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夢人〜Dreamer〜  作者: chro
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25.幻想夢譚 −後編−

 エディスは耳を疑って絶句した。大げさでなく天地がひっくり返ったようなめまいを覚えたのは、実際に大嵐で家が揺れているからでもある。荒れた天候は、まったく治まる気配がない。エディスは最初の衝撃を飲みこむと、持ち前の気丈さで現状を直視しようとた。

「いったい、どういうことなの? ティールとソエルが裏切ったって……」

 自分で発した言葉にも心が痛んで、顔が引きつるのを感じた。

 “聖獣”についての話を聞いた日以来、宮廷の式典や講義で忙殺される日々が続いていた。そして今日、ようやく予定が一段落して久しぶりに来てみると、到着早々、リオタールから恐るべき事実を知らされた。

「前にあなたが来た数日後に、二人がいなくなったの。そして先日、突然戻ってきて、“聖獣”を討伐するべきではないと言い出したのよ」

 ミヌイ族の若き長は、感情を押し殺した声で淡々と話した。

「“聖獣”を倒すなって、どうして? あの獣が夢を破壊しているのでしょう?」

「“聖獣”を野放しにしておけば私たちの世界が荒れるし、現実界も破綻してしまうわ。でも彼らは“聖獣”こそが世界を救う存在であり、滅するべきは現実界だと言うのよ」

「現実……私たちが?」

「これまでの私たちの行いは間違っていたと、夢は現実から切り離して独立しなければならないと。それが彼らの主張なのよ」

「なぜ? どうして今になって……」

「私にも理解できない。でも、私たちは夢を守る責務を果たさなければならないと、一族の会議で答えは決まったわ」

 それは裏切りを許さないと、つまりは断罪するべきだと、それが彼らの総意だった。ごうごうと吹き荒れる雨風の音だけが、部屋に中にこだましている。エディスは数歩後退(あとすさ)り、わきのテーブルに手をついた。

「待って、ねぇ、待ってちょうだい。話し合えばなんとかなるわ」

「彼らが出ていくだけならまだしも、“聖獣”討伐を力ずくで阻止するというのなら、これ以上のんびりと話し合いをしている時間はないのよ」

「時間がないって、どういう……」

「“聖獣”が狂ったように暴れだしたんです」

 集まった一族の中で、エディスとは面識はあるが名前は知らない黒い肌の少年が、しっかりとした口調で答えた。

「現実でもミディの死者が加速度的に増えているのは知ってると思いますが、こっちでもこの数日で、山が九つと半島が消されてしまいました。一刻も早く“聖獣”を止めなければならないけど、『せめてあなたが来るまでは』っていう長のたっての希望で、今日まで動かなかったんです」

 エディスは驚いて隣を向いた。リオタールは感情を隠すように目を伏せたが、それ自体が迷いを認めている証拠である。

「長、ご決断を」

「気持ちはわかりますが、もう限界です!」

「……」

「やっぱりリオ、もう一度説得するべきだわ」

 リオタールの困惑を、エディスは見逃さなかった。氷のように冷徹な彼女でも、やはり婚約者をそう簡単に切り捨てられるはずがない。長として一族の意見を尊重しているだけであって、けっして本心から望んでいるわけではない。それこそ彼女の立場を考えると口にするわけにはいかないのだが、エディスはそう確信していた。

「なんとなれば、あんなに愛し合っていたのだから」

 四人で悪夢を追っているときの恋人同士の密かな熱い視線はもとより、自由な時間が許される限り二人きりで過ごしていることも公然の秘密である。婚約者の弟とも昔から姉弟同然に仲がいい。付き合いが長いとは言えないながらも、新しくその輪に加わったエディスは、命の危険まで共にする彼らのつながりを信じていた。

