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予知夢から始まる英雄譚  作者: 鴉山 九郎
【5章 飛翔を妨げるは強欲の重み】
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1.黎明の堕天に祝福を

『有翼人。人間の背から翼を生やしたような姿をした人種。猛禽類を思わせる両翼を力強く羽ばたかせ、悠々と空を飛ぶ。その瞳は空模様を映すといわれ、天気によって色を変える。』


 *****



 欲するはかつて手にした栄華。されど、空へ舞い戻るためにはその望みは重すぎる。



 *****



 大仕事の前の清算、というべきか。

 地元の人間から、高山の頂上に住む有翼人の話を聞いた時、私の頭にひらめいたのは過去の痴れ者のことだった。私にとっては人生の先輩にあたる方だが、働いた愚行を考えると、彼を無条件に尊敬することはためらわれる。

 これでも私は、年長者を敬う、といったある程度の良識は持ち合わせているのだが。

 まあ、それは、相手も“良識ある”有翼人であると認められた場合のみか。


「アーノルド様、奴の居場所を突き止めましたよ」


 ばさりと隣に降り立った有翼人が、品良く翼を折りたたみ、私に敬礼をする。

 偵察に出向いていたガヴァンが、さっそく一仕事終えたようだ。私はこの、白い翼を持つ部下を気に入っていた。人より寡黙に、ちゃくちゃくと仕事をこなしていく姿は、私も見習うべき美点である。


「さすがは私の優秀な部下。これで、予定よりも大分早く事を進められそうだ」

「僕は褒められるようなことはしていませんよ。奴があまりにも……、隠れ潜むような様子ではなかったので」

「見つけ出すのが簡単だった?」

「はい」

「馬鹿正直だな、御前おまえは。謙遜は美徳だが、賛辞は素直に受け取っておくものだ。……しかし、だとすると、ますます奴の存在が厭わしい」


 唇を噛み、連なる山脈の峰に目を向ける。

 あの峰のどこかに、十五年前、軍を脱走した男がいる。そう聞いた時、他の人種ならばどう思うだろうか。十五年も前のことで、と目を剥かれそうである。そんな昔のこと、水に流してしまえばいいのに、と。

 だが、そういうわけにはいかない事情が、有翼人にはある。いや、有翼人だからこそ、と言うべきか。


「隠れ潜み、自身の存在をひたすらに消そうとしていたならば、まだ見逃そうという気にもなったが。そんな気配はかけらもない、と」

「ええ。人里に下りて、その姿をさらしている時点で、皆無でしょうね」


 ここら一帯の里に私達が降り立った時、迎えた言葉は何だったか。


 ——あら、あの翼が生えた人のお知り合い?


 怖じ気もなく、農作業で泥だらけになったおばちゃんが、にこにこ顔で言ったのだ。

 この、我々に対して。

 有翼人の千年帝国が滅んで、悠に七百年は経つ。人々が有翼人への畏怖と尊敬を忘れていても、それは仕方のないことだ。だが、忘れられこそすれ、親しく話しかけられるいわれはない。

 地上の民と馴れ合うほど、私達は落ちぶれていないはずだった。

 有翼人は文字通りの雲上人。雲の上の存在に、人の良さそうな庶民丸出しの丸顔が、面を伏せることもなく話しかけてきた。その事実は、私達にほどよい衝撃を与えた。

 叱りつけるような真似はせず、己の民と接するように話を聞き出せば、この人間達と交流する有翼人がいるという。

 彼らが知る有翼人は、その一人であるから、我々もそれと同じく腰が低いと思ったか。ともすれば、物珍しそうに翼に触れさえしてきそうだった。

 翼に泥を付けられる事態だけは回避すべく、抜けた羽根を与えてやれば、素直に喜ぶのだから微笑ましいことだ。天使様の羽根を貰ってしまった、と騒ぐ人間達に、我々の権威はまだ通用するのだと確認できた。


