03
魔械軌車の柔らかな揺れに身を任せながら、私は詩乃ちゃんと中等部での楽しみについて話していた。
ワクワクとした気持ちで、お互いに「頑張りたいこと」や「やってみたいこと」を語っていた時、不意に詩乃ちゃんが首を傾げて聞いてきた。
「今日もカナタくんは、リョク様たちと来るのかなぁ?」
一瞬、ドキッとした。思わず、拓斗の方をチラリと横目で見る。拓斗は変わらない表情で、窓の外を眺めていた。
(……聞こえてなかったのかな?)
そう思ったのも束の間、私が返事をしないことに気付いたのか拓斗の視線が私に向いた。目が合った瞬間、やっぱり聞こえていたんだと分かった。
「えっと……そうみたいだよ。車で直接行くって」
「へぇ〜、いいなぁ!」
詩乃ちゃんは、気にも留めずに無邪気に羨ましがる。私はまた拓斗の方へ目をやった。拓斗の視線は、また窓の外に目を戻していた。
その横顔を見ていたら、ふと卒業式の日のことを思い出した。
あの日、拓斗とカナタが、式の後に少しだけ話していた。多分、カナタの用事だったんだと思うけど……
何を話していたのか少し、気になる。
「……拓斗」
「ん?」
そっと名前を呼ぶと、拓斗はまた、視線をこっちに向けて短く応じた。素直な返事に、少しだけ驚く。
(……あれ? 拓斗って、こんなに話しやすかったっけ)
もっとトゲのある人だと思ってた。
そんなちょっとした驚きに、胸の奥に引っかかった疑問を、私は言葉を選ぶ前に口を開いてしまっていた。
「あの……卒業式の後、カナタと何を話してたの?」
繋ぎ方もへったくれもなかった。でも拓斗は、少しだけ考えるように視線を空に浮かせてから、答えた。
「あー……『中等部でもよろしく』って」
「……えっ、それだけ?」
「んー……まあ、そんな感じ」
拍子抜けした私の声に、隣で聞いていた詩乃ちゃんが「へぇ〜」と相槌を打った。
だけど——本当に、それだけだったのかな。
あの時の拓斗の顔を思い出す。カナタを見つめたまま、一瞬、鋭い目付きで睨んでいた。
でもすぐにその顔は崩れて、どこか気の抜けたような表情になって、それから驚いたような目になっていた。
あの感情の揺れが、この一言だけで生まれるとは、ちょっと思えない。
「……そっかぁ」
結局、それ以上は何も聞けなかった。拓斗が話したくないのかもしれないし、これ以上踏み込んで不機嫌にさせてしまったら面倒だ。
そう思った私は、まるで何事もなかったかのようにもう一度詩乃ちゃんの方へ顔を向ける。
「ねぇねぇ、詩乃ちゃんは中等部でどんな部活入るの?」
「うーん、まだ迷っててね~!」
そんな風に、何気ない話題を選んで口にする。詩乃ちゃんも特に違和感を感じさせることなく、明るく笑って答えてくれた。
そうして私は、中央都市の駅に着くまでの間詩乃ちゃんとお喋りを続けた。制服のこと、寮のこと、好きな教科、苦手な教科。
窓の外に流れる風景を横目に、心の奥に小さく沈んだ疑問だけをそっと隠したまま。
中央都市の駅で降りた私たちは、人の波に押されながら次の軌車へと乗り換える。
常盤町と違って、中央都市は人が多くて構内には各方面へ向かう乗客の声と、魔械歯車の回転音が混じり合い、どこか機械じみた熱気が漂っていた。
でも、今日が天律学園の入学式だからか、新入生用の看板があちこちに置いてあった。
「こっちこっち、ホーム三番線!」
詩乃ちゃんが手を引いてくれて、私は拓斗と一緒にその後を着いて行く。
次に乗るのは、天律学園前駅に停まる“環の花軌車”だった。
この軌車は、中央都市をぐるっと一周するように走っていて、一本ずつ車体の色が違う。それが色んな花みたいに見えるから“環の花軌車”と呼ばれてる。
駅のホームに並んだ色取りどりの軌車を見ていると、本当に街の周りに花が咲いてるみたい。私たちが乗るのは、深藍色に彩られた軌車。乗り込んでみると、車内はどこか緊張感に包まれていた。
さっきまで乗っていた魔械軌車とは違って、環の花軌車の車内は窓際に背を向けるように長いシートが左右の壁沿いに並んでいて、座ると自然と中央に向かい合うような形になる。
乗客同士の表情や仕草がよく見える分、どこか気恥ずかしくもあり、だけど不思議と落ち着く作りだった。
私と詩乃ちゃんと拓斗は、空いてたところに自然と並んで座った。学園線の車内は人は沢山いるけど、さっきよりも静かで、窓から差し込む光が床に柔らかい模様を描いている。
発車の合図と共に、軌車がゆっくりと走り出した。天律学園までの道は、途中にいくつかの停車駅を挟みながら目的地へ続いて行く。
