第6話 目覚め
気が付くと、リオティスの意識は現実世界へと引き戻されていた。
先ほどの楽園を思わせるような花畑が嘘だったかのように、目の前には絶望が広がっている。
魔獣の肉片。リラの死体。そして、自分に迫ってきている黒い剛腕。
全てが現実で、やはりリオティスの死は確定していた。そう、先程までは――。
「グアァ!」
魔獣の叫び。
だが、それは雄叫びではなく、自身の危険を察知した恐怖の混ざった叫びだった。
魔獣は振り下ろした腕を寸前のところで止め、リオティスから距離を置くようにして後方へと飛び退く。
それは魔獣の本能。
ほんの少し前まで弱者であり、喰われる立場にあった目の前の獲物から変化を見て取ったのだ。
警戒するようにリオティスを見る魔獣。
その間にも、リオティスの体には異変が起こっていた。
「これは⋯⋯」
リオティスの視界に映った小さな何か。
初めは目にゴミでも入ったかのようにしか感じなかったが、それは段々と数を増し始める。
「パズルのピース⋯⋯?」
空中に浮かぶように存在するそれは、紛れもなくリオティスが好んで遊んでいたパズルのピースと同じ形、同じ大きさのもの。ひとつ違うとすれば、色が真っ黒に塗りつぶされていることだ。
黒いピースはどんどんと数を増やしており、その出所はリオティスの手元。つまりは抱きかかえているリラからだった。
冷たくなったリラの体がパキパキという音を立てて、ピースとなって剥がれているのだ。
まるで人間ひとりを立体型パズルで創り出したかのように、細かく肉体を構築する小さなピースのひとつひとつは、再び独立したただの破片に戻るようにして剥がれて飛んでいく。
空中へと次々に浮かんでいくピースは肌の色から徐々に黒く染まり、何かを待つようにして留まり続けていたが、必然的に段々とリラの体が分解されて消えていた。
だが、リオティスに焦りは無い。
何故ならこの能力は、リラから受け継いだ暖かい想いそのものだったからだ。
そうして、ついにリラの体を全て分解し終えて生まれた大量のピースは、次にリオティスの手のひらの中へと一気に吸い込まれていく。
右の手のひら。
そこにはいつの間にか黒い丸の模様が浮かび上がっており、ピースはその穴のような模様を通してリオティスの中へと入っていった。
今までに感じたことのない、体に何かが入っていく感覚。同時に、リオティスの心の中は様々な感情で埋め尽くされていた。
リラの想い。そして記憶。
それらがピースとなって自分の体に受け継がれていく。
ピースを取り込む最中、リオティスの変化は心のみならず見た目にも表れていた。
元々白髪であったリオティスの髪の毛が、根元から徐々に美しい青色へと染まっていく。
瞳の色も青色に変色し、中性的な顔立ちからは男らしくも可憐な雰囲気が醸し出されていた。
(まるで生まれ変わったみたいだ。世界が違った風に見える。違う考えが浮かぶ。これが〝記憶者〟になるということなのか)
自身の変化を受け入れたリオティスは一度大きく息を吐き出すと、目の前で警戒している魔獣に向かって右手を広げた。
「まずはお前からだ。来いよ魔獣」
リオティスがそう言うと、魔獣は言葉を理解しているわけではないが、敵意を感じ取ったのだろう。勢いよく獲物に向かって走り始めた。
だが、その動きは今のリオティスにとっては遅い。既に彼は攻撃の準備に移っていた。
「生まれろ、剣よ」
その声と共に、右手から黒いピースが放出されたかと思うと、空中に浮かぶピースはとてつもない速度で組み合わさり、瞬く間に黒色の剣となった。
さらに一本だけではない。
この一瞬ともとれる時間の中で、リオティスの周りには五本の剣が浮かんでいた。
創造と分解。
それがリオティスに授けられた能力だったのだ。
黒いピースを具現化させ、そのピースがリオティスの望む物質を創り出す。誰からも説明をされたわけでもないその能力を、何故だかリオティスは理解していた。