「地上の民と馴れ合いたいのならば、勝手にすればいい。だが、未練がましく翼を持ち得たままというのでは道理がいかん」


 有翼人は支配者である。建国から、滅びを経て、今日に至ってもそれは変わらない。

 だから、庶民に紛れて生きる男こそが、有翼人のあるべき姿などとは思われてはならない。奴は重大な軍規違反を犯した、罪人なのだから。




 四人の部下を連れ、ガヴァンに案内させたのは、例の罪人の隠れ家だ。

 雲を突き破った峰の一角に、その家——いや、小屋は建っていた。空気を汚すのものが少ないためか、地上で見るより空は青く見える。

 ということは、空模様を映す我々有翼人の目は、地上にいた時よりも濃い青色となっているか。そう思って、隣のガヴァンを見やれば、彼の瞳はこの空に溶け込みそうなほど澄んだ色をしていた。

 太陽の威光はまぶしい限りで、高山の群生も地を這いつくばるほかない。こればかりは我々も直視できず、頭を垂れる。

 太陽は有翼人の唯一絶対の神である。有翼人がこの世で畏れ、敬うものといったら、この太陽のほかにない。

 偉大な御姿を直に目にすれば目玉が潰れるといわれ、信仰の篤い者は、万が一にも太陽を目にしてしまわないよう、必ず太陽を背にして飛ぶ。軍人である私は、作戦によってはそういう融通が利かず、厳密に守っているわけではなかった。だが、隊に熱心な信仰者がいる場合は、その作戦を無理に強いることはない。

 空が恋しくてこんな高所を住処にしたのかとも思ったが、この小屋に住んでいる者は、案外、熱心な信仰者なのかもしれない。

 惜しげもなく浴びせられる陽光に、私は力が満ち溢れてくるような気がした。見ることは決して叶わないが、こうして神を感じていたいのだ。


「私も、隠遁する時が来たら、こういう場所に住みたいものだ」

「山の頂上などと言わず、アーノルド様は浮遊大陸を手にするのでは?」

「ああ、そうだった。目先の美しさに心を奪われたが、もちろん、それが何よりだ。私はアラベラと二人ならばどこだって構わないが、アラベラには浮遊大陸以上にふさわしい場所などないだろう?」

「はあ……」


 また始まった、というような目をガヴァンにされた。

 美しき我が妻アラベラのことになると、私は惚気ずにはいられない。

 まずもって、有翼人の指導者たる彼女に見初められたという事実は、いまだに私を舞い上がらせる。周囲には玉の輿だと囃されたが、願掛けして行ったアプローチが実を結んだだけなのだから、何もやましいことはない。

 二歳年上の姉女房は、指導者としての飴と鞭を使い分け、私を一流の将軍兼夫に育て上げた。縁者になったからといって、無条件に優遇するわけにはいかない。それ相応の覚悟があってプロポーズしたのだろうから、指導者の伴侶にふさわしい男になるよう、必要なことを叩き込む。

 かくして始まったアラベラの教育は、私を芽吹かせるに至った。

 今では、自分が彼女の支えになっていると自負できる。


「さっさとこの案件を始末して、愛しのアラベラの顔が見たい。では諸君、行こうか」


 これが私の原動力となっていると知っているガヴァン達は呆れこそすれ、苦言を呈することはない。良き部下達である。

 腰のベルトに下げていた二振りの剣を抜き、両手に持つ。軽い素材で作られており、それでいて切れ味の劣らない双剣は私の愛用の武器だった。

 戸を叩いて来訪を知らせてやる手間はなく、私は戸を蹴破る騒音をもって来訪を告げた。

 がたりと立ち上がる物音は、目を丸めたあの罪人のものだった。

 入ってすぐに、マグカップの載った机と二脚の椅子があり、こんな辺鄙な場所でも客を迎え入れる準備があるとみえる。残念ながら、大勢で押し掛けてしまったために椅子の数が足りないが。


