2-3 翌日の朝、持っている中で一番まともな服を着て
翌日の朝、持っている中で一番まともな服を着て「ザ・ロビー」で月見之介を待っていた。
白を基調にしたコロニアル様式の内装に彩られた「ザ・ロビー」は、贅沢なアフタヌーンティーを楽しめるので有名だ。
有楽町にある東京のペニンシュラにも、同じ名前で同じサービス内容を売り出しているが、本家本元は香港の方である。
アフタヌーンティーで有名と言っても、午前中は朝食メニューが用意されている。
朝からスコーンを頼もうとすると、きっとウェイターに嫌な顔をされてしまうだろう。
遅い時間に行くと混むので、朝の8時からコーヒーを飲みながら卵サンドをつつきつつ粘ること2時間半、10時半前に月見之介が現れた。
目の下に隈がついていて、あまり眠れなかったようだ。
「おはようございます。」
僕の挨拶を聞き流し、憮然とした表情で席についた月見之介は、ウェイターがメニューを持って来ようと近づいてくるのに気が付くと、露骨に嫌そうな顔をした。
「どうかしたんですか?」
「どうかしたもなにも。」
この9年間、断続的に月見之介を見てきた中で、最も機嫌が悪そうだった。
いつも大酒を飲んで、もののはずみで人の気持ちを傷つけかねないような言動をしては、金持ちの坊ちゃんということで大目に見られてきた月見之介は、頭と口こそ悪いものの大体において鷹揚だったので、機嫌が悪いのは珍しいことだった。
「東亀よ、何故連中は日本語を喋らんのだろうな。」
ウェイターに身振り手振りと単語のやりとりで、なんとかコーヒーを頼むことに成功した月見之介はため息をつきながら言った。
「そりゃ、この世界の共通言語が、多くの場において英語だからですよ。」
「笑顔でなくてか?」
「困ったらへらへらと笑うのは、アングロサクソン文化圏でよく誤解される日本人特有の振る舞いだと言われて久しいです。
緊張感を和らげるにしても、他にやり方があるのではないかと。」
月見之介はまたもため息をついた。
「今朝になって、ようやく日本語が通じる相手と会えたと思ったら、日本語でもそいつが何を話しているのかわからないというのは、辛いな。」
「昔からよく、おまえは日本語が下手だと言われていましたけどね。」
ウェイターがコーヒーを持ってくる。
僕は月見之介の代わりにコンチネンタル・ブレックファストを注文する。
日本円で4000円の朝食というのはにわかには信じがたい値段だが、とりあえずは血糖値を上げて機嫌を直してもらうのが賢明だろう。
「でも、昨日は無事にペニンシュラまで戻ってこれたんですね。」
「ひどい目にあったがな。」
「と、おっしゃいますと?」
「道に迷った。
人に聞こうにも誰も日本語を理解しない。
仕方ないのでタクシーに乗って、ホテルのカードを見せた。
ホテルに着いたら現金を持っていなかったので支払いで揉めた。
旅行の初日に理解できない言葉で怒鳴られて、とても嫌な思いをさせられた。」
「そりゃ、旅行の初日じゃなくても嫌でしょうけどね。」
結局、ホテルのボーイが気を利かせて金を立て替えて事なきを得たらしい。
後でレセプションに行き、ことを経緯を確認したうえで、立て替えてもらった分の支払いとチップをどうするか相談した方がいいだろう。
朝食が用意されるまでの間、昨日ジャニスと会った話を月見之介にしていた。
月見之介は不機嫌そうに聞いていたのだが、話がジャニスとその友達と食事に行くことになると、機嫌が良くなった。
特に、ジャニスが友達を紹介してくれると言っていたというところで、目に見えて表情が和らいだ。
こういうわかりやすいところは、数少ない月見之介の美徳だと思う。
「まあ、旅の目的が目的ですし、とりあえずはたくさん女性と出会わないと何も始まりませんからね。
