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水銀に敗れることでしょう  作者: ナムアニクラウド
第2章:強者ならゴム紐を飾れ
13/22

#8 この情熱にもう少しだけ油を その1

 グレート・マリアンナの一件のほとぼりも冷めた頃、それでも続く夏のある日にミズガネは田沼町の市民会館を訪れていた。


 というのも、最近オトカヒメからメッセージがあり、曰く……その日の公民館でアートコンテストが開催されて、あの閃雷の作品が佳作として展示されているから見てこい、とのことだった。

 ミズガネが公民館の自動ドアを通る。ビリビリ・ボーイを作りだすというのも閃雷の特別な才能だったが、絵を描くことにも情熱を注いでいるとは知らなかった。一体、どのような絵を描いたのだろう。

 会場に入り、夏の暑さに汗ばんだ体には堪える空調を通り過ぎ、グレーの壁の前に並んだキャンバスの列を見つけた。


 最初に目に入ったのは、今回のコンテストで最優秀賞をもらった風景画だ。広大な牧場の風景が写実的に描かれていて、特に芝生の描写はリアリティのある色合いで、今にも雑草の香りがしてきそうだった。題名は「牧草地」というらしい。

「これ、中学生の作品なのか……」

 ミズガネは思わず「牧草地」の前に立ち尽くすところだったが、今日の目的である閃雷の絵を見るべく他の絵を探しに行った。


「確か…… 閃雷くんの本名は “カンザキ” っていうんだっけ」

 回廊をしばらく歩くと、作者名に「カンザキ」と書かれた絵を見つけた。題名は「アーク・ボーイ」とのことだ。

 “アーク・ボーイ” は少年の顔を漫画タッチで正面から描いたもので、見る者をじっと見つめ返している。だがこの絵はミズガネを不安な気持ちにさせた。生物らしさが欠けているのだ。ミズガネにはうまく言葉にできなかったが、この絵からは機械的な印象を受け、描かれている少年の表情が嘘の感情を見せているように感じた。


 そんなアーク・ボーイを観賞していると、ミズガネに話しかけてくるものがいた。

「ごめんください。 あなた、閃雷の絵に興味が?」

 声の主は女性で、黒いゴスロリの服を着た個性的な女性だった。背丈からして、高校生くらいだろうか。

「あ、うん」ミズガネは彼女の独特の雰囲気に怯みつつ、返事をした。


「あら…… あなた、ミズガネね。閃雷から聞いているわ」

「なんと。 キミも閃雷くんの絵を見にきたのかな」

「……もちろんよ」

 その女性は少しうつむいていた顔を上げる。ゴスロリ服によく似合う、バラのプリントのついた眼帯をつけていて、白黒の日傘を杖のようについて立っている。

「私は ”炎の油獄” というの。オラオラ団の仲間に入れてもらっているわ」

「炎の… ユゴクちゃんっていうんだね」


 オラオラ団といえば、オトカヒメがリーダーを務めているというグループだ。閃雷もそのひとりだから、友達である油獄もまたオラオラ団、というのは合点がいく。しかし、それはつまり……

「……あ! もしかして私と勝負をするつもり?」

「ええ、追々はそうなるわ」油獄の表情は、”炎の” という称号を冠する割に仏頂面だ。

「追々?」

「そうよ。今日は閃雷の絵が見たかっただけだもの。オトカヒメがミズガネを呼んでいるというのは、確かに聞かされていたけれど」


 そこまで語ると、ふいに油獄が閃雷の絵を指さす。

「アーク・ボーイは、定規とコンパスだけで作図できる線で描かれているのよ」

「え?」

 呆気にとられるミズガネに、油獄が目くばせをするので、ミズガネは再びアーク・ボーイを観察した。確かに、少年の上まぶたと下まぶたを形作る曲線が上下対称になっているように見えなくもない。人の顔面に普通は使わない直線もいくらか見つけることができる。

「画材の都合で、鉛筆での絵を完成とするわけにいかないから、作図のあとは閃雷が油絵で清書している」

「な、なんと……」


 油獄の説明したとおりに絵を観察してみると、ミズガネはアーク・ボーイに籠っている魂を感じ取った。アーク・ボーイの表情からは生きていることへの誇りを読み取れないが、生きていないことへの、機械としての誇りを読み取ることができる。

「えっと……」ミズガネが少し圧倒されながらも話す。「これでも佳作なんだね。たしか最優秀賞がひとつと、優秀賞がいくつか選ばれるはずなのに」

「そうよ。この絵は佳作なの」

 すると、油獄がアーク・ボーイの絵の右下あたりを指さした。

「ここを見て。作図したときの線をわざと外して清書してある。本当に定規とコンパスを使ったならあり得ない線が引かれているの」


 指先にある曲線は、たしかに不規則に曲がっていて生物的な印象を受ける。

「この辺りの線は、機械的な表情を理解しづらくさせたみたい。閃雷はコンセプトを立てたのに、最後までそれを守れなかったのね」

「な、なるほど? 確かに、ここを隠したら…… 最初からこの男の子が機械だって印象を受けるかも」

「逆に言うと、審査員の方は閃雷の考えたアイデアを理解してくれたのだわ」

 あごに指をあてて油獄は感心している。


ミズガネは油獄の解説を聞いて感動を覚えた。自分が知らないだけで、高校生ってこれほどのものなのか?