「ゆ、有翼人……」


 自身も一応のところは有翼人であるくせに、その男は物珍しさに驚愕するようだった。微細な声の震えは、恐怖から来るものか。


「十五年ぶりに貴殿にお会いすることができ、小生、感激の極みでございます。ピニオン殿、いやはや、実にお懐かしい」


 わざとかしこまった挨拶をすれば、罪人ピニオンは眉をひそめる。

 もともとはそういう立場にあった男でも、このような言葉遣いをされるのは、久方ぶりなのだろう。懐かしさに戸惑い、返す言葉を忘れていた。


「もっとも、私が一方的に知っているだけでしょうから、私の顔を思い出せないことで悩む必要はありません」


 ピニオンがまだ名の知れた幕僚だった頃、私は十歳にも届かない子供だった。

 人垣の間から彼の姿を一目見ようとするほどには、知略に長けた彼のことを尊敬していたのだ、私は。だからこそ、その後の彼の行為は、うら若き少年の心には裏切りとしか映らなかった。

 少年だけでなく、多くの大人にそう思われたがために、彼はこうして逃亡する羽目になったのだが。

 しかし、かつての憧憬の対象にこうして対峙できるというのも、感動ものである。今の私は、あの時のピニオンと同等か、それ以上の立場にいる。時の流れを感じて、実に感慨深い。

 こうして見ると、ピニオンは記憶よりも老けていた。

 たしか、私と十以上の歳が離れていたはずなので、三十も半ばというところか。男としての深みを増したようでもあり、されど、戦線を退いて鋭さの和らいだ目元が物足りなくも感じる。

 腰のあたりまで伸ばされた灰色の髪は、以前見た時よりも長くなっている。そこに、彼が有翼人としての美意識を失っていないのが見て取れて、苦笑してしまう。

 有翼人の精神を批判し、自分からその社会を抜け出たというのに、そこの部分の感覚は変えられなかったらしい。

 手入れの行き届いた長髪は、男女問わず、有翼人の美の証明だった。

 空を舞った時、一つにまとめた髪が、鳥の飾り羽のようにあとを流れるのが理想とされた。風にあおられて、ぼさぼさになるようでは駄目だ。たとえ嵐に遭おうと形を崩さず、ひらめくようでなければ。

 私は、自分とピニオンを比較し、ひそかな優越感に浸っていた。

 私が一掴みだけ伸ばした髪は、うなじの辺りで結ばれ、足元近くまで垂れている。股の間を覗けば、容易に見ることができる。それが、ピニオンにはできない。

 かつての憧れに勝る部分を見つけ、内心で満悦するとは、私もまだまだ幼稚さが抜けきっていない子供ということか。これでは、我が麗しのアラベラに怒られてしまう。

 ちなみにだが、私の愛妻であるアラベラは、私以上の髪を持つ。己の身長よりも長いため、彼女は普段、その艶やかな髪をマフラーのごとく肩にかけて巻いていた。おそらく、有翼人の中で彼女に勝る髪を持つ者はいないだろう。


「……随分な登場だが、扉の弁償はしてもらえるのかな?」

「ピニオン殿、いささか心配が庶民的ですな。貴殿が心配すべきなのは、もっと他のことでは?」

「今更、見つけ出して何をしようというのか。私はただの——」

「“ただの有翼人”など、有り得ぬのですよ。有翼人である時点で、特別なのだから」


 ピニオンの表情がさっと曇った。取り戻された陰惨な目つきに、かつての面影を見る。


「十五年経って、若い世代に代替わりしても、その有り様か。ふん、何百年と続く因縁だものな、そうそう変わらんか」

「貴殿も、考えが改まった様子はないようですな」

「そんなものを手にして踏み込んできた時点で、平和的な対話など望んでいないだろうに」


 ピニオンは忌々しげに、私が手にした双剣を見る。

 相手に向けてこそいないが、威圧は感じるらしい。強気を保ちつつも、視線はちらちらと刃に移った。私の後ろに居並ぶ部下達も、圧力をかけるのに役立っているか。

 そんな中で、ピニオンは持論を語り出した。


「いつまでも淫魔に固執しているようでは、有翼人の再興はありえない。あんな者達のことは捨て置いて、さっさと新たに国を作ればよかったのだ。お前達が『地上の民』と見下す者が、私達をなんと呼ぶか知っているか? 『浮遊の民』だ。空を飛ぶ人種、という意味ではもちろんない。有り体に言えば、定住する地を持たない浮浪者ということだ」

