26.アルカ共和国
体調不良で更新が遅れ、予告もできず、すみませんでした。
◆クラン
リーフがアパートに戻ってきたのは、あの奇妙なガキの夢解があった日から二週間以上も過ぎたころだった。最長記録の“引きこもり”の間、ずっとシアの面倒を見させられたおかげで、オレはイオリとろくにデートする暇もなかったんだ。って、ちっとは文句言ってやろうと意気込んでたのに、帰って早々、ヤツの第一声に面食らっちまった。
「アルカ共和国へ行くぞ」
「……はぁ?」
理路整然とした論理思考が売りじゃなかったのかよ。なんの前置きもなしにいきなり吹っかけてきやがるなんて、相当焦ってるのか、どっかの誰かに影響されたのか。
「すまない。説明を省いたな」
曰く、あそこの国には昔から変な部族がいて、いつもオレ達が夢解に使ってる機械が発明されたときに猛烈に抗議したとかなんとかでひと悶着あって、今も政府から目を付けられてる。そいつらはほとんど夜にしか姿を現さないから、“夜の民”って呼ばれてるんだそうだ。
「で、それがどうしたって?」
「俺の先祖の初代クラウス伯が残した手記の中に、 “ミヌイ”とは夜、“ミディ”とは昼という意味だという記述があった」
「ミヌイ……って、それ、あのときのガキじゃねぇか!」
リーフはやっと荷物を置いてうなずいた。「十ヶ国語を学んだ俺にもどこの言語なのかはわからないが、当時にはあった古語なのかもしれん。とにかく今は少ない情報の中で、すぐにでも確かめてみる必要がある」
「確かめるだけで、わざわざあそこまで行くのか?」
「じつはもう一つ用事があるのだが、なに、そちらは野暮用だから気にするな」
野暮用なんて言って本当にヤボだった話は聞いたことがねぇ。伯爵サマの財布から旅費を出してくれるってんなら、オレはどこでも行くけどよ。
「もしもし、カリーナか? わたしだ。アルカ共和国の水産大臣との会見のために、今からすぐに発つ。……いや、屋敷から秘書をつれていくから問題ない。十日ほど留守にするが、御前会議と顧問委員会での資料は任せたぞ」
アパートのぼろ電話で、いかにも屋敷からみたいに話した大臣閣下は、『秘書』が準備をするのも待たずに、さっさと外出用のかばんを持って行っちまった。
アルカ共和国は大陸の真ん中の南端に突きでた半島と、周辺の五十ほどの島から成る海洋国家だ。コルスコートもでかい港を持ってるけど、ここは国全体が港みたいなもんだけあって、船の数も倉庫の規模も半端じゃねぇ。大陸の東西を行き来する貿易船の中継地点でもあるから、荒くれ船乗りどもを相手の酒場やら賭博場やらもゴマンとある。
超豪華客船のスイートで三日かけて渡航したオレ達は、当然ながらそんないかがわしい界隈じゃなくて、一般市民の住宅区に向かうことになった。なんでホテルじゃないのかっていうと、実家へ帰るところへ同行したわけだ。
「あの青い屋根が、私の実家です」
オレも船に乗るときびっくりしたぜ。先に手続きに向かってたリーフの横に、普通にエリィちゃんがいたんだからな。
「アルカ共和国は地元だから、案内させてください」
断る理由もないし、ってか大歓迎なんだけど、リーフのヤツいつの間に誘ってたんだか。船での三日間は当然部屋が男女別だったんだけど、ずっと二人だけで目で会話してるあたり、もう遠慮なくオレを一人部屋にしてくれって何度思ったことか……。エリィちゃんはもちろん、あの嫌味大魔王までこういうときはさわやかに見えるんだから、いよいよ世も末だ。これだけイチャイチャされちゃぁ、明日結婚するなんて話を聞いても、もう驚かねぇだろうな。
「おかえり、エリィ」
「ただいま、お兄ちゃん、エルラ義姉さん」
エリィちゃんの実家は個人の貿易会社をやってて、しょっちゅう外国を飛びまわってる両親に代わって、お兄さんが切り盛りしてるらしい。ここへ来る前にちょっと聞いた話によると、昔は解夢士をやってたけど、強力な夢魔(たぶん“獣”だ)にやられた傷が元で、玄関まで出迎えてくれた今も車椅子だ。ちなみにその横の奥さん、モデルばりのすっげぇ美人。
「お兄ちゃん、この人たちが電話で話した、リーフさんとクランさんよ」
「はじめまして、カミーユ=サマドです。いつも妹がお世話になっています」
小さくても会社をやってるだけあって、家は中の上ってところか。通された応接室もけっこう大きいし、舶来品がいっぱい飾ってある。お互いに自己紹介したところで、さっそく本題に入った。
「妹から話は伺っています。なんでもトゥレフ島に渡りたい、と?」
「島の名前はわかりませんが、ミヌイ族……いや、“夜の民”に会ってみる必要があるのです」
「あの一族に、ですか……」
