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448 ナヴァト忍者の心境も気になるところではある

 ファビウス先輩の腕の中は、あたたかかった。そんなこと考えてる場合じゃないけど、あったかくて落ち着くなぁ……って思ってしまった。

 逃避かな。逃避かも。


「それでその……お受けになるんですか?」

「ルルベル、婚約って意味わかって訊いてる? 婚約の先には結婚があるんだよ?」

「そ、そうですね」

「僕がアレと結婚? 無理だろ」


 ついにチェリア嬢の呼び名が指示語になってしまった……。これ、名前も呼びたくないってやつだろ。


「でも、王家からの話ってことは……王命? というやつなのでは?」

「そこまで明確なものじゃない。もちろん断りづらいかどうかでいえば、けっこう面倒な話になる。だから、あっちから取り下げてもらおうと思ったんだ」


 あー。それで絶対零度の冷え冷え対応か。


「なるほど……ところで、この体勢はいつまで継続するのでしょうか?」

「……もうちょっと」


 然様さようでございますか……。

 けっこう弱々しい声だったので、わたしも強くは反発できなかった。……まぁファビウス先輩の場合、そういう演技もするってことは知ってるけどね。


「チェリア嬢のお望みなんですかね?」

「あー……どうだろうね。彼女が望んでいないってことはないだろうけど、王太女殿下が焚きつけたんだと思う。手を回してあげてもよくってよ、って感じでね」


 なるほどぉ……。


「でも、それでウフィネージュ様になんの得が?」

「嫌がらせだろ。君への」

「……わたし?」

「今、君の仕事にまつわる事務作業は、僕が請け負ってるからね」


 あっ。

 たしかに困る。ファビウス先輩がいなくなると、王宮から予算をもぎ取れなくなる予感しかしない。そしたら親衛隊も雇えなくなるし、そのほかいろいろ、わたしがわかっていない面で行き詰まるだろう。

 ……ものすごく効果的だな!


「でも、わたしに嫌がらせしても、ウフィネージュ様になんの得が」

「聖女の勢力を削いでおきたいんじゃない? そんな特別な理由がなくても、君のことが気に入らないとかそういう漠然とした心証だけでも、彼女ならやるよ」

「やっちゃいますか」

「やる」


 まぁ……そうだな。うん。ウフィネージュ様なら、そんな感じだな!

 謎の信頼感。ウフィネージュ様なら、やる。……やらんでええんやで?

 そんなことを考えてると、ねぇ、とファビウス先輩にささやかれた。頭の上で。


「ルルベルは、僕と結婚したくないの?」


 ……なんか根源的な質問きたな!


「いや、だからそれは……その……まだ考えられないと申しますか」

「……魔王を封印しないと、ってことか」

「まぁその……はい……」


 わかってる。

 魔王を封印するまで恋だのなんだの浮かれてる場合じゃねーぞ、って思ってるのは事実だけど。でも、それだけじゃない。

 ファビウス先輩は、仮にも隣国の王子様だ。籍を抜いたといっても、出自は変わらない。

 そこに目をつぶったとしても、我が国の伯爵様だぞ。伯爵……伯爵だったよな?

 わたしも聖女だから、社会的な地位は勝手に高くなっちゃってるけど、そんな後付けの地位で乗り切れるかっていうと疑問過ぎる。はっきりいって、無理だと思う。

 ここまで育ってきた環境が違う。教養はもちろん、常識も違う。恋愛したてなら、そのギャップが面白くまた好ましくも感じるだろう。それが「おもしれー女」現象だ。

 だけど、延々とつづく日常生活で、それ、耐えられる?


