#6 ザ・グレート・マリアンナ、その1
「水銀に敗れることでしょう」の区切りとなるエピソードです。
オトカヒメから連絡が来た。
メリーは今、鉄橋Xのある海岸にいる。ミズガネは雨の中、体と肝を冷やしながら駆け回って探している。
「なんでなんだ、どうしてここなんだ!?」
この海岸には今日、津波が来る。マリアンナ津波と呼ばれているものだ。地域の住民はみな避難していて、仮に居残っていようものなら命に関わる。
いったん津波が来てしまえば、メリーを探すどころではない。津波に敵意はないから、止めることなどできないのだ。
「ふっ、ふうっ、よいしょ……」
屋根を渡って道路沿いを探したり、手当たり次第にインターホンを鳴らして反応を伺った。
周りを見渡しながら町中を駆ける。そうしていると、やがて一軒のアパートの窓から黒い人影が見えた。
メリーに違いない!そう思ったミズガネが窓に近寄ったが、期待は外れで、そこにあるのは壁にもたれかかった潜水服だった。
「うう……」
がっかりして立ち去ろうとするミズガネだったが、アパートの内装を見て違和感に気づく。
「あれ、デスクトップPC、書籍の山、登山用の杖…… なんで潜水服がここに」
そんなふうに思っていると、潜水服がミズガネの方を向き、元気に手を振った。
「ミズガネさん!」
「え!? キミ、まさか……!?」
ミズガネが窓を叩き割り、中へ侵入する。潜水服のそばへ駆け寄った。
「あたしメリーだよ!潜水服を着てるの」
「こんなところにいたら、死んじゃうよ!はやく帰ろう!」
ミズガネがそう言うと、ヘルメット越しに見えていたメリーの顔が曇る。
「やだ!」
「えっ……!?」
「マリアンナに会う! マリアンナに触るの!」
「ええっ……!」
ミズガネは驚きのあまりメリーの肩をがっしり掴んで、軽くゆする。
「冗談じゃない! 津波にそんなに近づいたら死んじゃうよ!連れて帰るからね!」
「やだ!」
メリーが腕を振りほどこうと暴れた。もちろんミズガネの力の前ではびくともしない。
「ど、どうしちゃったの! こんな……何日も前からここにいたんだよね。潜水服まで用意して、どうしてそんなに津波に触りたいんだ!」
「マリアンナが呼んでるの! 私にしか聞こえてないんだよ!」
メリーの言動は意味不明だ。そんな問答をしているうちに、建物が揺れ始めた。
「ほら、地震が来てる。今にでも津波が起きちゃう。まだ間に合う、逃げないと……!」
「だめだよ!お願い聞いて、マリアンナには私しかいないの」
「マリアンナは何度でも来るさ! もう行くよ!」
ミズガネがメリーを抱きかかえ、潜水服ごと持ち上げようとする。だが……
「痛っ」メリーが声を上げた。
「え? あっ、まさか……」
メリーの左半身が上手く持ち上がらない。ミズガネがメリーの左足を見ると、驚くことに足首には足枷と重りがかけられているのだ。これも自分で仕掛けたのだろう。
「な、なんで、そんなに……!? メリーはなんでマリアンナがそんなに大事なんだ!?」
しばらくの間呆気に取られていたが、やがてパソコンが机から転げ落ちる音を聞いて我に返る。何かに気づき、ミズガネの顔面が青ざめた。
「変だ。地震は…… 地震はいつもこんなに長くはない……」
ミズガネは海岸方面の窓を見やった。これ見よがしに横幅のあるガラス窓の向こうに、押し寄せる津波が見えた。地震なんて起きていなかった。津波が押し寄せていたのだ。駆け抜ける鉄砲水と瓦礫が、地面をこすって揺らしていたのだ。
「見て!グレート・マリアンナだ!」
メリーが津波を指差す。高さは1mか、2mか? あるいはまさかだが、今ふたりが見ている10m高の水造りの女神が、怯える人間を抱きしめてやろうとする姿は幻覚などではないのだろうか?
あと10秒もない。呑み込まれる! ミズガネがメリーの体を抱きしめて庇った。仮にミズガネの体さえ保つなら、メリーに傷ひとつつかないことだろう。
「冗談…… きついってッ!」
すぐに水と石が殺到した。ミズガネは全筋肉をフルパワーで稼働させ、皮膚は人外の硬さとなる。
(耐えろ、耐えろ、耐えろ!)
