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4章-13 決死の逃走

 ベルは大きく手を振ると、車椅子を佐々木の元へと反転させた。佐々木はすでにフルフェイス・ヘルメットを着用し、ベルを待っていた。

 

 佐々木がベルに包みを渡す。ボウガンだった。今まで見たものよりもひと回り大型で、上部に幾本もの矢が縦に並んでつがえられている。


「走るんだ」


 そうつぶやき、僕は咲の手を取り走り出した。リュックとヒップ・バックは捨てた。生きるか死ぬか。もう水も食料も関係なかった。


「平兄ィ。うち、ひとりで走る。その方がふたりとも、はよ逃げれる」


 咲の言葉に、僕は手を離した。咲が走る速度を上げる。僕も負けじと足を動かし、先導するため前についた。全力疾走だった。


 脇腹に固い感触があった。多賀から奪った拳銃。名前はトカレフ何某。種別はオートマチック。確かロシア製、いや、ソ連製か。

 重要なのは、残り何発なのかということだ。拳銃の扱いに慣れていれば、走りながらでもマガジンを確かめられるのかもしれない。でも僕には無理だった。とにかくスライドが開放してしまわないうちは、残弾があるということだ。


 けれどもっと重要なことがある。

 そう、僕は発砲できるのか? ベルたちを撃てるのか? すなわち、ひとを殺せるのかということだった。


 遠く背後で、バイクがエンジン音を唸らせるのが聞こえた。肩越しに振り返ると、バイクに搭乗したふたりが見えた。佐々木がハンドルを握り、サイドカーにベルが乗っている。


 バイクはヘッドライトで睨みつけながら、二度、三度と爆音を撒き散らした。直後、エンジンが咆哮する。一度前輪を持ち上げてから、バイクが疾走を開始した。


「こっちだ!」


 僕は走る方向を転じた。ダムに背を向け、村へ引き返す方向へ。

 平らな空き地を逃げても、すぐに追いつかれることは明白だった。ならば少しでも起伏のある方へ逃げ込まなくてはならない。

 でも、それからどうすればいい? 僕の頭には何の考えも浮かんではいない。


 ダムを離れるとすぐに地面は砂利道に変わり、周囲の山にも木々が戻った。ここは本来、川の本流が流れている場所なのだと気づく。ここも枯れた川の中ということだ。

 だが僕たちがたどった支流側とは異なり川幅は広く、また工事現場に近いためだろう、障害物となるような一切のものは排除されている。要するに、隠れるような場所はどこにもないというわけだった。


 いや、待て。隠れても何の解決にもならない。僕は混乱しかける頭脳を必死で落ち着かせようとした。とにかくあのバイクだ。あれをどうにかするんだ。


 耳障りなエンジン音がひときわ高くなった。砂利を蹴散らしながら、バイクが迫ってくる。

 息を切らしながら、切羽詰まった表情を見せる咲に、僕は口早に言った。


「木の間に逃げ込もう。斜面をたどってゴールへ向かうんだ」


 それぐらいしか思いつかなかった。だが、じっとしているわけにはいかない。うなずき、再び走り出した咲のあとを追って、僕も続いた。

 逃げ切れるはずはなかった。相手は走るために生み出された機械なのだ。たちまち追いつかれ、僕たちは背後から光に照らされた。


 咲の腕を引き、僕は横に飛んだ。

 直後、地面が連続して硬い音を立てた。ボウガンでの攻撃。しかもベルの持っているものは、連射が可能らしかった。


 バイクは僕たちの近くを通り過ぎ、十数メートルを一気に駆け抜けてから、またこちらに向き直る。

 威嚇するようにエンジンを噴き鳴らすバイクをにらみながら、僕は言った。


「いいかい、咲ちゃん。バイクを見るんじゃなく、ライトの光だけを避けるように動くんだ」

「え、光だけ?」

「連中の目は明るさに慣れてる。だからライトの外に逃げれば、僕たちのことは見にくいはずなんだ」


 はっと目を見開いた咲が、わかった、と応える。と同時に、バイクが再び肉迫してきた。

 僕たちはライトを避けることだけを念頭に置き、左右へ小刻みな移動を繰り返した。


 読みは当たったようだった。バイクは戸惑うように蛇行し、そのまま通り過ぎて行く。

 心にほんの少し、余裕が生まれた。その分、頭が冷静になる。


 もうひとつ、相手の弱点を見つけた。それは小回りが利かないこと。

 ベルの乗せるためのサイドカーが装着されている上に、地面が砂利場であるため、バイクは小さなターンをすることができない。反転するときは大幅に速度を落とし、大回りに走らなければならないのだ。

