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第四章です。
柊影の背中を見送った雪華は、その場に崩れ落ちそうになるのをどうにか堪えた。
栢影と結婚すれば、柊影は雪華の義理の兄になる。それなのに、赤の他人でいた頃より彼を遠くに感じるのは、気のせいではあるまい。
それは柊影の真面目さが、栢影と雪華のためにそうさせたのだろう。弟の妻に馴れ馴れしく接することが、誰のためにもならないことを柊影は知っているのだ。
雪華は深く深く呼吸をした。空気の中に、微かに雪梨の花の匂いが薫る。
花は昔と変わらず咲くのに、人は変わってしまうのだ。もう一度、柊影に出会ったあの一年前の日に戻りたいのに、戻れない。過去とは、時に残酷なものだ。
雪華はゆるゆると首を振って、自分の気持ちを切り替えようとした。
思い出にするしかない過去は、美しく昇華させることはできず、痛みのようなものとなった。
雪華と栢影の婚儀は、一月後の清明の日に決まった。
雪華の父・楊真と打ち合わせをするために屋敷を訪れた栢影は、雪華と楊真に、婚儀の前に一度都に来てほしいと言った。栢影の家族は兄の柊影だけだったから、きちんと柊影に報告したということだった。
栢影は、雪華が先日、柊影に結婚することを告げてしまったことを知らない様子だった。どうやら彼は、いきなり兄を訪ねて驚かせたいと思っているようだ。
それに、家族以外にも、色々なところに挨拶に回らなければならないらしい。
この度の反乱で没落した貴族は多かったが、世代交代をしてしぶとく生き残った貴族もある。また、少数の皇帝派だった貴族は、そのまま残っているはずである。
高位の貴族であろう栢影は、ついに彼の育ってきた世界を雪華たちに見せることになったのだ。
栢影はいたずらっ子のように楽しげに、全ての準備は雪華たちが都に来てからだと言った。貴族の結婚にはしきたりやら慣習やらの煩わしいことが多々あるようだし、田舎では準備に色々と支障がきたすのだろう。
だから栢影の提案に同意すれば、数日後には、世話係まで付いた立派な馬車が雪華と楊真を迎えに来たのだった。
そうして父と二人、栢影が用意した馬車に乗った雪華は、生まれて初めて山南の地を出た。
世界は、雪華が思っていたものよりずっとずっと広かった。都へは、馬を飛ばせば数日で着くと言うが、馬車ではそれ以上の時間がかかるのは必定だった。
しかし、雪華は全く苦にならなかった。見るもの聞くもの全てが新しく、楽しかったのだ。
大きな町では、今まで食べたことも無かった、西方から伝わったと言う不思議な味付けの羊料理を食べたり、書店では、これまで読んだことが無かった珍しい本を買うことができた。
それに、都に行けば、遠い存在になってしまった柊影に、もう一度会えるのだ。
浅はかで愚かな考えとわかっていたが、そう簡単に諦めがつくほど、軽い気持ちで柊影を好きになったのではない。だから、もう一度顔を見られると言うだけで、否が応でも馬鹿みたいに浮かれてしまう自分がいた。
そうして長いようで短かった旅を終え、ついに雪華たちは都に付いた。都は、まるで光り輝いているかのようだった。文化の粋を集め、荘厳でありながら活気に満ちた、何とも言えない空気が漂う場所だった。
しかし、ついに都に来たのだと感慨に耽る間もなく、次から次へと新たな驚きが雪華を襲った。
二人が乗った馬車が止まったのは、大きな塀に囲まれた屋敷だった。見上げるような立派な門をくぐり中に入れば、まるで宮殿かと思うほどの瀟洒な建物が並んでいた。
感嘆のため息すら忘れて呆然とする雪華たちを、屋敷の家令と思われる中年の男が出迎えた。そしてこれまた立派な建物に雪華たちを案内する。
「ここは、栢影様のお屋敷ですか?」
平静を取り戻した父が歩きながら訪ねると、家令の男性は誇らしげに「はい」と頷いた。
そうして雪華たちが案内された建物にたどり着くと、その手前に、侍女と思しきふくよかな女性がニコニコと笑みを浮かべて待っていた。
「お嬢様はこちらへ」
そう言って、侍女は雪華をまた別の場所に連れていく。彼女の話では、父と雪華にはそれぞれ一棟ずつ建物が与えられているらしい。
都の貴族とは、こうも違うものなのか。だから、柊影も栢影も、なんの惜しみも無く高価な品を贈ってくれたのか。
雪華は驚きを通り越して、呆れ返っていた。この屋敷の維持費だけで、田舎のどれほどの村が豊かになるだろうかと考えずにはいられなかった。
こちらですと案内されたのは、父に与えられたものよりはこじんまりとした建物だった。だが、日あたりは良さそうだし、何より、室内の装飾が女性を意識したどことなく愛らしいものになっていて、雪華は躊躇いつつも十分に満足したのだった。
居室に入り、そこにあった椅子に腰かけると、どっと疲れが出た。しかし、休んでいる暇はありませんと、先ほどの侍女が申し訳なさそうに声をかけてきた。
彼女が言うには、なんと明日、雪華たちは宮城に赴くことになっているらしい。宮城と言えば皇帝の住む場所であり、一部の貴族や高位の官僚など限られた人間しか立ち入ることが許されない場所だった。
そんな場所に、いきなり明日行くと言うのだ。なんと無謀なことかと、雪華は頭が痛くなった。
明日のため、衣装の仕立て屋が呼ばれていると言う。侍女が外に声をかけると、美しい布をこれでもかと抱えた女たちが幾人も入ってきたのだった。