「貴様! なんということを——」


 激昂しかけたガヴァンを、剣を持った手を上げて押し止める。ピニオンに向けた反抗的な目のまま私を見て、すぐに彼は恥じ入ったように視線を伏せた。

 私自身、煮え滾るものがないわけではなかった。だが、上に立つ者はそう簡単に底を見せてはならないのだ。私は、気高きアラベラにそう教えられた。

 しかしながら、“私達”とは笑わせる。

 ピニオンはいまだ、我々と同類であると思い込んでいるようだ。それが、翼があるがゆえの確信ならば、今に消えよう。


「その昔、浮遊大陸に住んでいた者達。故に『浮遊の民』。私はそう解釈していた。もし、貴殿の言うような意味が含まれているとしたら、民草は実に巧妙に悪意を隠したものだ」

「その浮遊大陸だって、神話や伝説の類だろう。そのような実体も定かではない、霞のようなものに縋ることでしか自尊心を保てないのだとしたら、有翼人は哀れな民族だ」

「……驚きましたな。ピニオン殿が、浮遊大陸の実在そのものに懐疑的だったとは」

「大昔は空に浮かぶ大陸があった、というお伽話を本気で信じるものかね? 今は影も形もないものを?」

「それこそが、我々が淫魔を目の敵にする理由ではないか! 奴らは我々を、文字通り、地に堕とした! はびこる病原菌の駆除なしに、国の再興など有り得ない!」


 この意見の衝突こそが、ピニオンが軍を追われた理由なのだ。

 千年帝国が滅んでからというもの、有翼人はかねてからの敵を倒すためだけにまい進してきた。親から子へと受け継がれてきた無念を晴らすためだけに。年月を経て、恨みは薄らぐどころか、ますます凝縮されていった。

 有翼人の民族としての理念がそもそも、淫魔倒すべし、というものなのだ。ピニオンの主張が認められるはずもない。

 公の場でそんな発言をして反感を買った彼は、追放処分される前に自ら出奔した。軍に身を置いていた以上、いくら言い訳をしたところでそれは逃亡だ。

 追放と出奔、当事者にとってはどちらも同じようなものだと思われるかもしれない。だが一点だけ、決定的に違う部分がある。


「ピニオン、御前の背にその翼はふさわしくない」


 追放者は翼を落とす決まりだ。

 双剣を向けた宣告に、さすがのピニオンも青ざめたようだった。

 これまで翼を落とされずに済み、逃げ切れたと思った矢先の出来事だったろう。世の中はそう甘くできていないのである。


「今の御前の話を聞いて、改めて私はそう思った。有翼人にあるまじき思想だ」


 翼をなくせば、それはもはや“有翼人”などとは名乗れまい。

 重罪人は翼をもがれ、浮遊大陸から追放されることで地上に堕ちる。それは、千年帝国の時代からある伝統的な処罰方法だった。いくら嘆いたところで戻るための翼が生えてくるわけでもなく、罪人は二度と目にすることのできない故郷を見上げ泣くのだ。

