447 立板に水がざばざば流れて滝になってない?
「なんだか難しい話をしているね?」
遅れてやって来たファビウス先輩は、今日も食堂中の視線を集めていた。そして、久しぶりに。
「ファービー!」
……来たワァ。雑とカテゴライズされてしまった、チェリア嬢が!
手をふりながら小走りにやって来た彼女に、ファビウス先輩は華麗な笑みを浮かべて、こうだ。
「失礼、どちらのご令嬢でしたか?」
……キッツ!
「なにいってるの、ファービー」
チェリア嬢、つんよ!
わたしだったら、こんな対応されたら即座に退散する自信あるわ……。
「そのように呼ばれるのを許した覚えもありませんね。……ごめんね、ルルベル。騒がしくなっちゃったね?」
「ルルベル、一緒にいい?」
チェリア嬢のメンタル、すごくない? すごいよね、これ?
わたしは並メンタルなので、どうすればいいのか……。
「えっ……と……」
「駄目だよ、どこの誰かもわからないご令嬢」
笑顔で、しかし冷たく断ったファビウス先輩は、わたしの髪をひとふさ手にとって、そっとくちづけた。
……そっと……くち……く……? くー?
どぅええええ!
「ルルベルはやさしいから、どんな願いでもかなえてしまうだろう? 僕に断らせて?」
出た、上目遣い! 近い! 研究室でなら、こんな感じの状況を何回か経験済みな気もしないでもないけど、衆人環視のもとでこれは……これはーッ!
上級者じゃないと無理でしょ!
ファビウス先輩は余裕として、わたしは無理! 無理無理無理無理ぃ!
「ファービー!」
いつにも増して切り裂くような声をあげたところを見るに、チェリア嬢も無理だったっぽい。
失礼かもだけど、恋愛経験値が高そうではないものな。メンタルが強いかどうかとは別次元の問題だよ。
「ご令嬢、ひとつ教えておこう。君は僕を命の恩人だというけど、僕が君を助けた事実はない」
「嘘!」
「他人を嘘つきと詰る前に、自分の記憶を確認しようとは思わない? ただ思い返すのではなく、第三者の証言を集めるべきだろう。僕はそうしたよ。結果、やはり君の思い違いだということがわかった。僕は君が溺れたのを見ていただけだし、そのことすら忘れていた」
チェリア嬢が、目をパチパチさせる。
「なん……嘘……」
「これで僕を嘘つき呼ばわりするのは二回めだね? 次は許さないよ。そして、事実は事実だ。君の記憶は歪曲されている。たしかに君は溺れた。僕の叔父の別荘の近くでね。僕はそれを見ていたらしいよ。助けてはいない。もしも今、同じ事態が身近で起きたとしても、やっぱり僕は誰かを助けるために水に入ることはないだろう。溺れる者を助けられるほど水練がたくみではないからね。へたに手を出せば、溺死者がふたりに増えるだけだ」
ファビウス先輩、立板に水がざばざば流れて滝になってない? ガチ本気モードじゃない?
あのチェリア嬢を怯ませる勢いだよ。
「それはだって、ま……魔法で」
「僕の属性、知ってる?」
ため息混じりに問うファビウス先輩を、チェリア嬢はぽかんと見ている。
……あ、これ知らないやつだ。賭けてもいい。
「えっ……と……風?」
「風属性魔法の記憶はあるんだね。僕の属性は風じゃない。でも、君を助けたのは風属性魔法だ。周囲の水を吹き飛ばして君を救ったのは、風属性魔法の達人である、僕の叔父だ」
「嘘!」
「嘘ではないし、次は許さないといったよね」
「ファ……ファビウス様!」
思わず、わたしはファビウス先輩の袖を掴んでいた。
なぜなら、ものすごく不穏だったので。いやもう笑顔だし声もやわらかいし、知らないひとには伝わらないだろうけども、わたしにはわかる、これヤバいやつ! 本気で怒ってるやつぅ!
「……ほらね、ルルベル。君は誰のことでもなんでも許してしまう」
「いや、それは買い被りというか……どうでもよくて! チェリア嬢は、ただ勘違いなさっているだけですよ」
「だからって、他人を嘘つき呼ばわりしてよいというのは、おかしくない?」
「子ども時代から育ててきた憧れを砕かれたら、否定もしたくなりますよ」
ファビウス先輩は、大きく息を吐いた。
「ルルベルが望まないから、不問にするけれど。僕は許したわけじゃない。二度と声をかけないで」
室内の体感温度が、ぐんと下がった。
怖い……ファビウス先輩が、えっらい怖い!
