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雪梨の散るころ、君と  作者: 史月ナオ
第三章
31/67

2-2

※柊影視点

 匯水(かいすい)を挟んで、北岸と南岸に両禁軍が相対する様は、圧巻だった。

 都城に繋がる橋の北岸で、柊影とともに馬を並べた鷹翔は、楽しそうに口の端に笑いをのせて柊影を見た。

 顔に新たにできた真一文字の傷が痛々しくひきつれているせいで、鷹翔の笑い方は不気味だった。


「なあ、今戦ったら、南衙と北衙、どっちが勝つと思う?」


 柊影は無言のまま鷹翔を一瞥した。


「ふーん、やるまでも無いってことね。もし南衙が攻め込んで来ても、反乱軍と左羽林軍で時間稼ぎをしているうちに、北衙(うち)の残りと、北狄の騎馬部隊が到着する。そうすりゃ、決着はあっという間につく。柊影はそこまで考えて、北狄の王から戦力を買ったんだろ?

 北狄の騎馬軍はかなりの戦力だし、その存在を知らしめるだけでも効果がある。南衙が戦う意欲をなくして、下手に戦を長引かせようと考えることも無くなるだろうしな。

 反乱軍と南衙禁軍が都周辺で衝突することは予想できた。だが、反乱軍では禁軍の相手に不足だ。もし、北衙の援軍が間に合いそうに無かった場合は、鍛えられた騎馬の速さを利用することも考えたんだろ?

 まっ、そもそも、向こうには大義名分も無し。しかも皇帝に刃を向ければあちらが賊軍だからな。この状況になった時点で、選択肢は決まっている。南衙の将たちも、そこまで馬鹿じゃないだろ」

「わかっているなら、さっさと道を開けさせろ。このまま帰還し、奸臣を打つ。鄭啓ならば、すでにその準備を終えて待っているだろうからな」

「ああ、そうだな。そうすりゃお前は愛しの姫に会いに行けるしな」


 嫌味なほどにわざとらしく笑う鷹翔を、柊影は思わず睨んでいた。


「おっと、そんな怖い顔するなって。雪華姫だったっけ?人形に魂を宿した仙女様なんだろ?」


 柊影はなぜ鷹翔が雪華の名前を知っているのか驚いたが、鷹翔の言い方がなんとも陳腐でため息を吐いた。


「どこで聞いた?」

「何を?」

「雪華のことだ」

「さーて、どこ―――」


 柊影が再び睨んでいることに気付いた鷹翔は、さらに愉快そうに声を上げて笑った。


「……欧陽先生か」


 柊影が頭が痛いとばかりに頭を押さえると、鷹翔は、よくわかったなと感心していた。

 そもそも、柊影が雪華のことを話したのは欧陽先生しかいないのだ。あの狸爺が言いふらしていることくらい、簡単に想像がついた。


「鷹翔。私を焦らしたいのか、南衙を焦らしたいのかは知らないが、そろそろ動け。反乱軍の兵たちはお前のその周りを焦らすやり方に慣れていないんだ。無駄に不安を煽ってくれるな」

「そうだな。じゃあ、とっとと行ってくるわ」


 鷹翔は気軽に馬を進め、橋を渡って行った。そうして暫く待つと、南衙禁軍は兵を引き始めた。鷹翔の説得がうまく行ったのだった。

 あの傷痕生々しい鷹翔が相手では、南衙の将軍たちでは歯が立たなかろう。

 柊影は羽林軍と反乱軍の指揮官たちに指示を与えて軍を進めると、一路皇城へと向かった。




 宮殿の大広間には、三省六部の高官と上流貴族たちが座していた。皇帝の入室が告げられ、皆が叩頭する。

 戦装束を解かぬまま玉座に付いた皇帝に、誰も声を発する者はいなかった。

 

「さて」


 柊影は肘掛けに片肘を付き、広間中を睥睨した。


「余が都を離れているうちに、色々とあったようだな」


 これまで散々侮ってきた皇帝が、今は全く別人となってそこにいるかのようだった。


「陛下、民が反乱を起こしたことに関しては、なんとも遺憾なことにございます」


 最初に声を上げたのは、門下侍中の李仲克(りちゅうこく)であった。門閥貴族の筆頭と言うべき人物である。見事な美髯を蓄えた老齢の仲克は、叩頭したままであるため、その顔は窺えない。


