Prologue
新しいお話、始めます。
お付き合いくださいませ〜。(石楠花紫苑)
思えば〈あの日〉からどれくらい経ったのだろうか。
大切だと思うモノを失わないために。
壊そうとする者、奪おうとする者から守るということがどれだけ難しいことか。
傷ついても傷つけられても、決して自分の意思で手放すという選択肢は存在しない。
失いたくない。
─────だから、全部拾いたい。
そう思っても出来ることなんてないに等しい。
それでも、そうするしかなかった。
いつまでもそんなことをしていたら、自分の方が潰れてしまうよと言ってくれる人もいたが、どうしてもできない。
手からスルリと零れ落ちるように、あっという間に消えていった。
あまりにもたくさん見てきてしまった。
〈敵〉というものがよくわからない。
命を脅かすものという括りはわかりやすい。
騙そうして財を奪おうとするモノも基本的に同じだ。
自分にとって〈敵〉というモノが複雑すぎてよくわからない。
今日の敵が明日には味方になっていたりする。
今日の味方が明日には〈敵〉になったりすることもある。
激しくぶつかった〈敵〉がやがて味方になり、かけがえのない存在になることだってある。
何のために、ココにいるのかがわからなくなることがある。
ココにやってきたのは、戦うためではなかった。
自分を取り戻すためだった。
手からこぼれ落ちた大切なモノを取り戻すための力を得るためだった。
なぜ戦っているのか。
もうだいぶ前から〈闘争〉の真っ只中にいるのだ。
最終的な目的からは遠ざかってしまっているかもしれない。
こんなことをしてていいのか、と迷う。
エリアード魔法魔術学院─────。
ココにやってきて、12年が過ぎた。
少年は─────青年になり、─────大人になった。
卵から孵った雛は漸く一人で飛び立てるくらいには育った。
もう、ここから飛び立てばいいじゃないか、という声が聞こえる。
翼を広げて、飛び立とうとしても、それができない。
足元にあるたくさんの大切なモノが目に入る。
どうすればいいのか答えが見つからず、古巣に戻ってきてしまう。
遠くにある奪い返したいモノよりも─────。
〈闘争〉からは逃れることはできない。見逃してくれない。
ちょっとでも気を抜けば、すぐにでも窮地に陥って、自らを危険に晒すことになる。
「謀略8割実戦2割」と呼ばれる〈嘘吐き〉どもの戦い。
─────それが〈魔法師〉の世界というものだ。
それでもココを巣立たなければならない日は迫っている。
それは自分で決めた。
ココにいる選択もなくはないが、それは本来の目的から遠ざかる。
次から次へと〈厄介事〉が持ち込まれる。
それがこのところ加速していて、ほんのちょっとの一息すらつかせてもらえない。
逃げ出すかのように屋上に出る。
長年住み慣れた学生寮【ヴォルタクス・トーラス寮】の屋上には、お気に入りの場所がある。
先客はいなかった。
人がいないことを確認して安堵のため息をつく。
徐に仰向けになって寝転ぶ。
手をじっと見つめる。
この手とともに一緒に生きてきた。
〈あの日〉に見た手より、ずいぶんと大きくなった。
─────蒼い空。
眩しく透き通っている。
穏やかな風がそよいでいる。
〈日課〉としていたはずのルーティーンをすっかりとサボっていたことを思い出す。
そこまで、余裕がなくなっていたか、と我ながら呆れる。
食後の腹ごなしにはちょうど良い。
たっぷりと時間をかけて〈魔力錬成〉の型をこなす。
───── 久しぶりに気持ちの良い汗を流す。
型稽古を終えると、大の字になって寝そべり、蒼い空を見つめた。
─────この色が好きだ。どうしても感傷的になってしまう。自然と涙が零れていく。
風は涙を流す者を優しく慰めるかのように肌を撫でた。
─────自然と瞼も落ちてきた。
特にこの季節は寝入っても心配がいらない。
この空の色と優しい風が癒してくれる。
眠りに落ちそうになる彼を揺り動かすかのように。
─────。
──────────。
───────────────。
風は危険を知らせる淡い香りを彼の鼻に届けた。
ピクリと鼻が動いた。
これは〈魔力残香〉と呼ばれるモノだ。
魔法が発動された後に発生する粒子が持つ特有の匂い。
気怠けに体を起こして、周囲を見渡すが何も起きてはいない。
(匂いの向きは3時の方向?………いや2時だな)
彼は複雑な手の動きだけで〈魔法〉を発動する。
次々と目の前には魔方陣がポップアップする。
魔方陣はそれぞれウインドウになっていき、魔法術式感知、魔力感知、周辺数百メートル圏内の敵性存在を索敵するレーダー、繋がっている仲間たちの所在を示すマップが現れる。
さまざまな情報を読み取っていくが、この寮近辺では何も起きていない。
不意に左の肩口から小さな魔方陣が飛び出してくるのが視界に飛び込んでくる。
くるくると回りながら赤く明滅している。同時に耳障りな呼び出し音が響く。
最優先の緊急通信だ。しかもこの形式は割り込みを認めない秘匿通信。
もう誰かはわかってしまった。
拒否することもできるが、出るまで呼び出しをかけてくる御仁だ。
くだらない内容ならすぐに叩き切ってやると意気込んでから、全てのウインドウを一振りで消して通信に応じることにする。
(………いま、どこにいる?)
