第二十三章:「穏やかな日々なのに」
週末の午後、後輩の彼とカフェにいた。
美味しいスイーツと、ゆったりした音楽。
目の前で嬉しそうに話す彼の顔を見ながら、私は笑顔を作って頷いた。
「ねぇ、ひなさん。来月、うちの実家来ない?」
彼がそう言ったとき、私は一瞬、喉が詰まるような感覚になった。
「うん、いいよ」と答えたのに、胸の奥が冷えていく。
――どうしてだろう。
ちゃんと大切にされてる。
言葉でも行動でも、好きだと何度も伝えてくれる。
過去に私が欲しかった“彼女”という安心も、ここにはある。
なのに――
心が、どこかでずっと息苦しい。
穏やかすぎる日々。
何も起こらないことが、逆に怖くなる。
「あの頃」は、ほんの一言に心が揺れて、“既読”の2文字に、嬉しさを感じていた。
感情が上下するのは、決して楽ではなかった。
刺激的な毎日で、むしろ苦しかった。
だけど、心は確かに生きていた。
でも、今は違う。
穏やかすぎて、どこかで自分の感情が眠っている気がする。
夜、彼と並んで歩いていても、優しい言葉をかけられても、
ふとした瞬間に思い出してしまうのは――仁さんだった。
好きだった人の名前を、他の人と一緒にいる時間に思い出す自分に嫌気がさす。
(私、何やってるんだろう)
何度も心の中で繰り返す。
彼を傷つけたくないし、今の関係を壊したくもない。
だけど、自分の心を偽っていることに気づいてしまったら、何も知らなかった頃には戻れない。
(ごめんね…)
この気持ちが、今の彼に対してなのか、
それとも、まだ心の奥に残っている“あの人”への言葉なのか――
答えは、自分でも分からなかった。




