最終話
討伐から数日後、凱旋パレードが催された。大通りには、大勢の民衆が詰めかけていた。馬車の上から手を振るイリアーゼに、沿道のあちこちから歓声が上がった。
「私たち、そんなにすごいことした?」
そう言うイリアーゼは、少し照れくさそうだった。
パレードを終えると、俺たちは、王城へ向かい、国王との謁見に臨んだ。
◆
玉座に座る王は、思っていたよりも若く、油断のない目つきをしていた。
「ヴァルガ討伐、大儀であった」
王の声には、感情の色がほとんど乗っていなかった。だが、それは冷淡さというより、意図的に均された平静さのように、俺には聞こえた。
「勇者レオン、そして召喚士イリアーゼ。両名の働き、確かに見届けた。あの魔獣を放置していれば、この国はもっと多くを失っていただろう」
事務的な口調だった。だが、その視線が、ふと俺たちの間に流れる何かを確かめるように動いた。
「一つ、はっきりしたことがある」
王は、そこで初めて、わずかに声の調子を変えた。
「此度の一件で、貴殿らの同調が、こちらの想定を大きく超えて深まったことも分かった。剣の負荷にすら抗い得るほどの深さだ」
「……それが、何か問題でも」
俺が問うと、王は初めて俺の目を正面から見た。
「問題だ、と断じる者が、宮廷には多い。人間と召喚士が、王家の管理を離れるほどの絆を結べば、いずれこの国の均衡そのものが揺らぐ、とな」
「そんなのは、あんたらの都合だろう」
「その通りだ」
王は否定しなかった。むしろ、あっけなく認めたことに、俺の方が言葉を失った。
「都合だと分かった上で、それでも決定した。私は、この国の均衡を守る責を負っている。貴殿らの絆を恐れる者たちの声を、無視することはできん」
淡々とした口調の奥に、俺は初めて、この男自身も割り切れていないものを感じた。
「勇者レオンは、元の世界へ送還する」
「……なっ」
俺は思わず声を上げた。
「それが、俺たちへの褒賞のつもりか!」
「褒賞ではない。手打ちだ」
王の口調に、初めて、隠しきれない硬さが滲んだ。
「貴殿らが命懸けで示した絆は、認めよう。認めた上で、なお、これ以上を許すわけにはいかん。それが、此度の裁定だ」
イリアーゼは、うなだれるように頭を下げた。
「……いつ、執行される」
「明日だ」
その一言が、重くのしかかった。
「パレードの熱気が冷めぬうちに、済ませる。それが、貴殿らへの、せめてもの礼だと思っている。下がってよい」
謁見の間を出ると、差し込む夕日が、石造りの廊下を、橙色に染めていた。残された時間の少なさを、その色が突きつけていた。
◆
最後の夜、俺たちは寝台に並んで腰掛けていた。パレードの余韻を引きずるように、他愛もない話を交わしていた。
「あんなに人が集まるの、初めて見た」
「ん、うん……」
気のない返事をしながら、俺は、昼間の光景を思い返していた。大通りですれ違った、赤い服の女の子とその犬。犬に顔中を舐められても、イリアーゼは笑って受け入れていた。
――イリアーゼにとって、俺も、あの犬と、そう変わらないんじゃないか。
懐けば可愛がる。人懐こければ受け入れる。それだけのことなのかもしれない。
そう考え始めると、据わりの悪さが、胸の奥から抜けなくなった。
「ねえ、どうしたの? また考え事?」
「……なあ、昼間、犬とじゃれあってたよな」
「え? 犬?」
「ほら、赤い服の女の子がいただろ。その子が連れてた犬」
「ああ……何となく覚えてる。それがどうかしたの」
「顔中、舐められてたよな」
「そうだっけ」
「嫌な顔、してなかったから」
「……だったら、何?」
俺は少し迷ってから、口にした。
「イリアーゼにとって、俺はペットなのか?」
そう言うと、彼女は眉をひそめた。
「何が言いたいのよ」
「いや、なんとなく」
「レオンがそう思うなら、レオンは私のペットなんじゃない?」
思いがけない返しに、俺は言葉に詰まった。
「ペットは、嫌だな」
「恋人でも、相棒でも、何でもいいって、最初にそう言ったでしょ」
「……そうだったな」
イリアーゼは、それだけ言うと、くすっと笑った。
「はい、お手」
「誰が犬だよ」
ぼやきつつ、俺は、差し出された彼女の手に、自分の手を重ねた。
指を絡めたまま、俺たちはこれまでの旅のことを話していた。