(まるで昔から知っていたかのようだ。俺の手足のように動かせる。これが俺の⋯⋯いや、俺たちの力)
リオティスに向かってくる魔獣。
その魔獣に向かって、リオティスは創造した五本の剣を勢いよく放った。
グサリと魔獣の体に突き刺さる剣。
目や腕や肩など、深々と突き刺さった剣の痛みに魔獣は走ることを止めて、苦しそうに地面を転げまわった。
「グオオオォッ!!」
「痛いか? だが、リラの痛みはこんなものじゃない」
リオティスはそう言うと、足元に落ちていた短剣に向かって手を伸ばした。
それは能力で創造した物ではなく、リラが持っていたあの短剣だ。
本来ならば迷宮内で一度あったように、触れただけでリオティスに電流のような激しい痛みが襲い掛かってくるはずだった。
だが、リオティスは確信していた。
リラにしか触れることの許されていないはずの特殊な短剣を、今の自分になら使いこなすことができると。
短剣に触れる瞬間、自身の手とリラの手が重なって見えた。それは、まるでリラが一緒に戦ってくれているようで――。
リオティスは力強く短剣を握りしめた。
やはり、あの時のような痛みは襲ってこない。それどころか、吸い付くようにして手から離れないようにすら思えた。持ち方も、戦い方も、短剣を振る速度や角度までも、今のリオティスにはわかるのだ。
「行くぞ、リラ」
短剣を握りしめたリオティスは深手を負った魔獣めがけて走り出す。その速度はまるで自分の体ではないほどに速く、そして軽かった。
魔獣がリオティスに気が付く。
いや、正確には気が付いただけだった。
攻撃や防御。
そんな何かしらの行動に魔獣が移る前に、既にリオティスは魔獣の首を斬り落としていた。
大木のように太い魔獣の首を、まるで雲を斬り裂くが如くすんなりと切断。おそらく魔獣も自身が斬られたことにすら気が付いてはいなかっただろう。それほどまでに今のリオティスと魔獣とには力の差があった。
ズシン、と魔獣の倒れた音が響く。
それが戦いの終わりを告げる合図となった。
短剣に付いた血を振り払い、魔獣に刺さっていた剣を再びピースへと分解させる。
(これが力。あの魔獣をいとも簡単に殺せた。けどまだだ。俺にはまだやらなくちゃいけないことがある)
リオティスの脳裏に浮かぶのはライラックとダニアスの顔。あの二人だけはこのままにしておくことはできない。
(特にライラック。あのゴミ野郎には言いたいことがある。リラが隠していたあのことを)
と、ここでリオティスはとある物を見つけた。
それはリラが居たであろう場所に落ちていた一枚の紙。その紙を拾い上げると、そこにはリラとリオティスの二人が映っていた。
「これは⋯⋯あの時の写真」
三年前。
ゼアノスが死ぬ前に二人で撮った、最初で最後の写真。
ぶっきらぼうな顔をしたリオティスと、満面の笑みを咲かせるリラ。そのどちらもがピースサインをしていた。
「⋯⋯今までありがとう。リラ」
微笑ましい二人の写真を、リオティスは右手で握って胸に置く。
様々な思い出が再び脳内を駆け巡り、本当に幸せだったとリオティスは思った。
写真はリラと同様にピースとなって剥がれ、リオティスの体の一部となっていく。
右手を通して全身を巡る温かな想いを懐かしく感じながらも、最後に脳裏に浮かぶのはやはり写真に写ったピースサインをする二人の表情だった。
「これが俺の記憶でもあり、リラの記憶。そして二人の力だ。だからいいよな、この写真から名前をとっても」
誰もいないはずの空間でリオティスがそう言うと、どこかで聞き覚えのある笑い声が聞こえた気がした。
「〈ダブルピース〉。これが俺たちの能力だ」
魔獣が居なくなった〝ネスト〟の中。
役目を終えた空間が崩れ始めるが、リオティスはただ光を求めて天井を見つめていた。