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予知夢から始まる英雄譚  作者: 鴉山 九郎
【3章 憤怒の早駆けは戦果に塗れ】
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4.狩り立てるフーガ

 これまで、とっくの昔に使われなくなった街道や、抜け道のような細い通りを選び、極力、人と会わないよう旅してきた。

 自分が獣人を挑発する格好をしている自覚ぐらいある。私と出くわして冷静でいられる獣人などいない。悲鳴を上げるか、激昂して襲いかかってくるか。いずれにせよ、無駄な騒ぎは起こしたくなかった。

 母を助けるまでは。

 円滑に救出するために、悪目立ちしない。有名にならない。その二つを心がけていた。氏族にいた頃の私は、良くも悪くも、目立っていたし有名だったから。

 でも、もう気にする必要もなくなった。

 サルクの街を出てからは、堂々と大きな街道を歩いている。そのはずだ。どういうわけか、まったく人とすれ違わないけども。

 人間軍もこの街道を通っているはずだから、先に行った彼らが、根こそぎ殺していっているのかもしれない。彼らは小さな農村から大きな街まで、区別なく同様に攻めていた。進軍する道にあるものは徹底的に壊していた。

 すでに四つほど、襲われた村や町を見ている。どれもサルクの街と似たようなものだった。

 関所は機能していない。住人の姿はなく、家は打ち壊され、畑は焼かれていた。

 もっとも、家を壊し、畑に火をかけたのは、住人の方かもしれない。あまりにもきれいさっぱり人が消えているから、その可能性もある。奪われるぐらいなら、先に失くしてやろう、という作戦らしい。己も苦しいが、相手も苦しい。現地で物資の補給ができなくなるからだ。

 追い詰められた時にそういう戦法を採ることがある、とかつて私の副官に教えてもらった。

 消えた住人は、国外に逃れるより皇都を目指すことにしたのだろう。だから、私は今まで獣人とすれ違っていない。悪くない推論だと思う。

 分からないのは人間だ。

 攻め落とした街を拠点にするわけでもなく、さっさと全軍で移動してしまう。

 必要以上の略奪をしている様子もない。彼らが通った後の家を探ってみたことがあるが、金品が無造作に放置されていてぎょっとした。

 女子供をさらうわけでもない。老婆から乳飲み子まで、分け隔てなく彼らは死を贈っている。サルクの街で、私はその死体を見た。

 いったい何を目的としているのか。今まで抑えつけられてきたものが暴発してしまっただけではないのか。暴徒と呼ぶには、彼らの行動は整然とし過ぎている。それがかえって気持ち悪い。


「見つけた……! 見つけましたわ!」


 突如、上ずった高い声が、頭上から降ってくる。

 耳にした瞬間、ぞわりと背筋が粟立った。なぜか、硬い鉤爪に背筋を撫でられる幻覚を感じた。敵の襲来だ、と本能がわめき散らしていた。

 声に呼応するように、いくつもの影が集まってくる。大きな図体のわりに、隠密もこなせそうなほど静かな羽音。


「ここで会ったが百年目、ですわね。サンダリオの仇、とらせてもら——っと」


 真上に向けて放った矢が、グリフォンの前足に捉えられる。

 陽が高く、相手の姿は黒い塊のようにしか映らなかった。グリフォンの群れ——十頭ほど、だろうか。あの、何かごちゃごちゃ喋っているのが、群れのリーダーか。

 今度は翼に当てるつもりで狙いを定める。その時、止められた矢が真っ二つになって落ちてきた。


「もう、人が喋っている時に邪魔をするなんて、行儀が悪いじゃない」

「人じゃないし」

「横槍も入れちゃうのね。あなたの場合、弓矢かしら」


 グリフォンと睨み合っていると、周囲がにわかにざわついてくる。


「おい、あいつが被ってる毛皮。あれ、もしかして閣下じゃ……」

「な、ぁ——まさか、そんなわけ、ないだろ」

「この、畜生がっ。ただ殺すだけじゃ飽き足らなかったってのか!」


 グリフォンだけじゃない。背に獣人が乗っている。

 思わぬところで出会ったグリフォン騎兵に、内心動揺した。戦場の花形が、なぜこんなところにいる。ベスティニア皇国の精鋭部隊は、とても人数が限られている。十騎なんて、部隊のほぼすべてだ。人間軍が進攻する中、こんなところにいていい連中じゃないはずだ。

