晴騎サイド~二年前の回想~
「なぁ、宙。さっき沙耶が歯止めを知らないって俺も含まれているように言ってたけど意味が分からないんだけど」
宙は顔を伏せたまま
「つまり、やり過ぎってことや。俺、一番大事な葵の身体を気遣えんとよう医者目指しとったわ。アホや」
「はぁ?やり過ぎって……。この鬼畜野郎」
「俺……お前に鬼畜呼ばわりされたら……もう、生きてけんわ」
「何気に……宙君羨ましい。俺、剣道辞めよっかな」
「俺みたいに逃げられるぞ。せやけど、沙耶ちゃんって普段はのんびりして優しそうやけど、やっぱりあの杉本コーチの娘だけあるわな。グッサリ突いてきたもんな。お前を一年も余所見させんと繋ぎ留めておくだけあるなぁ」
その恐ろしく整った顔にニヤリとした表情を浮かべた。
「バックに……仁王様が睨んでるし……」
「お互い丸なったな」
宙と顔を見合わせて笑い出した。
「あの頃の事を思い出すと俺ら、よくここまで普通に生きて来れたな」
「まぁな。俺はまだ尾を引いてるけどな。あんなもんのせいで……あんなもん……欲出さんと溝川へ捨てておけば良かった」
宙の表情はさっき以上に曇り出した。
中学時代、晴騎と宙はかなりの悪だった。
表向きは全国レベルの剣道の実力者と医者を目指す成績優秀な生徒だったが、一端学校を離れると二人の存在を知らない悪はいないくらいの二人だった。その悪の間では二人は中卒の塗装工で働く十七歳の少年で通っていた。
当時は医者の息子である宙はお金に困る事はなかったが晴騎のほうは母子家庭で育ち、何かと金銭面では小うるさい母親のおかげで遊ぶお金がなく剣道をさせるのに精いっぱいだと言われていた。
そんな晴騎が塗装工を営む伯父から格安で譲り受けたシンナーを、悪たちに小遣い稼ぎに売りさばいていた事があった。
伯父には格技場と部室のペンキを塗り替える為、大量にシンナーが必要だと言っていた。伯父からすれば地元紙を賑わす全国レベルの剣道の選手の甥っ子は自慢でもあった為、ただも同然で晴騎に譲ってくれていたのだ。
土曜の夜になると自分たちが住む町より少し離れた町の繁華街のゲームセンターやカラオケボックスへ繰り出した。
そして、ゲームを楽しむ合間に悪そうな輩に話しかけたり、カラオケボックスの前で待ち伏せ状態で栄養ドリンク剤の瓶に入れ替えたそれを一本千円でどうかと声を掛ける。
逃げ出す奴もいるがホイホイと財布からお金を出す者もいて裏路地に連れ出し、物の入った瓶を渡す。
その噂を聞き付け客が客を呼んでくる事もあった。始めは宙と半分遊びの商売と割り切ってそれを楽しんでいたが悪の間では二人は有名になっていた。
宙は柄の悪い客との駆け引きはスリルがあって楽しいと言っていた。宙は晴騎と違って金が欲しい訳ではない。ただ、悪い事の経験をしてみたいだけといった感じだった。自分たちの生活からかけ離れた荒んだ世界を好奇心いっぱいで少し離れた場所で傍観している宙。
そんな宙と一緒にいる晴騎はどこか自分自身に安心していたのだ。多分、宙と一緒に行動しなければ自分はこの荒んだ世界の住人にどっぷり嵌る要素を備えていると自分で分かっていたからだ。
宙と共にいるだけで、自分は表向きの生活に素知らぬふりして戻る事が出来ると安堵していた。
伯父から譲り受けたシンナーが底をつき始めた頃、晴騎と宙は常連客の一人で、どこかの暴力団組員のパシリをしていた柳沢裕也に二人を紹介して欲しい女がいると聞かされた。来る者拒まず去る者追わずの二人だったので二つ返事でOKした。
すると裕也はその女は暴力団組員の元女だと言った。暴力団と聞いて二人は断ったが裕也に今は堅気で組員とは関係ないと言われて仕方なく承諾した。
深夜一時を回って、人も疎らなファミリーレストランに連れて来られた二人は派手な年上の女性を紹介された。堅気に見えない事もないが、危ない男の女と言われても頷けるタイプだった。
