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夢人〜Dreamer〜  作者: chro
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18.幻想夢譚 −中編−

 夕食を食べ終わると、すぐに娘が部屋へ戻ってしまうことはめずらしいことではなかったが、それが笑顔だったり疲れた足取りだったりするので、心配に思った母が声をかけた。

「この後、久しぶりにお茶をしない?」

 早くもダイニングの扉に手をかけていたエディスは、少し前ならよろこんでうなずいていたところを、心から残念に思いながらも辞退した。

「ごめんなさい、お母様。夜はちょっとやることがあって」

「お部屋でこんな時間に、また何か調べもの?」

「えぇ、そんなところ。この前、お母様が教えてくださった本のおかげです」

「それはよかったわ。何をしているのかは知らないけど、無理はしないようにね」

「心配しないでください。私、自分にしかできないことで、人を助けることをしているの。それにすばらしい友達もできたから、今度、お母様にも紹介したいわ」

「楽しみにしているわね、エディス」

 娘がにっこり笑って階段を駆け上がっていくのを、父は苦い顔で見ていた。

「誰もいない部屋にこもって友達などと、エディスはいったい何をやっておるのだ」

「いいではないですか。あんなに生き生きしているのを見るのは久しぶりですよ」

「わしの体が動くうちに、跡を継いでもらわなければならんというのに……」

「あなた、あまり怒ると身体にひびきますよ」

 胸を押さえる父と、なだめながら支える母の気持ちを知ることもなく、部屋に戻ったエディスはさっそく明かりを消してベッドに入った。たちまち明るい昼の光景が目の前に広がっていく。もうひとつの世界に行くコツは、この一ヶ月ですっかりマスターしていた。

「お待たせ!」

 岩がごろごろ転がる不毛の地に降り立つと、彼女の仲間たちが待っていた。

(おせ)ぇよ! 待ちくたびれたぞ!」

「何よ、ソエル。そんなに怒ることないじゃない。これでもデザートを我慢してきたのよ!」

 さも疲れたように文句を言うソエルが本気で怒っているのではないとわかっていても、エディスも言い返さずにはいられない。こんなふうに遠慮なく言い合える相手など今まで一人もいなかったのだが、本来が激しい気性なので、他愛のないケンカでも売り言葉に買い言葉だった。

「気にしなくていいよ、エディス。僕たちも、さっき準備ができたばかりだから」

「ふふ、ソエルったら、いつもあなたが来るのをそわそわして待っているのよ」

「ちょっ、リオ(ねえ)! なに言ってんだよ!」

 ソエルが真っ赤になって怒鳴っても、ティールもリオタールも涼しい顔で聞き流した。

「さ、それじゃ行きましょうか」

 リオタールが見まわすと、三人もうなずいて出発した。


 命を落とすこともあるという悪夢を退治する彼らに、エディスは自ら進んで協力することを願い、こうして同行するようになって一ヶ月がたった。夢の世界の地形や町などは現実とまったく同じで、今回やってきたこの乾いた大地も、実際にコルスコートの北東の国境近くに存在している。

「ほとんど白黒だからかもしれないけど、いつも寂しいところばかりね」

 エディスには感じられない風が吹くと、砂埃が舞い上がる。色があっても砂と岩しかない不毛の大地に、生き物の気配は皆無だった。

「夢魔を追っているから、どうしても悪夢ばかりになってしまうね。でも、こっちの世界が全部こんなふうに寂れているわけじゃないんだよ」

 隣に足並みを合わせて、ティールが穏やかに笑った。

「夢は固定世界じゃないって、いつか言ってたわよね。つまり、この荒野で楽しい思い出のある人が夢を見ていたら、ここに花が咲いていたりするってこと?」

「まぁ、そんな感じかな。同じ世界でありながら異なった事象でいくつもの世界に分かれた並行世界、パラレルワールドっていう理論があるだろう? あれは夢に迷い込んだ現実世界のミディが、かすかに覚えていたここでの記憶を元にして考えたらしい」

「それならイメージできるわ。ティールって物知りね」

「オ、オレだってそれくらい知ってるぞ!」

 実年齢は不明だが、とりあえず外見で現実の年齢に置き換えると五歳か十歳くらい年上のティールは、何を聞いても静かに細かく説明してくれる。しかしエディスが感心して聞いていると、いつもソエルが割り込んできた。

