表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/39

4章-11 香澄

 僕は永い、しかし現実には一瞬の回想を打ち切った。

 香澄が呆然としていた。うしろからは咲が息を飲む気配が伝わってきた。僕はしかし、どこか軽くなった気分だった。


「ディスクに“元殺人犯”とあったときには驚いたよ。今まで誰にも言ったことはなかったのに、どうしてってね。続いて書かれていたホームページの情報から、僕のことじゃないとわかったけれど。もちろんこれからも、誰にも言うつもりはなかった」


 僕の声だけが吊り橋の上で静かに響いた。


「だけどこの殺人ゲームを進めていくうちに、香澄だけには打ち明けるべきなんじゃないかと考えた。ひとを殺すことがどういうことか。小学校へ向かう直前、僕は追い詰められたような気分で迷っていたんだ」

「だからあのとき、急に素通りしようなんて言い出したのね」


 僕は苦いため息とともにうなずいた。


「でも言えなかった。本当は告白してしまうべきだったのに、君に嫌われるのが怖くて、僕は口を閉ざしてしまった」


 あのとき全てを話していれば、香澄を止められたのではないのか。意味のないことだとわかっていながら、そんなことを考えてしまう。

 懺悔するのと等しい思いが、僕をしゃべらせる。


「僕は自分の卑怯さに絶望したよ」


 自分を偽り、隠し通して、そのくせ香澄から、意味や価値をもらおうとしていた。そして結局、僕は大切な相手を傷つけ、失ってしまった。


「そんなとき、僕は自分のポケットに鍵が入っているのを見つけたんだ。それはあの運転手から手渡されたものだった」

「運転手から?」


 香澄がわずかに目を見開いた。僕は咲がいることを考え、言葉を選んで続けた。


「どうして僕に託したのかはわからない。けれどすぐに“財宝”の鍵だと気付いた。ただ騒動の中、ずっと忘れていたんだ。そして運転手の言葉から、女の子が囚われていることを僕は知ったんだ」


 僕は自分の思いを確認するように、ゆっくりと言った。


「父を殺したことで、無意味で無価値な人間に成り下がってしまった僕なのに、またひとを殺して、どうやって生きていけばいい? それは僕にとって、死ぬのに等しいことじゃないのか。このゲームの中で、僕はそう考えていたんだ。善悪とか、正義とか、そんなことじゃない。ただ僕はこれ以上、くだらない存在になってしまうのが怖かったんだ。だから咲を助けに行った。誰かを見捨てることは、誰かを殺すことと同じだと思えたからだよ」


 数瞬の沈黙のあと、香澄は鼻で笑った。


「なるほどね。平介の言いたいことはだいたいわかったわ。どうしてその子にこだわるのかってこともね。でもひとつ納得いかないことがあるの」

「それは?」

「同じ人殺しでも、わたしと平介は全然違うじゃない。あなたの罪は秘密のままだけど、わたしの罪はひとに知られてるってことよ。あなたは一般人の顔ができるけど、わたしは“元殺人犯”だわ。だからわたしはこの殺人ゲームに参加した。そして、またひとを殺したのよ」


 香澄は唇を吊り上げた。それは冷たい笑みだった。でも僕は、そこに悲しみが透けて見える気がした。


「確かに香澄の言う通りだよ。“元殺人犯”であるか、ないか。それは大きな違いだ。だって罪に対する罰を受けたかどうかということなんだから」


 香澄がぐっと言葉に詰まるのがわかった。


「罰を受けた香澄は、僕なんかよりもずっと前を見ていていい。顔を真っ直ぐに上げていられる。なのに君は、自ら殺人ゲームに参加した。またひとを殺すことも辞さない覚悟で……。他人に知られているかどうかなんて、関係ないんだ。意味を持つのは、ひとを殺したことがある事実、それだけなんだよ。香澄と僕は選んだ生き方が違う。けれど僕たちは同じなんだ。だって――」