「……食事をする気分じゃなくなったな。ルルベル、研究室に戻ろう。シスコ嬢もよかったら、どう?」
「あ、いえ……わたしはもう食べ終えましたから」
「そう? 残念だな」
ええー、シスコ来ないの? と視線ですがりついてみたけど、シスコは困ったように笑うだけだ。
直接的に誘ってみるか!
「シスコもおいでよ。もう少しお話ししたいよ」
「ううん、遠慮させて。今日はなんだかもう、疲れちゃって……」
「そっか……そだね、わたしはさっき知ったばっかりだけど、シスコは一日中、気を揉んでたんだもんね」
伯爵令嬢ズの不在とか、昨日からの話とか……できることもないって、けっこうストレスだと思う。
そこへ、ファービー問題にダイレクトに巻き込まれたんだもんな。
未練たらたらでシスコをハグすると、耳元でささやかれた。
「ルルベルは、ファビウス様を落ち着かせてさしあげて。なにか、ご事情がおありなんじゃないかしら。わたしがいない方がいいと思うわ」
そ……そういう気遣いー!?
シスコが天使!
「頑張る。また明日ね、シスコ」
「ええ。またね、ルルベル」
なお、この間にファビウス先輩の視線を受けてリートが出動、硬直していたチェリア嬢を食堂から連れ出している……。押しの強さの権化みたいなチェリア嬢が、なされるがままである。かなりの衝撃だったんだろうな。
ていうか、リートってばすっかりチェリア嬢の懐に入り込んでない? すごい……。
「では行こうか、僕のお姫様」
エスコートされるわたしはお姫様という柄ではないので……ほんと勘弁してほしいのだが!
どうしちゃったの、今夜のファビウス先輩!
いつもこうだといえなくもないけど、なんか違う……。なんか違うよ!
「あの、ファビウス様」
「うん?」
「なにかあったんですか」
食堂を出て、研究室へ向かいながら。わたしは、訊いてみる。
ファビウス先輩は、かるく眉を上げて問い返した。
「なぜ?」
「なぜ、って……。ちょっとその……おかしいです」
「おかしい? おかしいかな。ああ、ルルベルの前ではあまりこういう感じじゃないからね」
ファビウス先輩は微笑んで前を見ている。わたしを見ようとはしない。
……やっぱ変でしょ、これ。
「つまり、いつも通りじゃないということですよね。その理由を知りたいです」
「彼女の相手をするのが面倒になったんだよ」
「それだけですか?」
「……ずいぶん食い下がるね、ルルベル。心配してくれてるの?」
「そうですよ」
わたしの返しに、ファビウス先輩はおどろいたようにわたしを見た。
冗談のつもりで訊いたのか。こっちは本気だぞ。ガチだぞ!
「心配ですよ。だって、おかしいですもん」
「……わかった、種明かしをするよ」
でも研究室に帰ってからね、とファビウス先輩はつぶやいて。
わたしたちは、無言で歩みを進める。枯れ落ちた葉が足の下で砕けて、さくさくと音がする。木立のあいだを駆け抜ける風がもの悲しい響きを奏で、沈黙を埋めた。
で。研究室に着くと、ファビウス先輩はいきなりわたしを抱きしめた。
……え。えーっ!
「ど……どうしたんですか」
ドキドキしたし、これは駄目でしょと思いもしたけど、突き放すことができなかった。
だって……やっぱり変じゃない?
いつもだったら、抱きしめてもいい? って訊かれて、駄目ですってわたしが答えて、いわれると思った、ってファビウス先輩が苦笑するとこまでがセットでしょ!
「王家から婚約の打診があったんだ」
「王……家?」
ウフィネージュ様と、ってこと?
いやでも、えっ? さすがに、天敵シェリリア殿下の実弟との婚約は望まないよね? そもそも、ファビウス先輩って東国の王籍からは抜けてるから、王太女殿下の婚約者としては、ちょっとアレだし。
ほかに適齢期の女性王族っていたっけ? 庶民が知ってる範囲には、存在しないんだけども。
「チェリア嬢との婚約だよ」
「それはつまり……ファビウス様と?」
「うん。僕とチェリア嬢」
……。
えええええーっ!




