3
足場の悪い、岩のような山道を二頭の馬がゆっくりと進んでいく。
山中はいくらか涼しく、さらに季節も冬になったとはいえ、南国の陽射しが容赦なく頭上から照りつけ、ユティアは目を細めた。それだけでは足りずに左手を目にかざしたとき、ちょうど馬が大きな岩に足をかけ、身体が不自然に傾いた。
「ひゃあっ」
「おいっ」
左手が手綱を握っていたことをすっかり忘れていた。だが、バランスを崩したかと思った身体がそのまま倒れることはなく、後ろで軽く支えていたカディールにがっちりと捕まえられた。
「何ぼやっとしてんだ? 落ちるだろーが」
「ご、ごめんなさい……」
一人だったら確実に落馬していただろう。カディールがいるとわかっているとどうしても気が緩んでしまう。それはユティアにも甘えはあるのだろうが、それ以上にカディールが過保護になるからでもあるということを、傍観者であるシオンだけが気付いていた。
「だからまだ一人で乗るのは早いっつったろ?」
「まあまあ、カディール。こんな悪路では仕方がないよ。平地ではずいぶん上達しているのだし」
少し後ろを進むシオンが優しい口調で指摘するが、カディールは納得していない態度で言葉は返さなかった。そもそもカディールはユティアが乗馬の練習を始めたことも気に入らない様子だ。
(リトルセだって乗れてたんだから、わたしもできたらいいのに)
自分で馬を操れたら、もうカディールにこうして迷惑をかけなくてすむとユティアは思う。
リトルセはひとりで立っている。立とうとしている。
ユティアも母を亡くしてから誰にも頼らずにひとりで生きてきたつもりだった。だがそれは他人と関わることを諦めただけの怠惰であり、同じ境遇の子供たちとお互いにつかず離れず、依存も共存も干渉もなく生きてきた結果だった。
今は積極的に関わってくれるカディールとシオンがいる。けれど、それに寄りかかりすぎてユティアはけっきょく何もしていなかった。これもまた、怠惰だった。
(できることは、やらなくちゃ)
使えない人間はいらない、といつかカディールとシオンに言われることがユティアは怖かった。彼らの優しさは、きっとそんな言葉をユティアに言うはずがないという望みを生み出していたけれど、それはただの我儘な希望であり、ユティアは自分が本当に一人では何もできておらず、それは奴隷だったころよりも役立たずに思えた。
「そろそろ休憩にしましょうか」
ジュリアス=クラウドの用意した許可証を持って、エヴァン王国を出たのはもう一月も前になる。いつのまにか暦は冬になっていたのだが、ここはずいぶん南に位置するため真昼の陽射しは夏のように強い。
エリシャ王国―――かつてそう呼ばれていた大地に、ユティアは立っている。
山をいくつか越えて、その間に大きな町も小さな村も見てきたけれど、かつて王都だったというフランジアの街にはまだ着かない。そこは港町でもあったらしく、海が見えるのだとカディールは言っていた。
ユティアが見たことのない、大海。
カディールは海を見せてやると約束してくれた。
「小川が見える。そこなら木も多いから安全だ」
二頭の馬が大きな岩の上に立つと、開けた視界の先にはたしかに緩やかな流れの沢が見えた。水のそばには木も生えていて木陰だから少しは涼しいだろう。
三人は、暑い日中は休憩し、早朝と夕方に歩みを進めながら、かつての王都フランジアへ向かっていた。
「そういや、こっからならメルフィに近いな」
岩と草の緩やかな坂道を馬は下り、小川のほうへ向かいながら、カディールはシオンを振り返った。
「そう? 少し遠回りになってしまうと思うけど」
「寄ってったっていーだろ? ユティアには見せてやらねーと」
「―――?」
メルフィというのは町の名前だろうか。
疑問の視線でカディールを振り返ると、頭をくしゃりと撫ぜられた。
「順調なら明後日には着く。まぁ、楽しみにしてろって。王都への道からは少し外れるけど別に急いでないしな」
もともとカディールは、まっすぐに王都フランジアへ向かうような単純な道は選んでいない。今もこうして岩ばかりで足場の悪いところを通っているのも、カストゥールの追手から逃れるためだ。
ユティアの故郷。
だがここは、ユティアにとって初めての土地としか思えなかった。懐かしさも何も浮かんでこない。メルフィというのも、きっとカディールには馴染みの場所だったのだ。
(わたしが……この国の王女―――)
もう滅んでしまったこの国で、ユティアは何かができるのだろうか。
エヴァン王国とは気候も雰囲気もまるで違う。けれど、ユティアが見る限り、カディールとシオンは特に緊張している様子もなくてほっとした。
彼らだけが、いつもと変わらなくて。
だからユティアは、見知らぬこの大地でも、大きく深呼吸することができた。