3章-5 廃校⑤ ~真実の過去~
ディスクに入れられていたヒントを思い出せ。人物紹介の二番目。ゲーム会社のデバッカーとなっていた。
ベルは続けて記していた。
――《HP1》を読んだのは、さっき紹介した①アニメショップのアルバイト店員、②ゲーム会社のデバッカー、③ニートに該当するひとたちだよ。この三名は何も知らずにオフ会に参加したひとたちさ。
頭が目まぐるしく動き、ひとつの結論に達しようとする。
すなわちサブローは――運転手が死んだことも知らず、“怪物”役にも遭遇することなく、冒険者にも出会わず、ただ宝物を探して突き進み、鍵のことも知らぬまま、すぐ下の通用口から真っ直ぐこの図書室にたどりつき、そして鍵を誰よりも早く手に入れた――と、そういうことではないのか。
もしかしてサブローは、殺人ゲームに気づかぬまま、強運だけを武器に、ここまでやって来たのではないのか。
僕が愕然となって見つめる先で、おっ、とサブローが大きな声を上げた。
「わかったぜ。この鍵ってもしかして、お宝を手に入れるために必要だとか、そういうことなんじゃねえの?」
サブローの探るような視線を受け、僕はうろたえた。途端にサブローが喜色を表す。
「やっぱり、そうなのかよ!」
サブローは拳を握り締め、足で床を叩いた。
「そいつは最高だぜ! これで五千万ゲットってか?」
すっと香澄が足を踏み出した。
「残念だったなぁ、おふたりさん。まあ、俺が五千万を手に入れたあかつきには、焼肉ぐらい奢ってやるよ」
サブローは得意げな顔で、指先につまんだ鍵を見つめていた。
香澄は自然な動作で本棚を回り込み、サブローに歩み寄っていく。それに気づいたサブローが大げさに驚いて見せた。
「おおっと、鞍替えかよ? こいつは参った……」
サブローは言葉を途切れさせ、驚いた表情で香澄のことを見つめ返した。
香澄がサブローにぶつかっていた。その胸に飛び込んだにしては、互いに不自然な体勢だった。
ほとんど重なり合うように接近したまま、香澄は右手を、サブローの腹を殴るように動かした。
三度か四度、香澄が手を動かしたとき、サブローがぐらりとよろめいた。
香澄はサブローに手を差し伸べた。支えようとしたように見えたが、そうではなかった。香澄は倒れようとするサブローの手から、素早く鍵を奪った。
激しい音が響いた。サブローは腹を押さえながら、目の前にある本棚を道連れに床に崩れた。
本棚に覆いかぶさったサブローは、床の一点を見つめていた。倒れた本棚の背に、赤黒い液体が幾筋もの尾を引き始める。
サブローのそばに、光が突き立った。刃渡り二十センチほどの、サバイバルナイフだった。鋼の刃は血に濡れている。投げ捨てたのは、香澄だった。
ハンカチで手を拭う香澄。目を剥いて倒れているサブロー。血に汚れたナイフ。それらを順に何度も見つめてから、僕はやっと言った。
「……どうして?」
香澄は聞き分けのない子供を相手するように、ため息をついた。
「だってしょうがないじゃない。鍵を手に入れるには、こうするしかないでしょ。くれって言って、渡してくれるはずもないしね」
僕は弱々しく首を振った。
「違う。僕が言いたいのはそういうことじゃなくて」
僕は今にも泣き出しそうな声になっていた。
「どうしてサブローさんを、こんな……」
「だから言ったじゃない。もうわたしにはあとがないんだって」
「だけど、こんなこと……」
ああ、と香澄は思いついたようにうなずいた。
「謝るわ。わたし、平介に嘘ついてた」
「……嘘?」
「そうよ。わたし、DV被害者だ、なんて言ってたけど、ホントは違うのよ」
「え?」
あまりにあっさりとした香澄の告白に、僕の神経は何の反応も返せなかった。停止した脳の中を、言葉が音として素通りしていくようだった。
香澄は当然と言うように、軽い口調で付け加えた。
「二番目のホームページを見たって言うのも嘘。わたしは三番目のホームページを見て、参加を決めたの」
心臓が震え出しそうな感覚に耐えながら、僕はかすれた声を出した。