「……わかったわ。これから、彼らと最後の話し合いをしましょう」

 ただし、全員が戦いの準備をして赴く。リオタールとしては、自分の気持ちと一族の感情を秤にかけた上で、これが最大限の苦渋の決断だった。


 集落を出奔した兄弟は、海辺の森に住んでいた。一度だけ集落に戻ってきたとき、はっきりとこの場所を伝えていったのだという。逃げも隠れもしないという彼らの言葉に、一族の面々は逆に罠ではないかと警戒したのだが、リオタールはそうは思っていないようだった。少なくとも、後ろからついていくエディスには、彼女の足取りに確固たる自信を感じられた。

「彼らを刺激しないために、私とエディスと、二人だけで行きます」

 横殴りの雨が吹き荒れる森をしばらく進んだところで、リオタールが足を止めてふり返った。ミヌイ族の組織体制をよく知らなかったエディスは、一族の長とは彼女の国の王のように絶対の権力を持っているわけではないことを、今回のやり取りで感じた。年齢は関係なく力の序列、すなわち意志の強さや指導力によって選ばれるが、実権は大きくなく、あくまで合議制で成り立つ集落を代表しているにすぎない。

「民主政治は、ときに脆く危ういものだわ」

 大陸の西にある民主主義連邦が、独立派と和平派に分かれて戦争を始めてから六年がたっていた。泥沼の争いは拡大する一方なのに、もはや当初の目的も民衆の被害も忘れて、些細な法案をめぐって延々と議会をくり返すばかりである。王制にも独裁の危険性があることは認めるが、強い意志と統率力を持った指導者を戴き、それをより良い方向に支えていくべきだというのが、かねてよりエディスの政治持論だった。

 崖にぽっかりと開いたほら穴に、エディスとリオタールはゆっくりと足を踏み入れた。風の音も届かない内部はうす暗く、ぼんやりした明かりはテーブルに置かれているランプ一つきりである。

「やっぱり、来てくれたんだね」

 しかして奥から現れたのは、ティールとソエルだった。久しぶりに再会したエディスはハッとした。かすかな光に照らし出された姿はやつれ、にごった目は鋭く血走っている。その声だけが変わらず穏やかなので、かえって近づきがたい違和感になっている。

「あなた達、突然出ていくなんて、いったいどういうつもりなの?」

 エディスは口を開くなり、責める口調になってしまった。もっといつものように気楽に話しかけようと思っていたのに、それができない緊張感が、そこにはあった。

「まぁ、せっかくだから座ってくれ」

 二人暮らしのはずなのに四つある椅子をすすめたが、リオタールは兄弟を見据えたまま動かなかった。ティールは肩をすくめて、むすっと黙っている弟と席についた。エディスは少し迷った末に、静かに椅子をひいた。

「まず突然と言ったが、それは違う。もうずいぶん前から考えていたんだ」

「嘘でしょう。あなた達が裏切るなんて、全然そんなこと……」

「裏切ったんじゃない!」

 ソエルの叫び声がほら穴の壁に反響した。あの明るく無邪気だった少年が、今や決死の表情でにらみつけている。エディスは胸が痛んだ。

「本当に世界を裏切ってるのはミディだ。それに現実界を助けてるミヌイ族も同罪なんだ」

「“聖獣”を倒すことが、悪いことなの?」

「それもあるが、もっと根本的なことなんだよ」

 弟を目で制して、ティールがゆっくりと説明した。

「この世界が荒れるのは、現実が荒れているからだってことは知ってるだろう? でも、それを知るミディはほとんどいない。だからといって夢は被害を受ける一方で、これじゃ対等なつながりなんて言えない」

「夢によって現実も影響を受けているわ。それにミヌイ族は自我を持っているんでしょう? あなた達の言動も、少なからず現実に影響を与えて……」

「ない。僕たちの力なんか、これっぽっちも影響力がない。その証拠に、これまでの何万何億もの歴史は、すべて現実が先に進化している。そして僕たちがどれだけ悪夢を退治しようと、現実は少しもよくなることはなかった」