 僕たちは号砲を聞いてしまった。気づけばハードルを越えてしまっていた。そして、生まれ変わってしまったのだ。


 生まれ変わった者は、それまでと同じ生き方はできなくなる。

 香澄は誰にも心を許せなくなり、だからこそ他人を利用し、自分の全てを犠牲にしてでも、ひとりで生き抜く道を選んだ。

 僕は誰も信じられなくなったことで、他人を拒絶し、自分の存在自体までも隠すようにして生きてきた。

 けれど同じだ。僕たちは――。


「どうしようもなく、孤独じゃないか」


 瞬間、香澄の表情が何かを堪えるように強張った。

 香澄が僕にそうしてくれたように、僕は香澄に手を差し出した。


「もう誰も殺さないと誓ってほしい。そしていっしょに行こう。三人で生きて帰るんだ」


 僕の手を見つめたあと、香澄はうつむいた。顔を隠す髪の向こうから、声が届く。


「ひとつ聞かせて。平介も気づいているでしょう。ゲームの勝者はひとりなのよ。なのにどうやって、三人でゴールするつもり?」


 僕は口元を一度引き結んでから、重たい声を出した。


「わからない。正直、どうすればいいのかも、どうなるのかも。だけどもし勝者がひとりしか許されないのなら……」


 すでに固まっていた決意を言葉に換えた。


「僕がここに残る」

「いやや!」


 うしろから咲が僕の腕を取り、激しく揺さぶった。


「平兄ィ、そんなん絶対にあかんて!」


 僕は振り返り、腕をつかんでいる咲の手に、自分の手を重ねた。


「もちろん僕だって、絶対に生き残るつもりだよ。けれど、本当に追い詰められるときが来るかもしれない。生きるか死ぬかという、ぎりぎりの選択を迫られるかもしれない。もしそんなときが来たなら、僕はふたりのために死んでもいいと思ってる」

「平兄ィ……」

「僕のつまらない命を使って、大切なものがふたつも守れるのなら、僕に悔いはないんだ」


 空気が揺れた。そう感じた途端、けたたましい笑い声が響いた。

 香澄が長い髪を乱れさせながら、夜空を仰いで笑っていた。どうしようもなくおかしいというようなその笑い声は、闇に沈む渓谷の上でひび割れたように木霊した。


「香澄……?」


 呼びかけようとした僕の声を途切れさせたのは、香澄の貫き通すような眼光だった。


「わたしって、本当に男を見る目がないわね」

「え?」

「平介。なるほど自分で言う通り、あなたは卑怯者だわ」


 思わぬ言葉に、僕は絶句した。香澄は容赦のない苛烈な目で僕をにらんでいた。


「あなたが死んでくれたとして、その子はどうなるの? わたしはどうすればいいの? 聖人の真似? 善人ぶりたいの? 気持ちよく死んで、それでいい気になろうってわけ?」


 香澄は血を吐くように言った。


「あなたは結局、欲しがっているだけなのよ!」


 いきなり吊り橋が跳ねた。僕は慌ててロープをつかんだ。咲が小さく悲鳴を上げた。

 香澄がひと息に距離を詰めてきていた。それを押し留めるように、僕は反射的に右手を前に突き出した。


 振り払うように、香澄が右手を真横に一閃させた。刹那、僕は灼熱を感じた。手のひらに朱い筋が走っていた。その筋がすぐに血の滴りに変わる。僕の手のひらは切り裂かれていた。