「遺憾か?なぜ民がこのような反乱を起こしたか、わかって言っているのか?」

「恐れながら、二年連続の不作が原因でしょう」

「それだけではない。不作であろうと、国が定めた備蓄がきちんと民に開放され、行き届いてさえいれば、このようなことにならなかったはずだ」

「陛下、備蓄は民に開放されたと聞いていますが」

「ほう、誰がそのようなことを言ったのだ?賄賂を渡す地方官か?確か、国から派遣している州刺史、郡太守、県令は、そなたら貴族の子飼いだったかな?」


 柊影があざ笑うようにフンと鼻で笑うと、広間に一瞬にして緊張が走った。


「何をおっしゃいますやら。確かに都から官吏を派遣しておりますが、それは国の法が定めるところ。そもそも、このような不作が続きましたのは、天が怒っている証拠。ご自分の不徳を臣下のせいになさるとは、天が怒るも道理というもの」

「門下侍中殿!」


 脇に控えていた鄭啓が李仲克を諌める声を上げた。

 その声に反応するように、仲克は顔を上げ、鄭啓を睨んだ。


「そもそも、科挙で官吏を採用することも間違いだったのです。身分もわきまえず、陛下の側近のような振る舞いをするとは、厚かましいにもほどがある」

「鄭啓はそなたらより身分が低いことは確かだが、余の右腕だ。それに、身分をわきまえぬのはお前たちの方ではないか?天に代わって政を行うことが許されたのは天子たる余のみ。それを身分をわきまえぬ貴族が我が物としたからこそ、天が怒り、不作になったのだろう。

 もはや余はお前たちの傀儡ではない。道を正し、この城の中にたまった膿を出そうではないか」


 柊影はそう言って、鄭啓に一つ頷いて見せた。鄭啓は頷き返すと、数百冊はあろうかという帳簿の束を持ってこさせた。


「さて、ここにこの半年の間に調べた、国内各地の財務状況を記した帳簿がある。各地域でどれだけの収穫量があり、税がどれだけ徴収できたか、どれだけの備蓄がなされたか。そして、食物が減る冬季に民にどれだけ備蓄が開放されたのか。役所が独自に付けている帳簿と、余の命を受けて密かに調べさせたものと、両者を比較させてもらった。まったく、少数でこれだけのものを調べなければならなかったために、半年もかかってしまった。だが、逆に言えば、僅か半年だ。その半年の間に、これだけの帳簿のずれが生じていることにも驚かされた。啓、どの州のどの郡、県でどれだけの誤差があるのか、ここのお歴々に教えてやるがよい」


 鄭啓は柊影に礼をとると、居並ぶ官僚・貴族たちに滔々と結果を語って行った。鄭啓の報告に素知らぬふりをする者もあれば、明らかに動揺し青ざめるものもいた。

 半時以上も続く報告が終わった時、柊影は再び口を開いた。


「本来ならば民に還元すべき国倉にまで手を出したことは許されることでは無い。また、そうして得た不正な利益がどこに回ったのかもきちんと調べが付いている。賄賂と知りつつ受け取った者たちも、決して許しはしない。

 これまで、お前たちが貴族以外の者を排斥し続けたために、優秀な人材が表立って活躍することができなかった。だが、そのおかげで、優秀な者たちが()にあり、今回余の味方となってくれた。

 今後は科挙に力を入れ、公正に官吏を登用するとしよう」


 柊影が言葉を切ると、居並ぶ者たちは呆然と柊影を見つめていた。だが、その中の一人、李仲克が再び声を発した。仲克の目は鷲のように鋭く、皇帝を睨み殺しそうなほどだった。


「陛下、わかっておられないようですな。この国を支えてきたのは我ら貴族ですぞ。我らを排斥するおつもりかもしれませんが、そのようなことをなされば、国は機能しなくなります」


 それは脅しのような言葉であった。貴族が持つ力は依然として大きい。大貴族ともなれば、帝室をも凌ぐ力を有しているのだ。

 柊影はそのことを十分に理解していたし、貴族を排すことが容易くないこともわかっていた。


「仲克、そなたの言うことは一理ある。貴族は長らくこの国の中枢にあり、それを除くことは容易ではなかろう。だが、除くことはできずとも、力を削ぐことはできるのだ。知っているか、仲克。弟が余の代わりと成り得るように、お前たちの首も、他の者のそれに挿げ替えることができるのだ。そして今、北衙禁軍だけでなく、北狄の軍も手中にした余にとって、武力をもってすればそれは容易いことなのだ」


 「北狄の軍」という言葉に、老獪な李仲克でさえも息を飲んだ。


「陛下は、武力でもって我らを脅すおつもりですか?この国を、文治(ぶんち)の国ではなく尚武(しょうぶ)の国に変えるおつもりか」

「それはお前たち次第だ。潔く裁かれれば、無理矢理武力で片づけることはしない」


 それが決定的な言葉となり、最早すべてが終わった。貴族たちがここまで手をこまねく結果となったのは、驕りと、皇帝を侮りすぎた結果だった。



 




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