「あら、じゃぁ教えてちょうだい。この世界はいつから存在しているの?」

「いつからって……そりゃ、ずっとずっと大昔からだよ」

「大昔って、どれくらい?」

「えーっと、オレが生まれる前……ご、五百年くらいかな? いや、もうちょっと……?」

「ソエル、あなたいくつよ……」

「この世界ができたのは、およそ三億年前だよ」

「兄貴、オレが言おうとしていたのに邪魔すんなよ!」

「……変なの」もめる兄弟をよそに、エディスが首をひねった。「私たちが寝ている間に夢を見ているのに、人間が生まれるずっと前からこの世界があったなんて」

「夢を見ているのは人間だけじゃないぜ。鳥も動物も虫も見ているんだ。人間ほど複雑で鮮明じゃないけどな」

「夢の始まりは、星の誕生と同じようなものだよ」

 宇宙を漂う無数の隕石が少しずつ集まって、この巨大な惑星を作り出した。同じように、原始生物のぼんやりとした記憶や願いが長い永い時間をかけてひとつの形を持ち、やがてこのもうひとつの世界を作り出した。三億年前というと、陸に上がった生物が哺乳類に進化するころだと、エディスは歴史の講義を思い出した。

「来る……!」

 ずっと黙ってあたりの様子をうかがっていたリオタールが、突然足を止めた。話をしていた後ろの三人も、次の瞬間には気配に気付いて、岩陰から跳びかかってきたイノシシの突進を避けた。

「すっげぇ大物……ゾウみたいだなぁ」

「ティールとソエルは援護を! エディス、行くわよ!」

 四人はいっせいに散った。最初にエディスに狙いを定めたイノシシは、牙が貫く前にソエルが見えない壁にぶつかった。この隙にエディスが剣を抜き、左の牙を根元から斬り落とす。イノシシが後退(あとすさ)って標的を変えようとしたが、リオタールが両手を突きつけると、十メートル向こうの岩までふっ飛んだ。

「ブフォォーッ!」

 雄たけびで大地が震え、衝撃が天を貫く。さらにひと回り大きくなったイノシシが、とんでもない速さで突進してきた。闘牛よろしくひらりとかわしながら、エディスの剣とリオタールの風のような力が少しずつ追いつめていく。

「よし、今だ!」

 空中に浮かんだティールの合図で、リオタールとソエルとともに、三方向から光の鎖が放たれた。三角形の光に閉じこめられた悪夢は、激しく抵抗したが動くこともできない。

「やぁぁーッ!」

 エディスが全力で振り下ろした剣で、イノシシの巨体は真っ二つになった。現実の動物ならば息耐えるが、これは悪夢が形を持ったものである。牙の残った右側が、最後の力で跳びかかってきた。

「……ッ!」

 ほんのわずかな油断で避けきれないと思ったリオタールに喰らいつくより一瞬早く、上空から槍が落ちてきた。地面に串刺しになったイノシシの右半分は、今度こそ倒れ、煙のように消えた。

「リオ! 大丈夫か!?」

「ありがとう、ティール。油断をしたわ、ごめんなさい」

「どこもケガはないか? 無事でよかった……」

 いつも物静かで温和なティールが顔色を変えて、地面に降りるなりリオタールに駆け寄った。彼女も普段とは違った温かい微笑みでうなずいている。こんな場面をこれまで何度か見かけたエディスは、剣を収めながらソエルにささやいた。

「ね、あの二人、らぶらぶ?」

「そりゃそうさ。兄貴とリオ姐は婚約してるんだ」

「やっぱり! お似合いよね。式はいつの予定?」

「これが片付くまでは、むずかしいだろうなぁ」

「あの黒いオオカミ……“聖獣”を捕まえるまで……?」

 最初にエディスを襲った獣が“聖獣”と呼ばれていて、リオタール達は一族を代表してそれを追っているということを、重大な秘密でありながら話してくれた。その名を口に出すのさえはばかられる気がして小声で尋ねると、ソエルも神妙にうなずいた。

「リオ姐は長の役目を放り出すことは絶対にしないし、兄貴もリオ姐を助けるためにがんばってるから、ゆっくりした新婚生活はお預けだってさ。ま、あの二人なら、それでも大丈夫みたいだけどな」