 いつも聞き慣れた穏やかな声なのに、刃のように鋭い告発だった。エディスが言葉につまっていると、ティールはさらに話を広げた。

「“聖獣”とは、現実に溢れる感情を力に換えて、二つの世界のバランスをとっている存在……それは知っているね?」

「えぇ、リオから聞いたわ。でも感情が急激に乱れると暴れだすんでしょう? だから早く退治しないと……」

「退治してよくなると、本当にそう思うかい? 円環を司る“聖獣”が消えれば、円環もなくなり、現実に付随するこの世界は消滅するだろう……たとえそれで現実が救われようとも、僕たちが犠牲になる義理はない」

「本当なの? 夢が消滅するって……」

 エディスは後ろに立たったままのリオタールにもまなざしを向けたが、答えは耳が痛いくらいの静寂だった。

「でも、このまま放っておいても、この世界は荒らされるわ。ずっと“聖獣”を倒すためにがんばってきたのに、どうして今になってそんなこと……本当に“聖獣”を倒せば夢が消えるのなら、何か他の方法を考えましょう?」

「僕はこの世界のすべての書物を読みつくしたけど、そんな都合のいい話はなかった。だけどやっと気付いたんだ。現実がなくなれば“聖獣”も悪い影響を受けないし、夢も守られる。簡単な話だったよ」

「ティール……あなた本気で言ってるの?」

「兄貴もオレも本気さ。ミディは戦争をしたり自然を破壊したり犯罪をくり返したり、夢も現実もバラバラになるまでやめようとしないじゃないか」

「それは……」

「でも、エディスはいい人間だ。だからこっちに残ってオレ達と暮らそうぜ。な?」

「そんなこと、できるわけないじゃない! 現実には家族や友達もいるのよ。何より罪のない人たちだってたくさんいるのに……」

「そうか? お前、いつも現実世界に失望したって言ってたじゃないか」

 それは事実だった。一人でどれだけ憂おうとも、何もできない自分の無力さに腹が立って、やるせないうっぷんと愚痴になっていた。しかしだからこそ、夢の中でなら少しでも人と世界のためになれると、必死で戦ってきたのだ。彼らとともに……。

 エディスは顔を上げた。ここであきらめるわけにはいかない。あきらめたら、ここまで積み重ねてきたことがすべて無駄になってしまう。これまでの彼らとの思い出も、この経験も、これからの可能性も。

「現実は必ず私がなんとかするわ。だからもう少しだけ待って。お願い!」

「残念だけど……そんな時間はないんだよ」

 ティールがかぶりを振ったのに呼応するかのように、ほら穴全体が揺れるほどの咆哮がこだました。ばっと椅子を蹴って立ち上がったエディスは、急いでリオタールと外へ飛び出した。

「“聖獣”だ!」

 誰かの叫び声を聞くまでもなく、木々をなぎ倒して現れた黒く巨大な影は見間違えるはずもなかった。以前エディスが見たときは濃い灰色くらいだったが、嵐の森に降り立ったのは夜の淵よりも黒く、そこから放たれる絶対の威圧は殺意以外のなにものでもない。

「四方向に分かれて! 別々に動いて同時に攻めるのよ!」

 長の指示が飛ぶ間にも、“聖獣”の腕の一振りで数人が切り裂かれ、岩壁に叩きつけられた。刃物で切りかかり、鈍器で殴りつけ、数十人ものミヌイ族がいっせいに攻撃しても、黒い獣はうるさい虫を追い払うように暴れるだけで、まったく気にも留めていない。

「これが“聖獣”の力……!」

 予想も覚悟もしていたとはいえ、他の夢魔など比べ物にならない圧倒的な力を目の当たりにして、さすがのエディスも息を呑んだ。それでも逃げるわけにはいかない。震える手を励まして剣を抜いたそのとき、ティールとソエルが一族と“聖獣”の前に立ちはだかった。

