4章-3 共闘
「まあ、待ってください」
いきなり背後から声をかけられた。僕たちは電流を流されたような勢いで振り返った。
「やあ、ニトさん。またお会いしましたね」
そう微笑したのは司馬だった。愕然となって動けない僕たちを尻目に、司馬は咲にも丁寧な会釈をする。その右手には学校で会ったときと同じように、ボウガンが握られていた。
「いつの間に……」
やっとうめくように言った僕に、司馬はしれっと答えた。
「最初からここにいましたよ。ニトさんと美濃部さんの会話も、全部聞かせて頂きました」
「まさか、そんなはずない。美濃部さんを見つけたとき、そこには誰もいなかった」
「それはそうでしょう。だってわたしは、ずっとニトさんのあとをつけていたんですから」
「つけてた? いつからそんな」
「桜の木の下に、ニトさんを見つけたときからです」
僕ははっとなった。
「じゃあ、さっきの物音は」
「ご名答です」
司馬は青ぶち眼鏡の奥で目を細めた。
「そっと近づこうとしてたんですが、不注意で茂みを揺らしてしまいましてね」
僕は自分の迂闊さに拳を握り締めた。
美濃部の声が聞こえたとき、その場所のずれに違和感は持っていたのだ。どうしてしっかりと確認しなかったのだろう。また、どうしてすぐにこの場から移動しなかったのか。
自分がいかに脆弱な綱渡りをしていたのかを痛感した。
必死に逃げ続けて来たはずなのに、こんなところに足を止めていたせいでこのザマだ。美濃部との話も、歩きながらだってできたはずだ。しかも自分たちの身を守るための道具は何もない。ついさっきもそのことを思ったはずなのに、石ころひとつ拾っていない。
自分の浅はかさを百万回も罵りながら、僕にできることといえば、咲をうしろに隠すことぐらいだった。
唐突に司馬が、笑い声を洩らした。
「そんなに警戒してもらわなくても結構ですよ。わたしは何も、ニトさんたちを襲おうだなんて思ってませんから。ただひとつ、お願いがあるだけでして」
「お願い?」
「はい。わたしも是非、ニトさんに同行させていただきたいんですよ」
予想を超えた申し出に、僕の思考は追いつかなかった。
「どういうことです?」
「深い意味はありませんよ。その方がゲームをより一層楽しめると思うからです」
いかがです? と問いかけてくる司馬に、僕は首を横に振った。
「僕はあなたが信用できません」
司馬がすっと目を細めた。僕はその視線に挑むように問いかけた。
「あなたは、このゲームのスタッフなんじゃないですか」
あくまで勘だった。しかしディスクの人物情報において、まだ誰のことを指しているのかわかっていないのは、多重債務者とスタッフだけだ。そして残っている冒険者は司馬と多賀のふたり。二者択一ならば、スタッフは司馬しかないと僕は踏んでいた。
果たして司馬は、あっさりと肯定した。
「またまた、ご名答です。ニトさんのおっしゃるとおり、わたしは主催者側の人間です」
僕は驚くよりも、呆気に取られた。まさかすんなりと認めるとは思っていなかったからだ。
同時に、背筋や手のひらに汗が浮かぶのを感じた。スタッフという身分を明かした司馬は、今までにない危険な相手に思えた。
僕はボウガンの握られた司馬の右手に注意しながら、問うた。
「スタッフであるあなたといっしょになって、どうしろと言うんです?」
「どうと言うことはないですよ。わたしがスタッフであることも、忘れてもらって結構ですから」
「そんなん、できるわけないやん」
咲がうしろから反論した。
「こんなアホみたいなゲームにうちらを巻き込んで、そんなひとといっしょに行くなんて絶対に無理や」
咲の声は微弱に震えながらも、鮮烈な怒りに満ちていた。が、司馬はそんな言葉を浴びせられても、肩をすくめただけだった。
「アホ、ですか。いや、これは意見の相違ですね」
司馬は苦笑してから続けた。
「でも勘違いしてもらっては困ります。だってわたしも、他の冒険者のみなさんと平等なんですから」
「平等? そんなこと信じられると思うんですか」
「おや、それは心外ですね。同じようにゲームを楽しもうとしているのに、ハンデがあったのでは面白くないでしょう」
「いい加減にしてください。こんなゲームのどこが面白いって言うんです」
僕の語気は自然と強まった。だが司馬は、その理由がわからないと言うような、不思議そうな顔つきをした。
「ニトさんは面白くないんですか」
「当たり前でしょう」
僕は死んでいった者の無念さを代弁するように、言葉をぶつけた。
「こんなどこともわからない場所に連れて来られて、無理矢理に殺し合いをさせられているんですよ!」
「それはおかしいですね」
司馬は涼しい顔を崩さない。
「みなさん、望まれてここに来たはずなんですが」
「馬鹿な。少なくとも僕はこんなこと、望んだ憶えなんてない」
「しかしベルに、ゲームの世界が現実になればいいのに、とおっしゃったのでしょう」
