02
機械音混じりの声が、私を呼んだ。
「——何? カナタ。」
この子はカナタ。私たちの町『常盤町』にある、緑の教会の養護施設に住んでいる男の子。
生まれた時、四肢はあったけど、口と鼻がなかったらしい。義肢の代わりに、顔には鼻から顎にかけて金属製の魔械面が装着されている。
呼吸や食事、発声のために、喉に埋め込まれたチョーカー型の多機能魔械機器が、わずかに残った声帯を使って発声している。
『莉愛、大丈夫?』
「えっ? 何が?」
『すごく怒ってたから。』
多分、さっき拓斗が言った時のことを言ってるんだと思う。カナタの席は私の後ろだから、私の様子が見えていたんだ。
「あれは怒るよ! カナタは怒らないの?」
『うん。莉愛が代わりに怒ってくれたから。』
——いけない。カナタの怒る権利を、私が奪っちゃった。
カナタは、見た目や機械音の混じる声のせいで、周囲から奇異の目で見られることも少なくない。四肢が全部あることで好奇の目で見てくる人もいるけど、さっきの拓斗みたいに、ひどい態度を取る人だっている。
だけど、私に言わせれば、義肢であることを当たり前に受け入れている方が、よっぽど不思議だ。私は、義肢であることがどうしても受け入れられない。
(どうして私だけが、こんな気持ちになるんだろう。)
過去の出来事を知って、理解はしているつもり。でも、納得はできない。
この違和感を前にお母さんに話した時、「変なことを言うのね」って、笑って流された。それから私は、この気持ちを誰にも話さなくなった。
「……ごめんなさい。」
私が謝ると、カナタの目が僅か大きく開いた。
『どうして謝るの?』
「だって…今回のこと、怒るのはカナタの権利じでしょ?」
んー、と少し考えてから、カナタは答える。
『……怒るの、疲れるし……嬉しかったよ。』
カナタの目元が、柔らかく微笑んだ。
口が無いから表情が乏しくて、基本的にカナタは無表情だ。眉間にしわを寄せることはあっても、笑うのは結構レア。
だから、笑ってくれたのが嬉しくて。さっきの拓斗の悪ふざけなんて、どうでもよくなった。
「それなら、よかった。」
私も、笑顔で返す。
肩掛けの学生鞄を手に取り、エンジ色のコートに袖を通す。首元には白いマフラーをふわりと巻いた。
窓からの日差しは暖かいけど、まだ2月。外はまだ寒い。
横を見ると、カナタも黒いコートを身につけているのが見えた。その姿を確かめてから、私はカナタと並んで自分の席へと戻った。
帰りの準備ができた生徒たちは、思い思いにおしゃべりしたり、魔法で遊んだりしている。
初等部の魔法授業は、歴史や理論の勉強が中心で、実技はない。でも、魔法に慣れるために、決められた魔法なら自由に使ってもいいことになっている。
今は、触覚魔法を使って折り紙を折り、それを飛ばして動かしている子たちがいた。折り紙で作られた鳥が3羽、ふらふらと飛んでいる。
これは、手紙を運ぶ魔法の基礎で、全ての魔法使いに必須の魔法。
「今日は、ウチに寄る?」
ノートを鞄に入れてから、後ろに振り返って、カナタに聞く。
『今日もお邪魔していいの?』
「うんっ。お父さんもお母さんも、カナタなら大歓迎だって!」
カナタとは、初等部に入るずっと前からの付き合い。
出会ったのは、緑の教会。養護施設だけじゃなく、保育所の役割も果たしている場所。共働きの両親に代わって、私は兄と一緒にそこへ預けられていた。
教会の図書室の片隅、本を読む小さな姿。話しかけたのは、私からだった。最初は全然話せなかったけど、気付けば、カナタの隣が私の指定席みたいになっていた。
そうすると自然とカナタと兄も仲良くなり、お父さんとお母さんとも仲良くなった。
『じゃあ、……お邪魔しようかな。』
「やったぁ! 遊ぼう遊ぼう!」
『宿題してからね。』
「うっ……。利玖いるかな……?」
利玖は私の4つ上の兄で、今は高等部1年生。生徒会に推薦されるほど優秀で、普段は寮生活だけど、連休前はたまに帰ってくる。
初等部の勉強なんて、朝飯前でしょう。
ぜひ見てもらいたい。
『莉愛って、意外と勉強苦手だよね。授業で指されてもちゃんと答えるから、得意かと思ってた。』
「いっぱい頑張ってるんですっ! カナタの方が頭いいよ。羨ましいなぁ。」
『そうかな?……小さい頃から本ばっかり読んでたからかも。』
養護施設の本といっても、絵本じゃない。歴史書や五感魔法の参考書ばっかり。
