第1話「悪役令嬢は、王太子から婚約破棄を宣言されました。」
「お前との婚約を破棄する! そして、お前を国家反逆罪で告発する!」
王太子殿下の宣言が、卒業パーティの大広間に響き渡った。
私は思わず、心の中で拍手した。
ようやく終わった。
実に三年間。長かった。
周囲の貴族たちは静まり返っている。驚いているのではない。誰もが予想していたことが、予想していた通りに起きたのである。
驚いているのは、王太子殿下と、その周囲に集まった五人だけだろう。
「聞いているのか、セレスティア!」
「はい。婚約破棄と国家反逆罪の告発ですね」
「そうだ! ようやく自分の罪を理解したか!」
「いいえ。身に覚えがございません」
殿下の隣では、男爵令嬢が勝ち誇った笑みを浮かべていた。
彼女の名前はミリア。
この世界を乙女ゲームだと思い込んでいる、私と同じ異世界転生者である。
もっとも、私が転生者だということは彼女も知らない。
そして彼女には、もう一つ知らないことがある。
この会場にいる大人たちは、彼女たちの計画をすべて把握しているのだ。
◇
私が前世の記憶を取り戻したのは、貴族学院に入学する少し前だった。
前世では日本で働く、ごく普通の社会人だった。
転生先が貴族の娘だと理解したときは驚いたけれど、幸い家族には恵まれていた。
父は公爵として領地を治め、母は社交界で信頼されている。私自身も王太子の婚約者として教育を受けていた。
問題が発生したのは、学院に入学してからだ。
男爵令嬢ミリアが現れた。
彼女は入学早々、婚約者のいる王太子に近づき、宰相の嫡男、教会長の孫息子、騎士団長の嫡男、大商会の嫡男とも親密になった。
それだけなら、まだ学生の恋愛問題だったかもしれない。
しかし彼女たちは、私を悪役令嬢と呼び始めた。
「セレスティア様は、わたくしをいじめているんです!」
ある日、ミリアがそう訴えた。
もちろん事実ではない。
私は彼女とほとんど会話をしたことがなかった。
王太子殿下は、私を呼びつけて叱責した。
「ミリアに謝罪しろ!」
「何についてでしょうか」
「お前が一番よくわかっているだろう!」
「わかりませんので、具体的な日時と行為を教えてください」
「言い訳するな!」
この時点で、私は判断した。
ああ、これは学生同士で解決できる問題ではない。
前世の職場でも、問題が発生したときは記録を残し、責任者に報告するのが基本だった。
まして、相手は王太子。
私が個人的に説得してどうにかできる立場ではない。
だから、その日のうちに父へ報告した。
父は国王陛下に報告した。
国王陛下は王太子を呼び出し、厳重に注意した。
これで終わればよかったのだけれど。
翌月には、宰相の嫡男が私を呼び出した。
「君の行為は、王太子殿下への反逆と見なされても仕方がない」
「具体的に何をしたのでしょうか」
「ミリア嬢を苦しめている」
「その証拠はございますか」
「これから明らかになる」
証拠は、これから明らかになる。
なんとも便利な言葉である。
私はその会話も記録し、父へ報告した。
宰相が息子を呼び出した。
ところが今度は教会長の孫息子が、私が神の意思に背いていると言い始めた。
騎士団長の嫡男が私の護衛に命令を出そうとした。
大商会の嫡男は、ミリアのために多額の資金を使い始めた。
私はその都度、報告した。
父も、国王陛下も、宰相も、教会長も、騎士団長も、商会長も、それぞれの立場で注意した。
学院の教師たちも何度となく指導した。
それでも、六人の行動は改まらなかった。
やがて、彼らが卒業パーティで私を断罪する計画を立てていることが判明した。
しかも、ただの婚約破棄ではない。
私が王太子の命を狙い、国家への反逆を企てたという罪を捏造するつもりだった。
さすがに、これは笑えなかった。
私は父に相談した。
「お父様。もう学院を辞めてもよろしいでしょうか」
「気持ちはわかる。しかし、お前が辞める必要はない」
「ですが、彼らは話を聞きません」
「だからこそ、大人が対処する」
父はそう言って、私の頭を優しく撫でた。
「お前は何も悪くない。最後まで堂々と学び、卒業しなさい」
その言葉に従い、私は学院生活を続けた。