「それは……」
答えに窮したのは、それが事実だったからだ。
「でも殺人ゲームだなんてことは知らされなかった。三種類も用意されていたホームページが、悪意に満ちた罠じゃなくてなんだと言うんです」
「ニトさん、それは被害妄想というものですよ」
「被害妄想?」
「同じイベントにお誘いするにしても、相手によっては言葉を変えるのが普通でしょう。わたしたちだって、是非、参加して頂きたいと考えているわけですからね。巷で問題になっているワンクリック詐欺のような、姑息な手も使っていない。みなさん自らが自身の名前を打ち、参加を登録されたわけです」
司馬は美濃部のことをちらりと見やってから、続けた。
「“怪物”役となって頂いたみなさんにも最初に、これは危険かつ違法な仕事で、多少の怪我をすることぐらいは覚悟しておいて欲しい、と伝えてあるはずです。先ほどの話では、美濃部さんはそこのところを省いておられたようでしたが」
美濃部は視線をさまよわせ、そのまま地面に目を落とした。その反応が、司馬の指摘が事実であることを物語っていた。
「ほな、うちは何で連れて来られたん?」
咲が切羽詰ったように声を上げた。
司馬は初めて表情をわずかに曇らせた。そこにあるのは、悲しみであるように見えた。
「お嬢さんだけは仕方なかったんです。確かに望んでいなかったと言われても、反論はありません」
「どういうこと?」
「薄々はお気づきかもしれませんが、お嬢さんのお父上は多額の借金を抱えておられたのです。しかもその借りた相手が悪く、お嬢さんの身に危険が迫っていました。そこでお父上と話し合った末、お嬢さんをわたしたちが引き取ることで合意したというわけです」
「ほしたら、お父ちゃんはこのこと知ってんの?」
「はい。ご了解を得ています」
「そうやったん……」
ふらりとよろめいた咲の体を、僕は慌てて抱き止めた。
「あ、ごめん、平兄ィ。うちは大丈夫……」
気丈な言葉とは裏腹に、咲は足に力が入らないようだった。顔色は真っ青で、瞳も虚ろなものとなっている。
僕は咲を支えたまま、司馬をにらんだ。
「司馬さんは楽しいんですか」
「愚問ですね」
「教えてください。こんなゲームの何が楽しいのかを」
「生きていることを実感できるからですよ」
司馬は清清しいとさえ言えるような笑みを浮かべた。
「死と隣り合わせの緊張に満ちた時間。自分の破壊衝動を解放する快感。その先につかむ財宝と栄誉。その全ての瞬間が、その瞬間だけが、わたしに生きている意味と喜びを教えてくれるのです」
「本気でそんなことを」
「もちろんですよ。だってこのゲームをやろうと言い出したのは、わたしなのですから」
「なっ……」
絶句する僕に、司馬はさらりとした口調で言った。
「わたしはほとほと嫌気が差していたんですよ。発狂しそうだったと言ってもいい。生きているのか死んでいるのかわからない毎日に。何の意味や価値も見い出せない暮らしに。だからあいつに準備してもらったんですよ。あいつは色々と器用なやつですから」
「あいつっていうのは」
「ベルと名乗るあの子ですよ」
司馬は小さく息をつく。
「弟です」
今度こそ本当に言葉も出ない僕に構わず、司馬はごくありきたりなことを話すかのように続けた。
「実は今回で三度目なんですよ。場所や内容はもちろん違いますけどね。お恥かしい話なんですが、もう病み付きです。今回は特に楽しみにしていたんですよ。ベルから真の冒険者たる資質を持った人物が参加していると聞かされていたものですから。ずっと誰のことだろうかと迷っていましたが、どうやらニトさん、あなたのことだったようですね」
嬉しげに話す司馬を前に、僕は吐き気を覚えていた。体の芯が震えている。
司馬もベルも、人間とは思えなかった。まるで昆虫か爬虫類を相手に話しているようだ。その考え方も、行動力も、全てが狂った方向へ捻じ曲がっている。
だが僕が何よりも恐怖したのは、司馬の言葉が、僕の心のどこかに響いているのを感じたからだった。
「わたしはね、よく考えるんです。この天地の狭間にあって、生きるとはどういうことなのかを」
司馬は夜空を見上げながら、自分の胸に手を当てた。
「心臓が動いている。確かに生きている証だ。でもこれだけで、本当に生きていると言えるのでしょうか」
満月から僕へ、司馬が視線を転じた。
「この命をどう使うのか。それを真剣に考え、何かひとつのことに魂を燃焼させる。それが生きるということなのだと、わたしは思うのです」
司馬の前で、僕はあまりに無力だった。言い返すための、たった一言も見つけられない。
「現代日本における現実世界は、あまりに空虚だ。目指す目的も、たどるべき道も見つからない。何もしなくとも、毎日は過ぎていく。ホームレスに身をやつしたところで死ぬことはない。そう、この国ではね、生き延びることはあまりに簡単なんですよ」
司馬は遠い目をしていた。