 もちろん私は、ベスティニア皇国の心配をしているわけじゃない。

 連中が、たった一人のケンタウロスの娘を相手に、全力で出動してきている事実に圧された。


「なんとか言ったらどうなんだ!?」

「そうですわ。ここで喋らなかったら、あなた、私に茶々を入れたのが最期の言葉になりましてよ?」


 ここからだとよく見えないが、よく喋るグリフォンの背には、誰も乗っていない様子だった。

 何か言葉を交わしたいらしいので、適当に問いを口にする。


「何でこんなところにいる?」

「聞き返すぐらいなら、最初の口上はちゃんと聞いていないと。言ったでしょう——いえ、言いかけたでしょう。サンダリオの仇討ちをしに参りましたのよ。あなた、私の顔に見覚えがあるのではなくて?」

「グリフォンの区別なんてつかない」


 そもそも、逆光のせいで顔もよく分からない。


「……ふん、ぼんくら頭が。私はサンダリオと真に心を通わせていた。言わば、彼の相棒だったわけ。この意味、お分かり?」

「パートナーを亡くした今、お前は弱い」

「——っ、こいつ!」


 聞いていたら、ふつふつと怒りがわき立ってきた。なんで私がこんな目にあわないといけないのか。

 獣人も、それに与する連中も、自分が自分がとうるさ過ぎる。お前らだけじゃないんだ。大事な人をなくしているのは、奪われているのは、こっちだって同じなんだ。世界中を探しても、そこら中にいる。それに——


「先に手を出したのはお前らの方だ! 母さんを返せ! 父さんを返せ!」


 激情を乗せた矢を、打ち上げる。気に障る喋り方をしていたグリフォンが、空中で身をひねる。矢はそいつの翼をかすめたが、勢いは殺されなかった。

 そいつより少し高い位置で控えていたグリフォンの、肩と翼の間をすり抜けて、矢は騎乗していた獣人の顎を砕く。獣人の体がのけぞる。声も上げられずに絶命した男に代わって、男を乗せていたグリフォンが悲鳴を上げた。

 連中が落ちていく亡骸に気を取られているうちに、私は街道から飛び出した。前方に見える森に駆け込めば、開けた空はなくなる。グリフォン騎兵の優位は崩れる。


「追え! 追うんだ!」


 犬が吠えるような、叱咤する声がした。


 森に飛び込む直前、準備していた弓矢と一緒に背後を振り返る。森の中まで追ってこようと、半数のグリフォンが低めの滑空をしていた。的としてちょうど良い位置に獣人の顔があった。

 矢から指を放した後、結果を確認せず、また走り出す。木の根を飛び越える時、背後からうめき声が聞こえた。

 木と木の間は、私一人が通るのに充分な幅があるだけで、グリフォンが翼を広げて入ってくることはできない。追いかけてくるなら、翼をたたんで地面を走るしかない。ケンタウロスよりも劣る脚で。

 生い茂る葉がざわざわ音を立て、木漏れ日が揺れた。

 森に入らなかった残りのグリフォンが、上空で旋回しているのかもしれない。私が森から一歩外に出ようものなら、すぐに急降下して鉤爪を掲げて襲いくるつもりで。

 矢筒から数本の矢を取り出し、あらかじめ手に持っておく。矢を射った後、すぐに次の矢を射るためには、こうして準備しておく方が良い。

 動かす脚を緩めると、ばたばたと追っ手の気配が近付いてくる。体を反転させ、連中と向き直る。突然足を止めた私に驚いて、グリフォンの走りに一瞬、怯んだような迷いが生まれる。隙が、できる。それは乗り手も同じだった。

 一人目の獣人を射抜く。奴らが立ち直る前に、二本目がその隣の獣人を射抜いた。


「何やってるんだ、しっかりしろ! 武器を使うのはお前達の方なんだぞ!」

「うるさい! 今やってるだろ! なんでお前らは、魔法の一つも使えないんだ!」


 ぐったりと倒れた乗り手を背中から下ろし、グリフォンが悔しそうに顔を歪める。鳥の顔でも、案外表情は分かる。それをいうなら、獣頭のころころとよく変わる表情も分かりやすい。耳や尻尾など、全身で感情を表してくるからかもしれない。