幸い、六人以外の学生たちはまともだった。
教師も、友人たちも、私を守ってくれた。
おかげで私は、成績優秀者として無事に卒業の日を迎えたのである。
◇
「セレスティア! なぜ黙っている!」
王太子殿下の声で、私は現在に意識を戻した。
卒業パーティは、貴族学院を卒業した者が初めて成人として参加する公式行事だ。
卒業式を終えた私たちは、すでに成人として扱われる。
つまり、この場での発言には、それ相応の責任が伴う。
殿下は、それを理解しているのだろうか。
「殿下。ひとつ確認してもよろしいでしょうか」
「なんだ!」
「私が国家反逆罪を犯したというのは、殿下の正式な告発でしょうか」
「当然だ!」
「証拠もお持ちなのですね」
「もちろんだ! ここにいる者たちが証明する!」
殿下が腕を広げた。
宰相の嫡男が、一歩前へ出る。
「セレスティア嬢が反逆を企てた証拠書類は、すでに揃っています」
教会長の孫息子は、胸元の聖印を掲げた。
「神もまた、彼女の罪をお認めになっています」
騎士団長の嫡男も続いた。
「必要なら、騎士たちに命じてこの場で拘束する!」
大商会の嫡男は、余裕の笑みを浮かべていた。
「調査に必要な資金は、すべて私が用意しました」
最後にミリアが、王太子殿下の腕に抱きついた。
「皆様、ありがとうございます! これでようやく、セレスティア様の悪事が明らかになりますね!」
私は六人を見渡した。
見事なものだ。
全員が、自分から発言してくれた。
誰に強制されたわけでもない。
しかも、国王陛下をはじめとする大勢の貴族の前で。
「承知いたしました」
私は静かに頭を下げた。
「では、国王陛下にご判断をお願いいたします」
「なに?」
王太子殿下が眉をひそめた。
「父上に頼ろうというのか! 無駄なことだ!」
私は答えず、玉座の前へ進んだ。
国王陛下は、最初から一言も発していなかった。
その隣には王妃陛下。
少し離れた場所には、私の父と母。
そして宰相、教会長、騎士団長、商会長も揃っている。
誰も慌てていない。
国王陛下が、ゆっくりと立ち上がった。
「王太子よ」
「はい、父上!」
「今の発言は、すべてそなた自身の意思によるものか」
「もちろんです!」
「誰かに強要されたものではないな」
「当然です! 私は王太子として、正義を実行しているのです!」
「そうか」
陛下は頷いた。
「では、ほかの五名にも確認する。そなたらの発言も、すべて自らの意思によるものか」
五人は口々に肯定した。
宰相の嫡男は胸を張り、神官長の孫息子は聖印に手を当てた。
騎士団長の嫡男は誇らしげに頷き、商会の嫡男は優雅に一礼した。
ミリアは満面の笑みだった。
「はい! わたくしたちは、正しいことをしただけです!」
陛下は、しばらく六人を見つめていた。
そして、傍らの書記官に告げた。
「今の発言を、すべて正式な記録に残せ」
「かしこまりました」
書記官が筆を走らせる。
殿下は満足そうに頷いた。
「ありがとうございます、父上! では、セレスティアの拘束を――」
「必要ない」
「……は?」
「セレスティア嬢を拘束する必要はない」
殿下が目を見開いた。
「しかし、反逆罪の証拠が!」
「その証拠についても、すでに調査は終わっている」
陛下の声は静かだった。
「書類の作成経緯、騎士への命令、神託の真偽、資金の流れ。すべて確認済みだ」
六人の表情が、初めて変わった。
「父上……?」
「そなたらが卒業パーティで何をするつもりだったのかも、承知していた」
殿下が言葉を失った。
陛下は続けた。
「余は何度も警告した。宰相も、教会長も、騎士団長も、商会長も、それぞれの子や孫に警告した。学院の教師たちも、繰り返し注意した」
会場は静まり返っていた。
「それでもそなたらは、本日、成人として自らの意思で告発を行った」
「ま、待ってください! 父上!」
「待つ必要はない。確認は終わった」
陛下は、壁際に整列する騎士たちへ視線を向けた。
「騎士たちよ。六名を拘束せよ。身柄は王城で預かる」
「はっ!」
騎士たちが一斉に動いた。
「待て! 貴様ら、何をしている!」
騎士団長の嫡男が叫んだ。
「お前たちは私が手配した騎士だろう! 拘束するのはセレスティアだ!」
