↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
始まりのメモライズ  作者: 蓮見たくま
第4章 アルスとロメリア~約束~

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

157/157

第42話 修行②


「もぉダメニャア。ニャルンちゃんは寝るニャ!」


 悲鳴にも似た声が、白い訓練室に響き渡った。


 直後、猫獣人のニャルンは両手を投げ出し、背中から床へと倒れ込んだ。どさりと鈍い音が響く。額から頬へと汗が伝い、荒い呼吸が小刻みに繰り返される。


 天井を見上げたまま、ぴくりとも動かない。


 もはや指一本動かす気力すら残っていないようだった。


「丁度交代の時間だな。よし、次はフィトの番だ」


 リリィは倒れたニャルンを一瞥すると、さして気に留める様子もなく、訓練室の隅へと視線を移す。


 そこではフィトが、黙々と自主鍛錬を続けていた。


「待たせたなフィト。さっさと始めるぞ」

「ボクは嬉しいのですが⋯⋯ッ」


 フィトは逆立ちの姿勢から、さらに腕を曲げた。


 両腕に体重を預け、床すれすれまで身体を沈める。そこから一気に力を解放すると、腕の力だけで宙へと跳び上がった。


 空中で身体をひねり、重心を巧みに操る。


 くるりと回転した身体は、ほとんど音を立てることなく両足で床を捉えた。


「リリィさんは休憩いいんですか? ずっと動きっぱなしじゃないですか」

「構わん。こうでなくては腕がなまる」


 リリィは額に滲んだ汗を腕で拭った。


 呼吸に乱れはない。身体にも目立った疲労の色は見受けられなかった。せいぜい軽く身体を動かした後といった程度だろう。


 だが、実際には二時間近くも訓練を続けている。


 相手にしていたのは、ただの一般人ではない。記憶者(メモライズ)であるニャルンだ。


 持ち前の敏捷性を生かし、目にも留まらぬ速度で動き回る彼女を相手に、リリィは一歩も引くことなく付き合っていた。


 それだけの運動量をこなしながら、この余裕。


 底知れない体力だった。


「流石ですね。ボクも体力には自信があるのですが、リリィさんには敵いそうにないです」

「この程度でバテているこいつが悪い。鍛錬不足だな」

「ニャァ⋯⋯」


 床に転がったニャルンが、恨めしそうに小さく呻いた。


 だが、リリィは聞こえていないとばかりにフィトへ向き直る。


 フィトにも特に気にした様子はなく、彼女の正面に立った。


「実戦形式でいいんですよね?」

「ああ。貴様ら二人にはその方がわかりやすいだろう。特にフィト。貴様にはな」


 リリィは肩を回し、軽く腕を伸ばした。


「貴様は魔力での近接戦闘が得意なようだが、まだ足りない。魔力の量。技術。そして、遠距離に対しての弱さ。まずはそれらを徹底的に鍛える」


 指摘を受けたフィトは、自分の両手を見下ろした。


 魔力の扱いには自信がある。量も、制御の技術も、これまでの鍛錬で磨き上げてきたつもりだった。


 だが、それだけでは足りない。


 記憶者(メモライズ)と渡り合うには、まだ何かが欠けている。実戦を重ねるたびに、その事実を痛感させられていた。


「リリィさん。ボクは魔力で身を纏うとき、どうしても全力を出せないんです」

「肉体が魔力に耐えることができないから、だな」

「ハイ」


 フィトは両手を強く握り込んだ。


 彼女は戦闘時、常に魔力を最大出力で纏っているわけではない。


 魔力を温存する必要もあるが、それ以上に深刻なのは肉体への負担だった。


 仮に百パーセントの魔力を纏うことができれば、攻撃の威力は飛躍的に向上するだろう。今まで届かなかった領域にすら手が届くかもしれない。


 だが、その代償は大きい。


 身体が出力に耐えきれず、内側から損傷してしまうのだ。


 現在のフィトが安定して扱えるのは、せいぜい九割程度。それでも長時間維持すれば、戦闘後に身体を動かすことさえ困難になる。


 力を引き出すほど、自分自身が壊れていく。


 それでは意味がなかった。


「ボクはどうすれば強くなれるのでしょうか」

「簡単だ。魔力の密度を上げればいい」


 リリィは自分の手首を握り、確かめるように指を動かした。


「私も魔力には詳しくないが、方法は知っている。貴様は魔力で肉体だけを覆っている状態だ。それでは内側が衝撃に耐えられない。ならば、芯の芯まで魔力で覆えばいい。肉体の内へ、骨へ、そして細胞のひとつひとつにまで。全てを魔力で守れ。密度を高めろ。そうすれば全力の魔力攻撃にも肉体が耐えられるはずだ」