 わめき返した獣人が、弓を構えた。それにならって、残りの二人も矢をつがえる。

 乗り手を失った二頭が、突進してきた。

 これが普通の騎兵と違って嫌なところだ。ただの馬ならば、命を落とした騎手に義理立てすることもないだろう。手綱を引く者がいなくなった時点でどこかへ逃げていくか、そこら辺をさまようだけで無害な存在へと変わる。

 だが、グリフォンはそうはいかない。グリフォンに限らず、大半の賢獣はそうだ。

 こちらに向かってくるグリフォンに狙いをつける。そうしている間に、獣人の撃った矢が近くの幹に突き刺さる。幹にすら刺さらず、草葉を揺らしながら飛んでいくものもあった。


「くそ! 当たらねえ!」

「んなわけあるか! あいつが射った矢で、こっちは四人もやられてんだぞ!」

「もっとしっかり狙え!」

「木が邪魔なんだよ!」


 励ましているんだか貶しているんだか分からない口調で、グリフォンが獣人を鼓舞する。

 向こうの射手がもたついている隙に、定めた狙いに矢を放った。

 グリフォンの見開いた目に、矢が吸い込まれる。間髪いれず、残った片目も潰す。濁音まみれの鳥の叫び声が上がる。あまりの痛みに我を忘れたのか、闇雲に鉤爪が振られる。幹をえぐって木の皮をむき、共に走っていたグリフォンの体にも鮮血を散らせる。

 狂ったグリフォンは翼を羽ばたかせながら後ろ足で立ち上がる。すると急に、叫び声が止まった。くちばしから血を吐いて、グリフォンは地面に倒れゆく。背には三本の矢が突き立っていた。

 羽毛が舞う先に、弓を構えた姿勢のまま固まり、唖然とする獣人がいた。次第に、彼らの顔が牙を剥いて唸る歪んだものへと変わる。

 間が悪く、仲間をその手で殺すような羽目になったことを、怒っているらしい。


「遠くからちまちま攻撃なんて、卑怯な真似やってられっか! いけ! 無理やりにでも、近距離戦に持ち込んでやるんだ!」

「了解」


 三人の獣人は弓を捨て、剣を抜く。グリフォンの方も、怒りを感じさせる冷えた声で応じた。

 暴れグリフォンに傷を負わされたグリフォンが、唸りながら向かってくる。額をやられたらしく、目に入る血に鬱陶しそうにしていた。

 遠くから向かってくる三騎に牽制の矢を放った後、近くにきたグリフォンに弓を向ける。

 グリフォンは威圧するように翼を広げ、長い鳴き声を上げた。覆いかぶさるように二本足で立ち上がり、鉤爪を振り上げる。狭い森でその巨体は窮屈そうだった。振り下ろそうとした鉤爪が枝に引っかかる。無防備な姿勢の一瞬が訪れる。

 さらされた腹は、討ってくださいと言わんばかりだった。

 羽毛に覆われた胸に向け、至近距離で矢を放つ。花弁が散るように、赤く染まった羽毛が散った。


「キエェエェェ——!」


 人の言葉を操る賢獣とは思えないほど獣じみた声が、森に響いた。

 痛みに暴れたグリフォンが、枝を引き千切り、無我夢中といった様子で前脚を突き出してくる。あまりの迫力に、足を動かすのが遅れた。馬体の腹に鋭い痛みが走った。後ずさりながら、なおも暴れようとするグリフォンに、もう一度矢を射る。今度は喉を捉えた。

 急所二か所を貫かれてやっと、巨体が地面に倒れる。

 裂かれた腹に目をやる。三本の赤い線が、細く走っていた。幸い、出血も少なく傷も浅い。ただ、ずきずきと刺すような痛みがしつこそうだった。

 グリフォンの相手をしているうちに、獣人達が大分近くまでやってきていた。

 矢筒からまた数本の矢を掴んで、たいして狙いをつけないままに矢を放つ。本命は、続けて発射する二本目だ。

 最初に飛んでいった矢を払うため、獣人が剣を持った手を動かす。すると、胸ががら空きになる。次に飛んできた矢を叩き落とそうにも、先に動かしてしまった腕は間に合わない。鎧をも貫いて、矢じりは敵の肉をえぐるように食い込む。衝撃で、獣人は吹っ飛ぶようにして後ろに転げ落ちた。

