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葵サイド



 レース当日、葵は純也から貰った入場チケットで国際レーシング場に来ていた。


 葵は人気の少ないメインストレート前の観戦席に座ってJSB1000ICUPST600クラスの観戦をしていた。初めて入ったレース場内のあまりにも広いスペースに驚いた。隣接する遊園地に毎日バイトに通っていたにも関わらずこんな空間がある事すら知らなかった。


 二輪車のエンジン音が響き渡るレース場内を見下ろすとカラフルな傘を差した綺麗なレースクイーンたちがマシンに跨ったレーサーの横に立っていた。そんな様子は四輪車だったか、テレビで見た事があったが実際にも居る者なのだなと感心していた。


 目の前には遊園地の観覧車が見えた。それはいつも目にしている観覧車だった。


 観覧席から見えるパドック内は沢山のピットクルーたちで賑わっていた。こちらから見ていてもその人たちの殺気立った様子が伺えた。出場するマシン一台一台に何人かの人が群がっていて、レースを走る上ではマシンとレーサー以外に関わる人があまりにも多い事に気が付いた。


 選手紹介が始まった。

『ポールポジション。65番 大橋純也CBR RR1000 チームJ.CC

二番 13番 ……』


 純也は予選を一位で通過したらしく、ポールポジションで名前を呼ばれていた。

三人ほどの傘を差したレースクイーンに囲まれている。綺麗な人達ばかりだった。白いフレアのミニスカートを穿いて形のいい脚を出していた。こうして見ると純也はやはり有名人のようだった。コース内では肌を露出したレー


 スクイーンは目立っていて、中にはメイド服を着ている人もいた。


 選手紹介が行われる中、コース内にいたピットクルーたちがゾロゾロとパドックへと引き上げ始めた。


 二十台目の選手紹介が終わる頃には、コース内にはグリッドに着いたカラフルな色のマシンとレーサーたちだけが残され、そして一周だけのウォーミングラップが始まった。


 一台一台ゆっくりと走り出した。


 赤いフラグを持った人がコース中央に立った。ウォーミングラップを終え、次々とライダーたちがスタンディングポジションへと着いて行く。


 全員スタートに着いて、静まり返った中、エンジン音だけが響く。そしてシグナルが変わり、全員一斉にスタートを切った。


 少し出遅れた感の純也は4番手スタートとなり、第一コーナーを曲がって、暫くすると姿が小さくなり見えなくなった。凄いスピードだった。


 目の前の20台のマシンが音だけを遠くに残して、葵の視界からあっと言う間に消えた。



 四番スタートだった純也のCBR RR1000が葵の居るメインストレート前に一位で戻って来た。純也の後にはぴったりと13番ゼッケンのYZFR1が着けていた。その少し後方には別の二台がテールtoノーズを交互に繰り返している。


 先頭集団の4台が第一コーナーを通過して葵の居る観戦席から見えなくなった頃、十台ほどのマシンがメインストレートに滑り込んできた。


 JSB1000クラスとST600クラスの混合レース、その十台ほどの集団のほとんどがJSB1000のマシンと見られた。ST600クラスの出場マシンはわずか4台。


 それ以外は全てJSB1000クラスのマシンだった。ST600クラスのマシンは少し小振りに見える。


 この日の天候は梅雨時期には珍しく快晴。路面はドライ状態だった。


 半袖を着ていた葵の腕を太陽がジリジリ照らす。日焼けを避ける為、カバンからハンドタオルを取り出して太陽が照りつける肌へとあてがった。


 4ラップ目に入り、純也の居る先頭集団がメインストレートを通過し、1ラップ目より捌けた状態の2位集団最終コーナーを曲がってメインストレートへと差しかかる直前、その中の一台のマシンが急にバランスを崩して蛇行し始め、真後ろのマシンと接触しクラッシュ。


 ライダー二人はマシンから投げ出され、マシン二台は大破しながらコース外へと弾き飛ばされた。一瞬の出来事で驚嘆した葵は両手で顔を覆った。

 

 ライダー二人に怪我は無かったらしく立ち上がって、パドック内へと引き返していた。


 普段事故など目撃した事のなかった葵は目の前で起きたクラッシュに暫く身体の震えが止まらなかった。


 最終の10ラップ目に入り、65番ゼッケンの純也は13番ゼッケンのYZFR1と一周目からずっと変わらずテールtoノーズ状態が続き、スプーンカーブから西ストレートへと立ち上がり、その時点では純也はトップを死守していた。


 減速するヘアピンカーブもトップを譲る事無く通過。そして、カシオトライアングルシケインに差しかかると、バックマーカーのマシンが思いの他スローペースで走行していた。


 ハイペースで滑り込んできたトップ争いの二台が前を行くバックマーカーのマシンにペースを崩され、ラインクロスして接触。二番手を走行中だった13番のYZFR1がコースアウト。


 一瞬だけグラブルを走行したがどうにか立て直しコースに戻った。その隙に純也のCBR RR1000がバックマーカーのマシンを難なく追い抜き、爆音と共に猛スピードでメインストレートへと一気に滑り込みトップでチェッカーフラッグを受けた。純也が嬉しそうに片手を上げてガッツポーズを取っていた。


 



その後葵は遊園地に隣接してある宿泊施設の中にあるラウンジで、純也のメールを待っていた。レースが終わって時間潰しにレース場を探索して、かれこれ一時間以上が過ぎている。


 あの殺気立ち、込み合ったパドック内へと入り込む勇気もなく、結局この場所にブラブラと流れて来た。


 ガラス張りのラウンジの席から、やはりあの観覧車が見えた。あの観覧車はこのサーキットの敷地内のどの位置からも良く見える。


 おやつも兼ねてケーキセットを注文した。ホットのカフェオレとチョコシフォンケーキ。


 シフォンケーキの横にはホイップが付いていた。フォークに差したケーキに少しだけホイップを付けて食べ、冷房を利かせた店内は思いの外落ち着いた。


 窓の外を見上げ、もう一度観覧車に目をやる。ここ一カ月近く、この施設に通ってきたが一度も乗った事の無かった観覧車。


 この間の瞬とのデートの時も、なぜか後回しにして結局、閉園時間になり乗れなかった。その観覧車が夕日を浴びオレンジ色に染まり出した。


 自虐的な行為に及ぼうとしているのは分かっていた。このような事をしたからと言って宙を忘れられる筈が無い事も分かっている。ただ、


 もう宙の元へと帰れない状態を作りたかったのだ。相手は純也じゃ無くても誰でも良かった。宙への思いを乗り越えられるなら、誰でも良かったのだ。


 ミチルの代わりなど出来ない。


 だからと言って自分に良く似た不幸な少女に対して憎しみなど持てなかった。


 ミチルの辿った現実を全て受け止めて生き続けなければいけない美津子が可哀相で仕方が無かった。


 そんな美津子を残して行くのは心残りだが、自分にも親や妹弟がいて自分を必要としている。もう、終わりにしたかった。


 何もかもリセットして宙に出会う前の自分に戻りたかった。






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