呼吸のできないミズガネに、水の女神が覆い被さった。大小さまざまの石つぶてがぶつかる。ただの素潜りなら5分は保つ自信があるが、この条件だとそうもいかない。
ひとつの石つぶてがミズガネの痛点に当たって怯んでしまう。ミズガネは気を取り直してまた力もうとした。
そんなとき、メリーの潜水服に触れているミズガネの頭蓋骨を通じて、メリーの号令が聞こえた。
「ドリー!!」
ドリーとは、誰かの名前だろうか? なぜ今、急に? 奇妙だ。ミズガネはつい興味を抱いた。
……しかし、このような極限状態で「奇妙だ、興味深い」などという感情が湧いてくるだろうか?今は津波への対処に集中しているはずだ。少し経つと、ミズガネは背中への負荷が軽くなっていることに気づいた。目が開けられる。水がない。メリーは無傷だ。極限状態じゃない。
しかし、背後を見やれば津波はまだ押し寄せていた。先ほどと同じ光景だ。ただひとつ、その水がメリーの体の周りへ集まっていくことを除けば。
「これは一体……?」
メリーの周りで、水と石がリングになって回っている。段々と、水が吸い寄せられる速さが増していく。メリーは平気そうだが、結局ミズガネはその通り道にいるので、伏せて頭を守る必要があった。
「ぐうう……!」
水があらゆる床と壁を叩く音がとどろく。
だが少しすると、ぽん、と軽い音が鳴り、それをきっかけに地面の揺れがおさまりはじめた。しばらくすると、地震が止まり、津波も止まっていた。ミズガネが目を開けることができたのはその後だった。
一面の曇り空が裂けて光が差す。ミズガネが不随意に光の差す先を見ると、メリーが裸でうつ伏せに倒れているのが見えた。
「えっ!」ミズガネが大慌てで駆け寄る。
「うそ!メリー!メリー、起きて!」
メリーの体を起こして、半べそで呼びかけた。すると、メリーの返事が返ってくる。
「起きてるよー」
メリーの声は、ボロボロの部屋に座っている潜水服から聞こえた。
「ミズガネさん、これ脱ぐの手伝って!」
「え、ええ?」
混乱するミズガネ。確かに、メリーは潜水服を着ていたのだから、潜水服から声がしたならそれはメリーの声だ。では、こっちの女の子は?
とにかく、女の子を静かに横たえると、メリーの潜水服を勘の手順で脱がしてやった。
「これで…… よし」
「ありがと、ミズガネさん」
潜水服を脱がしてみれば、メリーはしっかりしたインナーを着ていた。
「ねえメリー、あの女の子は一体……?」
「ドリーだよ」
「誰……?」
名前を教えてもらっても理解できない。そんなとき、ドリーと呼ばれた女の子が起き上がって、目を開けた。
「あ…… えへ…」ドリーはミズガネとメリーを見ると微笑んだ。
ミズガネはドリーの目を見つめた。その両目は青色だった。少し疲れた表情をしているが、顔つきはメリーと瓜二つだ。まさかと思い、ミズガネはメリーの顔を確かめる。
「んん?」
メリーの両目は赤色だった。最後に会ったときのメリーの顔を思い出してみる。この子はオッドアイで、左目は青色だったはずだ。
「ま、まさか、ふたりに分かれちゃったの!?」
「うん」ドリーが朗らかに言う。
「うんって…… こ、これがメリーの能力…!?」
気づけばいま日が照って、ミズガネの濡れた肌が暖かくなる。空を覆っていた雲はすっかり晴れ、さんさんと日差しが走り回る。
「むむ……」
体の温まったミズガネは急に気持ちが落ち着き、その場に仰向けに寝そべった。
「ああ、疲れた……!」
「あの、ごめんね」ドリーが言う。
「うーん、どうしてドリーが謝るの?無茶なことをしてたのはメリーじゃないの」
「えへへ、ごめんなさい!」メリーも謝った。
「よろしい。もう過ぎたことだよね。こうして生きてるし!」
「よいしょ」
ミズガネは疲れた体を今いちど起こし、メリーとドリーに手を差し伸べた。
「さ、家に帰ろうよ。親御さん、心配してたんだから」
「そっか!全然考えてなかった」メリーが言う。
「やれやれ」
ドリーがミズガネの手を取ると、ミズガネがはっと気づいてローブを脱ぐ。
「ドリー、裸で外に出るわけにはいかないよ」
「うん。ありがと!」
ドリーは、ミズガネが羽織っていたボロボロのローブを着た。
そして、ミズガネが2人を両腕に抱えて窓から飛び出した。このへんの交通網はまだ復旧していないことだろう。ミズガネは田沼町まで自らの脚でふたりを送って行ったのだった。
次はたぶん1日後に投稿します。