 一瞬にして背中が軽くなったグリフォンは、体ごと後ろを振り返る。向けられた尻に矢を射ると、言語になっていない声を上げて飛び上がった。尻穴のほかに余計な穴を一つ開けてしまったかもしれない。ただ、それを嘆く暇もないだろう。矢じりには毒が塗ってある。

 残りの二騎が目の前まで迫ったところで、私は獣道を外れて駆けだした。

 追ってくるグリフォンは木を押し倒さんばかりの勢いで走ってくる。実際、邪魔な枝は切り飛ばしているらしい。時折、木片らしきものが私の背をつついた。その頻度も次第に減ったところで、肩越しに敵を見る。

 十分な距離ができている。土台、鳥と獣の脚がアンバランスに組み合わさったものが蹄に勝とうなど、無理な話なのだ。

 だが、長くは走れなかった。脚を動かしたら、腹の傷の、うずくような痛みが増した。もう一度確認したら、皮膚がわずかに盛り上がって腫れていた。


「っち、鳥頭が……」


 中途半端な痛みが煩わしかった。もっと激しい痛みなら、興奮剤の役割を果たしてくれるのに。

 後方で、腹いせのように幹を切り裂いているグリフォンに向けて、弓を構える。

 こちらの動きに気付いたグリフォンは、威嚇のような甲高い鳴き声を上げ始めた。構わず、先ほど有効だった目潰しをおこなう。ほぼ同時に両目が潰れた。

 威嚇音は悲鳴へと変わり、乗り手の獣人を振り落とす。そして、あらぬ方向へと走り出し、木やら岩やらにぶつかって自ら体を傷付けていく。脳裏に先ほどの仲間の姿があったのだろう。片隅の理性が、仲間や乗り手を傷付けないように、と働いたのかもしれない。

 振り落とされた獣人は、相棒をなだめようと声をかけている。それに向けて矢を放つが、勘付かれてしまった。矢が弓を離れた瞬間に、木の幹を盾にされる。


「くそったれ」


 隠れて毒づいた獣人が、深いため息を吐いた。相棒をなだめさせるのは諦めたらしい。つかの間、奇声を上げ続けるグリフォンの物音しかしなかった。

 突如、黒い影が幹から飛び出す。身を低くし、剣を構えた獣人が、地面を滑るような足さばきで近付いてくる。残った一騎が後に続いた。

 接近を許すわけにはいかない。

 矢を打ち込むが、獣人は身を転がすようにして木の陰に入り込んでしまう。その後、またすぐに前方へ飛び出し、太い幹をあちこちに設置されている盾として利用し始めた。相手がじぐざぐに動いているため、まだ距離はあるが、このままでは追いつかれるのも時間の問題だ。

 手前の獣人はひとまず置いて、残ったグリフォン騎兵を狙ったのは、ただ単にでかい的として当てやすそうだったからだ。それなのに、射った矢はグリフォンの前足をかすめるだけにとどまった。

 自分が思っている以上に、私は焦っているのかもしれない。

 一度大きく息を吸い込んだ後、今度は騎乗する獣人の方を狙う。

 しかし、それすらも避けられてしまう。グリフォンの背を蹴って、獣人が枝に飛びついたのだ。動く背の上でバランスを取るのが難しかったのだろう。飛びついたはいいものの、不格好に枝にぶら下がる結果となっていたが。