 そして、地上に住まう『人間』というのは、そういった罪人達の子孫であると考えられていた。彼らは翼の有無以外は、有翼人とよく似た外見をしていたからだ。

 ピニオンとて、名実共に人間のお仲間となれるのだから、さぞ満足であろう。

 きっと、この日のために彼は里の人間達と交流してきたに違いないのだ。上手く、彼らと溶け込めるように。


「ぜ、前時代的だ。そんな野蛮な刑は……」

「我々の主義思想が嫌で、飛び出したのだろう? なら、有翼人として死んで、人間として生まれ変わるがいい。今の宙ぶらりんな状態では、示しがつかん」

「有翼人が翼を落としたところで、人間になれるわけではない」

「なんと、そんなことを心配しておられるのか。気になさらずともよろしい。御前の心根はもはや——矮小な人間そのものだ」

「——っ、彼らのことを馬鹿にするな!」


 いやに強い口調で言うと、ピニオンはさっとテーブルの上のマグカップを掴んで投げつけてきた。飛んできたマグカップを双剣で払うと、陶器は床に当たって砕ける。

 私が気を取られているうちに、ピニオンはさらなる攻撃で部下を打ちのめしたらしかった。

 うめき声の方を見やれば、ピニオンが持ち上げた椅子の角で、部下の頭をぶとうとしているところだった。

 振り下ろされる椅子と部下の間にすべり込み、双剣の刃で椅子の背を受け止める。ミシリ、と音を立ててめり込んだ刃に、しまったと思う時には遅い。

 木製の椅子から双剣を抜き取る間もない。ピニオンは刺さったままの双剣の片割れと一緒に、椅子をぶん投げる。

 投げられた先にはまた別の部下がいたようで、棚を崩すような盛大な音が上がった。押し倒れた棚が中身をぶちまけ、部屋中に埃が舞い上がる。


「逃がすな!」


 駆けたピニオンが扉に向かうことを危惧して叫べば、ガヴァンを含めた無傷な部下達が玄関をふさぐ。剣を差し向ける彼らへの突撃はなく、なにかと思えば、ピニオンは台所から探り出した包丁を手に振り向いた。

 両手で包丁の柄を握りしめ、真剣な顔でこちらを睨むピニオンが、私には可笑しかった。


「武器がずいぶんと家庭的だ」

「ここ数年は、世俗の争いと無縁でいられたからな」


 世俗、とはまるで仙人のような物言いだ。

 もっとも、太陽の光を享受しただけで修行した気になっているならば、笑止千万。植物と変わりない。ピニオンは自分から、何年も剣を振るっていないことを告白したようなものだった。

 一本になってしまった双剣を手に、ピニオンの懐に飛び込む。

 遅れて動く包丁に、嘲笑を隠せない。

 突き出された包丁の勢いを双剣で流し、ピニオンの背後に回り込む。空いた手で掴むのは、奴の長い髪だ。反った喉が、息を飲んだ。

 ピニオンの翼は戦闘に入ってから、威嚇するかの如く開き気味になっていた。その付け根に、刃を突き入れる。

 岩肌にかぶった溶けかけた雪のような羽色が、一斉に逆立つ。


「ぐ、うううぅ!」


 たまらず、ピニオンは膝からくずおれる。床についた手から、包丁が投げ出される。

 深々と埋めた双剣はまだ抜かず、手綱を握るように髪を掴み、私はピニオンの背に馬乗りになった。


「御前達、こいつを押さえろ」


 私の命令に、部下達が警戒を怠ることなく集まってくる。細かな指示の必要はない。自慢の部下達はてきぱきと働く。

 一人が縄を取り出してピニオンの両の手首を縛り、もう一人が私に代わり体重をかけて奴を押さえ込む。ガヴァンは己のハンカチを、ピニオンに噛ませてやっていた。私達は何も、命まで取ろうとしているわけではない。それは、舌を噛まないようにしてやる配慮だった。

 もちろん、死なない程度にいたぶってやろう、なんて趣味もないので安心してほしい。

 背から下りた私は、突き入れた双剣の柄を掴んだ。周りを見て、部下の全員が頷いたのを確認してから、腕に力を込める。

 ピニオンが暴れそうになったが、部下が三人がかりで押さえつける。

 これも奴自身のためだ。下手に暴れられて、別のところに刃を入れてしまうのは、私としても本意ではない。

 双剣を引き、背中と翼をつなぐ骨を外し、筋を断ち切る。布に邪魔をされていても分かるほどの、苦悶の声が上がる。

 部下の中にも、顔を強張らせる者あり、目を背ける者あり……私とて、愉快な気分ではない。だからこそ、淡々ともう片方の翼をそぎ落としに取りかかる。

 鳥肉の下処理をしている様を思い浮かべながら、ピニオンの背を直視する。同じ人だと思えば、同情の余地が入り、痛みを覚える。あえて作業的な光景を思い出し、自身の動悸を抑える作戦である。効果はあまり見られない。

