第1話:新人の美少女が、どう見ても宇宙人なんだが
人類の歴史がひっくり返ったのは、今からちょうど一ヶ月前のことだ。
月のすぐ隣の軌道上に、月とほぼ同じサイズの「真っ黒な立方体」が突如として出現した。
そして直後。
アメリカやロシアをはじめ、世界中の軍事施設に保管されていた「核兵器」だけが、わずか〇・一秒でただの『塩の塊』へと変わったのである。
テレビもネットも、最初の二週間はパニック映画そのものだった。
やれ地球滅亡だ、やれ宇宙戦争だと誰もが泣き叫んだ。
……だが、そこからが問題だった。
なんとその宇宙船は、核兵器を塩に変えたっきり、一ヶ月間「完全なる無言」を貫いているのだ。
「降伏しろ」という脅迫もなければ、「支配してやる」という宣言もない。
拳銃やライフルといった通常の火器には一切手をつけず、警察の治安維持もそのまま残し、ただただ月の横で黙って浮かんでいるだけ。
その結果、何が起きたかというと――。
「いいかお前ら! 宇宙人が沈黙している今こそ、我々テレビマンが『人類の不屈の精神』を視聴率で示す時だ! よって今週も休日出勤でいくぞ!」
朝の番組制作会社のフロアに、プロデューサーである鬼塚部長の怒号が響き渡った。
俺――情報番組のディレクターを務める佐伯蓮は、デスクでぬるくなった缶コーヒーをすすりながら、遠い目をした。
『……いや、宇宙人と視聴率に何の関係があるんだよ』
部長が満足げに自分の席へ戻っていくのを見届けてから、隣のデスクに座る後輩ADの女の子が、ジト目でこちらを振り返った。
「……先輩。今のって、宇宙人を言い訳にしてタダ働きさせたいだけですよね?」
彼女の名前は、水瀬葵。
入社二年目の二十四歳で、ポニーテールがよく似合う、俺の頼れる相棒だ。
「だよな。あいつらまだ一言も喋ってないのに、なんで俺たちが徹夜で戦わなきゃいけないんだか」
「ほんとですよ。世間も『宇宙人様に媚びよう派』と『徹底抗戦派』に分かれて勝手にピリピリしてますし……みんな、暇なんですかね?」
葵が呆れたように肩をすくめる。
彼女のこういう真っ当な感性に、俺はいつも救われていた。
空に不気味な箱が浮かんでいようが、世界中の核ミサイルが精製塩になろうが、俺たちの日常はこうしてしぶとく、そしてセコく続いていくのだと思っていた。
――そう、この三分後までは。
***
「えー、皆に紹介する! 今日から佐伯ディレクターの班に配属される、新人ADの星野ノアくんだ!」
人事部の担当者に連れられて、フロアの中央に一人の少女が立った瞬間。
ざわついていた制作フロアが、水を打ったように静まり返った。
『……うわ。なんだ、この美少女は』
思わず、手にしていた台本を取り落としそうになった。
透き通るような白い肌に、光を吸い込むような大きな瞳。
さらさらと揺れる銀色がかった黒髪と、まるでCGで黄金比を計算し尽くしたかのような完璧な顔立ち。
テレビ局に出入りしていれば芸能人やモデルは見慣れているはずなのに、そのどれとも次元が違う、暴力的なまでの美貌だった。
フロア中の男性社員たちが色めき立ち、隣の葵ですら「わあ……お人形さんみたいですね!」と目を輝かせている。
だが、当の美少女――星野ノアは、ひどく緊張した面持ちで一歩前に出ると、ピンと背筋を伸ばして口を開いた。
「ち、地球の皆さん、はじめまして!」
『……ん?』
俺の眉がピクリと動いた。
ノアはそのまま、鈴を転がすような美しい声で自己紹介を続ける。
「私の名前はホシノ・ノア。二十歳です! 出身はアンドロメ……あっ、間違えました、青森県です!」
『今、アンドロメダって言おうとしたよな!?』
「趣味は光合成と、有機物の摂取……じゃなくて、カフェ巡りです! 地球の文化をたくさん調査……いえ、勉強したいと思っていますので、よろしくお願いします!」
ぺこり、と頭を下げる美少女。
俺は飲んでいた缶コーヒーを危うく気管に詰まらせるところだった。
『いやいやいや! 待て待て待て! ツッコミどころが多すぎるだろ!』
地球の皆さんって言ったぞ!?
アンドロメダを青森でごまかすのは無理があるし、カフェ巡りを「光合成と有機物の摂取」って言い間違える人間がどこにいるんだよ!?
