487 ゴーン、とか?
結局、その夜もファビウス先輩は帰って来なかった。
ナヴァト忍者は戻って来て、ファビウス先輩からの言伝を届けてくれた――事情は把握した。僕の方でも対処するから、ルルベルは心配しないで、と。
無理ぃ……。
すごく不安なような……そう、たしかに自分がどうなるかも不安なんだけど、心配しないでなんて……いわないでほしいような。なんかこう……名状しがたい気分に苛まれてしまう。
たしかにね、わたしって世間知らずというか、少なくとも上流階級の権力闘争の知識なんてないよ。対処法だって、なにも持ち合わせてない。
でもさ……なんかこう、もやもやするんだよね。なんだろう、これ。
……ありがたく思って、安心すべきなのにな。
一晩寝て起きたら、なぜかウィブル先生が研究室にいた。
「おはよう、ルルベルちゃん」
「おはようございます?」
今日のウィブル先生は、真面目モード。
羽毛ストールは装備せず、髪も撫でつけてあって――つまり、舞踏会のときみたいな感じ。年齢性別職業不詳には見えない、立派な紳士の装いってやつだ。まぁ、髪色は紫のままだけど。
「宮殿に行くんでしょ? 付き添うように、校長にいわれたの」
「えっ。保健室は空けていいんですか?」
「ある程度の不調なら、ほかにも生属性の教師がいるから。お願いしてあるわよ」
……わたしの身に、ある程度の不調より重大なことが起きかねないから、同行するってことよね。
「ご迷惑をおかけします」
「ルルベルちゃんが気にする必要ないわよ。むしろ、こっちの方が申しわけなく感じるところね。アタシが役に立てる範囲って、すっごく狭いから」
「役に立てる範囲?」
「アタシって平民でしょ? 王宮では尊重されないのよ」
なるほど……。
「でも、校長先生がウィブル先生を選んだんですから、なにか意味があるんですよね」
「まぁねぇ、アタシがついてれば、だいたいの物理攻撃は無効にできるから」
「物理?」
「表皮の硬化とその持続性について、で論文書いたことあるし」
物理ってそういう!
「硬化って……どれくらい?」
「持続時間なら、そうねぇ……ほかに大魔法を使わない限り、アタシが望む限りずっと。ただ、意識を向けてる必要があるから、アタシが寝たりしたら効果も切れちゃうわ。硬度については、作用と反作用の問題があって……これ長い話になるから簡便に説明すると、皮膚への衝撃を相殺するって考えてちょうだい。つまり、やわらかいものはやわらかく、硬いものは硬くで完全に対応できちゃうの」
「つまり……?」
「アタシの魔法が効いてる限り、ルルベルちゃんの肌には傷ひとつつかないわ、ってこと」
硬いものを硬く弾き返したら痛そうだなと思ったけど、まぁ……そういう問題じゃないんだろうなぁ。
「目にもとまらぬ早業で斬りつけられた! ……みたいなのも、平気なんですか?」
「もちろんよ。見て対応するわけじゃないもの。事前にかけてある魔法が、自動的に反応するだけだから」
便利ぃ!
「えっと……たとえば、火とか」
「熱もはじけるわよ。もちろん冷気も然り」
便利ぃ!
「すごいですね……」
「もっと褒めてくれていいのよ? ……さて。出かける前に、ちょっとスッキリするところから、かしら? 睡眠不足です、って顔よ。悩んじゃったのね?」
「ええ、まぁその……そうですね」
「しかたないわよね。さ、先生にまかせちゃって! 頭もスッキリ、目もパッチリ、ぐっすり寝て起きたみたいな気分にしてあげるから」
国一番の生属性魔法が発動した結果、ウィブル先生の言葉通り、ぐっすり寝て起きたみたいな気分になった。
……便利過ぎて、ちょっと怖い。
「ついでに表皮の硬化魔法もかけちゃいましょうか。……どうかしら? なにも変わったことはないでしょ」
たしかに、なんの変化も感じない。魔力感知を頑張ってようやく、魔力で覆われてるかも? ってくらい。
「これでもう、硬いものが当たっても平気ってことですか?」
「痛みはないはずよ。感触はあるけど」
「……なんか音がしたりは?」
「音?」
「ゴーン、とか? 鐘が鳴るみたいに」
ウィブル先生が、その発想はなかったわ、って顔になった。
くだらないことを口走ってしまった! 硬いものが当たるって説明で、鐘を連想しちゃったんだよね。
「あ、すみません、どうでもいいですよね。お気になさらないでください」
「面白いこと考えるわねぇ……ぶつかったときのことよね? 音は厳密に研究したことがないけど、ルルベルちゃんは空洞じゃないから、鐘みたいに鳴り響いたりはしないと思うわ。相手が鐘をぶつけてきたら、そっちは鳴るかもだけど」
