天文21(1550)年5月2,3日
5月2日。 さて、本日は2つ目の神明社の建立。先ずは、ポツポツとしかないが、立木を伐採する。たいして大きくないので、今回は根も途中で切ってなるべく掘り出す。女子には草刈り機で周りを刈ってもらった。メジャーで測りながら四隅を決め、少し深めの穴を掘って途中まで砂利を埋める。適当な石でドシドシ打ちつけながら表面を均し、その上にコンクリブロックと化粧石を置いて、ブロックの2/3くらいまで埋め戻して土を固める。コンビニ弁当と「お~い、お〇」の昼食を経て、優也と協力しながらプレハブの各面を作り、女子にも支えてもらいながら各面を組み合わせて金具で留めていく。柱に当たる部分に斜木を施していくとしっかり固定され、揺れ動かなくなった。屋根は、一見檜皮葺に見えるプラスチック板を重ねたものを表面に強力接着剤で貼り付けてあり、四隅の柱のほぞ穴に合うように乗せて、横から三角形の楔を差し込んで固定する。まあ、合掌作りの屋根と似た乗せ方だ。今日は此処迄か。
借り受けている新居に帰って、焼肉とサラダの夕食を摂り、風呂に入ったら一挙に眠気が来た。
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5月3日。 気付いたら、朝の6時半。皆も起きて来た。焼いた塩鮭、お浸し、キャベツの浅漬け、味噌汁で朝食を済ませ、急いで建設途中の神明社に行く。
先ずは、千木を付けて、氷川神社の扁額を掲げる。次に、土台面から45cm程上に最低面が来るように段組しながら床を張っていく。これが大変だった。昼飯を遅らせて14時までかかった。今日は昨日よりもさらに質素で、コンビニおにぎりとお茶。
いよいよ室内に取り掛かる。中の厨子に、優也作のご神体である天照坐皇大御神様の立像と鏡を静置し、離れた横には神籬を置いた。本殿と拝殿が一緒になったような感じだが、今はそんなに大きな建築物は作れないので、これで良しとする。正面手前にお供え物をする白木の台と、更にその手前に五段の石段を作って、一番上にお賽銭箱を置く。真ん中手前に、屋根裏に括りつけた太い縄を垂らして鈴も付けておく。真上にしめ縄と紙垂を飾って出来上がり。神社本体には殺虫剤を含んだ浸透ニスを塗ってあるので、外見はテカらず落ち着いた木肌の色を見せている。
参道に相当する延長上で坂になりかけるところまで、社から石畳を敷いた。途中に、やはりプレハブで作っておいた小さな手水舎を置いた。ただし水が引けないので、溜水になってしまう。時々取り換えねばならないが、手水舎に来てから純水入りポリタンクを購入出来る我等以外、この丘の上まで重たい水を運び入れるのは無理だろう。完成した喜びに浸りながら、銅銭のお賽銭を入れ、鈴をシャランシャラン、二礼二拍手一礼の儀を行っていると、三郎が連絡にやってきた。
「(三郎)もう完成したのですね、素晴らしい神社です。私も先ずは参拝させていただきます。 ー鈴をシャランシャラン、二礼二拍手一礼― 先ほど長門様から連絡が参りまして、明日は辰の刻(おおよそ7~9時)の終わり頃、長門様のお屋敷までお運び頂きたしとの事です。巳の刻(9~11時)になってから、長門様が同道されて徳山館に向かいます。何れにしろ、辰の刻の中頃に、某が新居にお迎えに上がります。」
「(秀明)分かった。態々の出迎え、済まんの。」
「(三郎)いえ、何という事はありませんですし、イメルッカ達を連れて某も早めに館に向かうのですから。」
ということで、三郎と一緒に丘を降り、直ぐに分かれて住まいに向かった。第一印象も大事なので、今夜は髭剃り(まだチョッピリだが)など身だしなみを整え、衣服の皴など無いように注意しよう。しかし、下は野袴のような感じのものなのだが、和服は身動きしにくい。普通に動けている女子連は大したものだが、あの格好で最後は神明社まで登るとすると閉口だな。しょうがないか。武装は大小と拳銃だけで良いだろうな。まさか騙し討ちなど無いだろうし。船上で、海に向かって練習した雷など使いたく無いからね。
女子も若干緊張したのか精彩を欠き、夕食は既製品のハンバーグと目玉焼き、キャベツサラダ、味噌汁だった。風呂入って早よ寝よ。