「じゃあ、最初に駅で会ったときから……」
「そうよ。平介と話してみて、すぐにおかしいと気づいたわ。集まった全員が、わたしと同じように殺人ゲームのことを知ってるわけじゃないってね」
「それで僕に口止めを……」
「他のひとには知られない方がいいって、直感したのよ。そのときはわたし自身、殺人ゲームのことは半信半疑のままだったけど、念には念を入れておこうと考えたの。すると案の定、車の中で睡眠薬を飲まされたでしょ」
「睡眠薬って?」
驚いて問い返す僕を、香澄は小さく笑った。
「気づいてなかったの? サンドイッチといっしょに配られたジュースよ。あの中に、睡眠薬が入れられてたんだと思うわ。昼食のあと、すぐにみんなは眠ってしまったもの。だからわたしも、寝たフリをしてたわ」
愕然となりながら、僕は香澄の強さを畏怖した。
僕がオフ会をうまく過ごせるかどうかを思い悩んでいるときに、香澄はすでに抜群の機転と緻密な行動力を発揮して、ゲームに勝つ方法を模索していたのだ。
「パーティーでのお互いの素性を詮索しないというルール、支給された武器、そして五千万円の小切手をを見たときに、本当に殺人ゲームが行われることを確信したわ。だから運転手の男が死んだときも、内心では驚いてなかった。ただ覚悟を決めなくちゃって思っただけ」
「でも香澄は、ゲームを続けるかどうかと多数決を採ったとき、僕やユマノンさんといっしょに、中断する方に手を挙げてくれたじゃないか」
香澄は腰に手をやり、唇の片方だけを吊り上げた。
「あのときはちょっと困ったわ。わたしも心の中では続行を願ってたけど、それを悟られるのは危険だと思ったの。それに誰がゲームに乗り気なのかを知りたくもあった。だから先に司馬さんの意見を聞き出そうと迫ったのよ。なのにあのひとときたら、自分はあくまで中立だ、なんて言うんだもの。それで迷った挙句、中断の方に手を挙げたわけ。たとえ中断と決まっても、みんなで仲良くゴールなんて、うまくいくわけないと感じてたしね。ま、それも取り越し苦労だったわけだけど」
ふと思い出すように笑いながら、香澄は続けた。
「困ったと言えば、ジャンヌさんのときもそうよ。最期を看取ったとき、彼の腕に無数の傷があるのを見つけたのよ。それに加えて、彼が自分のことを話したじゃない。わたしはそれで、ジャンヌさんこそがDV被害者だって気づいたわ」
そう、確かに僕もジャンヌの傷に気づいていた。ジャンヌの手を握り返したときに、見えたのだ。ただ僕はその傷を、“怪物”役に襲われたときにできたものだと思っていた。でも違った。思い返せばあの傷は、もっと以前につけられたものだ。
そしてジャンヌは言っていた。ギャンブル好きの彼を助けるために、金が必要なのだと。
やっと全てをつかんだ僕に、香澄は見透かしたようにうなずいた。
「ジャンヌさんの言っていた“彼”っていうのが恋人だったんでしょうね」
「それであのとき、ジャンヌさんのことを……」
「多重債務者だって横から決め付けるように言ったのよ。DV被害者がふたりもいたんじゃ、おかしいものね。ちょっと強引だったけど、うまくごまかせてたでしょ」
僕はまだ心のどこかで、香澄のことを信じようとしていた。いや、信じたかった。
なのに、核心を突く問いを投げかけるのが怖かった。だから僕は現実から逃げるように、遠回りの質問しか口にできなかった。
「なら、ライデンというキャラクター名はどうして」
「それは今、同棲している男の話。つまんないやつだけど、わたしのことを一切詮索しないのがいいところ。料理さえ作ってれば、住むところにも困らないしね。これでもわたし、料理は得意なのよ」
「じゃあ、そのときにベルに会って?」
「ええ。退屈だったんで、ちょっとだけゲームを触ってみたのよ。最初はあまりに馴れ馴れしくて、誰よこいつって感じだったわ。だから脅してやろうと思って、昔のわたしのことをちょっと話したのよ。そしたらベルは逆に喜んじゃって、ぜひオフ会に来ないかって」