通信の相手は思った通りの相手だった。
教授だ。恩師であるが、人使いの荒い上司でもある。
「トーラスの屋上ですよ」
(感知したか………?)
「何をです?………いまさっき、仄かですがあまり嗅いだことのない珍しいタイプの〈残香〉がしたので調べてみたんですが、ここ周辺では異常はないですね」
教授は笑いを堪えているのがわかり、少しむかつく。
(やはり君の〈鼻〉は優秀だな。それともよっぽど強い、ということになるかな。西地区と南地区の境界あたりの丘があるだろう?………ガキどもがやらかしたらしい。いや、やらかし真っ最中だ。報告によると魔法生物が三体、制御を失って暴れている。警備本部から協力要請が入った)
「………なんでオレなんですか?他に手駒はあるでしょうに」
(君しかいないし、君しかできない)
「まあ、そう言うと思ってましたよ。………ナニが暴れてるかぐらいのネタはないんですか?」
(─────ドラゴン。東洋系白いのらしい。それに蜥蜴。サラマンダー。最後は正体不明の合成獣。恐らくガキども同士の諍いだろう。後始末の説教要員はこちらから手配しておく。教員も警備隊も向かっているはずだ。─────事態を収束させたまえ。まあ、まるっと君に任せるよ。ドンパチになるだろうから、君を推しておいたんだ)
「これから一眠りっていうところだったんで」
(昼下がりにお昼寝か。いいご身分だね)
「そもそも、俺、今日休みですよ。お・や・す・み)
(ん?………なにかいったかな?………食べてすぐに寝たら、太るぞ。………食後の軽い運動にどうかね?)
「いやいや腹ごなしのかるーい運動は終わってますけど?………あーあーあー、わかりましたわかりました。了解です!………とっととやっつけておきます、じゃッ!」
通信を強制的遮断した………つもりだったが切れなかった。
教授の不機嫌そうな声が耳朶を打つ。
(切ろうとしただろ?………お前。─────この通信はお前からは切れないようにしてあるんだ。せっかくのお昼寝タイムを奪ってしまったことは謝ってあげよう。まあ夜、ゆっくり休めばいいじゃないか。人間夜は寝るものだ、少年!………あ、そうか。このところ夜は忙しいか。みーんな君に相手してもらいたいから、寝かせてもらえないのかー。かわいそうになー)
「教授………、そんなこと微塵も思ってないですよね。まず真夜中に叩き起こして、論文レビューしろとか、魔法式の再構築とか、チェスの相手をしろとか、飲み相手になれとか、そーいうのやめろ。っていうか少しは憚れ」
(………つまんないことをいうね、君。私と君の仲じゃないか。なかなかに濃ゆーい関係だと思うのだがね。………そこまで言うならはっきりいってあげようじゃないか。君がつまんないからだ。そっけないからだ。研究につきあってくれないじゃないか、ぜんぜん遊んでくれないじゃないか?何度、何度、君の危機を救ってあげたんだっけね?学院に残って私の助手をしてくれるんじゃなかったのかい?)