 痛みはなく、ただ驚愕だけがあった。

 香澄はナイフを手に、冷たい空気をまとって立っていた。


「そんな綺麗に聞こえるだけのつまらない科白を言うなんてね。あなたには失望したわ」


 香澄は酷薄な微笑を浮かべながら言い放った。


「平介。やっぱり死んでちょうだい」

「香澄、待って!」

「それにね、平介――」


 からかうように首を傾げたあと、一転して、香澄が体をぶつけてきた。ナイフのきらめきが、一直線に向かってくる。

 僕は咄嗟に体をひねり、香澄の腕を両手でつかんだ。手のひらの傷がめくれる感覚があった。構っていられなかった。血で滑ることだけが苛立たしかった。


 刃の向こうに、香澄の燃え立つような瞳があった。視線が真っ向からぶつかる中、香澄が思いをねじり込むように言った。


「あなたはわたしの全てを知ってるじゃない。だから、殺すのよ」


 香澄は僕の腕を振り解こうともがいた。僕は離すまいと渾身の力を込めた。

 吊り橋が大きく揺れた。ふたりしてバランスを崩し、片側のロープに寄りかかる格好になった。


 道が空いた。僕は叫んだ。


「咲、今のうちに渡るんだ!」


 半瞬の戸惑いのあと、咲が僕たちの脇を駆け抜けようとした。

 香澄が動いた。足で咲の行く手を阻もうとした。


 ふっと力がずれるのを感じた。香澄の腕を抑えていた両手の力が、いきなり方向を変えた。香澄が体勢を変えたことで、力の拮抗が崩れたのだ。

 僕たちは互いに腕を絡ませたまま、吊り橋の外側へ大きく振られた。ワイヤー・ロープがぎりぎりと悲鳴をきしませる。


 あっと僕は口を開いた。足元の感覚が不意に消えた。吊り橋の床板を踏み外したのだ。

 声を上げる間もなく視界が流れ、僕は吊り橋の上に仰向けに倒れていた。

 長い髪が舞うのが見えた。香澄がナイフを振りかぶっていた。


「平兄ィ!」


 届いた咲の声に、体が反応した。僕はその場で横に転がった。背中に鈍い衝撃が伝わってきた。香澄のナイフがリュックを突き刺したのだとわかった。


 そのとき、横になった僕の目の前を影が落ちていった。横転したとき、僕の足に何かを突き飛ばすような衝撃があったことを思い出した。吊り橋の外、暗黒の中へ、僕は無我夢中で手を伸ばした。


「香澄!」


 つかんだ。それだけで奇跡的だった。瞬間、肩が外れると思えるほどの急激な重みが、僕の右腕に掛かった。離すわけにはいかない。僕がつかんでいるのは、香澄の命だった。


 僕は吊り橋の端から下をのぞいた。暗闇で宙吊りになりながら、香澄が表情の抜け落ちた顔で僕を見上げていた。僕たちをつないでいるのは、お互いの片腕だけだった。


 声をかけるような余裕はなかった。とにかく僕は力を振り絞り、香澄を引き上げようとした。

 逆に僕の体が滑った。二人分の体重を受けて、吊り橋は大きく傾斜していた。


 細い腕が僕を支えた。咲だった。引き返してきた咲は、吊り橋の上に座り込み、僕の体を抱えていた。

 しかし限界はすぐそこに迫っていた。腕が痺れ、握力が失われていく。何より、手のひらからにじむ鮮血が、僕と香澄を引き離そうとしていた。


「香澄、手を! 早く!」


 僕は噛み締めた歯の間から、声を振り絞った。

 香澄は笑った。少し寂しそうな、でも妙にすっきりとした微笑だった。そして香澄は何かをつぶやいた。


「香澄……?」


 がくん、と新たな衝撃が腕に伝わった。香澄が僕の腕をつかもうとするように、右手を伸ばしてきた。


 違った。香澄はまだナイフを手にしていた。その切っ先が、僕の手の甲に突き立った。

 苦悶の声を洩らしたとき、僕は手を離していた。


 香澄が闇の中に遠くなる。大好きだった、強く意思の宿るその瞳が黒髪に隠れ、そのまま香澄の姿も暗黒の中に消えた。


「香澄!」


 僕はその名を絶叫した。恐ろしいほどの喪失感が僕の中に広がった。

 助けに行く。僕は跳ね起き、吊り橋を引き返そうとした。


 いきなり、光を浴びた。何だ? 戸惑ったのは半瞬、眼下を見下ろし、僕は立ち尽くした。

“怪物”役の連中が、橋の下まで迫っていた。僕を幾つもの明かりで照らし、口々に何かをわめいている。


 僕はなおも動けなかった。どうにか、どうにかならないのか――。


 腕を引かれた。再び僕は橋の上に倒れた。直後、頭上を風を切る鋭い音が通過した。

 ボウガンの矢だった。“怪物”役たちは地上へ上がる場所を探しつつ、橋の上の獲物を狙って攻撃を始めていた。


 腕をつかんだ咲が、泣き出しそうな顔で首を横に振った。

 僕はきつく目を閉じた。今度こそ本当に、香澄という存在を失ってしまったことを認めなくてはならなかった。


 咲を前にうながし、僕たちは這いつくばりながら吊り橋を渡った。崖の上にたどり着いたところで立ち上がり、林へ続く道を走り出した。


 香澄が最後につぶやいた言葉は何だったのだろう。ふと考え、もう二度と確かめることはできないのだと気づいた。

 僕は声を上げて泣きたくなっている自分を見つけた。

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=247182763&s
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