 そこに、隙がある。


 僕はライトの届かぬ闇に紛れ、靴を脱いだ。バーベキューだと知って、綿の靴下を履いてきていた。厚手のもので、ふくらはぎまでを覆う長さがある。

 僕は靴下も脱ぎ、地面に落ちている石に手を伸ばした。


 三度、バイクが襲いかかってきた。咲をかばうようにしながら、ライトをかわす。

 バイクが過ぎ去るとき、ベルの笑い声が聞こえた。楽しんでいる。が、それもここまでだ。


「咲ちゃん、僕から離れないで」


 鋭く言ってから、僕はバイクのあとを全力で追いかけた。足音がいくら響いても構わない。どうせエンジン音で届きはしない。

 バイクが転回するために、大きなターンを描き始める。

 速度が落ちる。距離は一気に縮まる。


 まさか攻撃に転じてくるとは思っていないのだろう。だが見ていろ。僕も逃げてばかりじゃない。バイクが反転を終える寸前、僕はその前に飛び出した。

 振りかぶった。靴下を。中には手ごろな石を詰めてある。


 狙うのはライト。走る勢いを乗せて、思い切り叩きつけた。

 衝撃。一撃で砕けた。ライトが。

 瞬間、辺りが闇に転じる。ふたりが慌てるのがわかった。


 僕は気合いの呼吸を飲み込みながら、もう一撃、バイクの前輪に靴下を振るった。

 タイヤと靴下がぶつかった瞬間、僕は手を離した。金属と石がぶつかり、鈍い悲鳴を上げる。靴下がそのままタイヤにからみつく。これでしばらくは動けないはず。


「今のうちだ!」


 僕たちはまた走り出す。今夜は走ってばかりだ、などと思う。いいだろう、こうなればとことんまで走ってやる。


 一歩進むごとに、ダムの巨体が近づいてくる。目指すのはダムの左岸。うっすらとダムの頂上へ通じる階段らしき道が見えている。

 数百メートルの横幅を有していたダムも、ほとんど横断できている。あとは左手の山すそに沿ってダムの下までたどり着けば、逃げ切れる。


 だが、そうはさせないと宣言するように、バイクの空吹かしが聞こえた。

 振り返って、舌打ちした。L型ライトだろうか。ベルと佐々木、それぞれの胸に、小さな光が灯っていた。


 間に合うか? いや、やはり追いつかれてしまう。そう判断したとき、バイクが追跡を再開するのがわかった。轟くエンジン音が、ベルたちの怒号に聞こえる。

 もうベルたちに油断はない。対する僕に奇策は残っていない。逃げ場もない。


 俺を使え。ズボンに挟んだ金属の塊が、そう主張し始める。

 殺人のために造られた道具。そう、ひとはひとを殺すために様々な道具を造ってきた。知恵を集め、努力を重ね、色々なものを犠牲にして、人殺しの道具を生み出している。


 なぜだ? それはひとが、本当は心の底で、殺人は日常の隣人なのだとわかっているからじゃないのか?

