4章-4 生還への秘策
僕にはひとつの考えがあった。
その考えを実行するためには、まず川にたどり着かねばならない。村のほぼ中央を貫いて走っていた、あの枯れた川だ。
学校へ向かう手前で、僕は香澄といっしょに川を一度越えている。あの辺りから、川は学校があるのとは反対側の山手へ蛇行していた。このまま真っ直ぐ進めば、そのうちどこかで川に行き当たるはずだった。
方向とすれば、学校を背に、斜めに村を横切りながら進んでいることになる。集落はとっくに抜けてしまっているため、廃屋はひとつも見当たらない。かつては一面の田園風景であったはずの平野が広がっている。
ここまで来てようやく、村全体は――かなり大雑把なとらえ方ではあるが――右に孤を描く三日月形をしていたのだと気づいた。
スタート地点から徐々に広がっていた平野部が、村の中心部を通り過ぎたことで再び先細りになってきている。両側にそびえる山々が、ゆっくりと左右に迫ってきているのを見ると、否応なしに村の端が近づいていることを実感させられた。
ゴールを目指そうとするのなら、僕が進んでいる方向は明らかな遠回りだった。最短距離でゴールへ向かうには、学校から裏山に沿って先へ進めば良かったはずだ。
が、僕にはもはや、ゴールなど何の意味もなくなっている。文字通り、困難な道を行くことになるが、それが残されている唯一の選択肢だった。
僕は黙々と足を進めながら、ずっと機会をうかがっていた。
まずは手始め。これからの行動を起こす前に、やっておかなくてはならないことがある。
しばらく進むと、行く手に橋が架かっているのが見えてきた。僕は腹を括った。
「そうだ、司馬さん。今のうちにこれを渡しておきます」
僕はさりげなさを装い、司馬に声をかけた。
司馬は僕の左隣を歩いている。不意の襲撃を受けたとき、先頭をふたりで固めている方がすぐに対応できるから――というのは方便で、何を考えているかわからない相手は目の届く場所に、と考えたからだった。
咲は僕のすぐうしろを歩かせていた。もしものとき、すぐにかばえるようにするためだ。心身ともに疲れ果てているはずなのに、咲はそんな素振りを微塵も見せずに付いて来てくれている。
最後尾にいるのは美濃部だ。背後に注意して欲しいというこちらの要望を、怯えた表情ながら懸命に務めてくれている。ひとつの見落としが死につながってしまうことを、痛いほどに感じているのだろう。気持ちを鼓舞させるためか、ときおり何か独り言をつぶやいていた。
「ん、何です?」
こちらを向いた司馬に、僕はポケットから取り出したものを、軽く放り投げた。
それはハンカチに包まれた小銭だった。司馬はそれを左手で受け取ろうとした。右手はボウガンで塞がっているからだ。
司馬が左手でハンカチをつかんだ途端、中から小銭が散らばった。小さく声を上げ、司馬がわずかに慌てた。
その瞬間を狙っていた。僕は司馬の右手に飛びついた。
ボウガンを両手でつかんだ。そのまま無理矢理、抱え込む。ひと呼吸ほどの間もなく、決着はついた。司馬が尻餅をついたとき、ボウガンは僕の手の中にあった。
「すいませんね、司馬さん」
僕は倒れたままの司馬に、ボウガンの狙いをつけた。
ボウガンは片手で十分に扱えるほどに軽かったが、僕は両手でしっかりと構えた。万が一、引き金を引いてしまったら、と考えると、軽々しく持ってはいられなかった。引き金にかけた指が、勝手に動きそうな気さえしてくる。
咲と美濃部は悲鳴を凍らせ、その場に立ちすくんでいた。が、矢を向けられている司馬は苦笑を浮かべた。
「いやはや、随分と古典的な手法にやられてしまいました」
「僕だってこんなに上手くいくとは、思ってもみませんでしたから」
自分で思う以上に、強張った声が出た。司馬がため息混じりに言う。
「それで? わたしは命乞いでもすればいいんですかね」
「いいえ。ただ幾つかの質問に答えてもらいたいだけです」
「何でもどうぞ。誠心誠意、お答えさせていただきますよ」
僕は司馬に視線を定めたまま、口だけを動かした。
「このゲーム、今回で三度目ということでしたが、すると前回も前々回も、優勝は司馬さんだったわけですよね?」
「まあ、そういうことですね」
「他にゴールまでたどり着いたひとはいたんですか?」
「いいえ、残念ながら」
「それは決められているからですか」
「決められている、と言うと?」
「優勝者はひとり。そういうルールなのかということです」
司馬は肩をすくめながら、首を横に振った。
「さあ、わたしは知りませんね。何度も言うように、ゲームの中身については弟に任せきりですから」
真実かどうかはわからない。が、僕は黙ってうなずき、告げた。
「実は、今回はそういうルールなんです」
すっと目を細めた司馬に、僕はディスクに入っていたベルのメッセージのことを話した。
――このゲームも原則的に勝者はひとり、最大でもふたりまでっていうルールにさせてもらうよ。
初めて一読したときは、不透明で曖昧なルールだと感じた。しかし今ならその意味がはっきりとわかる。
ずっと腑に落ちなかったのが、“最大でもふたり”というフレーズだった。一体、どういう状況のことを言っているのか。ふたりでパーティーを組んでいたとき? それともゴールが二箇所あるということか?
