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予知夢から始まる英雄譚  作者: 鴉山 九郎
【5章 飛翔を妨げるは強欲の重み】
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3.千年帝国の黄昏

 人間達は村の空き家を、我々が宿泊する場所として提供してくれた。

 この村の若者達を取り込むことには成功したが、大人達は警戒を解いていない。彼らを説得し、さらには近隣の村々を巻き込むまでは、私達もここを離れるわけにはいかなかった。


「しかし、狭いな」

「人間にとって、この居住空間で六人が暮らすのは普通だという感覚なのでしょう」

「我々のように嵩張るものを持っていませんしね」


 私のぼやきに、部下達は苦笑する。人間達の好意であることは間違いない。故に、責められない。村長の家とて、こことそう変わらない大きさなのだから。

 台所も居間も玄関も一緒くたにされた一室だ。私達は互いの翼が触れ合うほど近く、身を寄せていた。

 狭いのは部屋だけではない。出入り口もだ。玄関を出入りするたびに翼がこすれ、戸口には梳かれた羽毛が引っかかる。段々、戸口を閉める際の音が柔らかくなっていく。私達の翼に禿げができないうちに、ここから引き上げたいものだ。


「今回も見事な演説でした、隊長」

「もう少し、奮い立たせるように言ってやりたいのだがな。どうにも、説教臭くなってしまう」


 参考にしているのはアラベラの語り口である。彼女の激励は、人に自信を取り戻させるような熱いものなのだ。


「語っている最中はともかく、思い返すと重苦しい程に疲弊する。……憎き敵のやり口を真似しなければならないとは、皮肉なものだ」


 心を刺す罪悪感以上に、蓄積された復讐心が私達を突き動かす。

 この戦乱に身を投じたのだって、再びの栄華を夢見たからではない。それは、あくまで過程だ。有翼人からすれば、絶対に成し遂げなければならない決定事項なのである。その先に、私達が本当に望むものがあるからだ。

 ガヴァンが同情するような目をする。


「一時の辛抱です、アーノルド様。この荒れに荒れた時代こそ、奴らの好みそうなものですから」

「今度こそ、尻尾を掴んで引きずり出してやりますよ!」


 部下達が俄然、意気込む。

 世に覇者が生まれる時、影に潜む敵は初めて姿を現す。この世で一番、生きる力に満ち溢れた者を、むしゃぶりつくすために。

 人の生気を啜り生きる寄生虫共。淫魔は今も、くだらぬ争いに明け暮れる人々を高みから見下ろしながら、品定めをしているに違いないのだ。自身は決して戦場の土を踏むことなく、ただ戦意ばかりを悪戯に煽って。

 人を人とも思わない卑劣な連中が、世界を我が物顔で所有するなど、あってはならない。


「ガヴァン、マーラン、レレ、カルバー、カリンダ。我らが受けた屈辱を今一度、諳んじよ」


 きつく目を閉じ、体の芯まで刻み込まれた文句の暗唱を、部下達に促す。完全な暗闇の中で、彼らが一人一節、口にしていくのを聞いた。


「始めに、王宮が内より腐りゆく。妖妃は后に成り代わり、皇帝を己がものにせり」

「次に、神殿が背徳に染まりゆく。神の目を逃れ、神官は民に穢れを広げたり」

「街は侵され、民は爛れき。瘴気が蔓延すれば、さらなる悪意を呼び寄せたり」

「絶望を知るは子等。目に焼きつくは父母の醜態、耳に残るは淫魔の高笑い」

「かくして、浮遊する大陸は落ち行く。残されし雛を、天上より放り出して」


 さすが、子供の頃より覚えさせられるだけあって、空で言うのも慣れたものだ。有翼人の子供は何よりも先にこれを教えられる。受けた屈辱を、世代が交代しても忘れ去られることのないように。

 もっとも、その意味を真に理解するのは、何年も先のことだが。



 *****



 有史以来、最古にして最大の帝国。千年の栄華を誇ったために、俗に千年帝国と称される私達の祖の国。それは今も、私達の誇りであり続けている。

 落ちぶれる気配など、微塵もなかったのだ。淫魔の侵入さえなければ、もうあと千年の繁栄は約束されていたと言ってもいい。

 浮遊大陸は翼ある者だけに与えられた楽園だった。背に翼がある有翼人、肩から翼を生やすハーピー、そして、背中に蝙蝠のような翼を持つ淫魔。有翼人の皇帝を頂点として、ハーピーや淫魔の滞在も許されていた。

