3.袋小路の激情
ケンタウロスが奴隷として働く街にいたことがある。
廃れた街道で出会った旅芸人の一座から、その情報を仕入れたのは、旅立ちから悠に一年は経つ頃だった。
「うん。キミのような鹿毛の女性もいたね。そういえば、顔立ちも似ているような……」
彼は以前、その街で興行をしたのだそうだ。貴族の館で公演をした際に、世話をしてくれたのが奴隷のケンタウロスだったという。
咳き込みそうになりながら、母の名を伝える。私の切羽詰まった様子に面食らいながらも、サテュロスの座長は記憶を探ってくれた。なにせ何年も前のことだからね、と前置きしつつ、彼は最終的に頷いた。
「そうそう、そんな名前だったよ。ボクは出会った人の顔と名前を、できるだけ覚えることにしているんだ」
「私はマティルダ」
なんだか促されたような気がして、自分の名を口にする。誰かに自己紹介するなど、それこそ一年ぶりくらいかもしれなかった。
「ふふ、覚えておくよ。ボクのことはジョクラトル、と」
「不公平だ」
「本名じゃないと思うんだね? でも、今のボクはこの名前だよ」
そんな会話があったのが夕方のこと。
せっかくだから、と座長はなかば強引に、私に今夜の宿を提供した。さらにこっちは出会いの記念、とばかりに一座の夕飯にまで同席させられてしまう。気前の良さは、実にサテュロスらしかった。
馬車の中とはいえ、屋根付きの寝床にありつけたのは、本当にありがたい。誰かと鍋を囲む経験も久しぶりで、まだ肌寒い時期の野外だというのに、意外なほど暖かく感じた。
よそってもらったスープを口にしながら、座長の話を聞く。
「最近のヤツらは節操がないね。旅芸人にまで手を出すようになっちゃ、世の中おしまいだ」
すでに酒も入っていた。サテュロスがその程度で酔うとは思えないが、座長の口調は少し愚痴っぽい。
一座の一員だというセイレーンとハーピーの女性は、私と目を合わせて、肩をすくめた。
街から街へ行く流れ者達は、派手な馬車の外装とは裏腹に、人目を気にしていた。
「それも、構成員は中立を表明している人種ばっかりだっていうのに。それでも襲ってくるんだから、どうかしてるよ」
座長は芝居じみた仕草で天を仰ぐ。
人を楽しませる者達が街を追われるのだから、さぞ世の中は殺伐としているのだろう。
流れ者がけむたがられるのは今に始まったことではない。彼らはある意味、社会から逸脱した存在だ。日常にすっと入り込んでくる、身近なところにある非日常そのもの。だからこその妖しい魅力に、ある人は嫌悪を覚え、ある人は惹かれてしまう。
それでも、危害を加えるところまでいけば、それは行き過ぎだ。
聞けば、獣人の人攫い集団に追われたこともあるという。
「もちろん、連中の狙いはボクなんかじゃない。うちの目玉、セイレーンの歌姫とハーピーの踊り子にご執心だったのさ。そりゃあ、二人は美人だからね、犬どもが尻を追っかけたくなる気持ちは分かるよ。ただまあ、金貨百枚を積まれたところで、彼女達の価値には遠く及ばないんだけど」
座長は始終おどけた調子で、身振り手振りをまじえながら話した。
そして、興行中でもないのに、出会った時から顔は白塗りだった。典型的な道化師の化粧だ。
座長本人は謙遜したが、彼も滑稽な化粧を落とせば、整った顔立ちが現れそうな気配がする。サテュロスには美丈夫が多いし、その手の輩に好まれやすいと聞く。座長が普段から化粧をするのは、素顔を隠すためではないか。そんな深読みをしてしまう。
だって、こんなふざけた顔と仕草をしているのに、妙に色っぽい。あるいはこれが、堅気の者には出せない色気というやつか。
じっと顔を見過ぎたのが悪かったのか、ふと座長がよくまわる口を止めた。
「ボクの顔になにか付いてる?」
言いながら、目の周りをこすって、手の甲についた色に驚くふりをした。
「ありゃ、これはメイクの塗料だな。ボクが変な顔してるから、ずっと気にしてたんだな」
はっきりと現れた目もとは、長いまつげに飾られていて、予想通りに美しかった。
その目もとが、かすかに歪む。
「キミ、全然……喋らないね」
全然、の後に続ける言葉を迷ったように、少し間があいた。直前までの口の形からして、笑わないね、と言おうとしたのかもしれない。