「………そんな約束をした覚えはない!」
………ん?………んー?そうだったかな。まあ、ささやかな軽口じゃないか。軽口ついでにいっておくが、今回の件、君の可愛い可愛い妹が見事に巻き込まれているみたいだぞ)
思わずピリっとする。
「おい!………なぜそれを先に言わない!」
(おーおー、コワイコワイ)
「まったく………」
(それはね!面白いに尽きるからだよ!………麗しの妹君が絡むと人格が変わるのがね、その反応はいつもみても面白い。まあ、そんな妹を溺愛しているお兄様が学院を巣立っていくとどうなるんだろうね。………ん?ん?んー?まあ、きっと男子たちは拍手喝采大喜びだろう。………君からすれば食後の軽い運動なのは間違いない。他の兵隊を動かすつもりはないから。好きにやってくれ。ま、いつもの通りよろしく頼む。
報告書はいつもどおり作戦終了後2時間以内にで出しておいてくれ、じゃ頼んだよ)
教授は自分がいいたいことを言うだけ言ってブツリと通信を遮断する。
全くもって困った人である。どうせこちらから繋ぎ直しても無視されるだけだ。
まったく魔法生物なんてめんどくさいもんに手を出しやがって。
費用対効果を考えてみても割に合わない。
維持費がかかる上に、ソレが悪さをした時の責任は所有者が負う決まりだ。
現実世界でドラゴンブレス一発かましたために破産したヤツだっている。
役に立つように育つまでどれだけかかると思ってんだ。クソガキどもめ。
とはいえ、自分も中等課程時代にはいろいろやらかしている身としてはあまり強いことも言えないのだが。
突如、視界の中に超高速で移動する人影が見えた。
風属性の魔法を使ってこちらに近寄ってくる。
黒の装束に銀糸で優美な意匠が施された魔法師装を纏っている。
近くまで来るとゆっくりとした足取りになった。
よく知る彼女だ。
「もお!すぐにフラッと消えちゃうんだから、油断も隙もないわ。【思念通信】《リンクス》入れても出てくんないし」
地味にお怒りである。
「─────悪い悪い。秘匿優先をぶち込んできたヤツがいる」
「それって教授でしょ?」
「そっちにも連絡がいったの?」
「来たわよ………あなたを見つけて仕事させろって」
「始末つけろって言ってきた。………食後の軽い運動だってさ」
「………あら、脅威判定5000超だって言ってたわよ」
数値を聞いて固まった。
それなりの手練れが数人は必要とする脅威判定だ。
「アレ、そんなことはカケラもいってなかったぞ」
脳裏にしてやったり、という顔をする教授の顔が浮かぶ。
「ほんと、ブレないわよねー。あの人。あなたをイジるためには手段を選ばない」
ふたりして、ため息をつく。
彼女は「はい、コレ」といって装備を手渡してくる。
「ソレ重いし、いらないんだけどな」
「ダメよ。なにがあるかわかんないでしょ?」
「っていうか、なんでソレ着てんの?」
「教授が着てけっていうんだもんっ!─────ガキどもに見せてやれって」
「次期〈十字委員会〉のリクルートでもしようってハラか?」
受け取った装備を操作すると、一瞬にして彼女と同じ黒い装束を纏う。
「白昼堂々コレを着るって滅多にないんじゃない?………思い出作りにはもってこいね」
仲間たちの状態を把握するために魔法を起動し、学院警備本部のネットワークにもアクセスする。
これで、ある程度の状況は掴めるはずだ。
先行しているのが誰だか丸わかりになる。
案の定、もう既に「交戦中」のサインを出していた。
数名のメンバーはなんらかの事情があるのだろう〈出動不可〉や〈遮断中〉を出している。
すでに動いているのが1人─────。妹である。
巻き込まれているんじゃない。積極的に巻き込まれに行っている。
動けるメンツはここに2人。あと別に動けるのは6人。
「誰かさんによく似てすぐに動いちゃうんだから」
「まあ、同じ属性だからな。また大怪我しなきゃいいんだが」
「怪我が絶えないところはあなたにそっくりね」
「女の子だからね………そんなところは似ないで欲しいんだけどな」
苦虫を噛み潰した様な顔をしているのだろう、その自覚はある。
彼女は見上げるように顔を覗き込んでいた。
「─────そろそろ行きますか」
「そうね」と彼女は言った後、
「─────参りましょう。お兄様」と妹の真似をする。
突っ込む気にもならない。
「今日はみんなやけに絡んでくるね」