その女は喫煙席で足を組んで煙草を吸っていた。そして、二人を見るなり急に表情を代え
「ひろし君?宙君でしょ?分からない?私、あなたの家の病院で看護師してた事のある中山アズサ。覚えて無い?」
宙は自分を知っているその女に
「はぁ?病院?そんな金持ちの息子がこんな商売してると思うか?人違いやろ?俺の名前はアジオやそれにこいつの名前はサバオや」
アズサは宙の言葉に吹き出した。
「アジオにサバオ?良く出来た名前だわ。まぁ、そんな事どうでもいいか」
宙の嘘に話を合わせて納得したようだったが宙も目の前の女は知っているらしくいつものポーカーフェイスが幾分引きつっているように見えた。
「へぇ、今夜の名前はアジオにサバオかぁ。先週はヒカルとゲンジだったし、確かそのまえの週はアヒルとハクチョウだったけ?」
宙は思い付きで自分たちの名前をコロコロ代える。
「こんな人目のつく場所じゃ話しづらいからどう?私のアパートに来てくれない?」
アズサが煙草を揉み消しながらそう切り出した。
「裕也君はここでいいわ。後はこの二人と話しをしたいから」
「俺はここでいいんすか?」
追い払われたと感じた裕也は面白くなさそうな顔をしている。
「後で、電話するからいつものとこで待ってて。その代り、今夜はずっと付き合うから」
アズサにそう言われ裕也は上機嫌でファミリーレストランを出て行った。
それを見送ってから宙が
「女は得ッスね。ウィンク1つで男をどうにでもできるんやから。羨ましいわ」
「それは男もそうでしょ。あなたたちなら、女の子をどうにでも操れるでしょ」
妖しげなうすら笑いを浮かべたアズサにゾクリとした。
「俺、彼女と約束あるんやけど、なぁ、サバオお前一人で話し聞いて来いや」
特定の彼女などいない宙が嘘をついて席を立った。宙はきっとこの状況はヤバイと見たのだろう。
「そう、残念だな。アジオ君とはじっくり話がしたかったんだけど。アジオ君もサバオ君もカッコイイから女の子にモテルんだろうな。アジオ君なんか男の子からも声がかかるんじゃない?」
「こんな貧乏な二人はモテへんなぁ?どうですか?今晩のオカズはサバにすればええん違いますか?」
アズサは宙の冗談が気に入った様子で
「本当。油がのってて美味しそうだわ」
そう言って晴騎を見て薄く微笑んだ。
「アジオ、逃げるなよ」
面白くなかった晴騎がそう叫んだが宙は手を振ってファミレスを出て行った。
「話って何ですか?ここで聞きます。ここで話せないようならこのまま俺も帰ります」
晴騎は少し睨みながらアズサに聞いた。
「うーん。ここじゃ話せないなぁ」
アズサは含み笑いを浮かべてまた、煙草に火を点けた。そして一息吸って綺麗にネイルアートされた指を器用に動かし、灰皿に灰を落とした。
「じゃぁ、俺も帰ります。別に俺たちに固執しなくても裕也さんに頼めばいいじゃないですか?」
「あの子はダメよ。顔が割れてるから。私は悪に成りきれていない悪を紹介して欲しかったの。裕也はあれでも結構人を見る目があるのよ。実際に悪に成りきれていないあなたたちを紹介してくれたし。裕也はね、親に頭を下げれば遊んで暮らせる位の家の子なのよ。悪中の悪じゃないの。だから、私は信用しているの」
相当ヤバそうな話の内容だと思った。
「やっぱり、他を当たってください」
そう言って席を立とうとすると
「サバオ君じゃなかった竹本晴騎君。地元じゃ有名な剣士がシンナー売りさばいたりしちゃいけないんじゃない?それに学校にばらされたら試合に出られないでしょ」
背中に嫌な汗が噴き出してきた。アズサは宙どころか晴騎の事も知っていた。
「よく、風邪ひいてお母さんに連れられて病院に来てたもんね。ハ・ル・キ君。もう四年になるもんね。