たしかに、人を笑わせることが仕事の人の前で、これは失礼だ。
「面白いとは思ってる」
「ボクの顔が?」
「見とれていただけ」
「ん、そう」
中途半端に化粧がほどこされた顔に、一瞬だけ素の表情が現れる。セイレーンとハーピーはくすくす笑いを隠そうともしない。
短い返答で狼狽させられたのが不本意だったようで、慌てた様子で座長は、なにやら言葉を探し始める。なんでもかんでも、混ぜ返してやらないと気が済まない、という強い気概を感じる。
しかし、途中でふいと気が変わったらしく、真面目な顔になった。
「キミ、なかなかパンチの効いた格好をしているよね」
その目線から、彼が毛皮のことを言っているのは分かった。
「これから獣人の街に行こうってのに、ふさわしくないよ」
「私はこれ以上ふさわしい格好はないと思う」
「獣人には好い顔されないだろうね」
「好かれる必要はないから」
座長はそれ以上、追及してこなかった。困ったような笑みを口元に浮かべて、彼は私に手を伸ばした。そして、毛皮越しに私の頭を撫でた。
「キミ、笑っていた方が絶対にかわいいよ」
これは、さっきの仕返しなのか。
*****
ベスティニア皇国は、諸侯の権限が強い国だ。それぞれの土地には、治める領主の特徴が色濃く出る。領地の境をまたげば、制度も気風もがらりと変わる。そんなことが珍しくない。
それは奴隷制度にしても同じことで、ベスティニア皇国内でも、奴隷の所有を認める地と認めない地がある。そうはいっても、皇都では奴隷の存在が当たり前だというから、認める派が優勢らしい。
なんにせよ、すべてはその地の領主の采配による。
この間出会った旅芸人の一座は、おもに穏健な領主が治める地を巡ってきたそうだ。
しかし、三年ほど前、中央で国を支えてきた元帥の片割れが、戦死してからというもの。獣人達は殺気立ち、不寛容な空気が全土に広がったように感じる。座長はそう話していた。だから、ほとぼりが冷めるまでベスティニア皇国を離れることにした、と。
なんだか身に覚えがある話な気がした。わざわざ口にはしなかったけども。
一座と別れてから、私は、座長が教えてくれた街までひたすら歩いた。大陸の中央部、リーフマルジュ領を治める獣人領主、通称タズィ公の居城があるサルクの街へと。
その名を聞いた時、はっきりいって驚いた。タズィ公は、対ケンタウロスの最前線で指揮をとってきた重鎮だ。私自身は直接対峙したことはない。もしそんな機会があったら、とっくに仕留めている。
驚いたのは、かの領主の名前が出たことではなかった。思っていたよりもずっと近くに、母の存在があったことだ。ケンタウロスと獣人がせめぎ合っていた、まさにその街だった。
街をまるごと囲む城壁を破ろうと苦闘していた時、母はその向こう側にいたのかもしれない。
そんな苦い思い出に浸りながら、私はサルクの街へと辿りつく。そして、己の記憶とかけ離れた姿の城壁を前に、立ち尽くした。
サルクの街を守っていた頑丈な壁は、虫食い状態に崩れていた。
来る者を拒む威容さは消え失せている。市門がどこだったかも分からない。今や、どうぞ穴の空いた箇所から、どこへでもお入りくださいと言わんばかりだった。
「なんで?」
周囲を漂う戦の残り香に、困惑する。
ケンタウロスは全軍を引き揚げ、守りの戦いに徹すると宣言した。では、この戦禍は誰が残したものだ。
嗅ぎなれた鉄の匂いが、不安をかき立てる。地面を蹴りつけたい衝動を抑えて、崩れた城壁をくぐる。
中は廃墟同然だった。
整備された石畳の上に、まぎれもない戦の跡が残されている。染みついた血痕と、犠牲者が獣人であるがゆえの大量の抜け毛。周りの家々に人の気配はない。襲撃者がしらみつぶしに住居を破壊したのか、大半は人が住めないような惨状になっていた。
この規模の都市を、賊が襲えるとは思えない。軍が攻め入ったと考えるべきだろう。農村を襲撃するのとはわけが違う。
街の奥へ進んでいくと、異臭がつんと鼻をついた。臭いのもとは辿るまでもなかった。
