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水銀に敗れることでしょう  作者: ナムアニクラウド
第2章:強者ならゴム紐を飾れ
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#9 この情熱にもう少しだけ油を その2

 ゴスロリ服の女の子、油獄は日傘を振り上げ、担任のムトウ先生に殴りかかろうとしていた。ミズガネがその肩を抱えて抑える。

「先生どっか行って!」ミズガネが呼びかけると、ムトウ先生はいそいそと去って行った。

 ミズガネの腕力に逆らえない油獄は息を荒くしながら先生の姿を見送った。

「油獄ちゃん、落ち着いて……」

 油獄の拘束を解き、ミズガネが一歩下がって油獄に呼びかけた。そうすると、油獄はミズガネに振り返ったが、しかし傘は横向きに握ったままだった。


「どうして、止めるのよ」油獄がつぶやく。

 ミズガネが敵意を感じて腕を顔の前に構えると、油獄が傘の持ち手を使って殴りかかってきた。

「む……!」

 傘がガツンと腕に当たる。ミズガネの体はこの程度では傷つかない。しかし、油獄の怒りは高まるばかりであり、攻撃もやまなかった。受け止められた傘をもう一度振りかぶり、全力で叩きつける。


「こんなに、怒るものなのか……」

 ミズガネは武器を受け止めながら油獄の表情を見る。我を忘れ、涙やよだれをこぼす顔をしていて、もう対話をしようという意欲を感じない。

「なんで止めるのよ! あなたは関係ないじゃない!」

「ないけど!関係ないけど、人を殴っちゃダメなんだって!」

「私の何が悪いのよ…… 私の何が間違いなのよ! 許せない、貴方も許せないわ!」


 完全にムトウ先生のとばっちりだが、ミズガネはこれに対処できる自信があった。とりあえず、今すぐ場を収めることはできないが、武器を取り上げるのは簡単だ。腕に当たった傘を油獄が持ち直す瞬間、ミズガネの両腕が絡みつくようにそれを握って奪い、自分の背中に隠してしまった。

「うう、うう…!」油獄が真っ赤な顔をして、悔しそうな声を上げる。

 油獄は諦めることなく、右腕を軽く引いてミズガネに突っ込み、ストレートを繰り出した。黒いグローブがミズガネの脇腹に当たる。

「油獄ちゃん、落ち着いてよ!」

腹を叩かれていてもミズガネは喋ることができる。ミズガネは持っていた傘を背後に落とし、油獄にそのまま抱きつき、片手を掴んで背後に移動して後ろから拘束する。ミズガネはそのまま、公民館の前から油獄を移動させた。今更だが、展示を見に来たお客さんに大いに迷惑をかけていた。

「くそう、バカ、バカ…っ!」

 油獄が背後のミズガネを見つめながら、拘束を解こうとする。もちろん、ミズガネの腕を振りほどくことなどできない。


だが……

「ん? ちょっと、油獄ちゃん……?」

ここでミズガネは違和感に気づいた。油獄の腕がギシギシと震え、ミズガネを振り払う力がわずかに増していく。

「ふーっ、くそお、ふううっ!」

 油獄が苦しそうに呻いている。無理な力を入れているのは明らかだ。

「マジか……」

 このままでは脱臼してしまう。ミズガネは拘束を解いた。すると油獄がすぐさま振り返り、突進攻撃を繰り出して来た。ドンと音を立ててミズガネにぶつかると、油獄がミズガネから離れて睨みつけてきた。

「……」

 ミズガネは黙って見つめ返す。ここで何かを言うのは彼女の逆鱗に触れるのが関の山だ。これ以上怒らせては、油獄の体が持たない。

 

 さて、ミズガネが今「敵意を失くす技」を使わないのには訳がある。この技には攻撃効果があるのだ。今の油獄のように興奮しきって、体がフルパワーで活動している人に技を強くかけると、体の活動が一気に弱まり、大抵の筋肉や臓器は温度差に耐えられずダメージを受けてしまう。こんなことで油獄を傷つけるわけにはいかない。

 こういうとき、ミズガネは技を少しずつかける。時間はかかるが、いつか必ず怒りを収めることができる便利な戦法だ。当然今回もそうする。


 とはいえ、次に目にする光景は予想外のものだった。油獄が腰のベルトに括り付けてあるポーチを開き、中から何かを取り出す。

「ま、まさか武器……!?」

 ミズガネの直感は正解だ。油獄が取り出したのはハサミだった。油獄はそれを片手で持って軽く開くと突進し、ミズガネの体のどこでもいいから、という勢いで突き出し、結局二の腕に当たった。

