3章-4 廃校④ ~図書室~
校舎の角まで引き返すと、迷うことなく一階へ向かった。ロッカーの中から“怪物”役の連中が三階へ行ったことを、僕はこの目で見届けている。
くの字型に連なる階段を、壁際に沿って駆け下りると、正面口のある広間に出た。
大きく開け放たれた正面口の向こうには、運動場が広がっている。このまま運動場に飛び出し、どこかへ逃げて行きたい誘惑に、ふと駆られた。
廊下は当然ながら二手に分かれている。
左側から真横に伸びている方を行けば、校舎を横断しながら、僕たちが入ってきた通用口へと至る。でも僕たちが進むべきは、右手から真っ直ぐ奥へ繋がっている廊下だ。
警戒のため、左手の廊下をのぞき見る。手前の部屋は「職員室」となっていた。
動く影はどこにも見当たらない。が、もう動かなくなった人間は見つかった。
職員室前の廊下に、“怪物”役がひとり、二本の矢に射抜かれて倒れていた。そのうちの一本はフードに覆われた顔面に突き立っている。
薄闇の中に転がる死体を遠巻きに見つめながら、香澄がぽつりと言った。
「あの多賀って男、もう何人を殺したのかしら……」
今さらながら、背筋が凍るような思いを味わった。
あのとき多賀は僕たちをうしろから射殺しようとしていた。“怪物”役と間違えたわけではない。多賀の位置からは、僕たちのことがちゃんと見えていたはずだ。それでも問答無用に殺そうとした。
「やっぱり、三番目のホームページを読んでやって来たのかしら」
「もうそんなことは関係ないよ」
僕は首を振った。
「とにかく多賀は、相手が“怪物”役だろうと冒険者であろうと、関係なく殺す気になってる」
これからは相手が冒険者であっても、危険と見なさなくてはならない。僕はそのことを自分に言い聞かせた。ディスクから得た情報も、ここまで来れば、もはや意味はない。
全員がゲームに乗ったと見なすべきなのだ。
極限状態に追い込まれたとき、ひとはどう変わるかわからない。その証拠に僕も、目の前に他殺体があるというのに、もはや何ら驚いていない。
自分で気づかぬうちに、自分のどこかが、別のものへ変質していくような、漠然とした不安があった。
僕は自分の変化から目を背けるように、その場に背を向けた
広間を横切ろうとしたとき、壁に黒板を見つけた。『ようこそ、賢者の塔へ』という出だしの、僕たちが読んだのと同じ一文が記されていた。
ふと思い出し、階段下の空間をのぞいた。
予想した通りダンボール箱が見つかった。こちら側の入り口にも“光の精霊”の代わりである懐中電灯が用意されていたのだ。
僕は手早くマグライトを探したが、徒労に終わった。L型ライトも見つからない。誰かに持っていかれたのか、それともこちらには最初から用意されていなかったのか。
だが思ってもみなかった一品が入っていた。工事現場などで使う、ライト付きのヘルメットだ。半キャップ型の白いヘルメットに、ゴムバンド付きのライトが付属している。見栄えは良くないが、両手が奪われない上に頭を防護できるのだから、一石二鳥の優れものだ。
「何だかよく知らないけど、学生運動って感じね」
モップを持ち、ヘルメットをかぶった僕の姿を、香澄はそう揶揄したが、その点は気にしないことにする。
広間を抜け、廊下を進んだ。姿勢は低く、足音は極力立てぬように。それでいて、できる限り早く。
一年生と二年生の教室前を順に通り過ぎた。さらにもうひとつ、「会議室」とプレートのかかった部屋を越えると、そこが校舎の端だった。
思っていた通り、上へ通じる階段があった。また運動場側に面して、両開きの扉があるのがわかった。
ここも通用口となっているらしかった。つまりL字をしている校舎の両端に通用口があり、中央の角が正面口というわけだ。
こちら側の通用口は扉が備えられているだけで、学校の出入り口という印象には乏しかった。他の二箇所のように広間が造られているわけではなく、扉をくぐればすぐに廊下となっている。