「みんな、やめろ! こいつにかなうわけない! 無駄死にするだけだ!」

「何を言う、この裏切り者め!」

「仮にうまく倒せたとしても、この世界は消えてしまうんだぞ」

「そんなこと、みんなとっくに承知しているでしょう? 今さら何を言ってるのよ!」

「どうしてオレ達が犠牲にならなきゃいけねぇんだよ! 駄目だ、逃げてくれ!」

 ほんの少しずつではあるが、“聖獣”の身体に傷が見え始めた。しかし今や立っているのは二十人ほどで、他のほとんどが意識どころか呼吸もなく倒れている。その間に立って必死に訴える兄弟を、エディスは戦いも恐怖も忘れて見ていた。

 裏切り者と呼ばれようとも、彼らはただ一族を助けようとしているだけなのかもしれない。普通の神経ならば、まさに悪夢のような相手を前にして、逃げろと言うのは当然である。それを否定して、自分たちの命を投げ出してまで戦おうとする、ミヌイ族の方がおかしいとさえ思えてしまう。

「それが責務だから……?」

 子供を助けようと駆け寄った女が尾に振り払われ、その横に倒れたきり動かなくなった。なぜそこまでするのか、エディスは唐突に疑念にとらわれた。責任や義務だけで、命を犠牲にして本当にいいのか。いや、そもそも、そんなことが自分にもできるのか。そうまでして守りたいものとはなんなのか……。

「そこを退きなさい」

 雨にうたれたまま立ち尽くすエディスに代わって、リオタールが前に出てきた。その目にも声にも、かけらの感情もない。凛として有無を言わせない威厳ある態度に、エディスや兄弟たちだけでなく、“聖獣”までもが動きを止めた。

「夢が消えると決まったわけじゃないし、たとえ消えたとしても、現実がある限り夢はまた生まれるわ。今になって血迷ったことを言うのはやめなさい」

「血迷っているのは君たちだ。リオ、頼むから目を覚ましてくれ」

「目を覚ますことなんて何もないわ。これが最後の警告よ。三つ数える間にそこを退かないのなら……あなた達ごと、“聖獣”を消します」

「……!」

 兄弟が息を呑み、エディスが愕然となったが、リオタールは動じなかった。

「本気なの!? あなたの婚約者と親友なのよ!」

「ひとつ」

「リオ、どうしてもわかってくれないのか……」

「ふたつ」

「待ってくれ! 兄貴はただリオ(ねえ)を……!」

 すべての言葉はもやは届くことなく、リオタールの片腕が上がった。その見えない力が兄弟に狙いを定め、振り下ろされた――その瞬間。

「リオ!!」

 全員の注意がリオタールに集まっていたほんのわずかな隙に、“聖獣”が飛びかかった。山のような黒い影が覆いかぶさり、衝撃の力を放ったリオタールの目が大きく見開かれる。声にならないエディスの悲鳴は、一瞬の静寂にかき消された。

「あ……」

 リオタールは絶句して、ふらっと体が揺れた。目の前にティールがしっかりと立ちはだかり、さらに二人をかばうようにソエルが“聖獣”に相対(あいたい)していた。すなわち、見えない力を正面から受け止めた兄と、牙に引き裂かれた弟の姿が、そこにあった。

「ガアァァーッ!」

 動けない三人に、さらに“聖獣”が襲いかかろうとした。時の流れが緩慢になり、エディスがはじかれたように飛び出した。

 リオタールの決意。ティールとソエルの傷。“聖獣”を倒すことの意味。夢の世界の運命。そして自分の役割。

 立ち込めていた疑念が、一瞬で吹き飛んだ。どちらの世界を守るべきなのか、大義の意味は理解できない。“聖獣”を倒すことの是非もわからない。しかし今やるべきことは確信していた。

 大切な友達を守らなければならない。ただその強い思いだけだった。右手に握りしめた白銀の剣が、流れるように弧を描く。


 ――――!!