 淫魔は地上で彼らなりの食事をし、余暇を過ごすために天空の国にやってくる。そんな馬鹿みたいな話が、本当に信じられていたのである。だから、帝国内で悪さはしない、と。

 もっとも、淫魔を見つけるのは至難の業だ。彼らは五感のすべてを騙すという幻覚魔法を操り、人に見せる姿を自在に変える。目立たぬように有翼人に化けられては、誰も見分けなどつかなかった。


 ある時、サキュバスと呼ばれる一匹の淫魔の雌が、時の皇帝陛下に取り入った。

 醜い翼を見せたまま、王宮に入り込めるわけがない。そいつは、正妻として迎えられた后様になりすまし、堂々と王宮の門をくぐったのである。

 本物の后様に関して残る史料は少ない。淫魔が利用する際に殺したのだろう、という見方が大方である。あえて皆、口にしようとはしないが、后様は淫魔の雄であるインキュバスに誘い出されたのだ。

 だが、それを不貞とどうして責められよう。夫である皇帝の姿で抱きすくめられれば、后は身を預けるほかないではないか。真実に気付いて抗う時には遅い。淫魔の糧として搾り取られるだけになっている。

 一度淫魔に手をつけられた人は、もとの生活を送れなくなるという。淫魔との行為は中毒性があるらしいのだ。流されるままに道を踏み外せば、二度と人には戻れない。乳を搾られる牛や山羊と同じように、淫魔に生気という食糧を提供し続ける家畜に成り果てるのである。牛や山羊と違うのは、柵に囲われているわけでもないのに逃げようとせず、むしろ自らそこに向かってしまうことか。退廃的な快楽を求め歩く姿は、亡者かあるいは操り人形のようだった、とする証言がある。

 そのように廃人として生きた先にあるのは、明確な死だ。生気の残りカスまで食い尽くされて、残るのは干からびたミイラのような死体のみ。生気とは人の生きる力そのものである。奪われた生気が戻ることは決してなく、体や精神と違って、療養すれば回復するというものでもない。底をつけば死が訪れる。

 ここまで言えば、淫魔がいかに恐ろしい存在か、お分かりだろう。あれで人の一種だというのだから、信じられない。害しかもたらさない連中など、魔族とでも呼んでおけばよいのだ。


 国の頂点に立つ皇帝陛下でも、彼ら——いや、彼女を退けることはできなかった。なんといっても、愛しい妻の姿をしているのだ。甘えられて、ねだられて、断れる男がどこにいよう。そもそも、拒む理由などありはしないのだ。夫婦の仲で遠慮する必要がどこにある。

 皇帝夫妻は揃って、互いの姿をした偽物と愛し合ったというわけだ。

 この、皇帝を欺いたサキュバスが『妖妃』という名称で語り継がれている。

 『妖妃』は見事、皇帝を手籠めにし、それからは自分の好きなように皇帝を動かした。公の場では后として常に隣に立ち、自分の意にそぐわない決定があれば、それとなく誘導してそれを改めさせた。

 皇帝は妻の機嫌を取ろうと必死だった。損ねれば、夜の営みが遠のく。主導権は完全に妻にあった。

 それは、国の行く末が、皇帝の手綱を握った淫魔によって左右されることを意味した。


“ただ食い散らかすだけの淫魔など二流、三流の凡庸。国の命運を弄ぶような高度な遊びができて初めて、一流の淫魔なのだ”


 これは、国がいよいよ滅ぶという時、正体を明かした『妖妃』が放った言葉だ。

 人へ寄生する流儀に、凡流も一流もないと思うのだが、これが当時の淫魔には衝撃だったらしい。行きずりの相手を襲い腹を満たしていた淫魔達は、意識の改革を迫られた。

 『妖妃』は淫魔にとっての革命者だった。

 そのサキュバスは“焦らす”という行為を知っていた。焦らせば焦らすほど、なかなか与えられない次を求めて、被食者は従順になる。それが国の指導者ともなれば、自分達にとって有利な土台を作り上げることもできる。

 事実、あれ以後、『妖妃』のやり口を真似た淫魔が、競って国の指導者を手玉に取っている。

 国の滅びには必ずと言っていいほど、淫魔が関わっている。傾国の美女とはよく言ったものだ。その“美女”の大半がサキュバスである。


 淫魔が踏みにじったものは、皇帝という権威だけではなかった。

 時を同じくして、王権とは独立した形で存在した神殿でも、同様の入れ替わりが起きていた。神殿の最高権威であった大神官が、淫魔の策略に落ちていたのだ。大神官に成り代わったのは、『妖妃』と行動を共にしていたインキュバスだった。