エルラさんが持ってきてくれたお茶をすすりながら、カミーユさんはむずかしい顔をした。船を出すなんて、簡単なことじゃねぇんだろうな。
「いえ、船を出すということ自体は問題ありません。ここから一時間と少しの距離ですし、穏やかな海域ですから」
「じゃぁ、何が……あ、ウエか」
カミーユさんはうなずいて声をひそめた。「政府への抗議事件……四十年以上たった今も、この国では話題にするのもご法度なんです」
オレらは生まれる前だし、カミーユさんもよちよちのころで実際に見たわけじゃねぇけど、当時は国際的な騒ぎになりかけたくらいだったらしい。
夢の仕組みと脳の働きを解明したのはモルディア国だけど、そこにリンクして夢に入る理論を発明したのがこの国だった。「夢に干渉するな」って怒った“夜の民”が猛抗議をして、そのころから政府高官や機械の開発関係者だけが悪夢にうなされることが続いたらしい。
憔悴した政府は夢にかかわる事業や研究を禁止したけど、そのころには理論も手法も外国に流れてて、夢のことならもちろん一枚噛んでたリーフの親父さん達が実用化させて、今や世界中で使われるまでになってる。それであきらめたのかどうなのか、ここ最近は騒ぎも沈静化していた。
もし“夜の民”ってのが本当にキリル達なら、いきなり土足で自分たちの世界を荒らされるってのに怒るのは当然だろうな。夢に出てきて嫌がらせをするくらい、あいつらならやりかねねぇ。
「共和国政府には話を通してあります」
遠慮なくお茶のおかわりまでもらったオレの横で、リーフは手も付けてなかった。つーか瞬きも忘れてるくらい力が入ってる気もするんだが。
「(お前、いいのかよ? そんなこと言っちまって)」
「政府に話を? お知り合いでもいるのですか?」
「お兄ちゃん、あの、手紙に書いたもう一つの話なんだけど……」
小声で警告したオレも何か言いかけたエリィちゃんも無視して、リーフがさっと立ち上がった。おいおい、目がマジですけど、まさか……。
「隠したてをして申し訳ない。わたしはコルスコート王国に仕える累代の臣下、クラウス伯爵家の当主です。じつは今回の訪問のもう一つの理由として、妹君エレアノール嬢との結婚をご承諾していただきたく、伺った次第です」
応接室にいた全員が、目を丸くして口を開けたまま、息をするのも忘れちまった。エリィちゃんまで、このタイミングでいきなりぶち明けたのにあわてて、火が出そうなくらい真っ赤な顔になってる。オレはというと、驚くべきなのか笑ってもいいものなのか、中途半端な顔でのどの奥に空気のかたまりが引っかかってた。あり得るとは思ってたけど、まさかホントにそうきたか……とんだ“野暮用”だ。
「突然の話で、驚かれるのも無理はありません。もちろん後日、正式にご両親のもとへも伺うつもりですが、まずは兄上殿にご報告と相談を……」
停止した兄夫婦の頭ん中は、たぶんそっちの問題まで行ってねぇと思うぞ。
「は、伯爵閣下とは存じ上げず、とんだご無礼を……!」
あー、普通はこういう反応なんだなぁ。ってのんきに感心してる場合じゃなくて、車椅子から降りようとする兄上殿さんと、ソファから飛び降りた奥さんを急いで止めに入って、機転の利かねぇ朴念仁をにらみつけてやった。
「おい、てめぇ、普通はどういう反応するか、ちったぁ考えやがれ」
「す、すまない……」
「カミーユさんもエルラさんも、こんなヤツにビビるこたぁねぇよ」
それよりも、大事な妹に手ぇ出されて怒ってもいいくらいなんだぜ。なんでかトンチンカンにオレが仲裁しながら、どうにか二人を席に戻した。これから順を追って説明するつもりだったなんてぬかしやがる相棒に説教たれるオレに、これまた筋違いに尊敬のまなざしまで向けている。
「お兄ちゃん、相談しないでごめんなさい。でもリーフさんは誰にでも真摯で優しくて、とても大事な人なの」
「しかし、お前……」
「彼女との結婚に障害となるのならば、わたしは身分を捨てても構いません」
あの責任感のかたまりのようなヤツがあっさり吐いたこの一言の重みと、ほんとに本気だったってことを理解したのは、オレだけだっただろう。まぁ、こいつはいつだってどんな冗談でも本気なんだけど。
「なぁ、オレからも頼むよ。せめてこいつを『普通』に見てやってくれ。エリィちゃんを泣かせることがあったら、オレがぶん殴ってやるからさ」
「はぁ……そこまでおっしゃるのならば、失礼ながら……」
オレの加勢がうれしいのか気に食わねぇのか、リーフは複雑な顔だった。言っとくけど、オレはエリィちゃんのために味方になったんだからな。なんかあったら本当にぶっ飛ばすぞ。
「では、縁談の話は明日にでも両親に知らせるとして……話を戻しましょう」