 ともあれ、あれでは格好の的だ。これを外すようなら、私は二度と弓を持てないよう、自分の指を切り落とす。


「——っ!」


 放った矢はグリフォンの広げた翼に阻まれた。子を守る親鳥のように獣人を庇い、鳥頭が満足そうな表情を見せる。

 ……的に違いはあったが、当たったことには変わりない。指を落とすのは見送りとする。

 枝にしがみついていた獣人はグリフォンの背に戻り、翼に刺さった矢を抜いてやっていた。

 いくら毒が塗ってあるとはいえ、効果が表れるのには時間がかかる。そのうえ、あの巨体だ。力尽きるのに、どれだけの時間を要するか。

 毒はあくまでも補助でしかない。だから、できるだけ急所を狙って仕留めてきたのだ。


「弓なんか捨てて、俺と勝負しろ」


 襲いかかる前に声をかけてきたのは、獣人なりの礼儀か。木から木へと身を移してきた獣人が、ついに私のところにまで到達していた。

 弓を捨てる選択肢はないが、利き手が掴んだのは、矢ではなく腰のベルトに差した短剣だった。引き抜いた短剣と振り下ろされた剣が交差する。


「弓が引けないなら、私はただの馬と同じ」

「…………。それは随分と、謙虚な答えだ」


 いささか驚いた様子で、ジャッカル頭の獣人は呟いた。

 腕の力だけでは相手を押し返せない。とっさに出た判断は、後ろ足で立ち上がり、その勢いで剣を跳ね返すことだった。のけぞるように獣人が数歩後ろに下がる。

 数秒、宙を前足で掻いた後、下ろした足をそのまま走りに移行させる。相手に合わせてやる必要はない。私は私にとってちょうどいい射程範囲にいればいい。

 敵に背中を見せたのは、自分の落ち度だった。


「いッ——ああぁ!!」


 突如、目がくらむような赤を見た。尻にほど近い馬体の背に、いくつもの鋭い刃物が突き刺された。そう思った。

 殺意が一気にふき上がる。だが、体はとりわけ痛みに敏感だ。

 痛みから逃れるため前進しようとする前足と、自分を襲った脅威を取り除くため背後を蹴り上げようとする後ろ足。自分の体が分裂してしまったように、一瞬、制御が利かなくなる。

 景色に赤色がちらつく目で、襲ってきたものを確かめる。

 ジャッカル頭の獣人が、しがみつくように爪を立てていた。グリフォンにつけられた傷とは比べ物にならないぐらい、深く、爪の根元——指の先まで突き入れられているように見えた。

 先ほど押しのけた時に剣をはじいたらしく、鉄の輝きは地面にあった。


「この、クソ犬ッ!」


 とにかく、相手をひき剥がすことに必死になった。

 右手に持ったままでいた短剣で、張り付いている獣人の掌を突き刺す。短剣の刃には毒を塗っていないので、自分の体に達しても構わず、岩に張り付いた貝をはがすように、ぐりぐりと短剣を動かした。

 たまらず、ジャッカル頭が手を放す。

 その瞬間、後ろ足を蹴り上げた。確かな手応えを感じる。肋骨あたりを折ってやれた。鈍くて軽い音に確信を持つ。内臓が潰れる汚い音が聞こえなかったのは残念だ。

 血を吐きながら、ジャッカル頭がよろめく。それでもまだ倒れず、狂犬のように目と牙を剥いて、唸り声を上げた。

 この場で矢を射ってやりたかったが、一騎残ったグリフォン騎兵が近付いてくる。あのグリフォンもまだ毒が回り切っていないらしい。

 時間が彼らを殺すだろう、と己をなだめ、攻撃から逃走へと頭を切り替える。

 必死に抑えているつもりでも、傷を負う前のようなクリアな思考はできない。殺す。殺す。走っているうちに、頭がその言葉でいっぱいになる。口から、勝手に漏れ出ている。


「殺してやる……!」


 伝う血も、むしばむ痛みも、もう煩わしくなかった。




 走っていたら、急に視界が開けた。そして、目の前には地面がなかった。途切れた地面の向こう側には、また森が広がっている。間の谷には川が流れているらしい、下から緩やかな水の音がしていた。助走をつけても飛び越せるような距離ではない。

 背後の森が、激しく葉を揺らした。警告する木々は、それが自然の風によって揺れているのではないと教えてくれた。風を切る音が耳に届く前に、何本もの矢を掴む。短剣は鞘に戻さず、口にくわえた。

 まばゆい陽をさえぎり、奇妙な鳥の姿が現れた瞬間、矢を射った。

 喉から脳天を貫かれ、グリフォンが思考を失う。翼が奇怪な羽ばたき方をし、体が傾く。落下していくグリフォンの背で、獣人が悲鳴を上げた。彼らはそのまま谷に放り込まれ、しばらくすると盛大な水しぶきの音が上がった。