「いっそ戦争でも始まってくれればいいのに――そう考えているひとは、少なくないと思いますよ」
「馬鹿げてる。そんなこと……」
吐き捨てようとしたのに、声音に力が足りなかった。見透かしたように司馬が言う。
「本当はニトさんも、同じように感じていたのではないですか」
「違う。僕は……」
「そうでしょうか? わたしには、あたなが『ウロボロス』の最終迷宮までたどり着いたという事実が、その証拠だと思うのですが」
「証拠?」
「考えてもみてください。最終迷宮までたどり着くのに、あなたは人生の何時間を費やしたんです? いや、『ウロボロス』だけじゃない。どんなネットゲームもクリアーするのは数百時間が必要となる。人々がそれほどにゲームに夢中になってしまうのはなぜです?」
僕はうめくことしかできなかった。司馬の言葉があまりに図星だったからだ。
「もうおわかりでしょう。自分の人生に、それ以上に価値のあることがないからですよ。もちろんゲームに限ったことではないでしょう。あらゆる趣味やスポーツ、習い事でも同じことです。そうそう、仕事も忘れてはいけませんよね。仕事に生きる、それもなるほど結構です。が――」
司馬は一度、言葉を切り、苦笑まじりに言った。
「その中で、魂を燃焼させることができているひとは、一体どのぐらいいるのでしょうか。心のどこかで誰もが、こんな人生でいいのかと常に自問を繰り返しているのでは? もう一度、繰り返しましょう。平和で豊かなこの日本では、魂の使い方があまりに限られている。それがこの国に生まれた者の、最大の不幸なのですよ」
僕の答えを待たず、司馬は腕時計で時間を確認した。
「さて、長く話し過ぎてしまったようです。そろそろ行きましょうか。もう二時を超えていますよ」
息を飲み、僕は再び携帯電話を開いた。
『02:01』。すでに“怪物”たちの追跡が開始される刻限になっていた。
「さあ、ニトさん。どこへ向かうんです。わたしはあなたに従いますよ」
当然のことのように言う司馬に、僕は言った。
「僕はあなたといっしょに行こうとは思っていません」
「おや、意外に頑固ですね」
司馬はくすりと笑った。
「けれどわたしを同行させた方が得ですよ」
「スタッフだからですか」
「違いますよ。これがあるからです」
そう言って、司馬はコートのポケットから、黒い物体を取り出した。アンテナがついており、一見すれば携帯ラジオかトランシーバーのように見える。
「途中の廃屋で手に入れたアイテムです。“千里眼の水晶”なんて名称が付いてますけど、要するに探知機です」
「探知機? 何を探すんです」
「冒険者に反応するんですよ」
司馬はちょっと得意げに片方の眉を上げた。
「冒険者が五十メートル以内にいるときは青色、三十メートル以内なら黄色、十メートル以内なら赤色のランプがつくという仕組みです」
「じゃあ、それを使って」
「はい。ニトさんを見つけることができました」
言いながら司馬が示す探知機には、赤いランプが点滅していた。僕に反応しているということだろう。
「でも僕たちの何に反応して?」
「最初に全員に配られたものがあったでしょう」
僕ははっとなった。
「ノートパソコン……」
「三度、正解です」
満足げにうなずいたあと、司馬は言った。
「どうやら、わたしたち冒険者の面々は、ノートパソコンに仕組まれている発信機で見張られているらしいですよ」
「そうか、それで……」
あまりに克明に再現される映像がある。
去って行くユマノン。僕たちに手を振り、直後、頭が弾けた。
思えば不可解だった。どうしてユマノンの脱走をあれだけ早くに察知し、粛清することができたのか。
「くそっ!」
僕はリュックからノートパソコンを取り出し、本体を開いた状態のまま、石の上に思い切り叩きつけた。衝撃音とともに、細かな部品が弾け飛ぶ。一撃で、ノートパソコンは真っ二つになった。
発信機は簡単に壊れないようになっているのだろう。司馬の持っている探知機は、まだ赤いランプを点したままだった。
余計に怒りが湧いた。ふたつになったノートパソコンの本体を、僕は力任せに放り投げた。遠くで、プラスチックが割れる軽い音がした。
探知機のランプが赤から黄色に変わった。発信機はまだ活きている。僕は荒い息をひとつ吐き出した。発信機が健在である方が、追っ手の目をくらませることができるだろう。そう考えられる程度には、僕の激情は収まっていた。
平兄ィ、と小さく呼びかけながら、咲が心配そうに僕の手を握った。
「行こう」
つぶやくように言うと、司馬が横から問いを挟んだ。
「わたしも仲間に入っていると考えてもいいのでしょうか」
僕は鼻を鳴らした。
「その決定権は僕にあるんですか」
司馬はちょっと考えるような仕草をしたあと、目だけで笑った。
「来るなと言われても、付いて行きますね」
「そんなことだろうと思いました」
そっけなく言ってから、僕は咲の手を引いて歩き出した。