「─────意識しちゃっているの仕方ないでしょ。いなくなるってわかってんだからさ。アタシなんかいつの頃からか、いっつも後回しになってる気がするんですけどお?まあどうせ私たちは一緒くただし。その辺り教授とかとおんなじくくりになってるんでしょうから。教諭の気持ちもよくわかるわ。教授だってあなたといろいろしたいことがあるのよ。きっと。おおかた教授は妹ちゃんをダシにして絡んだんでしょ?アタシたちもいろいろいたずらしたくなるから、も少し気を遣ってもらえると嬉しいわ」
彼女の言う通りなのだ。
文句のひとつも言いたくなるのもよくわかるが、どうにもままならない。
「ごめん。………ごめん、としか言いようがない」
「─────もうすぐなんだからさ」
「わかってる」
彼女を直視することができなくなって、背中を向けるしかない。
楽しい仲間たちと過ごすのも本当にあと僅かなのだ。
その時が迫っている。もうそこまでやってきている。
仲間といってもこの学院の中にいるときだけの話。そして離れ離れになっていく。
寂しくないわけがない。
自分たちにはどうにもできない呪縛。
〈魔法師〉たちは生まれた国に縛られている。
〈魔法師〉という存在は各国にとって貴重な人的資産なのだ。
そもそも魔法を使えるということが「希少種」である。
魔法はさまざまな技術と結びついて、それぞれの分野を発展向上させてきた。
基礎研究、医療分野、宇宙開発分野、エネルギー分野、そして治安維持………軍事。
次世代の〈魔法師〉を育成することも忘れてはいけない。
国際機関に、各国の国家機関、魔法を利用したさまざまな産業界を構成する企業。
独特の教義、理念や信念で結束する宗教を背景として存在する〈魔法結社〉もある。
国によっては魔法師学校を卒業後に必ず従軍しなくてはならないなど、魔法師を縛りあげる特別な義務を課している国も少なくない。
魔法が世に現れて100年ちょっと─────、まだ世界は混沌としている。
………。
─────。
沈黙の時。
また………、またやっちゃった、と少し後悔する。
─────悲しげな背中。
彼の後ろ姿を見ていると自然に涙が零れる。
彼が謝ることではない。
むしろ決められなくてウジウジしているのは私の方なのだから。
彼はゆっくりと歩き出していた。
─────ああ、この背中だ。私はこの背中について行ったのだろう。
ゆっくりと歩いていく彼の背中を見ながら思う。
これから先にある彼の〈闘争〉に私の場所はない。………いや、それは違う。
それを拒絶したのは私自身だ。
─────ついてこい。
そう言ってくれれば、よかったのに。
それを、彼は決して口にすることがないってわかってる。
決意の理由も。彼が抱いていることも。彼が臨むことも。─────知りながら。
どうしたらいいか、まだ結論を出せずにいる。
この人は自分が傷つくことよりも他人が傷つくことを恐れるのだから。
身も心も魂までも傷つけてきたというのに。
─────これからあなたは一人で戦うことになるのよ?
なんでこんな言い方しかできなかったんだろう。
命が惜しくてこんなことを言ったんじゃない。拒まれるのが怖くて言えなかった。
どうなってしまうのかわからなくて怖くて。
連れてってと言えなかっただけ。込み上げて来たものを抑えられず、思わず天を仰ぐ。
「お父様、あたしは─────」と口をついて出る。
彼は少し離れたところで魔方陣を展開していた。
翠色に発光して回り出す円環。
(………どうした?………早く来ないと発動しちまうぞ)
彼の声が耳許で聞こえてきた。
いつのまにか【思念通信】《リンクス》がつながっていた。
跳ぶように走り出して、風で涙を振り切る。
つぶやきが聞こえてしまったか、泣いていたことが知られてしまったか、そんなを心配を振り切りようにして飛び込むように抱きつく。
バランスを崩しそうになりながら、しっかりと受け止めてくれる。
「なあ………、お前はオレを抜き身で行かせるつもりなのか?」
「え………?」
「………鞘がないとな。お前は俺の鞘じゃなかったのか?
「な、な、なによっ!………なんでそんな言い方しかできないのよッ。あんたは!」
「………ついてこいって言ってんだ」
「それっていま現在の話?それとも………」
「ん?─────そんなことは自分で考えてくれ」
「あー………。はいはい。ついていけばいいんでしょ?いいわよ。どこへでもついていってあげるわよ。
………でも、私だけどっかに吹っ飛ばされるのゴメンだからね」
「だったら、ちゃんと捕まってろ」
ふたりはそんなやりとりをしながら─────。屋上から二人の気配がなくなる。
翠色の円環は【転移】の魔法。
彼の長い長い旅の始まりは─────その円環から始まった。