 こちらのインキュバスは『邪神官』と名称されている。

 これも、当時の淫魔には考えられないことだったらしい。淫魔は大抵が一匹狼で、協力して何かを為すことはない。そんな常識を覆して、『妖妃』と『邪神官』は運命共同体となった。それが功を奏したものだから、今では群れない淫魔の方が珍しくなってしまった。

 有翼人の神官職は女性が多く、大神官まで上り詰める者も当然、女性がほとんどだった。しかし、その時は珍しく、男性が大神官の役職に就いていたことが災いした。

 『邪神官』はその地位をいいように利用して、女神官達を喰いあさったのだ。穢れた行為は決まって、神である太陽が沈んだ後に行われた。太陽と違って、月は我々にとって忌まわしいものだった。月明かりは人を狂わせる。淫魔の術にもかかりやすくなる。

 信仰を穢し、色事など知りもしなかった女性達を堕落させ、『邪神官』は神殿の権威を失墜させた。『邪神官』に支配された神殿は、もはや神聖な場ではなく、場末の娼館のような有り様だったという。

 『妖妃』が皇帝という最強の持ち札を手にしているのに対し、『邪神官』は手駒となる女性が多数いることが強みだった。

 『邪神官』とて、たらふく喰ってただ満足していたわけではない。奴らに言わせれば、それでは、これまでの淫魔と変わらない凡庸なのだ。

 『邪神官』は手籠めにした女神官を、各地の神殿に送り込んだ。小さな神殿ならば、どんな農村にも必ずある。浮遊大陸全土を掌握するには、神官はまさにうってつけの駒だったのだ。すっかり淫らなことしか考えられなくなった女神官は、礼拝に来た信者に堕落を伝染させるかの如く、背徳に及んだという。

 『妖妃』がいる王宮でも、官僚達は次々とその毒牙にかかっていった。

 そうして、有翼人は上から下までどっぷりと毒に浸かったのだった。


 王宮と神殿の内部から始まった腐敗は、染みを広げるように平民にまで及んだ。乱れた気風は“喰いやすい”という評判で、さらなる淫魔を呼び込むことに繋がる。

 『妖妃』と『邪神官』の思惑など知りもしない野良の淫魔が、これ幸いと浮遊大陸に乗り込み、腐敗の進行は加速した。

 実のところ、ことの発端である二人組はこれを狙ってやったらしいのだ。同族に美味しい思いをさせるためではない。彼らは同族の淫魔さえ、駒の一つとしか見ていなかった。知らずうちに巻き込み、利用したに過ぎない。

 『妖妃』と『邪神官』にとって、これは遊びなのである。いかようにして、一つの巨大な帝国を滅ぼすか。戦を仕掛けて圧倒的な力で押しつぶすのとは違う。搦め手でじわじわと嬲り殺していく、淫魔流の戦い方がどこまで通用するか。試したかっただけなのだ。

 もし彼らが、食うに困らないよう大量の家畜を作りたかっただけならば、国を滅亡させる必要はなかった。いや、むしろ滅ぼすのは悪手である。生かさず殺さず、淫魔の存在を気付かせないまま、有翼人を飼うことも彼の二人組なら可能だったろう。悔しいことに。

 だが、彼らはそれをしなかった。そんな退屈でつまらないことを、遊びに飢えた淫魔がするわけがないのである。

 彼ら二人の玩具にならずに済んだのは、淫魔の術に掛かりにくい子供達だけだった。成熟していればしているほど、欲が深ければ深いほど、淫魔の術には嵌まりやすくなる。とりわけ、性的なものに関しては大人は逃れようもなかった。そういった欲望が芽生える前の、未熟な子供達は淫魔の魔の手から逃れることができたのだ。

 もっとも、それだって『妖妃』と『邪神官』が作為的に手を出さずにいたのかもしれない。やりようはいくらでもある。彼らが有翼人を本気で根絶やしにするつもりだったなら、子供達とて逃げのびることは不可能だったろう。

 淫魔はあらゆる感情の火種を煽る。お気に入りの服に染みが付いてしまった程度の悲しみが、自殺するほどの絶望に変わる。肩にぶつかった程度の苛立ちが、人を殺すほどの激情へ変わる。