しかし、騎士たちは足を止めなかった。
騎士団長が、静かに息子へ告げた。
「その者たちは、確かにお前の要請で配置された」
「だったら、なぜ!」
「私が許可したからだ」
騎士団長の息子が目を見開いた。
「お前が軍人にどのような命令を出すのか、直接確認するためにな」
「な……」
「彼らには事前に命じてある。お前の要請には応じ、違法な命令には従わず、その内容をすべて記録せよ、と」
騎士団長は、騎士たちへ視線を向けた。
「お前たちが従うべき命令は、誰のものだ」
「国王陛下と、正式な指揮系統にある上官の命令です!」
騎士たちの声が、大広間に響いた。
騎士団長は頷いた。
「よろしい。陛下のご命令を遂行せよ」
「はっ!」
騎士たちが六人を取り囲んだ。
「ふざけるな! 私は騎士団長の息子だぞ!」
「だから何だ」
騎士団長の声は冷たかった。
「お前には、最初から一兵卒を動かす権限すらない」
騎士団長の嫡男は、何も言い返せなかった。
王太子殿下が、ようやく我に返ったように叫んだ。
「父上! これはどういうことですか! 私は王太子ですぞ!」
「理解している」
陛下は静かに答えた。
「だからこそ、王家の名誉にかけて公正に裁く」
「私が裁かれるというのですか!」
「そなたらには、国家反逆罪の虚偽告発をはじめ、複数の重大な嫌疑がある。正式な審理が終わるまで、自由な行動は認められぬ」
宰相の嫡男が、父親へ助けを求めた。
「父上! 何かの間違いです!」
「間違いかどうかは、審理の場で明らかになる」
神官は聖印を握りしめ、商会の嫡男は青ざめた。
ミリアだけが、まだ状況を理解していない様子だった。
「待ってください! こんなの、シナリオと違います!」
誰も答えなかった。
六人は騎士たちに囲まれ、次々と会場から連行されていった。
その姿を見届けてから、国王陛下は告げた。
「六名の処分は、正式な審理を経て後日申し渡す。本日の卒業パーティは、これをもって終了とする」
それだけだった。
怒号もなければ、長々とした説教もない。
六人の姿が扉の向こうに消えると、会場には安堵の空気が広がった。
私は父のもとへ戻った。
「お父様」
「よく頑張ったな、セレスティア」
「ありがとうございます」
母が私を抱きしめてくれた。
「もう大丈夫よ」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥にあった重いものが、すっと消えていくのを感じた。
私は三年間、王太子の婚約者としての責任を果たそうとしてきた。
けれど、どれだけ努力しても、本人が聞く耳を持たなければどうにもならない。
だから、私は自分にできることをした。
事実を記録し、保護者に報告し、学業を続けた。
それだけだ。
「お父様。婚約はどうなるのでしょうか」
父は穏やかに微笑んだ。
「すでに陛下と話はついている。王家から正式な婚約解消の書面が届く」
「本当ですか?」
「ああ。お前に責任はない。王家もそれを認めている」
私は思わず、笑ってしまった。
三年間、ずっと望んでいたことだった。
王太子の婚約者ではなく、ただのセレスティアとして生きられる。
「では、お父様」
「なんだ?」
「明日から、少し旅行をしてもよろしいでしょうか」
「旅行?」
「はい。学院を卒業したら、一度、領地の海を見に行きたいと思っていたのです」
父は目を丸くしたあと、声を上げて笑った。
「もちろんだ! 好きなだけ行ってきなさい!」
母も嬉しそうに頷いた。
「それなら、海辺の別荘を用意しましょうね」
「ありがとうございます!」
私は久しぶりに、心から笑った。
明日は何をしよう。
海を眺めようか。
美味しいものを食べようか。
それとも、何もせずに一日中のんびり過ごそうか。
考えるだけで、胸が弾んだ。
彼らの処分は、彼ら自身が責任を負うべきことだ。
私には、私の人生がある。
こうして私は、悪役令嬢として断罪されるはずだった卒業パーティで、ようやく自由を手に入れた。
そして翌朝。
私は晴れ渡る空の下、海へ向かう馬車に乗り込んだ。
王太子殿下の婚約者としてではなく、一人の自由な女性として。
これから始まる新しい人生が、楽しみで仕方なかった。