「なんの……!」

 ミズガネの体はやはり傷つかない。納得のいかない油獄は手に力をこめ、ハサミを閉じようとした。

「この……、ムカつく、ムカつく…… ムカつくわッ!」


 油獄がまたミズガネを睨む。ミズガネはずっと真剣な面持ちで、油獄の怒りが自分にとっても重大だと感じているのが分かる。

「うう!」

 そして油獄が息を止めて力を籠めると、ハサミに今一番の負荷がかかった。ミズガネの体は結局傷つかず、ハサミだけが壊れてバラバラになってしまった。

「くそ!」油獄が悪態をつく。

ミズガネはまだ余裕だ。このまま技が効き続ければ、ひとまず会話はできる状態になる。


だがいつまで続ければいいのだろうか。日が暮れ、空が赤くなってきた。いや赤というよりは、燃えている油獄の心に合わせてくれているような橙色だった。さらに言えば、油獄の目には夕焼け空とミズガネしか見えなくて、他は全て真っ黒に塗りつぶされたような感じだった。


ところが、もうすぐ決着だ。油獄は壊れたハサミの代わりを探そうとした。すると少し離れたところに、真っ黒じゃない何かを感じ取った。きっと何か武器になるものがあるのだ。すぐにそこへ駆け寄った。ミズガネは追いかけてこない。油断していたに違いないと油獄は思った。

その武器はハサミだ。駆け寄って手に取ろうとすると、ハサミの周囲の視界が晴れてきた。そして油獄はそれを手に取って、だが、ハサミの近くにあったものに一瞬意識を奪われた。


 反応が遅れたミズガネは、すぐさま油獄を止めるため駆けつけた。次はいったいどんな暴力を振るうつもりなのだろうと警戒している。

「油獄ちゃん! あの、もう武器は……」

 ミズガネがやりづらそうに呼びかけるが、よく見ると油獄は、ハサミを手に取ったまま固まって動かなくなっていた。

「油獄ちゃん?」

 ミズガネが油獄の顔を覗き込む。


「……素敵、ね。」油獄がつぶやいた。

「はい?」

「この切り絵、とても素敵だわ」

「……」


 油獄の表情は、「牧草地」を見ていたときと同じ穏やかな顔だった。その目は、ハサミの隣に置いてあった切り絵を見ていた。そして油獄がハサミを元あったテーブルに戻すと、ミズガネはほっとして、敵意を失くす力をついに最後までかけてあげた。


「ごめんなさい」

 しばらくして落ち着いた油獄は、ミズガネに深く頭を下げて謝った。

「よろしい。と言いたいけど、油獄ちゃん、私がいなかったらどうなってた?」

「……同じことをムトウ先生にしていたかもしれない。きっと大変なことになるはずよ」

「ムトウ先生にも謝るんだよ」

「ええ。そうするわ」


油獄は顔を上げて穏やかにミズガネを見つめると、その次にテーブルの上にある切り絵を見た。

「本当に素敵な切り絵ね。ハサミをあんなことに使った自分のことが許せなくなるわ」

「いやはや、アートコンテストのそばで、誰かが切り絵をしてたなんて、偶然というか必然というか」


 そしてミズガネは満足して、疲れた体をぐっと伸ばしてリラックスさせた。そうしてスッキリした顔で、油獄に問いかける。

「それにしても、油獄ちゃんと閃雷くんは大親友なんだね! 彼のためにあんなに怒るなんて」

「そうね。ムカついたわ。でも、普段の私がここまで暴力的だと思っているとしたら、弁解させてほしい」

「へ?」

「私にも自慢の特技があるのよ。納得のいかないことがあったとき、怒るのか我慢するのか、自分で完全にコントロールできるの」

 ミズガネは呆気にとられる。

「え、ええ?じゃあ今日、傘やハサミで叩いてきたのは……」


油獄はミズガネを見て、くすくすと笑った。

「わざと怒りを解放したのよ。だって、オラオラ団のライバルのミズガネさんは、強くて優しいのでしょう? 貴方がそばに居るなら、私がどれだけ怒っても必ず止めてくれるはずだわ。うふふ」

 ミズガネは絶句し、頭を抱えて苦い顔をする。

「そ、そんな、バカな…… すごく、敗けた気分!」

「いいえ、本当にごめんなさいね。 今日もオラオラ団の相手をしてくれてありがとう、ミズガネ」


 こうして、情熱の炎は穏やかに燃え尽き、今日も夜のとばりが降りた。油獄はこの炎をいつでも自由に点けなおすことができる。今回は油獄にとっても久しぶりに、火の始末に苦労をすることとなった。

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