最初に出会った日のこと。初めて一緒に食事をしたこと。旅の途中で立ち寄った村のこと。
旅の一つ一つを思い出し、語り合っていると、イリアーゼの指の動きが、ふと止まった。
「レオンのお母さんって、どんな人?」
「……口うるさいけど、根はまっすぐな人だよ」
「へー。そうなんだ。いいお母さん?」
「まあ、ちょっと、うるさいけどな」
イリアーゼは、俺の手を見つめたまま、ぽつりと言った。
「私を産んでくれた母は、よく泣いてたんだよね」
「……なんでだ?」
「召喚士って、感情がないみたいで気味が悪いって。……そういうこと言う人もいたの」
「ひどい奴だな」
イリアーゼは、俺の目を見つめて言った。
「ねえ、聞いて。私たちに無いのは、恋愛感情だけなんだよ」
「それは、前にも聞いた」
「うん。でも、嬉しいとか、悲しいとか、怒ったりとか……そういうのは、ちゃんとあるから」
「分かってる」
俺がそう言うと、イリアーゼは少しの間、黙っていた。
そして、繋いだ手を、ぎゅっと握ってきた。
「レオンがペットとか言い出すから」
「……そうか。悪かった」
俺は、絡んだ指に目を落とした。
しばらくの間、二人の間に言葉はなかった。
「ねえ、レオン」
イリアーゼが、努めて明るい声を出した。
「今までありがとう。一緒に戦ってくれて、助かった。私一人じゃ、絶対ここまで来れなかったよ」
「……何だよ、急に改まって」
「改まってないよ。ただ、言っておきたかっただけ」
「なら、俺からも言っておく」
「え?」
「お前との旅、楽しかった。心から、そう思ってる」
イリアーゼは、一瞬、虚を突かれたような顔をした。それから、いつもの調子を取り戻すように笑った。
「……ふふ、なにそれ。柄にもなく」
「柄にもなくは、お前だろ」
「うっ、そうだった」
軽口を叩き合いながらも、部屋の空気には、どこか名残惜しさが残っていた。
イリアーゼは不意に居住まいを正すと、両腕を大きく広げた。
「はい、レオン。最後だから、特別サービスしてあげる」
「……何のつもりだ」
「甘えん坊のレオンに、今夜だけ特別サービス」
「別に、そんなに甘えたがってるわけじゃ……」
「はいはい。強がらなくていいから。ほら、おいで」
からかうような口調と、突き出された腕。
俺は、そこに身体を預けた。
「わっ、思ったより素直じゃん」
「お前が誘ったんだろ」
「うん……誘った」
イリアーゼは、俺の背中に腕を回した。
『私、寂しいよ』
「……俺もだ」
「え? 俺もって、何が?」
「寂しいって、言ったろ」
「言ってないけど」
「今、言っただろ」
「言ってないよ。空耳じゃない?」
いつも通りの、飄々とした調子だった。
「……そうかよ」
「なにその、分かってますみたいな返事」
「してない」
「してる。したり顔」
「お前、今の位置から俺の顔見えないだろ」
「見えなくても分かるの。そういうのは」
軽口の応酬に、さっきまでの湿っぽさが、少しだけ薄まっていった。
「……そろそろ、寝るか」
「うん……」
その夜、俺たちはしばらく、何も言わずに寄り添っていた。
◆
翌朝、召喚の間には、あの日と同じ光の紋様が広がっていた。
「最後に、伝えておきたいことがあるの」
イリアーゼは、努めて明るく言った。だが、その声には、微かな硬さがあった。
「……なんだ」
イリアーゼは少し黙った。
それから、いつもの笑顔で、けれどどこか、これまでよりまっすぐな声で言った。
「最高のパートナーだったよ」
「……だな。最高のパートナーだった」
俺も、同じ言葉で返した。
その言葉が、これまで彼女から受け取ったどんな言葉よりも、重く胸に響いた。
光が、俺の身体を包み始めた。
「元気でね、レオン」
「何かあったら、いつでも呼べよ」
「うん。約束する」
紋様の光が閉じる直前、イリアーゼの顔に、これまでで一番、飾り気のない笑顔が浮かんでいるのが見えた。
◆
意識が浮上したとき、俺は、深夜のコンビニ前の歩道に立っていた。信号は、まだ赤のままだった。
まるで、時間が止まっていたかのようだった。
俺は、赤信号を見上げた。見慣れているはずの景色を、どこか異世界のように、よそよそしく感じた。
――最高のパートナーだったよ。
あの声は、まだ耳の奥に残っていた。
信号が青に変わり、俺は、歩き出した。
《完》




