葵サイド
その夜、美津子のアパートに帰って来た葵は布団の中で純也の事を思い出していた。
あの後、純也はホタルが飛び交う中で葵にキスをしてくれた。宙以外の男性は初めてだった。純也のキスは宙の何倍も大人に感じられた。大人のキスに茫然としていると純也は葵を抱きしめながら言った。一緒に住んでいる彼女が居ると。
だから、今夜は付き合えないが来週のサンデ―ロードレース後なら付き合えると言った。葵はそれでもいいと頷いた。
レースを観戦しに来いと強引に誘って来た。それからレース終了後、メールをするからと告げた。葵はレース観戦の日が楽しみになった。ただ、淡々と過ごしていたこの地では初めての喜びだった。これで……何もかもふっ切れる。
布団に入る前、携帯に宙から電話があった。宙からの電話をずっと無視し続けていた葵だったが、今なら別れを告げる事が出来ると思った。
「はい」
「葵?」
久しぶりの宙の声に全身が震えた。
「うん」
「元気か?今……どうしてるんや?」
「うん……知り合いの人のアパートでお世話になってる」
「そう。こっちへは……帰って来んのか?俺……自分勝手な事言うてごめんな。ちゃんとこれからの事、葵と話がしたいんや」
「来週の月曜日には帰るつもり……」
「そうか。帰って来るんか?」
電話の向こうの宙の声が嬉しそうに弾んだ。
葵は一回深呼吸して息を整えた。
「ヒロちゃん……もう……別れよ。私たち」
宙が葵の言葉に黙り込んだ。
「もう……ミチルちゃんの代わりは嫌だよ」
「葵……葵が俺の部屋からミチルの手紙を持ち出した事は知ってる。それで俺への不信が募ったのも分かる。だから……その事も含めてちゃんと話合おう?な?」
「手紙を見て驚いたの。ミチルちゃんが自殺した日、ヒロちゃんはミチルちゃんと会ってたんでしょ?ミチルちゃんの父親はヒロちゃんと会ってたのを翼君と間違えてた。そうでしょ?」
携帯を持つ手が震えた。
「そうや。確かにあの日俺はミチルに呼び出されて故郷へ帰ってた。そして、街で偶然ミチルの父親に会って怒鳴りつけられた。それは認める。葵……お前もしかして……俺を疑っているんか?」
葵は一番宙にぶつけたかった言葉を吐いた。
「そうよ。どう考えたって……ミチルちゃんを強姦した犯人はヒロちゃんしかいないじゃない」
「葵……俺はそんな事してない。するはず無いやろ?」
「私……ヒロちゃんが信じられない。信じていないの。ヒロちゃんは私を暗闇の中のホタルだったって言ってくれた。凄く嬉しかった。でも……ヒロちゃん。ヒロちゃんが好きだったのはミチルちゃんで私はただの身代りだったんでしょ?私にそんな大きな嘘をついていたヒロちゃんを信用出来るわけがないじゃない!」
葵はそれだけ言って携帯の電源を切り、泣きながら携帯を握りしめたままその場にしゃがみ込んだ。




