第3話 リオティス③
暫く歩いたところで、リオティスとリラは迷宮の奥でライラック達と合流を果たした。
ライラックは先ほどまでよりは幾分か冷静さを取り戻していたようだが、それでもリオティスに対しての視線は冷たい。ダニアスも同様だ。
だが、やはりと言うべきか、リラがリオティスのすぐ横で歩いているため手を出すことができずにいた。
リオティスは自分を守ってくれているリラの方を見る。
動きやすいようにと、肩に届かないほど短くまとめた青い髪。二年前まではもっと長く、服装や化粧もお洒落に着飾っていた。それが、今では戦闘を前提としての装備や容姿。確かに彼女は以前よりも強くなったが、それは本当に良いことだったのだろうか。
時が流れ、変わっていく皆を前にして、リオティスは自分が取り残されている感覚に襲われた。
(リラはきっと強くなんてなりたくなかった。それなのにそんな彼女に守られてばかりで、俺は何もすることができないのか?)
自分にもリラと同じような力があれば。
一体何度そう思ったことか。
だが、世界に選ばれたのはリラだった。彼女は力を手にし、そして変わった。前へと進んだ。その後ろ姿を、リオティスはただ眺めることしかできなかった。
弱いままの自分と、強く成長したリラ。
意味もなく見比べるリオティスの視線に気が付いたのか、リラが不思議そうに首を傾げた。
「どうかしたの?」
「いや、別に」
「ははーん、さては可愛い私に見惚れてたでしょ?」
「全然。ただ凄ェ長い鼻毛が出てるなと思って」
「えっ、嘘!?」
「嘘だよ」
「もぉ! 乙女に何て嘘を吐くの!」
「ははは」
「はははじゃない!」
ポカポカと、リラが頭を叩いてくる。
それを無視しながらリオティスが歩いていると、先行していたライラックの足が止まった。
「ようやく着いたな」
そう言った彼の視線の先には、大きな穴が広がっていた。
地面に空くその穴の直径は十メートル程で、下を覗いても底は見えず、暗闇が延々と続いている。
この洞窟内でも一際異様なその穴は、全てを飲み込むために口を大きく開いて獲物を待っているかのようだった。
「この〝ネスト〟を調査するのが今回の任務なんだよね? 確か組織からの直接の依頼って言ってたけど」
リラも穴を前にして最後の確認をライラックにする。ただし、それは不安からきたものではなく、とある疑問を抱いたからであった。
この大きな穴は〝ネスト〟と呼ばれるもので、迷宮内に不規則的に現れる未だ謎の多い存在だ。わかっていることといえば、穴の中にはとある生物が生息しているということ。そして、その生物の個体差や数が〝ネスト〟の大きさによって変わるということぐらいだ。
その点を踏まえても、今回の〝ネスト〟の大きさは中の下。調査をするだけならば、今いるメンバーで苦戦を強いられることはそうないだろう。
だからこそ、リラには疑問があった。
(この程度の規模でわざわざ組織が直接私たちに依頼するとは思えない。そもそも、私たちのギルドは昔と違って落ちぶれつつある。そんな信頼も薄いギルドに依頼するのは妙だよね⋯⋯)
リラの頭に不安が過ぎる。
僅かに表情が緊張で強張るが、ライラックに気付いた様子はなかった。
「あぁ、それがどうかしたのかよ」
「⋯⋯本当に?」
疑うようなリラの言葉に、ようやくライラックは彼女の言いたいことがわかったらしい。
少しだけ面倒くさそうに溜息をつくと、ライラックは隣に立っていたダニアスに耳打ちをする。
明らかに不穏な空気。
それを察したリオティスだったが、彼が動くよりも先にダニアスによって腕を掴まれてしまう。
「じゃあな、クソ野郎」
ダニアスはそう言うと、リオティスの体を思いっきり投げ飛ばした。
「リオティス!!」