 フィトの目が大きく見開かれた。


 魔力を身体の外側に纏わせる。それが彼女のこれまでの常識だった。


 肉体を守るために、さらに内側へ魔力を浸透させる。

 そんな発想はなかった。


「そんなことが可能なのですか!?」

「そのはずだ。私には理解ができない話だがな。これは、貴様の兄が考案したものだ」

「兄さんが⋯⋯?」


 その名前を聞いた途端、フィトの表情が変わった。


 胸の奥を、鋭い何かで抉られたような感覚が走る。


 懐かしさよりも先に、あの日の光景が蘇った。


 血の気が引くような恐怖。どうしようもない無力感。そして、すべてを奪った男への憎悪。


 押し込めていた感情が、堰を切ったように溢れ出す。


「⋯⋯教えてください兄さんのことを。そして、あの男の事を」


 フィトは顔を上げた。


 その瞳には、隠しようのない怒りが宿っている。


「兄さんを殺した男⋯⋯〈月華の兎(ルナミラージ)〉の元副団長、ローレルのことを」


 突き刺すような視線を、リリィは正面から受け止めた。


 しばらく沈黙が流れる。


 やがて、リリィはわずかに目を細めた。そこには、普段の厳格な表情とは異なる、悲しみに似た色が浮かんでいた。


「⋯⋯やはりそうなるか。フィト。貴様の目的は兄を殺した男への復讐なのだろう?」

「そうです。そのために、ボクはここまで強くなったんです」

「バカルカンが心配していたぞ」


 リリィは努めて落ち着いた声で告げた。


 だが、その言葉はフィトの心を鎮めるどころか、逆に火を注ぐ結果となった。


 ぎりり、と奥歯が鳴る。


 フィトは床を強く踏みつけた。


「関係ないことです! 復讐は何も生まない。報われない。誰も望んじゃいない。そんな言葉はもう沢山なんです。これはボクが決めたことです。あの日、目の前で兄さんを殺された時から、この気持ちは変わらない。ボクは、誰に何と言われようと⋯⋯あの男を殺します」