「なにを油断しているの!?」


 仲間を叱咤するグリフォンのきんきん声が降ってくる。街道で最初に声をかけてきたグリフォンだ。

 気付いたら、四頭のグリフォンに囲まれていた。半円状に並び、空中で羽ばたきながら制止している彼らのあおる風が、毛皮の頭巾を背中の方へ追いやった。

 正直、彼らのことは忘れていた。私が森の中で相手したのは敵の半数でしかないことなど、すっかり頭から抜けていた。

 四頭のうち、乗り手がいるのは二頭。長槍を手に、二人の獣人は獲物を見るような目をした。


「——! ギュンター! どうしましたの、その体は。こいつにやられたの!? 他の仲間は!?」

「残ったのは俺達だけだ。グリフォンが一頭と、獣人が二人」


 背後の森から、私を追ってきた敵が現れる。きんきん声のグリフォンに答えたのは、あのジャッカル頭だった。

 彼が言い終えると、一緒に森を出てきたグリフォンがごぽりと血を吐いて、力尽きたようにその場に横たわった。背に乗っていた獣人はうろたえながら、白目を剥いた相棒に呼びかける。


「おい、どうした! ……! まさか、あの矢……!」

「たった今、こっちの残りは獣人二人になった。相手を甘く見過ぎたな。俺では、閣下のようにいかない」


 ジャッカル頭は自虐するように言った。きんきん声は地上の仲間を冷めた目で見ていた。


「その手じゃ、使い物になりませんわね」

「なに、武器を握れないなら口があるさ。なんのために牙が生えてるんだか」

「ふん、狂犬病が移りそうで嫌ですわ。ね、暴れ馬ちゃん?」


 きんきん声が何を言ったかは聞いていなかった。

 ジャッカル頭の血まみれの手、その爪の間に私からえぐり取っていった肉が挟まっている。目の前が、ちかちかと赤く点滅しだす。まず蜂の巣にするのは、アイツだ。

 ここまできたら、作戦もくそもない。

 矢を連射させると、横から入り込んできた剣に阻まれる。さばき切れなかった矢は、腕が盾代わりとなって受け切る。

 ジャッカル頭を庇ったのは、森での攻防の、もう一人の生き残り。矢が突き刺さった腕をだらりと下げ、そいつは不敵に笑った。


「これで俺は脱落しちゃうんで。ギュンターさん、あとは頼みますよ」

「なにを言ってる。毒が回り切るまで、お前も働け」

「庇われておいて厳しいこと言うなあ、もう」


 私が背中を見せたと思ったグリフォン達が急降下してくる。

 ジャッカル頭はわずかに背中を丸め、本物の狂犬のように、半開きになった口から血の混じったよだれを垂らしている。もう一人の獣人は、剣を片手に持ち替えてこちらの隙を窺っていた。

 森への入り口をふさぐよう、一頭のグリフォンが回り込む。敵があちこちに散らばる。

 目移りしてしまう。どれを殺すのが最善か、じゃない。どれから殺したいか、が重要だ。

 背後から風圧を感じ、弓の発射準備をしながら前方に駆ける。切り刻まんと突っ込んできたグリフォンの鉤爪が、地面をえぐる。乗り手が長槍を突き出した。が、私の尻尾をかすめるだけに終わる。

 体を反転させるために後ろ足で立ち上がる。そのついでに、矢を射っておく。

 普段より視線が高くなった状態での乱れ撃ち。

 いくつ当たったかも分からない。落下していく影もあれば、矢を受けながら耐えるものもあった。急所じゃなくてもいい、とにかく当たればよかった。

 剣を持った獣人が荒い息を吐きながら、突き進んでくる。後ろ足を断とうとしたのだろう、斬撃は低い位置にあった。

 直前で体重をかける足を前に変え、後ろ足を持ち上げる。二秒後には蹴りを繰り出せる姿勢だ。空振りして、獣人がよろめく。その鼻面に、蹴りを浴びせた。背中を盛大に打って倒れた獣人は、おそらくもう立ち上がることはない。