咄嗟のことに反応が遅れたリラだったが、この迷宮探索が全てライラック達の罠であることを瞬時に理解し、リオティスを助けるために走り出そうとする。
だが、そんな彼女を止めるようにしてダニアスが立ちふさがった。
「悪いがこっから先は行かせねェぜ」
「どいてよ! 君たちリオティスに何をするつもりなの!」
それにライラックが答える。
「消すんだよ。文字通りこの世からな」
「なっ、ふざけてるの!?」
「真面目に決まってるだろ。それにしてもお前も勘がいいよな。本当はもう少し手際良く殺すつもりだったんだが、気づかれたなら強行突破だ」
ライラックは足元に転がっているリオティスを見下ろすと、顎を足で蹴り上げた。
「ぐはっ!」
背後に吹き飛ぶ体。
その先には底も見えない地獄への入り口が待っている。
痛みや恐怖を感じる暇もなく、リオティスは必至に手を伸ばした。
何とか地面を掴んだが体は穴の中。片手でぶら下がるのが精一杯という状況だ。
「粘るなよ、屑が」
必死に生へとしがみ付くリオティスを見下ろしながら、ライラックはその指に向かって足を振り下ろす。
「がぁっ!!」
指を踏まれ、激痛がリオティスを襲った。
「痛いか? だが安心しろよ。どうせもう死ぬんだからな」
「ぐっ、どうしてこんなことを!」
リオティスにしてみれば当然の疑問。
どれだけ自分が無能で役立たずだとはいえ、こうまでして殺そうとする意味がわからなかった。
「殺したいから殺す。それ以外に理由があんのかよ?」
さも当然のように言い放ったライラックを見て、リオティスは彼を止める術が無いことを悟ってしまう。
「わかったらさっさと死ね。無能!」
ライラックが足に力を籠めると、リオティスの指は悲鳴を上げ、ついには堪らずに手を放してしまった。
宙に投げ捨てられた体。
重力に逆らうことができずに段々と暗闇へと落ちていく。
「ざまあみろ!!」
高らかなライラックの笑い声が響いた。その時、
「リオティス!」
自分を呼ぶ確かな声。
その声がライラックの笑い声をかき消したかと思うと、リオティスの手をリラが掴んだ。
穴に身を乗り出して、それでも懸命に手を握るリラの表情は真剣そのものだった。
「大丈夫だよ、リオティス。今助けるから」
そう言ってリラは笑った。
額に浮かぶ玉のような汗。震える体。誰がどう見ても今の彼女に余裕はない。そのはずなのに、リオティスを心配させないように己の内に潜む恐怖と戦っていた。
「手を放せリラ! お前まで一緒に落ちるつもりか!?」
「放せるわけないよ! それに大丈夫だって言ったでしょ? 私に任せて」
グッとリラの手に力が入る。
小さな手。年相応な少女の手。
その手で自分よりも重い人間を掴んで引き上げるなど、到底無理な話だった。
それでもリラは諦めない。
リオティスを助けようと、懸命に手に力を籠めていく。
「⋯⋯ダニアスは足止めにもならねェな。あの木偶の坊が」
リラの背後からそんな声が聞こえてきた。
「で、お前も何してんだ? そんな雑魚を助けて何になる?」
「リオティスは私の大事な仲間! それ以外に理由はいらないでしょ!?」
「はっ、仲間ねぇ」
ライラックの低く冷たい声。
それを背中に受けながらも、リラは振り向く余裕もなく、ただ一生懸命にリオティスを引き上げようとしている。
だから気が付かなった。
自身の背後でライラックが何をしようとしているのかに。
「リラ、危ない!!」
気が付いたリオティスは、声を荒げて危険をリラに伝えるが、既にライラックは彼女の背中を無慈悲にも蹴り飛ばしていた。
「お前も親父のようにそいつの手を掴むんなら、もういらねェよ」
落ちていくリオティスとリラ。
その最中に二人が見たのは、光を失い殺意に塗れたライラックの顔だった。