あの時はまだ小学生だったから、あら?もしかして中学生の癖に裕也君には十七歳だって年を誤魔化してた? それに宙君は金持ちの気まぐれってとこ?宙君のお父さんとお母さんには世話になったわ。私も変な男に捕まらなかったらずっとあの病院で看護師してたはずなんだけど」
晴騎は席をたったままアズサから目が離せなかった。煙草を揉み消しアズサが席を立った。
「行きましょ」
このまま逃げ切っても構わないと思ったがもし後で宙の家に脅しをかけるような事があれば一大事だ。
その上追い打ちを掛けるようにアズサが言った。
「あなたのお母さん。まだ、T市の総合病院で婦長してるでしょ?私も桂木医院に勤める前は総合病院で働いてたからお世話になったの。当時は竹本さんはまだ副婦長だったけど」
アズサは晴騎の母親まで知っていたのだ。
「話しを聞く変わりに俺たちの事はこれっきりにして貰えますか?」
「ダメ、私の要件を聞いて貰わないとね。私には時間がないのよ」
ファミレスを出て、タクシーを捉まえアズサと晴騎はそれに乗り込んだ。連れて来られたのはファミレスからタクシーで十五分位のごく普通の小奇麗なアパートだった。二階へと続く階段を上りアズサの部屋に着いた。
中に入ると籠った煙草の臭いと甘い香水の臭いが入り混じっていた。今日、始めてここに帰って来た感じだった。
「入って。緊張しなくても誰もいないし、帰っても来ないから」
小さなキッチンとフローリングの部屋に和室が1つ。部屋は綺麗に片づけてあった。
晴騎は部屋に入ると二人掛けのソファに腰掛けた。
「まず、用件から言うわ。これ、見てくれる?」
そう言ってフローリングの部屋にあるクローゼットを開いて晴騎に中を見せた。中には洋服がギッシリハンガーに吊るされていてその下の開いた空間に栄養ドリンクのような瓶が段ボールにギッシリ入っていた。
「これ、売りさばいて欲しいの」
「シンナーすか?」
「芳香剤」
「芳香剤?この瓶の中身が?」
「前の男がさ、この部屋に大量に残して行ったのよ。そいつね、今は刑務所にいるんだけどもうすぐ出所してくるんだ。その前にこれを処分して私もこの部屋から逃げ出したいの。それに真面目な彼が出来て結婚の約束もしているしさ」
アズサはその瓶を1本取り出し、黄色と赤のパッケージのフィルムを剥がした。
その瓶は海外で製造されたものらしく、そのパッケージは全て英語で書かれていた。
「説明するより試した方が分かりやすいわよね。ウフフフ。まさかあの可愛い小学生がこんな背の高い青年になってるなんて思わなかったわ。その上イケメンで申し分ないし」
アズサは封を開けた瓶の中身をアロマオイルを入れる皿に注ぎ入れ、ベッド脇に置いた。
そして、着ていた黒のワンピースをスルスルと脱ぎ出した。晴騎はその光景をソファに座ったまま茫然と見ている事しか出来なかった。黒の下着姿になったアズサが晴騎に近づいてきた。
「初めてじゃないよね」
「まぁ。それなりに……」
「これって犯罪だよね」
子供の頭を撫でるよう晴騎の髪に触れて来た。そして、晴騎の首に腕を回し抱きついてきた。
翌朝、晴騎は隣で寝ているアズサの腕を避けながらベッドから起き上がった。そして浴室に入り頭から冷たいシャワーを浴びた。
昨夜はどうかしていた。好きな女の子でも可愛い女の子でもなくタイプの女でもないアズサを狂ったように何度も求めた。
自制が利かなかったのだ。アハハと笑うアズサの声に操られ、その行為に没頭していた。そんな自分が怖くなって心のどこかで何度も宙に助けを求めていた。
昨夜の行為を思い出すと吐き気がする。あの瓶の中身は遊びじゃ済まない代物だ。頭の芯まですっきりとなるまで晴騎は冷たいシャワーを浴び続けた。
「あれは……ドラッグだ」