まだいくらか腰の引けてる善良な一般市民は、それでもどうにか目を上げることができた。降って湧いたような話の重大さをたぶん二,三日後に理解して、その後であきらめるだろう。お偉いさんってのは頑固な上に、理屈で丸め込んで手段を選ばないからタチが悪い。オレのアパートに転がり込んできたときと同じ展開だ。
「政府の許可があるのなら、船はこちらで用意できます。しかし、問題がもう一つ。あの近海を通る船が言うには、集落がまったくなくなるときがあるらしいんです」
「なんだ、そりゃ? 村が消えるってのか?」
「わかりません。あるときには林の中に建物が見えたり、たまに彼らの姿を見かけることもあるというのですが、別のときにはまったく生き物の気配がなくて、船乗り達がこっそり様子を見に上陸したら、建物も人影もあった形跡さえないというのです。そしてまたその日の夕方に通ったら、やはり村はいつもどおりそこにあった、と」
「蜃気楼みたいだなぁ」
「しかし、ますます彼らである可能性が高くなってきたな。呼ばれて行くのだから、そのあたりは大丈夫だろう」
自信家の伯爵様はあっさりしたもんだった。なんにしても行ってみなきゃ始まらねぇってのは確かだから、明日リーフが政府に正式な要請を出して、許可が出たらすぐにでも島へ渡ることになった。
その夜、風呂から出て用意された客間で寝ようと思ったら、暗い庭に人影を見つけた。前の職業柄、夜目には自信がある。
「どうしたんだ、エリィちゃん?」
そんなに驚かなくてもってくらい飛び上がって、エリィちゃんはふり返りながら足がもつれて転んだ。相変わらずそそっかしいなぁ。
「リーフじゃなくて悪ぃな」
「いえ、そんなことないけど……よ、よくわかりましたね」
あわてて起き上がって取り繕っても、動揺してるのがありありとわかる。日ごろ相棒に言われてるオレが言うのもナニだけど、エリィちゃんもわかりやすい性格だ。
「しっかし、びっくりしたなぁ。いつ決まったんだよ?」
「半月ぐらい前です。クランさんにまで秘密にしていて、ごめんなさい。私にもまだ信じられなくて……」
いや、あれだけらぶらぶなら当然の結果だろ。「でも、あんなヤツのどこがいいんだぁ? 嫌味で融通が利かなくて、シャレの通じねぇ朴念仁が」
「リーフさんは自分よりまわりのことをいつも気にかけていて、真面目で誠実で信念のある人です!」
おぉぅ……エリィちゃんの気迫に押されて、反論する余地もなく後退っちまった。この一番幸せな時期にツッコミを入れたオレがバカだったよ。
「でも……本当は不安なの」剣幕を収めて、エリィちゃんはため息をついた。「私なんかがリーフさんと一緒にいてもいいのかな……身分違いの恋って、必ず後で問題が出てくる。おとぎ話のようにはいかないわ」
「なんだ、そんなことで悩んでたのかよ」
おっとり型のエリィちゃんらしいというか、前向きなエリィちゃんらしくねぇというか。世間で言う、なんとかレッド? 違った。ブルー? イエロー? ……いや、どっかの戦隊モノじゃねぇんだし……とにかく、ソレだ。
「あのな、さっきもエリィちゃん言っただろ? あいつはまわりのこと、ちゃんと見てるよ。しかも人をなかなか信用しねぇぶん、一回信じたらとことん世話を焼きたがる。ってか、惚れたヤツにはむしろおせっかいでうっとうしいぞ」
「でも私ができることなんて、何もない気がして……」
「おいおい、ヤツは大金持ちの大貴族サマだぜ? こう言っちゃエリィちゃんに悪いけど、あいつはこの上にまだ何かしてほしいなんて思っちゃいねぇよ。ただ一緒にいるだけでいいんだ。あいつ、あぁ見えてヌケてるところがあるから……って、なんだよ」
いきなりエリィちゃんがクスクス笑い出した。
「クランさん、私なんかよりずっとリーフさんのこと理解してるんですね。なんだか、ちょっと悔しいかな」
「オ、オレはそっちのケはねぇぞ!」
なんでかキャサリンがウィンクしている図が頭に浮かんで、全身に怖気が走った。
「と、とにかく、先のこと悩んでもいいことなんかねぇって。心配事なんか全部あいつに預けて、エリィちゃんは幸せになったらいいんだよ。ま、エリィちゃんのコーヒーがあれば、あのコーヒー狂は大満足さ」
あとは、せいぜい胃を大切にしてやってくれ。それだけ言って、オレは先に部屋に戻った。二人でいるところをヤツに見つかったりなんかしたら、明日から嫌味が五割増しになりそうだからな。オレはバーゲンじゃねぇっての。
あー、オレも早くイオリに会いてぇ! エリィちゃんが来るならイオリも誘えばよかったぜ。しばらく留守にするって連絡をする間もなかったけど、『エーミル』で教えてもらってるかな。
でも、今このとき、イオリが誰と会っていたかなんて、オレは知るはずもなかった。