黒板もなければ、懐中電灯が用意されていることもなかった。もっぱら、児童が運動場への往来に使用していたのだろう。
ただ鍵はかけられていない。両開き扉の片側だけが、わずかに隙間を作っていた。
僕たちは例のごとく壁に背を預け、二階を目指した。はやる気持ちを抑えながら、決して注意を怠らないように。
二階に着いた。息を整えつつ、耳を澄ます。耳鳴りがするような静寂しかない。
柱の影から廊下をうかがう。さっきまでと変わらぬ姿で、鉄の山が鎮座している。そして手前の部屋に「図書室」のプレート。
ぞわり、と静かな興奮に体がざわめく。
目線でうなずき合ってから、僕たちは図書室の前に立った。
ぴたりと閉じられている横開きの扉を、そっと滑らせる。ひとが通れる隙間ができたところで、部屋の中へ足を忍び込ませた。
モップを両手に構えながら、部屋全体を見渡す。広い空間を想像していたが、実際は他の教室と大差ない部屋だった。
思ったほどに暗くはない。
児童の手が届くように配慮されているのか、並んでいる本棚は、全て僕の胸の高さほどしかなく、そのために窓からの光が部屋全体に及んでいる。本棚は置かれているものの、肝心の本はほとんど残されていなかった。
僕は部屋の一点で目を留めた。
部屋の中央にある、大きい円卓机。その上に、段ボール箱が置かれている。
ほとんど同時に香澄も気づいたらしい。僕たちはどちらからともなく、足早に円卓机に近づいた。
段ボール箱には、期待通り「宝箱」の文字。間違いない。この中に鍵が入っている。
手を伸ばしかけて僕はしかし、目を見開いた。箱はすでに、開封されている。
反射的に香澄と顔を見合わせた。
香澄の瞳は救いを求めるように揺れていた。僕だって同じ気持ちだ。やっとここまでやって来たというのに……!
「よお、おふたりさん」
飛び跳ねるように振り返った。
小さな炎が踊っていた。その明かりの中に、男の顔が浮かび上がる。
そこに立っていたのは、サブローだった。
サブローはくわえていた煙草に火を点けると、澄んだ音を鳴らしてライターの炎を消した。
いつの間に? 思って、すぐに悟った。サブローは誰かが来る気配を察し、どこか物陰に身を潜め、待ち伏せしていたのだろう。
激しい後悔が僕の五体を重く縛った。サブローは廊下側の壁際に立っている。すなわち僕たちは、退路を絶たれたということだった。
紫煙を長々と吹き上げてから、サブローは言った。
「しっかし、あんたらふたりで行動してんのかよ。ちょっと妬けちゃうぜ」
サブローはいやらしく口元をゆがめた。
僕はモップを構えることもできなかった。否応なしに、サブローが手にぶら下げている物に目がいく。ボウガンだった。
ボウガンがただの弓矢と決定的に違うのは、引き金を引くだけで矢を撃つことができることだ。
僕たちとサブローとの間には、五メートルからの距離と、本棚という障害物が存在している。僕たちが先に動いたところで、サブローは易々と僕たちを仕留めることができるというわけだ。
「で、調子はどうよ。儲かってんのか?」
僕はサブローの動きを注視しながら答えた。
「さっぱりだよ。僕たちは逃げるのに必死だったからね」
「逃げる? 誰から逃げるんだよ」
サブローは愉快そうに笑いながら、ボウガンを見せつけるように、ぶらぶらと揺らした。
首の付け根に痺れるような感覚が広がった。言葉の通じない、異国の犯罪者を相手にしているようだ。いきなりどういう行動に出てくるわからない。そんな雰囲気を、サブローはまとっている。
絶対的な優位に立ったことで、僕たちのことをもてあそぶ気なのか。だが、そうとわかっていても、僕は全くの無力だった。サブローの余裕が隙に変わることを願うぐらいしかできない。
会話を途切れさすのはまずい。そう考え、僕は問いかけた。
「サブローさんの方はどうなんです?」
途端にサブローはにっと歯をのぞかせた。