「⋯⋯フィト」


 リリィは言葉を失った。


 彼女には、フィトの気持ちが痛いほど理解できた。


 脳裏に浮かぶのは、かつて共に過ごした仲間の姿。


 いつ会っても、彼は妹の話ばかりしていた。どれほど些細な出来事であっても、嬉しそうに語るその顔を、リリィは今でも覚えている。


 あの頃は、そんな日々がいつまでも続くものだと思っていた。


 だが、もう戻らない。


 どれだけ言葉を重ねたところで、失われた時間も、フィトの心に刻まれた傷も消えることはない。


 復讐をやめろと説いたところで、彼女が抱えるものを理解したことにはならないのだ。


 リリィは小さく息を吐いた。


「⋯⋯いいだろう。私が知っていることを貴様に教える。ただし」


 そこで言葉を切ると、両手を握り、拳をフィトへと向けた。


「貴様が私に一撃でも入れられたらな。その方が訓練に身が入るだろう?」

「⋯⋯二言はないですね」

「ああ」


 フィトの表情が引き締まる。


 彼女は静かに腰を落とし、両手を構えた。


 先ほどまでの穏やかな雰囲気は、もうどこにもない。全身から放たれる圧は、怒りと憎しみを孕んだ、どす黒いものへと変わっていた。


 もはや説得のための言葉は必要ない。


 リリィが知る真実を得るために、フィトが示すべきものは一つ。


 己の力だ。


「やはり、こっちの方がわかりやすいな」


 リリィは真剣な面持ちでフィトを見据えた。


 次の瞬間、鋭く拳を突き出す。


 それが、二人の訓練の始まりだった。


◇◇◇◇◇◇


 別の訓練室にて――。


 先ほどから、威勢のいい声が室内に響き渡っていた。


「うがー! 全然わからん! マナなんてひとつも視えないぞ!」

「集中しろ。さっきから教えているだろ」


 ウィルドは額に手を当て、深いため息を吐いた。


 彼の目の前では、タロットが頭を抱えている。何度も同じ説明を繰り返しているというのに、本人には一向に理解できていないらしい。


 ウィルドは仕方なく空中へ指を向けた。


「あの場所にマナを濃く溜めた。薄っすらとだが視えてくるだろう」

「いや視えん!」

「⋯⋯精霊との意思疎通は?」

「全くできない!」

「ハァ」


 あまりにも堂々とした返答だった。


 悪びれる様子もなく胸を張るタロットを前に、ウィルドは溜息をつくことしかできない。


 同じ魔法師として、彼女を一人前に導くつもりでいた。ところが、蓋を開けてみれば想像以上の難題だった。


 何時間も初歩的な訓練を続けているにもかかわらず、ほとんど進展がない。


 マナを視認することすらままならず、精霊との意思疎通に至っては、未だ入口に立つことさえできていなかった。


 この調子では、せっかくの合同訓練が基礎の確認だけで終わってしまう。


「もういい。今日の残りは座学だな」

「タロットは勉強が苦手だ!」

「だからこうして教えているのに一向にできる気配がないだろ。諦めろ。明日には対策を考えてくる」


 ウィルドの言葉に、タロットは不満そうに頬を膨らませた。


 それでも、さすがにこれ以上続けても成果は望めないと理解したのか、渋々と頷く。


 ちょうどそのとき、二人のもとへ足音が近づいてきた。


「じゃあ休憩にしますか! 私、お茶淹れてきますよ」


 ロメリアだった。


 彼女は二人の様子を見て、朗らかに笑いかける。


「あぁ、悪いが頼めるか?」

「お安い御用です!」


 元気よく返事をすると、ロメリアは軽い足取りで訓練室を出ていった。


 扉が閉まる。


 その背中を見送っていたウィルドは、しばらくしてから小さく愚痴をこぼした。


「あの女のように物覚えがよければな」

「酷いぞ! タロットだって頑張ってる!」


 すぐさま抗議の声が飛んでくる。


 ウィルドは相手にするのも面倒だとばかりに、タロットから距離を取るように歩き出した。


「頑張っているのはわかるが、もう少し静かにしてくれ。考えがまとまらない」

「それは悪かった。元気と明るさと強さが取柄でな!」


 まるで反省していない。


 むしろ誇らしげに笑うタロットに、ウィルドは呆れたような視線を向けた。


 だが、彼女に才能がないわけではない。


 むしろ、その逆だった。


 タロットの魔法には、確かな素質が感じられる。実際、彼女は複雑な理論を知らずとも魔法を扱えていた。


 問題は、その過程を本人が理解していないことだ。


 感覚だけで魔法を使っている。


 それも、あまりに自然に。


 理論を積み上げて魔法を習得してきたウィルドにとって、それは理解しがたい現象だった。何をどう教えればいいのか、手掛かりすら掴めない。


 少し考えた末、ウィルドは話題を変えることにした。


「ロメリアが来るまで少し話すか。お前はいつから魔法が使えたんだ?」

「いつからって、そりゃあ生まれつきだが」


 あまりにも当然のように告げられた言葉。


 ウィルドは再び頭を抱えた。


「⋯⋯嘘だ、といいたいが本当なんだろうな。一体どうなっているんだお前」

「天才だからな!」

「ハァ、それじゃあなんだ。家族全員が優れた魔法師の家系か何かなのか?」


 魔法師の才能は、ある程度遺伝すると考えられている。


 必ずしも親の才能が子に受け継がれるわけではない。魔法の素質には個人差があり、親が優秀だからといって、その子供も同じように優れた魔法師になるとは限らないのだ。


 それでも、魔法師の血を引く者は、そうでない者と比べて魔法の才能を持つ可能性が高い。


 これほどの力を生まれつき備えているのなら、何か特別な家系に生まれたのではないか。


 ウィルドはそう考えた。


 ところが、タロットの反応は予想とは異なるものだった。


 先ほどまでの騒がしさが、嘘のように消えていた。


 いつもなら真っ先に自慢話を始めそうな彼女が、俯き気味に口を閉ざしている。


 その顔には、似つかわしくない暗い影が差していた。


「⋯⋯優れたかどうかは知らないが、才能のある親はいる。とてつもなく大きな才能を持った」


 普段の快活さからは想像もつかないほど、重みのある言葉。


 ウィルドはその変化を見逃さなかった。


 どうやら、触れてはいけない事情があるらしい。


 これ以上尋ねるべきではない。そう判断し、話題を変えようと口を開きかけた。


 そのときだった。


「お待たせしました! お茶とお菓子をお持ちしましたよ!」


 明るい声が、訓練室の空気を一気に塗り替えた。


 ロメリアが両手に盆を抱えて戻ってきたのだ。


「寧ろ随分早かったな」

「えへへ、ちょっと頑張ってみました」


 ロメリアは少し照れくさそうに笑いながら、二人の前に紅茶を差し出した。


 湯気とともに、柔らかな香りが漂う。


 その傍らには、綺麗に盛り付けられた菓子も添えられていた。


「はい、タロットさんもどうぞ」

「おお! 美味しそうだな!」


 タロットは先ほどまでの沈んだ様子が嘘だったかのように、いつもの調子で紅茶を受け取った。


 早速、目の前の菓子へと手を伸ばす。


 訓練室には再び、穏やかな空気が戻っていた。


 ウィルドも椅子代わりの台に腰を下ろし、手元の紅茶を口に運ぶ。


 温かな液体が喉を通り、張り詰めていた気持ちがわずかに緩んだ。


名前だけは出ていたローレル。

第一章の幕間にて一度だけ登場していましたね。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。