 はたから見ると手慣れているように見えるだろうが、私だって、こんな行為は初めてなのだ。緊張もする。

 両の翼が完全に背から切り離されると、くぐもった悲鳴はすすり泣きへと変わった。

 落ちた翼の周りには散った羽毛が広がり、埃の塊のようになっている。家の掃除まで手伝ってやる気にはなれず、私は部下を連れて退散することにした。


「……解放してやれ」


 力が抜けてしまったのか、ガヴァンが手首の縄をほどいても、ピニオンは起き上がる気配がなかった。口に噛ませていたハンカチにしても同じだ。結び目を緩められても、何かを噛んでいないと痛みに耐えられないのか、ハンカチを口から外そうとしなかった。きつく閉じた目が、落ちた翼を見るのを嫌がっていた。

 ガヴァンは肩をすくめ、立ち上がる。ハンカチは餞別にくれてやるようだ。

 なんとなく憐れに思えるのは、奴が下級の存在に堕ちたからか。慈悲をもって接してやりたくなる。

 背中の傷を自分で止血するのは難儀そうだ。そのあたりの処置だけでもやってから、ここを去るとするか。

 そう思った時、台所の陰から飛び出してくる者があった。

 とっさに部下達が武器を構えるが、それは気にすることなく、床に伏したままのピニオンにしがみつく。


「父さん! 父さん! だ、大丈夫かよ!」


 その口から飛び出した単語に、武器を構えていた部下達は呆けた。

 椅子に刺さったままの双剣を抜きにかかっていた私は、一度、動きを止めて、ピニオンに飛びついた青年を凝視する。よもや、ピニオンが下界で子供を作っているとは思わなかった。歳は十代の後半といったところか。

 髪色は違うが、目鼻形は似てなくもない。が、その青年の背に翼はなかった。ピニオンの相手が人間の女だとしたら、そこまで母親に似てしまったのか。


「し、死ぬなんてこと、ないよな。な?」

「この程度で、死ぬものか」


 ピニオンが言葉を返すと、青年の顔色は目に見えて明るくなった。


「お前は……隠れていろと言ったろう」

「だ、だって」


 慌てふためきながら、青年がピニオンの傷口に手を当てる。瞬間、ピニオンがうめいて、青年は謝り倒す。

 いや、やはりよくよく観察すれば、見た目は似ていないかもしれない。同一の雰囲気のようなものは持っているが、それは長年共に暮らしてきたことで獲得したものに過ぎない気がする。

 好奇心もあり、意地の悪い鎌のかけ方をした。


「人間を飼っていたのか」


 椅子から双剣を抜き取り、奇妙な間柄の二人に問いかける。

 青年は敵意に満ちた目をこちらに向けると、落ちていた包丁を拾った。その手首を掴み、彼の動きを止めたのはピニオンだ。


「だとしたら、なんだ。この子にも傷を負わせるか」

「いや……」


 “この子”などと呼んでおいて、関係を隠し通しているつもりか。青年が向ける敵意はとても、主従のそれとは思えない。

 だが事実、彼らが真の親子だろうと、偽の親子だろうと、私が青年を害す理由はないのだ。


「安心しろ、私は下々の者を傷付けるような真似はしない」


 それに、あくまで、ピニオンが飼っているのだと言い張るのなら、それを信じてやろう。

 同居する者がいたのなら、わざわざ私達が手当てをしてやる必要もない。双剣を鞘に収め、私は部下を引き連れて狭い小屋を出た。

 浮かぶ嘲笑は、晴れて息子と同じ姿になれたピニオンへの祝福だ。

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