 足を四つすべて地面につけた後は、くわえていた短剣を手に移し、グリフォン騎兵に向かって走った。

 よほど勢いよく突っ込んだのか、いまだグリフォンは地面に鉤爪を食い込ませている。その頭を助走をつけ越え、背に飛び込む。長槍で防ごうとした獣人の額には、跳びながら投げた短剣が突き刺さる。

 グリフォンの背を踏みつけると、まず獣人の額から短剣を引き抜いてから、邪魔な体を蹴り出した。抜いた短剣は再び口にくわえておく。

 からんと落ちた長槍。どさりと落ちた獣人の死体。仰天したグリフォンは鉤爪を地面から引き抜くことに成功した。

 いつもと違う背の重さに泡を食って、慌ただしく翼を羽ばたかせながら、グリフォンは上昇する。


「あなた! その場で制止しなさい!」


 きんきん声が鋭い声を飛ばし、こちらに向かってくる。

 制止しろ、と命令されたグリフォンは何を言われたかも分からず、ぐんぐんと空へと舞い上がっていく。

 噂に聞いた力自慢だけあって、ケンタウロスを乗せても飛行に支障はなさそうだ。足を滑らせないよう、バランスを取る方が難しい。大きく揺れるたび、首筋の羽根を掴み、なんとか弓を構える。

 下から追ってくるきんきん声のグリフォンに、狙いを定めた。


「馬鹿な子。わざわざ逃げ場のない空に来ちゃうなんて」


 きんきん声がせせら笑う。


「ケンタウロスごときがグリフォン様に乗ろうだなんて、おこがましいわよ」


 太陽の光を受けて、黒い鉤爪がきらめく。

 きんきん声の額に向けて矢を放つ。

 その時、踏みつけているグリフォンが、一際大きく羽ばたいた。がくりと体が傾き、狙いがそれる。きんきん声を討ち取ろうと風を切り裂く様は頼もしくも、矢は明後日の方向へと飛んでいった。

 体勢が崩れたところで、きんきん声の鉤爪が振られる。

 鮮血がいくつもの小さな玉になって、宙に散る。その光景が目に入った瞬間、カッと右腕が熱くなった。悲鳴は短剣を口から落とさないためにも、必死で噛み殺した。


「あーら、残念。それではもう、弓を射れませんわね。卑怯者の道具に頼るから、そういうことになるのよ」


 楽しげに鳴きながら、きんきん声は旋回を始める。どうやって襲いかかろうか、と吟味する鷲のように。

 一思いに殺さず、徹底的になぶるつもりらしい。それが獣人やグリフォンの怨みの晴らし方なのか。理解できない。すぐ死ぬ相手に、わざわざ時間をかけて痛みを与えて何になるのか。隙を生むだけの、愚か者がやる行為だ。

 きんきん声はすぐ近くを、余裕を感じさせるゆったりとした速度で飛んでいる。その背は、若干ここより下の位置にあった。

 足に力を込め、きんきん声が次に飛び込んでくるのを待つ。

 きらりと猛禽類の目が輝いた。それと目が合った瞬間、グリフォンの背中の上を駆けた。頭を踏み台にし、宙を跳ぶ。跳ぶ前に、頭蓋骨はきちんと蹄で割った。

 飛び移った先は、きんきん声の背の上。突然のしかかった重みに、きんきん声の体が空中で沈む。

 乗り捨てたグリフォンは谷底の川へと落ちていく。


「ちょっと! 何をやってくれているの!? 降りなさい——いや、落ちなさい!」


 ギャンギャンわめきながら、きんきん声は体を思いっきり揺らす。だが、さっきと違って私はしがみつくように背に乗っている。そう簡単には引きはがせない。


「スバシニ、落ち着け。俺が処理する」


 空中の攻防に、もう一騎のグリフォンが参戦する。背には、ジャッカル頭が乗っている。

 声を発したのはジャッカル頭だ。グリフォンの方は、息を吐くのもつらそうな顔をしていた。足や腹には矢が突き刺さったままで、毒がそろそろ全身に回り切ろうとしているのだろう。グリフォンのもともとの乗り手は毒矢を受けてすでに倒れているに違いない。