違う。あれは咲のことを指していたのだ。
ふたつの“財宝”のうち、咲を選択した場合のみ、勝者はふたりになる。わざわざ惑わせるような記述ではあるものの、想定される事実が書かれているということになる。
となると、やはり“原則的に勝者はひとり”なのだ。ゲームに勝ち残れるのは、たったひとり。最初にゴールにたどり着いた者だけが、この狂った迷宮から帰還することができる。
「それは初耳ですね」
司馬は軽く目を見張ったあと、困ったように首をかしげた。
「となると、すでにわたしたちだけで二人も定員オーバーだ」
「そうです。だから」
「だから?」
「僕は逃げることに決めました」
今度こそ司馬は、心底、驚いたようだった。唖然とした顔で、僕をまじまじと見つめる。構わず、僕は続けた。
「ゲームはここで終わりです。定められたゴールにもう意味なんてないですからね。自分の足でこの廃村から脱出し、生きて帰ります」
「でもどうやって?」
「それについては僕に考えがあります。ただそれをお話しする前に、あなたの意見を聞かせてください」
司馬は見透かすような目で見上げてきた。
「もし、反対すると言ったら?」
「ここでお別れということになります」
「わたしを殺すと?」
「いいえ。立ち去ってもらうだけです。もう僕に発信機はついていない。一度、見失えば、追いかけることは不可能でしょうから」
司馬は納得したと言うように、何度も小さくうなずいた。
「司馬さん、回答を」
僕は迫った。と、司馬がとろけるような笑みを浮かべた。
「どうして反対することがあるでしょうか。是非、わたしもご一緒させてください」
「え?」
僕は呆気に取られた。最初から追い払うつもりでいただけに、司馬の答えは予想外だった。僕は動揺を顔に出さないように堪えた。
「本気ですか。僕はゲームを下りると言っているんですよ」
「もちろん、理解していますよ」
「それでも付いて来ると?」
「そうです。だって、これ以上ないぐらいにわくわくするじゃないですか。今までにそんなことを言い出したひとはいませんでしたよ。ベルがあなたを“真の冒険者”だと言っていた意味が、ようやくわかってきました」
浮かれたように話す司馬を、僕は真っ直ぐに見つめた。
「そのベルのゲームを潰すことになる。あなたが言い出したゲームでもあるわけでしょう」
「勘違いしないでくださいよ、ニトさん。わたしは生きているという実感が欲しいだけです。このゲームはそのための手段に過ぎない。それにもしゲームがニトさんに潰されるなら、潰れるようなものを作った方が悪いんですよ」
僕たちはさらに数十秒、見つめ合った。本気なのか、それとも裏があるのか。
折れたのは僕だった。ため息とともに、ボウガンの狙いをはずす。
司馬を信用したわけではない。ただ武器でひとを脅している苦痛に、耐えられなくなっただけだった。
「お返しします」
僕はボウガンを司馬の前に置いた。
空気が緩んだのを敏感に察してか、咲が駆け寄ってきた。白い顔をした咲に、僕は心配させたことを詫びた。
「もう、びっくりさせんといて」
咲は安堵と怒りで表情を二等分させながら、僕をにらんだ。
美濃部はまだ立ち尽くしたまま、僕と司馬をきょろきょろと交互に見やっている。
きっと、今のやり取りがどういうものだったのかも、わかっていないのだろう。そしてわかる必要があることでもなかった。僕は笑みを浮かべながら片手を挙げ、大丈夫だと伝えた。
「それでは聞かせてもらいましょうか」
立ち上がった司馬が、楽しみを待ちきれないと言うように、声を弾ませた。
「ニトさんの脱出方法というのを」
「別に大したことじゃないですけどね」
僕はすぐ近くに見えている橋の方へ、顎をしゃくった。
「橋が何か?」
「川ですよ。なぜだかは知りませんけど、もう枯れているんです」
「はい?」
「どこかに繋がっているはずでしょう」
不思議そうな顔を並べる一同に、僕は言った。
「枯れた川を下流へたどって行くんです」