魔力を帯びた鉄の車輪が、滑らかに軌道を進んでいく音を聞きながら、私は何となく、羽織の胸元に手を添える。そこに留められた翡翠の飾りが、車内の揺れに合わせて控えめに揺れた。
「……いよいよだね」
三人の真ん中に座っていた詩乃ちゃんが、ポツリと呟いた声に、私は小さく頷いた。
拓斗は、前方をジッと見つめたまま、何も言わなかった。けどその横顔には、どこか決意の色が滲んでいる気がした。
やっぱり二人も、私と一緒で緊張してるんだ。
その時、車内の魔力掲示板が柔らかい光を放ち始める。文字が浮かび上がり、機械音声が静かに告げた。
「まもなく、天空律環学園前駅に到着いたします」
その機械音声に、私の胸の奥がふっと高鳴る。しばらくすると、駅のホームが軌車の窓に流れ込んできた。
軌車が停止する軽やかな音が鳴ると同時に、扉が静かに開いた。ほんのりと涼しい風が吹き込み、外の空気が車内に流れ込んでくる。
私たちは並んで立ち上がった。
ホームに降り立つと、そこはすでに学園の空気だった。高く澄んだ空、きっちりと並ぶ魔械街灯、そして遠くに見える天律学園の塔のシルエット。
——まるで別世界の入り口のように感じられた。
天律学園っていうのは、ただの学園じゃない。この空中大陸の、真ん中にある中央都市の中にある、ひとつの“都市”みたいになってる場所。
みんな“学園都市”って呼んでる。
学園都市の中には、校舎と寮と、魔力の実験ができる研究塔と、大きな病棟と、小さな繁華街や市場みたいな広場まである。全部ひっくるめて、ひとつの都市になっている。
駅構内に貼られた魔力掲示板には“新入生は北口ロータリーから学園バスをご利用ください”と光文字が流れていた。
私たちは人の流れに合わせて駅の北口へ向かうと、ちょうど魔械バスがゆっくりとロータリーに滑り込んできたところだった。
車体の側面には、天律学園の紋章が淡く輝いている。
バス停の前には、学園の紋章の入った腕章をした人たちが立っていて、列を作って並んでいる私たち新入生を、手際よくバスへと案内していた。
その流れに従って、私たちも乗り込む。
車内には、ふかふかな二人掛けのシートがずらりと並んでいて、所々に先に座った新入生たちの声が聞こえていた。
拓斗はすぐに、一席だけ空いていた場所に迷いなく座る。私は自然と詩乃ちゃんと並ぶ形になった。
柔らかなシートに体を預けた瞬間、ふわりとラベンダーの香りが鼻をくすぐった。
「ふかふかだねっ!」
詩乃ちゃんが顔をこちらに向けながら、小声で、だけど明るい声で言った。
「そうだねっ、それにいい匂いだね」
私も小さく笑い返す。詩乃ちゃんの声からは、抑えきれない程の期待と高揚が滲んでいた。
バスの扉が閉まると、エンジンの静かな駆動音が聞こえて滑らかに発車し、学園都市の大きな門を潜る。
その瞬間、窓の外に広がる景色が、一気に変わった。
最初に見えたのは、広く開けた中央広場。そこには七色の旗が飾られ、繁華街や市場で働いている人たちが笑顔で手を振っていた。
みんなの手には、“ようこそ、新入生!”と大きく書かれた弾幕が掲げられている。
車内の新入生たちから、思わず歓声が上がる。
私たちも、窓越しに手を振り返した。こんなふうに迎えられるなんて、夢にも思っていなかった。
繁華街の煌びやかな風景が過ぎると、視界がぐっと開けた。そこに、駅からも見えていたあの天律学園の塔が目の前に聳え立っていた。
「うわぁ……!」
詩乃ちゃんが、小さく息を呑んだ。私は何も言えずに見つめていた。
私は羽織の胸元に手を添え、翡翠の飾りをそっとなぞる。緊張と期待が入り混じった鼓動が、段々と速くなっていく。
そしてバスは緩やかに減速し、正門前の停留所に静かに停まった。私たちは、他の新入生たちと一緒にバスを降りる。
石畳の通路を進んだ先に、一際大きなアーチ型の門が現れた。
その門は、まるで何かを祝福するように、青白い魔力の光を帯びながら緩やかに輝いていた。蔓模様の装飾が、門の縁を繊細に彩っている。
その門の前に、制服をきっちりと着こなした数人の先輩たちが整列していた。
みんな真っ直ぐに立ち、優しく、でもどこか誇らしげな表情で新入生たちを迎えていた。
その中に、利玖の姿があった。
背筋を伸ばし、澄んだ目元でこっちを見ている。どこか照れくさそうな笑みを浮かべながら、それでも誰よりも真っ直ぐに、私たちの前へと歩み出る。
「ようこそ、天律学園へ」
その言葉が、胸の奥深くに染み込んでくる。
ああ、本当に来たんだ。
お父さんとお母さんではなく、利玖がいるこの場所で、私たちの、新しい日々が始まろうとしている。
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