「鐘は、ぶつけられたくないですね……」
痛くなかったとしても、吹き飛ばされそう……いや相殺されるってことは、そういうことも起きないんだろうけど。
わたしの顔を見て、ウィブル先生は吹き出した。よほど変な顔してたんですね……ううう。
「ないと思うわよ、持ち運びも大変だし」
「質問よろしいでしょうか。その、大きな音やなにかで先生の気が逸れた場合、魔法はどうなりますか」
ナヴァト忍者である。物理最強が、物理最強防御について質問してる……。
「その程度のことなら問題ないわ。アタシが気を逸らさないっていうより、短時間なら自動継続作用があるからよ」
「距離は、いかがですか」
「基本的には、視界に入っていてほしいわね……見えないと魔法がつづかないという意味じゃないわよ? 単に、焦点の合わせやすさの問題ね。見えなくても感知できれば問題ないわ」
「では、魔力感知を切られてしまうと、問題なわけですね」
「そうね。ただ扉を閉められるだけならともかく、魔力干渉や魔法防御があると無理ね。その場合も自動継続は動作するけど、魔力源がアタシだから。魔力が完全に断ち切られてしまった場合、徐々に消えることになるわ」
そういう感じかぁ……いや、自分じゃ思いつかない質問だったな。
リートがわたしにマントを投げてきた――本日は聖女としての伺候なので、いつもの制服ではないのだ。いつのまにか買い揃えられていた、クラシカルで品の良い紺と白のドレス……に、この白いマントを羽織れってことだな!
マントって、防寒具としては寒いのよね……でも、装いとしての格は高いから、しかたがない。
「まぁ、行きますか」
早くしろといわれる前に、わたしは自分から立ち上がった。
「馬車を回してあるわよ」
聖女様が徒歩で宮殿に行くわけにもいかないでしょ、とウィブル先生は笑うけど……その聖女って称号を剥ぎ取られる可能性がある場面なので、いまいち笑えない。べつにいいんだけどさぁ、称号とかは……めんどくさいだけだし。
馬車に乗り込むと、ウィブル先生が少し真面目な顔になった。
「ルルベルちゃん、堂々としてていいのよ? あの校長が認めた聖属性魔法使いなんだからね」
「……聖属性に限っては、校長先生がいちばん確実な判定者なのかもしれないですね」
「その通りよね。王家もなに考えてるんだか。あちこちで魔物の目撃情報が上がってるってときに、すでに聖属性魔法使いとして多方面で実績を上げてるルルベルちゃんを、どうしようっていうのかしら」
便利に使えるチェリア嬢とすげ替えたい……と、リートは推測してますよ。わたしも、そういうことだろうなって気がしてきてるとこですよ。
なんて説明しなくても、ウィブル先生もわかってるんだろうなぁ。
「先生……わたしの家族が人質にとられそうになったら、守ってもらえますか?」
「もちろん。だけど、そのへんはもうファビウスが手を回したって聞いたわよ」
「ファビウス様が……」
以前もこんなことがあったな、と思う。家族を守らなきゃと焦るわたしに、もう対処してある、って。
「ルルベルちゃんは、まず自分のことを考えて。ね?」
「……わたしは……ことが起きてからでないと、家族を守ろうって意識できなくて。駄目ですね」
「アタシたちは所詮、平民だから。自分の手が直接届くところまでしかイメージできないのよ」
ファビウス先輩は、紛れもなく支配者階級の人間だ。
そして、いろんなことに用心深い。たぶん――お兄様を暗殺されたりといった経験があるせいじゃないかな、と思う。お母様である王妃様も、気を張ってらしただろうし。
「あの子もまだ若いんだから、もっと無邪気に過ごせる時間があってもいいと思うんだけど……でも、それができない立場なんでしょうね。残念だけど、気軽には提案できないわよね」
「……はい」
「ま、手を回すのに長けてることでルルベルちゃんを守れるなら、あの子も嬉しいんじゃない?」
コネを使って。身分も、立場も、財産も、なんなら自身の美貌や口のうまささえ、余すところなく利用して。自分の思うように他人を動かしていく――それが、ファビウス先輩の特技なんだと思う。呼吸するように、やってのけるんだろう。
窓の外に視線をやって、わたしは考える。
ウィブル先生は、正しい。ファビウス先輩は、そういうのをやめることができないんだ。
東国の王族から籍を抜いてもなお、ファビウス先輩には公的な立場がある。うっかり気を抜くと、不本意に利用されたり、陥れられたりしかねない。そういう世界で生きているひとなのだ……。