 黒い光が爆発した。すべての色と音が消し飛び、あまりの衝撃に、エディスは世界が壊れてしまったのではないかと思った。しかし、思った、という思考が生きている証拠だと冷静に気付いたところで目を開けると、そこに黒く巨大な影はなくなっていた。

 何がどうなったのかを理解する前に、エディスは倒れた二つの影に駆け寄った。

「ソエル! ティール!」

 その声に、リオタールも我に返った。すぐに抱き起こしたティールは、わずかに目を開けて、唇の端から息を漏らした。

「無事でよかった……リオ」

「ティール! あぁ、私……!」

「いいんだ。気に病むことはない。君は長の務めを果たしただけなんだから……」

「どうして、なんでこんなことに……!」

「僕は、いつでも……ずっと君を愛してるよ……」

 ため息のような言葉を最後に、ティールはすっと目を閉じた。ずっと自分を抑えて偽っていたリオタールの瞳から次々と涙が溢れ、もはや永遠に動かない婚約者の顔にとめどなくこぼれ落ちた。

「しっかりして、ソエル!」

 これかどういう傷なのか、エディスにはわかっていた。しかしそこから必死に目をそむけ、恐るおそる手を伸ばした。血にまみれたソエルは、すでに目が見えていないらしい。声と抱き起こした温度でエディスと気付き、うつろな表情であらぬ方向につぶやいた。

「兄貴もオレも、昔みたいにみんなでいたかっただけなんだ……」

「わかってるわ。だからもうしゃべらないで!」

「エディス、オレ、本当は……」

 ひゅーっというのどの音が言葉をかき消し、瞳から光を奪った。両の手にずんと加わった重さに、エディスはとてつもない時間の重みを感じた。もう二度と戻らない、四人で笑い合ったあの時間……。

「……ッ!?」

 震える目を見開いていたエディスも、涙に濡れて歪んでいたリオタールも、全員が顔を上げて空を仰いだ。いつの間にか嵐は消え、雲間から陽の光が漏れこぼれるそこには、雪よりもなお白い光がいた。

「あれは……“聖獣”……?」

 死そのものであるような悪夢の具現は、柔らかい息遣いと穏やかな眼をした獣になっていた。“聖獣”は見上げるエディス達と瞳を閉じた者たちを見まわして、大きくひと声吼えた。この上もなく優しく、この上もなく哀しく、それは遠く世界の果てまで届く鎮魂の祈りのように――。


「エディス、準備はいいか?」

 部屋のすぐ外から父親の声がして、エディスはびくっとして顔を上げた。またいつの間にか、瞬きも忘れて一点を見つめていたらしい。

「最近、元気がないな。いつも沈み込んでいるではないか」

「……」

「まぁ、よい。今日はお前に大事な話がある。陛下の御前で話そう」

 エディスはうわの空で聞きながら、父の後につき従って城へと向かった。

 今朝早くに突然、国王じきじきの呼び出しを受けたのは、宮廷に勤める父だけではなかった。社交界の付き合いや父の手伝いで城には何度も赴いたことがあるが、王に拝謁したことは数度しかないエディスは、なぜ自分まで指名を受けたのかまったく思い当たらない。

 しかし光栄に思うどころか、下級貴族の娘などになんの用なのだろうという疑問も湧かないほど、エディスの意識は遠く別のところにあった。

「最近、ようやく景気が回復してきたようだ」

 あいさつも前置きもそこそこに、玉座の王がいきなり話し始めた。絶対の権力者には、話の見えない相手の都合を斟酌する必要もない。

「我が国だけではない。ディファンス連邦が統一され大戦のほとんどが終結し、あれほど多発していた世界規模の災害も少なくなり、何より眠ったまま死亡するという奇病がぴたりとなくなった。……あれは、夢死(むし)という現象であったそうだな」

