第二十五章:「理想と現実」
仕事帰り、彼と待ち合わせたカフェ。
窓際の席で、彼はいつものように笑っていた。
その笑顔に、私は微笑み返す。
それだけで、彼は満足してくれる。
何も言わなくても、察してくれる。
「ひなさんってさ、こういうところあるよね。」
何気ない言葉だった。
少し冗談まじりの指摘。
私のちょっとした癖を、彼は笑いながら言った。
でもその瞬間、心の奥で何かが引っ掛かった。
仁さんだったら――
そう思ってしまったのだ。
仁さんは、人の癖を茶化したりしなかった。
むしろ、私が変な行動をしても、「お前ほんと変だな」そう言って少し笑い、
むしろ“面白い”と受け止めてくれた。
どんなに不器用でも、仁さんの前では素の私でいられた。
今の彼は、優しい。
いつも気を遣ってくれるし、怒った顔も見たことがない。
でも、その優しさが、どこか遠く感じる。
私の“素”を見つめてくれているわけじゃない。
“理想の彼女”として大事にしてくれている気がする。
別の日。
彼が私の部屋に来たとき、私の机の上の飾られた香水を見て言った。
「この香水、ちょっと匂いきつくない?しかもこれ…メンズ用?」
それは仁さんがくれた、使いかけの香水だった。
使っていないのに、置いておきたくて手放せなかった。
彼の何気ないその一言が、私の大事な思い出さえ非難されたように感じていた。
「レディースだとちょっと匂い甘くて。ごめん、しまっとくね」
そう笑って答えたけれど、心の中では冷たい水をかけられたような気がしていた。
それから、彼の行動一つひとつに違和感を感じるようになった。
話し方、歩くペース、返信のタイミング。
何も悪くないのに、どこか引っかかって、呼吸が浅くなる。
そうじゃない、そうじゃないんだ――
私はただ、“誰かに大事にされること”が欲しかったわけじゃない。
仁さんだったから、許せた。
仁さんだったから、苦しくてもそばにいたかった。
あの人の全部が、自分の心を動かしていた。
今の恋は、安定してる。
でも、心はどこかで、ずっと仁さんを探している。
気づきたくなかった。認めたくなかった。
でも、もう誤魔化せない。
「私、まだ…仁さんが、好きなんだ。」
小さくこぼれたその言葉が、自分自身の決意になっていた。