 ジャッカル頭もこちらに飛び移ろうとしていた。タイミングを計りながら、開けたままの口。それを見て、ふと彼が口にした言葉がよみがえった。

 武器を握れないなら口がある。

 そうか。手が使えないのなら、口を使えばいいのか。

 傷を負った右手には矢筒から矢を取り出し、弓に添えるまでをやってもらう。そこからは力を込められない腕の代わりに、歯で矢羽をはさむ。短剣は感覚のない右腕に持っていてもらうことにした。

 きっと、たいした威力は出ない。だが、向こうから飛び込んでくるものを仕留めるには十分のはずだ。

 相手のグリフォンがふらりとよろめく。限界が近いと気付いたジャッカル頭は、一息に背を蹴った。彼の足が離れた瞬間、このグリフォンもまた、川へと落ちていく。

 四足の獣が飛びかかってくるような姿勢で、ジャッカル頭が突っ込んでくる。

 弓の弦を口で引く。ジャッカル頭が驚愕に目を見開く。

 狙いを定めて、噛み締めていた歯を外した。矢が飛び出た直後、ぶつん、と弦が切れた。

 開かれた口に矢が飛び込んで、喉を貫く。飛び移ろうとした勢いは削がれ、ジャッカル頭は落ちていく。


「ギュンター!」


 きんきん声が悲鳴のような声を上げた。一瞬、後を追うような仕草を見せる。

 そんなに追いかけたいのなら、手伝ってやる。

 弓と短剣を持ち替え、左手で短剣を握り締める。そしてそれを、きんきん声の脳天に深く、突き刺した。

 狂った鳥の声が長く長く響いて、命尽きた体が羽ばたく力を失う。私はその巨体にしがみついた。ジャッカル頭の後を追って、私達は谷底の川へと吸い込まれていった。




 なんとか河原に這いあがって、口の中の水を吐き出す。川の水にもまれ、傷口から多くの血が流れ出てしまった。襲う寒さは、冷たい水に長時間浸かっていたことだけが理由じゃないだろう。体の中の血が足りなくなっているのだ。

 川の流れが緩やかであったことが幸いした。

 グリフォンの死体を下敷きにして着水した私は、落下の衝撃をそれほど受けなかった。深い川で流されるままになって、ようやく見えた河原に這いあがったのだが、ここには先客がたくさんいた。

 ちょうど川が曲線になっている場所だからか、獣人やグリフォンの死体も流れ着いていた。河原に引っかかった死体を眺めていると、そのうちの一つがもぞりと動き出した。

 濡れた毛はみすぼらしく、体の大きさが二分の一にまで減ってしまったような印象を受ける。その犬っぽい獣人は、こちらに気付いてひっと悲鳴を上げた。


「あ……、許して。許してください。おれは、ただ……」


 ごちゃごちゃと何かを呟く獣人に近付く。こちらが弓も短剣も持っていないことに安心した様子を見せつつも、命乞いは続く。


「な、なんでもしますから。命だけは勘弁してください……。金……そうだ、金ならたくさん、こいつらの懐からかき集めれば——」

「うるさい。死に損ない」


 ちょうどよく頭を下げていたので、前足で踏み抜く。蹄の硬さに頭蓋骨が負け、脳髄と血が飛び出る。これで、彼はお仲間と同じ姿になることができた。

 あらためて、周りを見渡す。ここにあるのは倒した敵の半分にも満たない。でも、証を作るための素材はいっぱいある。


「アハ。全部、毛皮にしよ」


 獣人も、グリフォンも、良い毛皮を持っている。グリフォンの羽根は引っこ抜いて矢羽にしてやってもいい。


「ああ! 考えるだけで楽しい! 狩った獲物でどんな皮細工を作ろう?」


 なぜだか笑いが止まらなかった。

 これだけ大勢の者に、一度に殺意を向けられたことはなかった。戦場での不特定多数にではなく、私がマティルダだから、という理由で狙われたことなんて、なかった。

 なぜ急に笑い出したか、自分でも分からなかった。でも、きっとこれはいいことだ。ポーカーフェイスの私が笑顔を作れるようになったのだから。前に会ったサテュロスも言っていた。笑顔の方がかわいいだろうって。

 だけど、これだけ笑っていても心の中は全然楽しくないのは問題だ。

 襲ってきた奴を全員、返り討ちにした。楽しいはずだ。私はすごい。愉快なはずだ。なのに、なぜ。

 なぜ、激情が収まらない。

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