中央の広場に、目立つよう、獣人の死体が山積みになっていた。死体の処理をするため火をかけたらしい。残り火がくすぶっている。異臭は肉が焼けた臭いというよりは、毛が焦げた臭いに思えた。
黒焦げの山にカラスが集まって、しゃがれた鳴き声を上げている。
いつもなら心躍る光景でも今は、ほかに気にかかることが多過ぎる。長く見ていたいものではなかった。そこから目を外そうとした時、山の影で何かが動いた。
「……!」
とっさに弓を構える。姿を現した獣と、目が合った。
青白い炎をたたえた二つの目が、ふいと興味が失せたようにそらされる。四つ足のそれは、ハイエナの姿をしていた。
それは死体の山から突き出た腕に、おもむろに噛みつくと、腕の持ち主の胴体を引きずりだす。山が崩れ、半分骨が剥き出しになった獣人の頭が落ちる。カラスの群れが音に驚いて、空に逃げ出した。
「グール、か」
こちらの呟きにもまったく反応しない。
死者を食べる精霊グール。このご時世には、まったく珍しくない存在だった。動物の頭蓋骨を仮面のように被る、ハイエナの姿をしたもの。燐が燃えるように輝く目も、彼らがただの獣ではないことを印象付ける。
こちらが生者である限り、グールが襲ってくることはない。危険な相手ではなかった。
それでも、警戒を怠っていたことを反省する。今回は敵意のある相手ではなかったけど、そんなのはたまたまだ。気配がないからといって、隠れ潜む者がいないとは限らない。
いつでも射れるよう矢はそのままに、つがえていた弓を下ろす。
グールに背を向け、しばらくしないうちに、再び視界の隅で動くものを見つける。潜めようとする息遣いに、明らかな人の意思を感じた。
「動くな」
「ひっ」
相手の姿を確認する前に、弓で狙いを定める。
「こっちに出てこい」
「そ、そんな、わしは何も——」
「早く」
薄暗い路地裏で身を縮こまらせていた人影が、のっそり出てくる。老いた獣人だった。本物の老犬のように目がしょぼくれている。
街の生き残りがいたとは都合がいい。ここで何があったか聞き出せる。
「この街で何があったのか話せ」
老獣人はこちらを見上げ、私が被る毛皮に委縮したようだった。ぼそぼそと、聞きとりにくい声で喋り始める。
「と、十日ほど前のことじゃ……。突然、人間の軍がこの街を襲ってきて……全部、壊されてしまった。皆、殺されてしまった。……息子夫婦も、孫娘も……、……領主様も。せっかく、ひと月後の婚礼の儀のために準備を進めてきたというのに……領主様の婚約者様も……。最期は立派に戦って……」
言葉を詰まらせ、老獣人はむせび泣く。放っておいたら遠吠えを始めかねないほど、悲嘆にくれた顔をしていた。
「人間の軍というのは?」
「お、おまえさん、知らんのかね。『英雄』と呼ばれる人間の男が率いる軍じゃ。この目で見るまで半信半疑だったが……まさに怒涛のような進撃じゃった。こんな、っ……こんな恐ろしい光景、わしも初めてで……」
氏族長が恐れていたのはこのことだったか。と、今になって思い至る。
勢いを増す新興勢力を止める力など、戦い続けてきたケンタウロスにはない。疲弊しきった体では、追いつくことさえ危うい。
理屈は分かる。だがやはり、弱腰な姿勢を受け入れる気にはなれなかった。戦う前から負けを認めるなど、戦士の名折れだ。
それにしても、犬の鳴き声がうるさい。
興味のない、己の悲劇ばかりを、いかにも悲痛そうに訴えている。この街と、獣人の、受けた仕打ちばかりを口にしている。
うんざりして、話にすらなっていない独り言に割って入った。
「お前のいう立派な領主様は、常日頃、奴隷を使っていた。違うか?」
老獣人の泣き言が止まった。自分が、どの人種に向かって話していたのか、ようやく思い出してくれたらしい。
「他の人種を鞭打ち、労役させることをよしとしていた。きっと、中には人間もいた。怨まれて当然だ。襲われて文句ばかり言うのは、おこがましい」
「わ、わしらは——」
「弁解も謝罪もいらない。言え。奴隷達はどうなった?」
「に、人間の奴隷は、『英雄』に解放されて……」
にぶい回答に舌打ちが出る。引き絞った弦から、手を放してしまいそうだ。
「私はケンタウロスだ。何を聞かれているかぐらい、分かれ」
老獣人が目を泳がせる。なかなか出てこない声に、嫌な予感がする。