俺はあまりの衝撃に、助けを求めるように周囲を見回した。
すると――。
「ガハハハ! 青森は自然が豊かだから、思わず光合成したくなるよなあ!」
「有機物の摂取とは、最近のZ世代は表現がユニークで面白い!」
鬼塚部長をはじめとする社員たちが、デレデレと鼻の下を伸ばしながら拍手喝采を送っているではないか。
『嘘だろお前ら!? 脳みそまで塩に変えられたのか!?』
俺は最後の希望にすがる思いで、隣にいる常識人の後輩・葵を見た。
頼むぞ葵。お前のその鋭いツッコミで、この異常な空間をぶった斬ってくれ。
「ふふっ、ノアちゃん、緊張して噛んじゃったんですね! 日向ぼっこが好きなんて、初々しくて可愛い〜!」
葵はほんわかと頬を緩ませ、惜しみない拍手を送っていた。
『お前もかよォォォォッ!!』
俺の心の絶叫は、誰の耳にも届くことなくフロアの歓声にかき消された。
***
「じゃあノアちゃん、まずは基本の事務作業から教えるね!」
「はいっ、アオイ先輩! 地球の労働システム、しっかりインプットします!」
「ふふ、大げさだなあ」
午後になり、葵がノアを連れてフロアの設備を案内して回っていた。
俺は自分のデスクから、その様子を冷や汗まみれで監視していた。
『……おかしい。絶対に何かがおかしい』
ノアはニコニコと愛想よく葵の後をついて回っているが、その挙動がいちいち人間のそれではないのだ。
「ここが佐伯先輩と私たちのデスクだよ。ちょっと狭いけど、慣れると落ち着くから」
「なるほど、ここが拠点なのですね! 頑張ります!」
ノアが気合を入れるように、自分のスチール机の角をギュッと握りしめた。
メキョッ。
鈍い金属音がして、分厚いスチール机の角が、まるで柔らかい粘土のようにノアの指の形にへこんだ。
『ッ!? 素手で鉄を握り潰したぞ!?』
俺は椅子から立ち上がりかけた。
しかし、目の前でそれを見ていたはずの葵は、首をかしげて机の角を撫でただけだった。
「あれー? この机、最初からこんなに凹んでたっけ? 危ないから、あとで総務に言って変えてもらおうね!」
「あ、はい! そうですね、最初からこういう形状の鉱物でした!」
『んなわけあるかァ!! 今、お前の目の前でメキョッていっただろうが!!』
さらに恐怖のオリエンテーションは続く。
「で、こっちが複合機ね。資料をコピーする時は、ここに原稿を置いてスタートボタンを押すの」
「わあ、これが地球の複製装置ですか!」
ノアが興味津々といった様子で、フタを開けたままコピー機のガラス面を覗き込んだ。
ウィィィン……と、スキャナーの緑色の光がノアの顔を照らした、その瞬間。
ピッ。
ノアの表情が完全に消失し、その大きな瞳がネオンサインのように鮮やかな『青色』に発光した。
「――生体スキャンを検知。敵性行為とみなし、防衛モードに移行します。光学兵器のチャージを開始――」
『やめろやめろやめろ!! コピー機と戦うな!! 会社が吹き飛ぶ!!』
俺が必死で止めに入ろうとした瞬間、スキャナーの光が消えた。
するとノアの瞳の色がスッと元に戻り、「……あれ? 私、今何を?」と小首をかしげた。
「わあ、ノアちゃん! 今のカラーコンタクト、光が当たると青く見えるやつ!? すっごく綺麗だね〜!」
「え? あ、はい! 地球で流行していると聞いた、最新のオシャレ眼球です!」
『オシャレ眼球ってなんだよ! なんで誰も疑問に思わないんだよ!』
俺は自分の髪の毛をかきむしりそうになった。
極めつけは、その直後だった。
俺がたまらず背後から「あのさ、星野さん」と声をかけた時のことだ。
「ひゃあっ!?」
ノアがビクッと肩を跳ねさせた。
すると驚いた拍子に何かの制御が外れたのか、彼女の身体が――膝を1ミリも曲げない直立不動の姿勢のまま、「フワッ」と無音で床から一メートル近くも真上に浮き上がったのだ。
そして空中で一秒ほどピタリと静止してから、ストン、と音もなく着地した。
『う、浮いた……!? 膝も曲げずに空中へ浮かび上がったぞ……!』
俺が口をパクパクさせていると、葵が目を丸くしてぱちぱちと拍手をした。
「えっ、ノアちゃん、今のすごいジャンプ力だね! びっくりしただけであんなに高く跳べるなんて、バレーボールか陸上でもやってたの!?」
「あ、あはは……! はい、実家の青森では、野生のクマを回避するために毎日反重力……じゃなくて、垂直跳びを鍛えていました!」
「へえー、青森って大変なんだね〜!」
『納得するな葵ィィィ!! どこをどう見たら今の動きが垂直跳びに見えるんだよ!!』
***
そして、定時の十八時。
「ノアちゃん、初日お疲れ様! 今日はもう上がっていいからね」
「ありがとうございます、アオイ先輩! とても有意義な潜入……いえ、研修でした!」
ぺこりと頭を下げたノアが、自分のショルダーバッグに荷物をしまい始める。
その時、彼女が手に持っていた黒い石板のような端末が、俺の席からチラリと見えた。
その石板の上には、液晶画面ではなく、空中に青白いホログラムの文字がくっきりと浮かび上がっていた。
【潜入調査・第一日目:地球人への擬態は完璧に成功】
『…………』
俺は無言でデスクの引き出しを開け、常備している胃薬のシートを取り出した。
ぬるい缶コーヒーの残りで、錠剤を一気に流し込む。
窓の外の夕空には、相変わらず一言も喋らない「黒い立方体」が浮かんでいた。
『……どう見ても宇宙人じゃねえか!! なんで俺以外の全員、気づかないんだよ……!!』
こうして、地球上で俺ただ一人が真実に気づいてしまった、孤独すぎる日常が幕を開けたのだった。