 わたしは怖い。無理なんじゃないかって思うと、すごく怖い。


 無教養な平民と、釣り合いとれる? とれないでしょ。

 前世の記憶がなければよかった。ただの平民出身の聖女なら、きっと恋にのめりこんだ。なんとかなるって未来を信じることもできただろう。

 でも、王子様にみそめられたシンデレラが幸せに暮らしましたなんて、おとぎ話の結末でしかあり得ないよ。お互いに誠実であろうとするほど、きっと苦しくなるだろう。

 もちろん、手をとりあってギャップを埋めていくカップルがゼロとはいわないよ。可能性は、いつだってゼロじゃない。

 だけど――。


「すごく、難しいだろうなって思ってしまって」

「なにが?」

「たとえばその、今だって。ファビウス様、このあいだ話してくださったじゃないですか。貴族の婚姻は家同士の契約で――」

「うん。僕の家でいちばん偉いのは僕だから、家の方針を決めるのも僕だよ。説明したよね」

「――それをくつがえせるのは、爵位を与えたり奪ったりできる王家だ、って」

「そうだね。でも、それも説明したよね? 姿をくらませてしまえばいいって。どこででも生活できる自信はあるよ。もちろん、君と」


 わかってる。わかってるけど……。


「ファビウス様は以前、おっしゃいましたよね。わたしのために、王籍を捨てたって」

「……うん」

「今度は、貴族というご身分も捨ててしまわれるおつもりですか?」


 庶民の生活をするファビウス先輩、似合わな過ぎる。

 もちろん、平民は平民でも限りなく上流寄りの平民の生活を思い描いてみたんだ。よく知らないけど、シスコとかリルリラとか、魔法学園に入れるような、貴族の親戚がいる平民の暮らし。

 そこにはやっぱり、格差がある。

 だって、魔法学園で知り合ったときのシスコ、平民の友だちができて喜んでた。リルリラだって、クラスにほかに平民がいないから、シスコにべったりになってしまったんだ。

 今はそれなりに馴染んでるけど、でも、壁はある。たぶん、壁の内側にいるファビウス先輩には想像しづらいような、見えなくて壊せない壁が……あるんだ。


「そんなの、どうでもいいよ」

「わたしのために捨てるものが、多過ぎます」

「ルルベルと引き換えにするなら、なんだって捨てられるよ」

「……それが嫌なんです」

「ルルベル、そんなの――」

「そんなのじゃ、ありません! ちょっと前に、ファビウス様は時間が貴重だっておっしゃいましたけど……時間以外だって、貴重なものはあるでしょう? 失ったら、取り戻せないものが。わたしはそれが嫌なんです。失わせたくないんです!」


 そういって、わたしはファビウス先輩の胸を押した。突き放そうとしたけど、できなかった。腕の力で負けたのである――最近、パン焼き釜の天板運んだりしてなかったからな……。


「……はなしてください」

「嫌だ」


 それっきり、どちらも言葉を発することはなくて。

 ……どれくらい経っただろう、やがてファビウス先輩がささやいた。


「ルルベルを失うより、ほかのものを失った方がいい。ずっと、いいんだ」


 ものすごい口説き文句だな、とは思う。そうは思うんだけども。

 すべてを捨てて、わたしを選んでくれるのねー! みたいな高揚感より、わたしのために捨てさせてしまうのか、って落胆しちゃうんだ。ほとんど絶望に近い。


「よくありませんよ。わたしといるせいで、ファビウス様が次々に……なにかを失うなんて、嫌です」

「ルルベルの隣に立つ権利が、それだけ貴重ってことじゃない?」

「話のすり替えですよ」

「そんなことないよ」

「わたしは、ファビウス様には幸せになってほしいんです」

「君といれば幸せだよ」

「そんなはずないでしょう? こんなに……いろいろあって!」

「僕は平気」

「ファビウス様が平気でも、わたしは嫌なんですよ。だって、失わせたくないでしょう、好きなひとに!」


 思いっきり叫んで、今度こそファビウス先輩を突き放した。

 ……返事がない。ていうか反応がない。

 ファビウス先輩を見ると、ぽかんとしている、としか形容のしようがない表情をしていた。玄関ホールの――そう、我々は研究室に一歩入ったままの位置で、立ち話をしていたのである――控えめな照明の下、その頬がじわじわ赤くなって。

 わたしもぽかん顔になってしまったところで、ファビウス先輩は自分のくちもとを手で覆った。


「……もう一回」

「はい?」

「今の、もう一回いってくれる? 好き、って」


 ……純情か!

 百戦錬磨の魔性先輩が、わたしが勢いで口走った「好き」で真っ赤になると誰が思うか!


「嫌ですよ」

「なんで」

「いわされるものじゃないからです」

「……正論だね」


 なお、我々の痴話喧嘩をずーっと近距離で気配を殺して観察しているに違いない、ナヴァト忍者の心境も気になるところではある。忘れてたけど、絶対いるもんな。


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