 両親の醜態を目の当たりにした子供達の、不安定な精神を、焚き付けることは容易かったに違いない。


 『妖妃』はあえてそれを、同士討ちではなく、己に向けさせた。本当に憎むべき者は誰か、種明かしするように、嬉々として子供達に披露した。

 何故そのようなことをしたのか、理由は簡単である。再三言うように、奴らは退屈をしのぎたいのだ。そうした方が“面白く”なりそうだから、そうしたに過ぎない。

 まともな大人は誰一人いない、頽廃した世界。残った子供達に見られる中、『妖妃』は自らの翼から、羽根を散らせた。抜け落ちていく羽根は風にさらわれ、空中で消えた。後に残ったのは、羽根など生えようもない、蝙蝠の翼に似た醜悪な飛膜だった。

 有翼人には存在しない尻尾まで、おまけに露出させて、自分の正体をすっかり明かしたのだ。矢じりのように尖った尻尾の先で、『妖妃』は子供達を指して嘲笑った。

 后様の顔でありながら、『妖妃』は到底高貴な方がしそうにない表情をしたという。


“世界の覇権を手にすることがあれば、再びお前達に会うこともあろう。子供達よ、成熟の時を楽しみにしているぞ”


 『妖妃』は耳に木霊する高笑いを残し、浮遊大陸を飛び去っていった。


 それから程なくして、浮遊大陸は落ちた。

 もともとが魔力によって成り立っていた不自然な大陸なのだ。後継者のいなかった皇帝が崩御されると、浮く力が尽きたように、大陸は地上へと沈んでいった。

 皇帝が代々受け継いでいく特別な魔道具があったのかもしれない。あるいは、王族の血筋にしか使えない特殊な魔術の類だったのか。今となっては分からないし、知る術もない。

 こちらは、淫魔を始末した後の課題である。いつの日か、浮遊する大陸も実現してみせよう。


 帝国の生き残りである子供達は、親鳥から羽ばたき方も教わらないうちに、巣ごと落とされた雛である。落ちた大陸の残骸に縋りついても、空に戻れるわけではない。かといって、子供だけで知らない地上を生きていくのも、また困難な道に相違ない。

 骸となった親の傍らに残り死を待つのも、あるいは選択肢の一つだったかもしれない。

 だが、彼らはそうしなかった。彼らに生きる気力を与えたのは、皮肉なことに『妖妃』が残した言葉だった。

 大人になれば、憎き淫魔は向こうから会いに来るのか。ならばその時を、磨いた刃を潜めて待っていよう。自分達は卑怯な術に屈しない強い精神を育んでから、淫魔と相見えるのだ。

 そうして、子供達は勝手が分からない土地を生き抜くと誓った。淫魔を倒すまでは国を持たない、という願掛けまでして。

 天から落ちてきた翼の生えた子供と、破壊された文明を抱える浮遊大陸だったもの。そのどちらも、地上の民にとっては物珍しいものだったに違いない。それまで天上にしか存在しなかったものを目にし、手にした彼らは、有翼人への敬意を捨てた。畏怖に至っては忘れてしまった。

 それでも、地上の民は責められない。

 彼らが見たのは、輝かしい天空の都ではなく、堕落しきった廃都だったのだから。きっと、軽蔑されても仕方のないような死体も、堂々と放置されていたことだろう。

 圧倒的な支配者を失った地上の民は、それをきっかけに、闘争に目覚めた。有翼人に代わる次代の支配者を気取り、多くの者がそれぞれの国を打ち立てた。それは、国という巨大な生物が繰り広げる、過酷な生存競争であった。淫魔は浮遊大陸だけでなく、地上の大陸にも混沌をもたらしたのである。

 有翼人の子供達は争いから逃れるように、各地を転々として過ごした。それが後に『浮遊の民』と呼ばれるようになる。秘匿された神秘を披露し、一部で「天使」として再び崇められる者があった。成長してからは、空を飛ぶ兵士として傭兵の真似事をしてみる者があった。後者が、私が所属しアラベラが率いる「天想軍」の前身である。

 しかし、かつての子供達が大人になっても、『妖妃』は一向に現れなかった。

 そこで彼らは、“成熟”の意味を取り違えていたことに気付く。文言の後半は、前半の続きなのだ。今度は天上ではなく地上の覇権を握ってみせよ、と『妖妃』は挑発していたのである。