 だったら僕が誰かを殺したって、構わないんじゃないのか? だって命を狙われているんだ。殺されそうになっているんだぞ。


 よくここまで頑張ったじゃないか。何度も危険な目に遭ったのに、まだひとりも殺しちゃいない。

 

 もしも誰かが僕のことを見ていたとしたら、どうだ? 俺なら、わたしなら、とっくにやっていると思うんじゃないのか? こいつ、もどかしいな。さっさとやっちゃえばいいのに、なんて揶揄されるかもしれない。自分が生き延びるためなんだ。誰かを殺したって仕方がない。そう、仕方ないんだ。


 黙れ。

 それは、誰も殺したことのないやつの考え方だ。


 ひとを殺すのはあくまで結果であり、そのあとに必ず変化が訪れる。

 とある場合に殺しても仕方がないと思うことと、本当に殺してしまったあとに仕方がなかったと思えることは、全く別のことだ。


 自分がどう変化してしまうのかは、そのときにならなければわからない。ゲームではない、映像で見るのとも全く違う、現実の経験。

 そして僕はわかっている。だから決して、殺したって仕方がない、なんて考えられない。


 そのとき不意に、前を走っていた咲の姿が消えた。


「えっ?」


 雑念に気を取られていた僕は反応が遅れた。あっと口を開いたときには、前のめりになって宙に投げ出されていた。

 一回転したあと、地面に背中から叩きつけられた。刹那、息が詰まる。


「平兄ィ、大丈夫?」


 驚いて駆け寄ってくれた咲に、平気だと答えるのには数秒が必要だった。

 見ると、地面に僕の背丈ほどの段差がついていた。その段が五メートル程度の幅で、左右に緩やかなスロープを描きながら道を作っている。


 おそらくはブルドーザーで掘り返した跡がそのままになっているのだろう。どうしてこんなところに、と悪態をつきたいところだったが、しょせんは沈む土地であり、どこもが整地されていると期待する方が悪いのだろう。実際、咲はちゃんと斜面を滑り降りたようだった。


 とにかくこんな場所に留まっているわけにはいかない。僕は背中の痛みを堪えながら立ち上がり、段差を越えた。すぐに咲も引っ張り上げてやる。

 すでにダムは見上げるほどに近かった。その壁面に沿って設けられた長い階段がはっきりと確認できる。


 荒い息を吐きながら、ベルたちのことを確認する。くぼみに落ちてしまったことで、わずかな時間とは言え、ベルたちから目を離してしまっている。


 しかしそれは向こうも同じだったようだ。広場をさまようように蛇行するバイクが見えた。

 くぼみに落ちた僕たちのことを、ベルたちも見失ってしまっていたらしい。バイクのライトが壊れたことで、遠くが見渡せなくなっていることもあるだろう。

 

 このまま見つからずに済めば……。ふと頭を過ぎったそんな願いは、愚かな妄想だった。

 ふたつの小さな明かりが僕たちをかすめる。刹那、エンジンがひときわ高く咆えた。獲物を見つけた野獣が喜悦の一声を放ったようだった。


 速度を抑えていたバイクが、ぐんと前に跳ねるように走り出した。サイドカーからベルがボウガンを構えるのが見えた。だが――。


 光があると、ひとの目はそこだけに視点が合わさってしまう。その光の中に獲物がいればなおさらだろう。

 だから運転していた佐々木は気がつかなかったのだ。その手前にある段差に。


 叫ぶ間もない出来事だった。僕たちの目の前でバイクが沈んだ。

 前輪を踏み外したバイクは、乗っていたふたりを空中に投げ出し、自身も勢いのまま地面に激突した。宙を舞ったベルと佐々木は一瞬の空中遊泳のあと、巨人に投げつけられでもしたように、大地にへばりついた。


 僕は茫然と十秒ほどを過ごした。手前に佐々木が、転倒したバイクの向こうに、ベルが大の字になって倒れている。ふたりとも全く動いていない。


 僕は段差を下りた。無言のまま、咲もあとに続く。僕は手で咲に待っているよう伝え、ひとりで近づいた。


 まず佐々木のもとへ歩み寄った。首がほとんど直角に曲がっていた。おそらく何が起こったかわからないうちに命を落としただろう。ヘルメットのおかげで死に顔が見えないことが、せめてもの救いだった。

 

 そのとき、かすかなうめき声が聞こえた。


「ベル?」


 僕は駆け寄ろうとした。いきなり、肩を強い力で押された。僕はわけのわからぬまま、その場にしゃがみ込むように倒れた。咲が悲鳴に近い声で僕を呼ぶのが聞こえた。

 右肩に細い銀の矢が刺さっていた。そう認めた途端、激痛が脳天に響いた。



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