のひらでなじませて、
肩より少し長い髪にゆっくりと伸ばしていく。
「これで私も、莉愛ちゃんの匂いだ〜」
その言い方が可愛くて、
思わず笑ってしまう。
ちょうどその頃、
芽依ちゃんたちも湯船から上がってきた。
みんな、ほんのり顔が赤い。
「ねえ、クラスってどうやって知らされるのかな?」
髪を乾かしながら、
詩乃ちゃんがみんなに聞いた。
「確かに。プリントには時間しか書いてなかったよね」
私も頷く。
すると芽依ちゃんが、思い出したように声を上げた。
「あっ、明日はねぇ、朝の六時から七時の間に折羽伝書で届くらしいよっ!」
「六時から七時!?」
思わず大きな声が出た。
(ということは……)
「明日、六時には起きてないといけない……?」
「そうなるねっ!」
芽依ちゃんが元気よく頷く。
私は一気に不安になった。
「……私、起きられるかな……」
そう呟くと、
隣で詩乃ちゃんがふふっと笑った。
「起きれなかったら、私が起こしてあげるねっ」
「詩乃ちゃん……っ!」
思わず胸の前で手を組む。
今の詩乃ちゃんは、
ちょっと本気で女神に見えた。
◇ ◇ ◇
みんなの支度も終わって、
私たちは大浴場をあとにした。
ほのかに残るジャスミンの香りをまといながら、
部屋へ戻る。
部屋に入った途端、
ふたり同時にベッドへ倒れ込んだ。
「「はぁ〜……」」
なんだか、それだけでおかしくて、
少し笑ってしまう。
ふと横を見ると、
詩乃ちゃんがベッドの上で
ストレッチをしていた。
「柔らかいね……」
「毎日やってるんだ〜」
私も真似してみるけど、
全然届かない。
「うぅ……」
「ふふっ」
「……今日から一緒にやる」
「ほんとっ? やろやろっ!」
そのまま、また他愛のない話になる。
「クラス、どうなるんだろうね」
「すごい数ありそうだよね……」
「さすがに離れちゃうかなぁ……」
詩乃ちゃんが上体をぱたんと倒す。
——でも。
「……一緒な気がするなぁ」
ぽつりと呟くと、
「えっ! 本当っ!?」
詩乃ちゃんが、ぱっと顔を上げた。
「今日の莉愛ちゃん見てたら、なんかそんな気がしてくる!」
「えっと……ただの勘だけどね」
私は少しだけ目を逸らす。
歓迎会で視えた、不思議な映像。
それはまだ、
誰にも言う気にはなれなかった。
「そろそろ寝よっか」
「うん」
歯を磨いて、
目覚ましをセットする。
ベッドに入ると、
お風呂上がりの体がじんわりと沈んだ。
「おやすみなさい」
「おやすみなさ〜い」
明かりを消す。
静かな闇の中で、
今日の出来事がひとつずつほどけていく。
歓迎会のこと。
みんなとのお喋り。
カナタのこと。
明日のクラスのこと。
考えたいことはまだたくさんあるのに、
眠気の方が先にやってきた。
(……明日、どんな一日になるんだろう)
そんなことを思いながら、
私は柔らかな眠りに沈んでいった。
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