 落とされた雛が世界を食らう鷲に成長した時、淫魔は現れる。



 *****



 一代で成すことが無理だと悟れば、磨いた刃は子に託した。受けた屈辱を、この目で見た光景のように思い返せるように、この耳で聞いた言葉のように蘇るように、詩によって教え込んだ。

 夜毎、眠りに就く前に唱えれば夢にまで再現される。

 決して忘れる事などできない。有翼人の子であれば、物心が付く頃には染み込んでいる。

 私は、五人の部下の暗唱をきっかけに“思い出して”いた。

 『妖妃』の思惑は見事に当たったわけだ。千年帝国が滅んでから八百年近く経っているというのに、いまだ有翼人は『妖妃』に憎しみを抱き続けている。淫魔を打倒することだけを考え、生きてきた年月だった。これこそ、彼女の思う“面白いこと”に違いなかった。

 もちろん、『妖妃』本人がすでに生きていないことは百も承知である。いくら人の生気を食して生きようと、老衰には勝てない。淫魔の寿命では百にも届かないだろう。

 だが、そんなことはさしたる問題ではない。

 私達は、淫魔そのものを滅ぼしたいと願っているのだ。受けた屈辱を返せるのなら、現代を生きる淫魔でも構わないのだ。まるで盤上の遊戯を見下ろすように、一つ上の段に立っているつもりでいる淫魔を、引きずり下ろしてやりたいのだ。

 そのためには、自身が盤上の駒であってはならない。相手は駒を動かすプレイヤー気取りなのだから、私達はその対戦者となるしかあるまい。己自身ではなく他者を動かし、淫魔の駒と戦わせるのである。憎き敵の真似をして、人間をそそのかしたのはそのためだ。

 しかし、時代の節目には、淫魔も自らのお人形を介さず、世界という盤上に立つことがある。それが、新たな覇王が現れた時なのである。自分にとって都合の良い傀儡を作り出すために、淫魔はその時だけ、姿を見せる。

 その待望の瞬間のために、私達は駒とした人間を王に押し上げるのだ。淫魔が対面するのは人形同然の人間であって、本当の覇者などではない。その“キング”は私達、有翼人の持ち駒だ。のこのこと訪ねにきた淫魔共を血祭りに上げてやるための、道具だ。

 汚物の清掃が終わったら、偽物の王には暇を与え、有翼人が真の玉座へと収まる。用済みになったからといって人間を始末するような真似はしないのだ、私達は。

 一度手の内に入れたら、それは永久に私達のものである。己の所有物は大切にする。わざわざ壊す馬鹿はいないだろう。……そう言いたいが、今の世の中には、そんな当たり前のことが出来ていない王が多すぎる。だから、真の支配者たり得ない。


 圧倒的に数の少ない有翼人が地上の覇権を握るためには、知略を巡らす必要があった。力押しは通用しない。最適な時を待つ忍耐強さも必須である。常に機会を窺い続け、ある瞬間に、世界を一気にひっくり返すのだ。

 今までだって、それらしい好機は何度かあった。慎重を期して持ち越してきただけで、帝国の滅亡以来、初めての潮時というわけではない。

 それでも、今回ばかりは有翼人も力の入りようが違う。

 八百年という年月が、私達を焦らせていた。うかうかしていると、繁栄を誇っていた千年という期間に、屈辱の歳月が届いてしまう。また機会を待てばいいといっても、一度逃せば何十年、下手をすれば何百年と次が来ないことだってある。

 それに、できることなら自分が生きているうちに、有翼人の帝国を再建したいではないか。それが人の性というものだ。


「この世界は我々のものだ。有翼人こそ、真の支配者である」


 淫魔のように悪戯に掻き回したりしない。

 天下人となったからには世を泰平に治めるし、手中に収めたからには民を大事にする。


「この手に掴むは、かつての栄光! 天上で誇った栄華を、この天下に再現してみせようではないか!」


 部下の一人一人の顔を確かめるように見ると、全員が熱のこもった視線を返してきた。ここらで熱情を思い出させて奮起させようと思ったのだが、余計な御世話だったかもしれない。

 だが、私はそれ以上に興奮していた。


「長年の夢が叶う! もうすぐ、そこだ。せいぜい今のうちに美味い汁を啜っているがいい、淫魔共。次に来るのは、御前達の居場所などない、我々の世だ! ふはは、はははは!」


 敗北した淫魔に返す予定の高笑いもばっちりである。

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