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※柊影視点
柊影が北方から都に向けて出発したのは、すでに春の盛りを迎えた頃だった。真冬に国境に来てから、既に三月が経っていた。
柊影は、北狄と呼ばれる北の遊牧民族国家と交渉をこなし、国境周辺をどうにか安定させた。
この遠征で思い知ったのは、遊牧民族の騎馬軍事力の強大さと、自国の軍事力の弱さだった。一騎の騎馬兵が、数十、場合によってはそれ以上の歩兵の武力に匹敵するのだ。彼らが射た矢も、突いてくる槍も、振るわれる剣も、馬が駆ける速度が加わるためにすべてが力強く、こちらの防御を容易く破壊していく。
だが、戦の勝敗を決めるのは何も軍事力だけではない。彼らは確かに武力はあるが、敵地で戦うための基盤となる生活力が無いのだ。彼らの食料には限界があり、長期戦には向かない。だから、こちらが数の有利を活かして粘り、長期戦に持ち込めば、じりじりと差はつまっていき、形成を逆転させることも可能だった。
だが、向こうも流石と言うべきか、短期で決着をつけるために可汗と呼ばれる北狄の王自らが出陣したのだ。
北狄の王は柊影と同年代と思われる若い王だった。戦場で柊影が直接剣を交えることこそ無かったが、柊影の代わりに王に相対した鷹翔は、王の一撃を顔に受け、大きな怪我を負った。彼の王の力は、柊影や鷹翔以上であることは明らかだった。
しかし、いくら千軍万馬、一騎当千の王がいようとも、その力量を正確に測れれば対策が取れる。上手く王をかわして持久戦に持ち込み、相手の戦力を確実に削いでいった。
そうして形成が逆転したところで、交渉を持ち込んだ。柊影は騎馬遊牧民の武力を買ったのだ。その対価として、彼らには食料を供給するとともに、可汗に柊影の側室を下賜することを約束した。
長期戦と、その後の交渉に時間がかかり、柊影は焦れていた。柊影が都を離れていた隙に、国は大きく動き出していたからだ。
榛国内では、これまでの蜂起とは比べ物にならない、大規模な反乱が起きていた。榛国の西の地域で起こったそれは、瞬く間に飛び火し、国全土に広がった。腐敗した貴族たちによる政に、ついに民は一丸となって立ち上がったのだ。
しかも彼らには、彼らを統率するだけの力を持った指導者たちがいた。それは、楊真のような地方の名望家であり、鄭啓や朱鷹翔と交流のある地方官吏や武官だった。その指導者たちが烏合の衆をうまくまとめ、反乱を指揮していた。
まるで一つの生命体のように統一された意思を持った反乱軍は、各地で州軍と争い、じわりじわりと勝利を収めていった。そうして勢力を徐々に拡大しつつ、反乱軍は都へと向かっていた。
そして、ちょうどその頃、あたかも反乱軍がその時期を狙ったかのように、都には南衙禁軍しかいなかった。禁軍勢力の半分、北衙禁軍は皇帝と共に北伐に赴き、都を空けていたのだ。
もちろん、これは偶然ではない。北衙禁軍を完全に掌握した柊影たちは、都の戦力を削ぐべく、敢えて北衙禁軍を率いて遠征したのだ。皇帝が、全禁軍の半数という兵力で北伐に赴かなければならなくなったと思っていた貴族たちは、自分たちが禁軍の半数を失ったとは考えていなかったのだ。
とはいえ、禁軍はその辺の州軍とは違う。仮にも国の精鋭が集められた南衙禁軍は、都に結集し始めた反乱軍を相手に一歩も引けを取らず、両者は対峙したまま、小康状態となった。
貴族の中には都を逃げ出そうとした者も多かったが、都の周りは既に反乱軍が包囲しており、抜け出すことは容易ではなかった。
そうして、ついに都の北辺で反乱軍と南衙禁軍が衝突した。それは柊影があと五日で都に着くという時だった。
柊影は麾下の軍の内、左羽林軍だけを連れて馬を駆り、一足先に都へと急いだ。北狄の軍事力の一部も傘下に収めた柊影の軍は大きくなりすぎていて、速さに欠けていたからだ。
都の北辺には匯水という川が流れていた。川幅は一里強。流れは速くないものの、深さがあった。
その匯水の両岸で、南衙禁軍と反乱軍とが対峙していた。
柊影たちが到着した北岸には、反乱軍が陣を構えていた。反乱軍は各地から続々と都に集まってきており、匯水北岸に陣を敷く彼らは、柊影たちの軍を見て、最初は援軍が到着したと思ったようだ。
しかし、その部隊がかざす軍旗は禁軍羽林軍のそれであり、突然背後をつくように現れた軍が禁軍左羽林軍と知った反乱軍は慌てふためいた。
柊影は反乱軍を下手に刺激しないように敢えて反乱軍と距離を置き、使者を立てて反乱軍の指揮官との面会を申し出た。
するとすぐに面会を望む返事があった。指揮官たちは、楊真を通じて、皇帝や左羽林軍将軍が密かに反乱軍の側に付いていたことを知っていたようだ。
面会は、反乱軍の幕下で行われた。鷹翔と数名の護衛を連れて現れた皇帝は、彼が傀儡であったことなどまるで嘘のように、圧倒的な覇気を纏い、堂々としていた。そして指揮官たちは、皇帝がこんなにも年若い青年であったことにも驚かされた。
居並ぶ者たちは皆、気圧されたように叩頭し、皇帝の言葉を待った。いくら国のためとはいえ、反乱は大罪。そんな恐れが冷汗となり、指揮官たちの額を伝った。
「顔を上げよ」
若い皇帝の声は静まり返った座に響いた。みな、おずおずと頭を上げる。上座にいた皇帝は、椅子に腰かけずに立ったままだった。そして、冷やりとする青い瞳を全員に向けたかと思うと、次の瞬間、信じられないことに頭を下げたのだ。
「陛下!」
横に控えていた左羽林軍将軍が慌てて声をかけたが、皇帝はそれを制した。
「そなたたちには、苦しい思いをさせた。それは余の不甲斐無さが招いたことだ。済まなかった」
柊影が「余」と言うのは、皇帝として振る舞っている時だと知っている鷹翔は、それ以上何も言わなかった。柊影は、皇帝として、民に謝っているのだ。
「陛下、どうか頭をお上げください」
指揮官たちは縋るような声で言った。皇帝が民を救わなかったのではない。こんなに若い皇帝をこれまで、誰も救ってやらなかったのだ。傀儡として何もしなかった皇帝だけではなく、自分たちもまた誤っていたのだと、その場にいた者たちはひれ伏した。
「そなたたちに、二度とこのような思いはさせぬよう、精進する。だから、そなたちも、余を信じて付いてきてくれぬか?」
柊影の言葉に、ある者は涙を流し、ある者は再び叩頭した。その様を見て、柊影は一つ頷くと、皆に声をかけた。「さあ、政をこの手に取り返しに行こうか」と。
その声に応えるように、幕下の者たちは辺りに轟くような雄たけびを上げたのだった。