「ふふ、それは言えてるわね」

「あ、あのさ、エディス。オレ達も……その……」

「え? 何?」

「だぁーッ! なんでもない!」

 ソエルがいきなり一方的に叫んで話を打ち切ってしまったので、エディスはわけがわからずに怪訝な顔をした。

「このあたりもハズレのようね。……あら、二人とも、どうかしたの?」

 二人で目を合わせて親密に話をしていたリオタールとティールは、なぜか背中合わせにそっぽを向いているエディスとソエルに首をかしげた。

「もう近くに夢魔の気配はないから、いったん村に戻ろう。……ソエル、何をふてくされてるんだ? 行くぞ」

「べ、別にふてくされてなんかいねーよ!」

 弟が怒って抗議しても、兄はいつものように笑うばかりで相手にしていない。女たちも顔を見合わせて、後に続いた。


 まるで劇中の幕のように背景がサーッと変わり、四人は一瞬で谷間の集落にたどり着いた。

「相変わらず便利よね」

 夢の世界は、あらゆる生命の数だけ存在する。ミヌイ族は夢という意識の世界、意志そのものなので、すべての空間を貫いて存在している彼らの集落と同様、あらゆる夢を超えて渡ることができる。

「新しい夢魔の反応があるまで休憩にしましょう。エディス、ウチでお茶をしない?」

「えぇ、お邪魔するわ。ソエル、ティール、また後でね」

 兄弟と別れ、エディスはリオタールについて、大きな丸い屋根の立派な建物に入っていった。他の家もみな丸い造りで、部屋の中には白銀の円盤が飾られている。初めて来たときに興味を持って訊いてみると、リオタールはただ一言、そういう文化だとだけ答えた。

「今日はね、大事な話があるの」

 深い赤の紅茶を出して、リオタールが言った。彼女がこういう低い声で笑みを消すと、逆らいがたい威厳を感じる。社交界で国王や大貴族たちと接したこともあるエディスでさえ、少し緊張した。

「以前、ここはなぜ丸いものが多いのかって、聞いたことがあったわよね?」

「えぇ。村の伝統的な文化だって」

「ごめんなさい、今まであなたを試していたの。本当に信頼できるか……人間性、力、意志を」

 それを聞いても、エディスは別に驚かず、嫌な気持ちもしなかった。

「リオは長だもの。誰でも無条件に信じるわけにはいかないわ。……それで?」

「今日の戦いを見てもそうだけど、じつを言うとミディでここまでの力があるとは思っていなかったくらい、私たち一族と比べても申し分がないわ。戦いの力は、そのまま意志の力。あなたのまっすぐな心は、信頼できると断定するわ」

「なんだか、そんなに誉められると恥ずかしいわね」

「これはとてもすごいことなのよ。……それで、あなたを友達としてだけでなく、一族としても認めて、これから本当のことを話すわ」

「この村のこと? それとも……“聖獣”のこと?」

 リオタールは顔には出さずに驚いた。あの獣については最初のころに簡単に説明して、それきり名前さえ話題に出ることもほとんどなかったのに、それが重要な秘密であることに気付いていたのだ。優秀な洞察力である。

「今日ティール達から聞いたみたいだけど、太古の昔、まだ水中にしかいなかった原始生物は、自由に動きまわれることを夢見ていたわ。その願いはどんどん大きくなり、ついに陸に上がるという進化をとげた。でもそれは現実の形だけでなく、夢の世界にも影響を与えたの。強い夢魔が獣の姿をしているのは、彼らが最も理想とした生物だったからなのよ」

「それなら人間の方がいいんじゃ……あ、もしかして」

「そう。それがその後に現れた私たちのこと」

 進化したという意味では、夢も現実も同じことだった。そうなると、この二つの世界に違いはあるのだろうか。エディスはこれまで夢というと現実の産物のような感覚で思っていたが、どちらが主でもあり得るし、どちらも独立した世界のようでもある。

「夢と現実は互いに影響を与え合い、自然界の食物連鎖のように、すべての事象は円を描くようにつながっているの。だから私たちは、この円という形を基本としているのよ。そして……」

 リオタールは白銀の円盤に視線をやった。

「この円が示すものこそ、世界の円環を司るもの……“聖獣”なのよ」

 エディスはパチパチと瞬きをした。「円環を、司る?」

「夢は現実の生命が創ったものだけど、“聖獣”だけはその夢から生まれたの。“聖獣”は夢と現実に溢れる感情を力に換えて、二つの世界のバランスをとっている。互いに影響を与えるというのは、本当の意味ではこの“聖獣”が柱になっているのよ」

「でも、あんな恐ろしいものが……」

 姿も気迫も威圧感も、存在そのものが恐ろしかった。たった一度のわずかな時間だったが、自分の死だけではない、すべてが消えてしまう絶望感のような覚悟を感じたあの恐怖は、今もはっきりと覚えている。