「儲かりまくりだぜ。普段は運動なんてしねぇのに、ここぞとばかりに走り回ってよ。荷物になるってんで、パソコンも水も途中で捨てちまったよ。身軽になって探しまくったわけだ。その甲斐あって、ま、自慢じゃねえけど、三百万はいってると思うぜ」
サブローの言葉がそれだけだったら、僕も黙っていることができた。でもサブローは軽い口調でさらに続けた。
「こんなゲーム、ちょろいもんだぜ」
かちん、と脳天で火花が散った。愚かな行為だとはわかっていた。が、口を閉ざしたままでいることは不可能だった。
「それで、何人殺したんです」
「はん?」
「そのボウガンも使ったんですか」
サブローの言う「ちょろいゲーム」で、すでに何人もが命を落としている。ユマノン、ジャンヌ、運転手の男――その誰もが、こんなどこともわからない廃村で人生を終えるなどと、思ってはいなかっただろう。
深くは知らない仲だ。それだけの時間は、僕たちの間に存在しなかった。
でもはっきりしていることがある。それは死んでいった誰もが、価値のある人生を送っていたということだ。意味を持って生きていたということだ。
そう、少なくとも、僕に比べれば――。
前へ出ようとした僕を、しかし香澄が止めた。香澄は僕の正面に回り、サブローと真っ向から対峙した。
「鍵は手に入れたの?」
「ん? ああ、鍵ね。そこの箱の中にあったぜ」
サブローはポケットから取り出した鍵を、指につまんでぶら下げて見せた。ひと昔前を思わせる形の鍵だった。金色に塗られているのが、いかにも作り物めいている。
サブローは不思議そうな顔で鍵を見つめながら言った。
「けどよ、これ、どこの鍵なんだろうな」
「どこって、黒板にメッセージが書いてあったでしょう」
僕は思わず言い返していた。どこまでふざければ気が済むのか。
が、サブローはますます眉を寄せる。
「メッセージ? そんなの知らねぇぞ」
僕は言葉に詰まった。冗談や嘘を言っているようには見えなかったからだ。サブローは心底、理解できないという表情をしていた。
僕の脳裏に、ちかちかと赤い光が明滅し始めた。何かがおかしい。どこかがずれている。この気持ち悪い感覚は何だ?
「サブローさんは、どこからこの校舎に入って来たんです?」
「あ? このすぐ下にある入り口からだぜ。ま、色々と寄り道してたからな。ついさっき、着いたばかりさ」
僕は絶句した。ついさっき? 着いたばかり? 思考がまとまらない。
だが、ひとつの筋道が見えかけている。ただ焦点が合っていないだけだ。もしかして僕は、とんでもない思い違いをしているのではないか――。
散々質問に迷ってから、僕は結局、唐突なことを問いかけた。
「サブローさんは、どういうお仕事をされてるんですか」
「へ? 何だよ、いきなり」
サブローは少し目を丸くしたあと、苦笑しつつ言った。
「デバッカーだよ。小せえゲーム会社のな。知ってるか、デバッカーって仕事?」
デバッカーとはプログラム上の誤り――バグを探し出す者の呼称だ。
組まれたばかりのコンピュータプログラムは、製作者の意図や思惑とは異なる動作をすることが少なくない。デバッカーはそんな誤作動の有無を検証していくのである。ゲームソフトのデバッカーとなると、一本のソフトにつき、数人からのデバッカーがつく。
仕事の内容は、とにかくゲームをとことんまでプレイすることだ。そしてプレイの中で、思いつく限りのありとあらゆる操作を行う。通常なら決して行われないような、ときには馬鹿げていると思われるようなことを、逐一試していくのだ。
簡単な仕事ではない。並々ならぬ体力と根気、そして経験から導かれる鋭い追究の目が必要となる。何万人、ときには何百万人にもなる全てのユーザーがどのようなプレイをしても、決して誤作動を起こすことがないように、ひたすらチェックしていくのである。
が、問題はデバッカーという職業にあるのではなかった。サブローがデバッカーであることこそが重要なのだ。