頭の良さでいったら、中等部並か、それ以上かもしれない。下手したら、利玖といい勝負かも……。
「利玖がいなかったら、カナタに聞いてもいい?」
『もちろん、頑張るね。』
またカナタの目元が微笑んだ。今日は良い日だ。
賑やかな教室に、先生が出席簿を持って入ってきた。
「はい、では帰りの会を始めます。席に着いてください。」
ふわふわ飛んでいた折り紙の鳥たちは、それぞれの元へ戻り、生徒たちは席に着く。
「早退した人はいませんね。では今日の連絡事項です。明日からの連休中に、中等部で使う羽織と制服が届きますので、受け取れるようにしてください。受け取ったら一度袖を通して、問題があれば連絡帳に書いて月曜日に提出してください。これは、朝に配ったプリントにも書いてありますので、帰ったらご両親にちゃんと渡してください。皆さんから何か連絡事項はありますか?」
キョロキョロと周囲を見渡す生徒たち。特になさそう。
「では、帰りの会を終わります。日直、号令をお願いします。」
「起立、気をつけ、礼!」
「「「さようならー!」」」
学校の1日が終わる瞬間。教室に一気に開放感が満ち溢れる。この瞬間が、私はとても好き。
鞄を持ち、友達とバイバイと挨拶しながら、カナタと教室を出ようとした時———拓斗の取り巻きが、こっちを見てニヤニヤしていた。拓斗だけは、カナタを睨んでいた。
あぁ、せっかく気分よかったのに。あの時の苛立ちが、またふつふつと戻ってくる。
あんな笑い方しかできないのかな?無視して、靴箱へ向かった。
靴を履き替えながら、つい文句を垂れる。
「何で、あんな風に聞くかな!?」
『…でも、先生の説明、勉強になったんじゃない?』
「それはそれ! 私が怒ってるのは、拓斗の“聞き方”!あとその取り巻きっ!」
私は少し乱暴に靴を履き替え、カナタは丁寧に履き替える。
「教室を出る時も、じっと見てきたし。本当に不快にさせる天才!」
『まぁまぁ…。』
カナタがなだめてくれる。——いけない。またカナタの怒る権利を、私が奪っちゃった。
反省、反省。
学校を出ると、空は少し金色になった青色。澄んだ空気が、景色を美しく見せてくれる。
でも、冬の夕方は寒い。急いで帰って、宿題を終わらせよう。
白い息が、寒さを物語っている。2月もそろそろ終わるけど、春はまだ遠い。私は首元のマフラーに顔をうずめた。
「寒いね。カナタ、大丈夫?」
『うん。新しい魔法を覚えたから。』
「えっ、なになに?」
カナタは、自分の首元のチョーカー型魔械機器を指差す。
『手、近付けてみて。』
言われた通り、私はカナタの首元に手を伸ばす。
すると——ほんのり、温かい。
「わっ! あったかい! これ、何ていう魔法?」
『触れてる付近を温める触覚魔法だって。僕、マフラー使えないから、施設で教えてもらったんだ。』
カナタは、喉に呼吸口があるから、マフラーは巻けない。喉元にある緑色の魔法石とチョーカーの蔓模様が、柔らかく光っている。その横で、小さな歯車がくるくる回っていた。
「小さい魔械暖炉みたい。……あったかい……。首、熱くないの?」
『…うん。大丈夫。』
「なら良かったぁ。……あったかぁい……。」
『気に入った?』
「うんっ! もっとぬくぬくしたいけど、帰らなきゃ。暗くなっちゃう。」
帰り道である街並みは、不思議な調和を持っていた。石畳の道沿いに並ぶのは、瓦屋根の木造家屋と、ステンドグラスをあしらった洋館。格子戸の隣に、アーチを描いたアイアンの門扉が自然と馴染んでいる。
和風の引き戸を開けると、洋風のシャンデリアが迎えてくれるような、そんな風景がここでは当たり前だった。
通りを照らすのは、ガス灯を模した魔械街灯。夕暮れになると、柔らかな灯りがひとつ、またひとつとともり始める。空気に溶け込むその光が、和と洋、魔法と機械の境界を、そっと包んでしまう。
そんな光景を眺めながら、カナタとおしゃべりしながら歩いていると——あっという間に、家に着いた。
私の家は、町の中央通りから一本外れたところの、街灯が並ぶ静かな住宅街の一角にある。
門扉を開けると、玄関脇のステンドグラスに描かれている、優美な曲線を描く蔓草に囲まれている一輪の百合が、夕陽を受けてやわらかく輝きながら出迎えてくれる。「ただいま」と言って、玄関のドアを開けた。
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