「ねぇ、変なことを訊いてもいいかしら」エディスは記憶を振り払うように話を少しだけ変えた。「“聖”なる“獣”と呼ばれている理由はなんとなくわかったんだけど、名前なんかはないの?」

「名前……」リオタールの表情が一瞬険しくなったことに、エディスは気付かなかった。「“聖獣”の名前とは、すなわち世界そのものを意味しているのよ。だけど、もう遥か昔に失われてしまったと言われているわ」

 どこか納得しがたい答えだったが、エディスはこれ以上は訊かないことにした。もともとひと呼吸おきたかっただけなので、大した意味は考えていない。リオタールも彼女が落ちついたのを見計らって、話を元に戻した。

「現実世界で苦しみや悲しみが増えると悪夢が増えて、夢魔が夢を荒らすと現実でさらに苦しむ人が増える。これがあまりに深く急激に起こると、本来、生命を導くはずの“聖獣”が狂ったように暴れ出してしまうのよ」

「それでまた夢で亡くなる人が増えて、悪循環になってしまうから、早く捕えないといけないのね」

「正確には……倒す、ということになるでしょうけどね」

 リオタールはわずかにためらいながら言って、ちらりとエディスの様子を見た。“聖獣”の圧倒的な力は全身で感じたはず。それと戦って倒さなければならないと知ったら、臆するのは当然だろう。そのとき、どういう反応をするのか……。

「それじゃぁ、もっと稽古をつけてもらわないと!」

「え?」

「私、今のままじゃみんなの足手まといになっちゃうわ。現実では免許皆伝だけど、まだまだもっと腕を磨かなきゃ」

「一緒に、来てくれるの?」

「もちろんよ。リオ達を手伝いたいし、あんなに恐ろしい悪夢を放っておくわけにはいかないわ。だから、また稽古をお願いね!」

 エディスの思いは、純粋に友達としての助力と正義感であり、しかし現状と自分の力量もきちんとわきまえている。リオタールは出来のいい愛弟子を見るように、やはり彼女を仲間と認めたことも真実を話したことも間違ってはいなかったと確信した。

「稽古は実戦でどんどん鍛えていけばいいわ。それよりこの前の続き、あなたの国や家族のことを、もっと教えてちょうだい」

「えっと、どこまで話したっけ? 私の家は、コルスコート王国の小さな貴族なんだけど……」

 二人はまた親友の笑顔に戻り、お茶と会話を楽しんだ。


 そのころ、家に戻ったティールは、二階の物置で昔の書物を読んでいた。彼が一人でここにこもって読書をするのはいつものことである。しかし最近、険しい顔で考え込んでいるのが多いことは、この日もさっさと出かけていったソエルさえ知らない。

「夢は現実の副産物、か……」

 ぶ厚い本をとじて、ティールはため息を落とした。ミヌイ族に伝わるあらゆる伝承や知識を網羅し、集落にある書物はすべて読破している。世界を誰よりも知り尽くしているからこそ、やり切れない気持ちは隠せなかった。

 夢の世界を守るために夢魔を退治することは、自分たちの責務だと思う。しかし、元はといえば現実世界のミディが戦争や犯罪をくり返す結果、これほどまでに苦しむ悪夢が増えたのだ。彼らは何も知らないとはいえ、自分たちだけが命がけで戦い、また迷惑被害を被る一方で、これを「互いに影響を与え合っている」などと対等な立場と言えるのだろうか。しょせんは陰の副産物でしかないと、ティールはあきらめにも似た憤りを覚えてしまう。

「だとしても、どうにもできない」

 仮にストライキを起こして夢魔を放置したところで、破壊されるのは自分たちの世界なのだ。何より、リオタールは長として、そんなことを許すはずがない。

 だからといって理不尽な戦いで彼女を危険にさらすなど、これ以上は耐えられなかった。今まで命の危機は何度となくあったが、先ほどもイノシシの牙があのまま貫いていたらと思うと、恐怖と絶望感でいてもたってもいられなくなる。

「それでも“聖獣”を……」

 倒さなければならないのか。勝算は限りなく低く、勝ったとしてもこちらの被害や犠牲も免れないだろう。彼女を失う危険を冒してまで、現実を、夢を守る意味などあるのか。それでも責務に従おうとする婚約者を、どうすれば守れるのだろうか。

「兄貴、顔色が悪いけど、どうしたんだ?」

 めずらしく二階にやってきた弟が、心配そうに声をかけた。その瞬間、ティールは心の奥底で何かが固まり、あるいは音を立てて崩れたような気がした。


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