やがて、観念したように老獣人が答えた。
「人間以外の奴隷は、……殺されてしまった」
心臓を鷲掴みにされたような、えも言われぬ不快感がせり上がってくる。分厚い毛皮を被っているはずなのに、寒さに襲われたように体が小刻みに震えた。
老獣人がつばを飲み込んで、こちらの審判を待っている。
手から力が抜けそうになるのを、なんとかこらえる。最後の問いをするために出した声は、自分のものだというのに、どこか遠くから聞こえた。
「人間の軍は——『英雄』はどこに行った! どこへ向かった!」
「そ、そんなことは、わしは知らん」
「知らない? そんな答えは聞いてない。分からないなら考えろ。どこへ向かったか、推測しろ!」
そう迫ると、老獣人は震える声で、とある砦の名前をあげた。
「連中は、皇都に攻め入るつもりじゃ。進軍するためには、そこを避けては通れまい。だから、きっとそこに……」
老獣人の背後に、死体の山が見える。そのそばで、グールが尻を据え、じっとこちらを見つめている。先ほどからずっと、まっすぐこちらに視線を寄こしていた。新しくできあがる死体を待ち構えているかのように。
答えたことで解放されると思ったらしい。ほっと息を抜いた老獣人の眉間を、矢が貫く。
非難がましく揺らいだ目もすぐに白目を剥き、体は射抜かれた衝撃で仰向けに倒れた。
見つけた時点で殺すことは決めていた。非難されるいわれはない。素直に答えたら見逃す、なんてことは一言も言っていないのだから。勝手に期待して失望する方が悪い。
グールが腰をあげるのを尻目に、その場を離れる。
早々にこの街を出て、人間の軍に追いつかなければならない。
そのまま街を駆け去るつもりだった。
だが、城門を通り過ぎようとして目に付いたものに、自然と足が止まった。城門の両端で、二つの死体がはりつけになっていた。
左端にさらされているのは、偉そうな軍服を着崩した、獅子に似た獣人だった。似た、という表現になるのは、男のようだがたてがみがないからだ。
そしてもう一人、右端にさらされているのは、高貴そうな服を身にまとった犬の獣人だ。鼻面が長く突き出た面相で、垂れた耳はさらりとした長い毛に覆われていた。
聞き及んだ容姿からして、おそらく、右の死体がタズィ公だろう。この地の領主は絶世の美男子だったというから。
獣人の美醜はよく分からない。それでも、生きている時はさぞ美麗だったのだろう、と素直に思えた。生まれながらの貴族というやつだ。鼻につく以前に、呆れてしまうほどの。
腹を槍に貫かれ、天への捧げ物のように掲げられる彼らは、生き残った住人に対しての見せしめだ。そして、ベスティニア皇国の大王への挑発であり、宣戦布告でもある。
わざわざ、グールがすぐに食いつけない高所へと引き上げているぐらいだから。
徐々に地へ腐り落ちていくまで、グールは二人の肉にありつけない。
「獣人を殺してくれるだけなら、万々歳だった」
なんなら、手を取り合ってもいいぐらいだった。
でも、人間は母を殺してしまった。母以外のたくさんのケンタウロスも殺し、獣人のついでのように、他の多くの人種を死に追いやってしまった。
母を助ける。
その一心で氏族を離れ、ここまでやってきた私にはもう、帰る場所も、行き着く場所もない。だというのに、足はまだ動こうとする。
殺しに行け、と体が訴える。
仇はとるものだ。そして、証となる戦利品をいただく。つまり、皮を剥ぐ。それが私のやり方だ。
「待っていろ、『英雄』」
獣人に向けるはずだった憤懣を、お前は受け止めてくれるのだろう。そうでなくてはいけない。お前にはその責任がある。
私の一撃必殺の矢は、『英雄』を仕留めることで人間の軍勢さえも崩すだろう。
一人で軍隊を相手取るなど、夢物語だ。だが、支柱となっている一人を殺すことで、結果的に軍隊を壊滅させることはできる。
サンダリオの件で、私は学んだ。二柱いる元帥の一人が倒れただけで、ベスティニア皇国は荒れたのだ。たった一人に頼る寄せ集めの軍隊など、総崩れになると決まったようなもの。
——だから、
「今から、お前を殺しに行くぞ」
はやる足に気持ちを乗せる。