 うつむいていたエディスは、ぴくりと眉をひそめた。あの現象に夢が関わっていたことは解明されていないはずなのに、なぜ国王が知っているのか……。

「数日前、余はある夢を見た。銀色の髪の女性が現れて、エディス、そなたが夢の世界を救ったという顛末を話したのだ」

「リオ……!」

 無礼であることは承知しながらも、思わず顔を上げて叫んでしまった。王はきれいに整えた白いひげの下で、かすかに笑った。

「初めはただの夢だと気にしなかったが、幾夜も同じ女性が出てきて、様々な話を語った。そなたの活躍によって夢が平和になり、悪夢を退治したことで現実の我々も平安を取り戻せたのだと」

 興味も関心もなくただ義務として控えていたはずが、エディスはいつの間にか目を見開いて食い入るように聞いていた。

 あの嵐の戦いから、一ヶ月が経とうとしていた。洗われるように晴れ上がった空と白く輝いた“聖獣”を見上げながら、遠ざかっていった夢の世界がその後どうなったのか、今に至るまでわからないままだった。というより、怖くて知ろうとしなかった。目の前で友を失った悲しみと、消えてしまったかもしれない慣れ親しんだ世界を思うと、どうしても現実に逃げて夢から目を背けてしまっていたのだった。

「彼女は最後に、現実の世界を憂うそなたのことを頼む、と言っておった」

「……」

 夢の世界やリオタール達が無事だったといううれしさより先に、エディスは胸を締め付けられる思いだった。苦渋の決断を独りで背負った若き長の気持ちが、今ならわかる気がした。

「いつもの日常を、守りたかっただけなのね……」

 友達を気遣い、仲間を助け、愛しい人のそばにいる、そんなありふれた毎日――誰もが望んだはずなのに、ほんの少しのすれ違いで道をたがえてしまった。ティールとソエルも同じことを思っていただけなのだと、彼らの最期の姿が教えていたのに、エディスはついぞその真実を見据えることができなかった。

「私は……何もできませんでした。大切な友を守ることもできず、多くの大切なものを失ってしまいました」

「残された者として何ができるのか、何をするべきなのか、そなたには悩み、行動する義務があるのではないか?」

 エディスは言葉もなく視線を落とした。それは頭ではわかっていても気持ちがついてゆかず、今まで呆然と時間を過ごしてしまった。今さらどうすればいいのかと途方に暮れていると、王のうなずきを受けて父が口を開いた。

「エディス、この場でお前に家督を譲ろうと思う。すでに陛下の許可も得ている」

「お父様、まさか病が……?」

「いや、今すぐ寝込むほどではない。しかし、いずれ遠からずお前に跡を継いでもらうのだ。お前にその覚悟があるのなら、できるだけのことをやってみるがいい」

「夢の世界は平和になろうとも、現実にはまだまだ困難な問題が残っておる。争いや貧困もすぐにはなくならぬだろう。そなたの力、存分に役立てるがよい」

「……はい!」

 王が立ち上がり、エディスは進み出て足元にひざまずいた。

「夢と現実をつなぎ、夢を守る使命を担う者として、エディス=カフリン=アル=クラウス、余はそなたに伯爵の地位を与える。これからもわが国と世界のため、日に陰に大いなる働きを期待しておるぞ」

「私と我がクラウス家は未来永劫、すべてを以ってコルスコート王国と国王陛下に忠誠を尽くし、日に陰に働くことを誓います」

 ひざまずいたエディスの頭に誓いのサークレットが授けられ、クラウス家はこのときよりコルスコート王国の忠臣に列せられた。



 その後、エディスは二度と夢の世界に行くことはなかった。

 移ろいゆく六百年の時の中で、少女の哀しい記憶はかき消されていったが、初代の決意と想いは伯爵家の代々の当主に確かに受け継がれていた。


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