僕は喉の奥で息を飲んだ。“昔のわたしのこと”というのは、一体何を指す? 真相に迫る覚悟を決めてから、僕は訊いた。
「香澄をひどい目にあわせたっていう彼氏の話は、どこまでが本当で、どこからが嘘なんだ?」
香澄は真剣勝負を楽しんでいるような、挑むような瞳で僕を見つめた。
「たったひとつをのぞけば、あとは全部、本当のことよ。風俗で働かされていたことや、監視されて暮らしてたこと。それにこのペンダントのこともね」
青い石のはまったペンダントを指先で触れてから、香澄は言い足した。
「ただし、十年以上前の話だけど」
「ひとつだけ、違うっていうのは……?」
わかってるくせに、と香澄は冷笑とともに言い放った。
「元殺人犯。それが、わたしのことよ」
僕はきつく目を閉じ、声にならないうめきを洩らした。足元ががらがらと崩れていくような感覚に、必死に両足を踏ん張る。気を抜くと、地面に倒れ込み、二度と起き上がれないような気がしていた。
「……どうして、そのとき殺しちゃったんだよ?」
香澄はどこか吹っ切れたような、淡々とした口調で答えた。
「ハンバーグを踏みつけたからよ」
「え? ハンバーグ……?」
「そう。彼の誕生日に作ってあげたの。ハンバーグってね、結構、奥が深いのよ。どの牛肉とどの豚肉を何対何で混ぜ合わせるか。そのこね方はどのぐらいがいいのか。混ぜる玉ねぎの細かさと量。玉子もいいものを使う。わたしの一番の得意料理。なのに彼は……」
香澄が睨みつけてきた。青い炎が灯っているような、静かな怒りをたたえた瞳だった。
僕に向けられているのではない。もっと遠く――きっと十年以上前の、その日が映っているのだとわかった。
「いつもなら我慢できたわ。ずっと我慢してきた。でも、そのときは……。他の男を慰めた手で作ったハンバーグなんて食べられるかって、床に叩きつけて、踏みつけたのよ。だから――」
冷ややかな声が響いた。
「殺してやったのよ」
瞬間、ああ、と僕は息をついた。魂が抜けていくような脱力を感じた。
求めていたものが、目の前で幻に変わってしまったようだった。大切なものが、砂となって手のひらからこぼれていくようだった。
「ねえ、平介。わたしといっしょに行かない?」
香澄は妙にすっきりとした表情で、そう言った。映画かランチを誘うような、気軽な明るい声だった。
「本当のことを言うとね、最初は平介のこと、扱い易そうな男だとしか思ってなかったの」
話しながら、香澄はサブローのリュックを物色していた。封筒に入った札束を確認しては、自分のリュックに放り込んでいく。そこに迷いは見当たらなかった。当然の権利だと言わんばかりに、作業を続けている。
「でも平介といると不思議なの。自分のこと、あんなにすらすらと話せちゃうんだもの。それに意外と、なんて言ったら失礼だけど、頼りになるんだもの。今はわたし、平介のこと、ちょっとイイと思ってるのよ」
必要なものを移し変えると、香澄はサブローのリュックを投げ捨てた。自分のリュックを担ぎなおすと、水を飲み、携帯食料を頬張り始めた。その姿は、香澄がこの狂気のゲームに乗ったことを、雄弁に物語っていた。
「平介もわたしのこと、好きになりかけてくれてたでしょ。だったら、これからも協力して行きましょうよ。もうわたしにも誓って隠し事はないわ」
「僕は……」
「わたしのこと、汚れてないって言ってくれたときは、本当に嬉しかった。最後までいっしょにいようって約束もしてくれたじゃない。ね?」
すがるような香澄に、僕は弱々しく首を振った。
「僕は今ほど自分を憎んだことはないよ。君を止めるべきだったのに、僕なら君を止めることができたはずなのに……」
「平介……?」
震える息を飲み込んでから、僕は言った。
「駄目だよ、香澄。もういっしょには行けない」
何もかもが停止したような一瞬のあと、香澄がそっと息を吐いた。
「そう。残念だわ」
香澄はサブローのボウガンを拾い上げ、僕へと照準を合わせた。