「あの…… 油獄ちゃんは閃雷くんの先輩なの?」

「いいえ、同級生よ。同じクラスだし」

「…中学生なんだ!」

 これは更なる驚きだった。中学生らしからぬ背丈と、ゴスロリ服の迫力、その感受性は彼女のカリスマを演出している。


 驚いているミズガネに少し微笑みかけると、油獄が公民館の入口方面を手のひらで指した。

「ミズガネ、最優秀賞の ”牧草地” を一緒に観ましょう」


 “牧草地”はやはり圧巻だ。キャンバスはアーク・ボーイと同じサイズなのに、縦横が2倍になったように迫真のリアリティがある。そして、やはり油獄がこの絵について語る。

「この風景画は、本当はそんなに写実的ではないのよ。もっと近づいて見て」

 ふたりでキャンバスに近づいて、よく見てみるが、ミズガネがすぐに思いつく特徴は無い。

「これは油絵なのだけど、特徴的なのは全てのストロークが縦であること。必ず上から下へと筆を当てている」

「えっ?」


 確かに絵の至る所に、絵の具が縦向きに延ばされた痕跡があるが、それは見ればすぐに分かることだ。

「どういうこと?」

「私なら、牧草地に茂っている雑草を描きたければ、踏みならした雑草が曲がって見えるように筆をひねって曲線にするわ」

「え……!」

「それに、雲の流れだって、横に流れていく雲を自然に表現したいから、私なら筆は横向きに当てる。全てのストロークが縦向きというのは、油絵ならではだけど、縛りでもあるの」

「そんな見かたがあるなんて……」ミズガネはただただ感心する。「それがこの絵のすごいところなんだね」

「でも」


 油獄が注意を促すような目でミズガネを見る。

「この絵は変よ」

「変……?」

「油絵って、一度色を塗った部分でも、乾かした後で色を塗りなおせるから、試行錯誤しながら描くことができる。この絵はそれを1度もやっていない」

「……」次から次へと溢れる言葉にミズガネは埋もれていきそうだ。

「それはミスが1度もないという意味ではない。例えば雲を描くとき、まず空の青色を塗ってから、それを乾かして上から白を塗ることがある。陰影を入れるときも、既に塗ってあるところに暗い色を上塗りしたりする。でも、それすらない」


 “炎の”油獄という称号の意味が分かってきた。この子は情熱的な心を持っているのだ。もう、彼女の語りは止まらない。

「影を描くべきところには、そもそも物体を描かずに、白紙に影だけが描かれてる。この絵を描いた人はきっと、白紙のキャンバスに、自分の頭の中の完成品をただ印刷するつもりで筆をつけたのよ。」

 油獄がまたあごに指をあて、うっとりとした顔になる。

「この絵は良い作品とか、上手い作品とかじゃない。異常なのだわ」

 ミズガネは牧草地と油獄を交互に見た。油獄の話はそこで終わり、静かな時間が流れ始めた。


 しばらくして、ひととおり作品を見て回った後、ミズガネと油獄は市民会館を出てきた。油獄が日傘に体重をかけてリラックスすると、ミズガネに顔を向けた。

「ミズガネ、今日は話を聞いてくれてありがとう」

「いやいや、すごく面白かったよ!」ミズガネは少し頭がくらくらているが、さっきの油獄のように興奮している。


 さて、ここから少し不穏なエピソードになるのだが、市民会館からひとりの男性が出てきた。絵を見てきたのだろう。すると、油獄がその人に話しかける。

「あら、ごきげんよう、ムトウ先生。カンザキくんの絵を見に来たのですね」

「え? ああ、サカイさんか」

 どうやらこの人は油獄の学校の先生らしい。

「あの。カンザキくんの絵は見ましたか?」

「あー…… 見たよ」

 先生の反応を見て、油獄が日傘で地面を軽く突く。

「彼のアーク・ボーイ、いい作品でしたね」

「まあね」


 そっけない反応をする先生に油獄が体を向けて、彼への不信を伝える。

「見ていませんね? 私たちの担任なのに」

 ムトウ先生は腕を組んで、油獄に反論する。

「仕方ないじゃないか。優秀賞の生徒の作品だって凄かったし、わざわざ時間をかけて全部見なくてもいいさ」

「仕方なくありません。今すぐカンザキくんの絵を見ましょう。歩いて1分もかかりませんよね?」


 大人に向かって全く怯まない油獄に、先生が苛立ちを露わにした。

「なんだい、可愛げが無いな。別にカンザキくんの絵なんか、他の生徒と……」


 まずい、とミズガネは思った。こういうときこそ、ミズガネは敵意を失くす能力を使う。ミズガネが緑色のオーラを出し、ムトウ先生はそれ以上閃雷の悪口を言えなくなる。

「えっと、カンザキなんて…… なんだっけ?」

 閃雷への侮辱を聞きたくなかったミズガネは安心した。あとは油獄を慰めてあげればいい。


 ところが、その認識は少し甘かった。油獄が日傘で地面を激しく叩く。

「ふざけないで……」

 いつのまにか、油獄は日傘を両手で持ち、バットを持つように柄を横に向けていた。

「ふざけないで! 私の友達が、なんですってッ!」


 油獄の重心が先生の方へ移動する。このままではいけない。

「ちょ、ちょっと待ったーーーっ!」

 ミズガネが油獄の両肩を抑えて、動きを止めた。この場をしのぐことができるのは、たぶんミズガネしかいない。

次回の投稿は 10/12(土) です。

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