正直、ジャニスに人を紹介してもらえて僕もほっとしています。」
「東亀よ、いい心がけだが、そう簡単に気を抜くな。
おまえは詰めが甘いところがある。
遠足は家に帰るまでが遠足で、何があるかわからんものだからな。」
「ちょっと、意味がわからないんですが。」
「おまえの友達のジャニスちゃんが俺に紹介する女が美人だという保証などないということを言っているんだ。」
「いや、それは、誰も保証できないんじゃないかと。
そもそも、日本でも、合コンの女性側幹事に可愛い子を連れてきてほしいと言ったところで、幹事よりも可愛い子が来ることがないというのは、半ば常識なのではないかと思うのですが。」
そんな話をしているとフルーツの載った皿がテーブルに届いた。
「ザ・ロビー」はかなり混んでおり、店員は忙しそうにしていたが、僕はかまわずコーヒーのおかわりをお願いする。
「だとすれば、だな、東亀よ。
今はっきりさせておかなければならないのは、おまえの友達のジャニスちゃんが美人なのかどうかということだ。」
「はっきり言って美人ではないですよ。
愛嬌はあるけど、丸顔で、まあちょっとずんぐりむっくりしてますね。
たしか、ご両親がカンボジアから来たんだとか何とか、昔聞いた覚えがあります。
一般的な、香港とか中国南部の華人っぽい感じの見た目ではないですね。
僕は可愛いと思いますけど。」
「御託は並べなくていい。
美人でないのなら、あまり期待できないな。」
「こっちは人を紹介してくれとお願いしてる立場なんで、期待するのがそもそも失礼なのかもしれませんね。」
月見之介は鼻を鳴らして、パイナップルを大きめに切り分けると、口にの中に入れて頬張った。
一応、本家でも教育らしきものは試みられたのか、月見之介の食事の仕方はそれほど酷くないのが救いだった。
一緒に旅行をしているのに、食事をする度に不快な思いや恥ずかしい気持ちをさせられるのはたまらない。
「詳細がわかったら、また連絡が来ると思います。
連絡が来た時にすぐ動けるように、買い物は今日の午後のうちに済ませてしまいましょう。」
「東亀よ、おまえはそんなに俺の格好が気に食わないのか?」
「機能的な面で言えば、はっきり言って不満ですね。
その恰好じゃ旅の途中で雨か何かに振られて体を冷やして、あっという間に体調崩してしまいますよ。」
「防水仕様のアウターは昨日おまえが買っただろう。」
「靴がいるんですよ。
ドレスシューズじゃ未舗装のぬかるんだ道は歩けないでしょう?」
「そんなとこにはいかなければいい。」
「世界はそんなところばっかりですよ。
それに、もし今から知り合う美女とどうにかなって、ハイキングとかちょっとした山登りに行こうって話になったらどうするんですか?
色んなシチュエーションに対応できるような服装にしておいた方がデートの幅も広がりますよ。」
血糖値が上がったせいか、その日の午後、月見之介はおとなしく僕についてきて、昨日ジャニスとお茶をしたモールの中にあるアウトドアグッズの店で何足か試着した後に、メレルのハイキングシューズを買った。
買い物を終えて、月見之介に歩いて帰るための道順を教える意味も込めて、地下鉄の駅構内を一緒に歩いていた時、メッセンジャーでジャニスから連絡があった。
「ジャニスが、明日の夜に銅鑼湾で一緒に食事でもどうかって言ってますが、大丈夫ですか?」
無言で月見之介がうなずく。
努めて無表情を装っていたが、どことなく嬉しそうだった。
僕はその場でジャニスにアポ確定の返信をした。
まだこれからが本番だが、既に一仕事終えたような気分だった。
認めるのは非常に癪だが、月見之介の言うとおり、やはり僕にはどこか詰めの甘いところがあるのだろう。




